Monologue2002-48 (2002.10.20〜2002.10.26)
 「2002.10.26(土)」雨・大きなゴツゴツした・・・

 来月2日で40才だ。深キョン(深田恭子)も同じ日に20才になるそうだ。
 なんかイイやね。同期取れてて。なんか運命的って感じでしょ!、ネッ!ネッ!、そうだよネッ!・・・なんだ・・・御賛同無しかよ・・・、ま、いいや。

 テレビ東京の「出没アド街ック天国」は東京の西新井だった。
 当然1位は西新井大師だろうなと思いつつ見ていると、予想に違わず1位だった。それで西新井大師が1位で紹介された途端、ホントどうしたことか目頭が滲んできてしまった。どうしちゃったんだ・・・。40を前にし益々涙もろくなっただけか?。しかし”アド街”で泣くってのも考えもんか・・・、ま、いいや。

 ラストの街のCMでは老人が孫の手を引き大師さんにお参りする図を撮影。
 BGMは今流行の平井賢の”大きな古時計”。これが又合ってるんだね。ここで又一ウル来る。
 大体おじいさんが孫の手を引いて歩いてるっていう図を想像するだけで、なんか目頭が熱くなるから困ったもんだ。

   *   *   *

 まだ物心着くかつかないかの頃、故郷にある虚空蔵尊の縁日というのに亡き祖父に手を引いて連れていってもらった記憶がある。故郷の浜当目という海辺の地域の、虚空蔵山という小さな山の上に有る香集寺の縁日である。
 随分小さい頃のことなので細かい記憶はほとんど無いけれど、断片的にその虚空蔵山の緑と、縁日の出店や見世物小屋の原色のオドロオドロしい感じを、やけに記憶している。
 それから祖父のゴツゴツした大きな手・・・。
 今から考えると祖父は、そんなに大柄でも無く、どちらかと言えば小柄だったように思うのだが、当時子供だった僕には、その手はとても大きく感じた。
 古時計も祖父の手も、僕等には常に”大きい”んだよね。

 「2002.10.25(金)」晴・神鳴り

 話題に事欠いた時は天気の話が良いというが確かにそうだ。
 今はインターネットで、ひまわり画像などというのが見られるので、事欠いてどうなることやらと危ぶまれた話題も今や、どうにかこうにか地球レベルにまで膨らみつつある。

 ひまわり画像では温度の低い雲は、より白く写る。
 これで僕はどんなことを判断しているかと言うと”雷”の出現である。

 以前テレビの天気予報番組でやっていたが、統計的に雷が発生しやすいのは、地表付近の温度と、上空の雲自体の温度の差が15度以上ある場合に発生しやすいのだそうだ。
 例えば地上は生暖かく25度くらいの温度で、一方上空にとても冷たい氷のつぶがあるような0度近い温度の雲がやってくると、その差が当然15度以上になり、雷が発生しやすくなる。

 夏場なぞに、ひまわり画像を見て真っ白な雲の部分(つまりとても冷たい雲)があると、あっ、こりゃここ雷すげえぞ、などと予想できるのである。冬場なら真っ白の部分があっても地上も冷たいから雷は起きない。冬だけれども温かい日があったら、真っ白の雲は要注意である。

   *   *   *

 雷に関しては、こんな説もある。
 曰く、雷は霊的なものが発生させる、と。これはルドルフシュタイナーの本で読んだ。
 すなわち雷は偶発するのでは無く、意志を持って発生させられる、ということだ。
 雷が落ちる所には、落ちるべくして落ちるということだ。
 日本では、神鳴り、などと表現したりするが、これと通ずるものがありそうだ。

 数年前我がアパートに雷が落ちたことがあった。この時の恐さといったらなかった。
 なんで恐かったかと言うと、突然だったからである。通常の雷は、最初ゴロゴロ言ってから段々激しくなる。これは心の準備が出来る。しかし突然のやつは違う。
 いつもと同じ普通の夜、突然夜なのに不吉で異常な明るさが一瞬訪れる。そして嫌な予感がよぎった次の刹那、轟音である。直後、家中が真っ暗になる。
 被爆というのはこんな感じなのだろうか、などと良からぬイメージが沸き、それが一層恐怖感を煽るのである。

 あれ以来雷雲だけでもビビリまくっていたが、”霊が雷を起こしている”などと言われると、なんとなく、”なんだ、そうなのか”、などとちょっとホッとしないでもない。そう言えば、あれ以来僕は気象状況に興味を示すようになった。落雷はその為の霊の強烈で意地悪な計らいだった、と言えるかもしれないのだ。

 「2002.10.24(木)」雨後曇・ジェダイたるもの

 例えばこの世でリーダーシップを学ぼうとやってきた人は、やはりその人生においてリーダーシップが鍵となるような状況・環境に置かれているのだそうだ。政治家に関係した家に生まれるかもしれないし、学校でクラス委員になったりするかもしれない。
 逆に全くそういうリーダーシップと関係の無い環境に身を置き、返って痛烈に意識するように仕組まれる場合もあるそうだ。

 人それぞれ勿論それに合った相応しい状況というものがあるだろう。
 僕の今までを振り返って、どんなことを学ばねばならなかったのか?考えてみた。
 仕事だけに限ってみると、良く細かいことに神経を逆撫でされイライラしたり、早急な反応を要求されパニックする、などという状況が多かった。
 これは自分の感情を掻き乱され理性を失いやすい状態に置かれるということだ。

 こんな時、いかに”冷静に自分の感情をコントロール”できるかがキーとなる。
 すなわち僕の場合こうした状況に身を置き、それを学ぼうとしていたのだと言える。

 ジェダイたるもの、どんな状況でも決して心乱してはいけない(またまた始まったぞ)。
 フォースを使うには、感情に囚われてはいけない。それができない内は、使いこなすことはできないどころか、いずれダークサイドに囚われてしまうだろう。

 ま、そんなこんなで、僕は”自分の感情をコントロール”する為、日夜七転八倒している今日此の頃、なのだとさ。

 「2002.10.23(水)」晴・全部ユニクロ

 今の職場の服装は、派手でなければカジュアルでも良い。
 僕としては大変有り難いことなのであるが、職場の服装なんて本当にバリエーションが無くて行き詰まってしまう。
 結局僕のいつもの服装は、上から下まで全部ユニクロ、みたいなとこに落ち着いてしまっている。これを週1くらいのローテーションで着回ししている。ま、言いようによっては、これこそ制服じゃんみたいな。
 何と言われようが、これで何不自由無いし、これ以上職場では何も望まない。
 ん?。オマエは私服だってバリエーション無いじゃないかって?。
 ・・・めっかちゃったっ!(念の為”さんま”のギャグです。)。

 最近ちょっとしたマイブームになっているのが扇雀(せんじゃく)飴本舗というところで出している「はちみつ100%のキャンディー」という飴。これを食べるようになったのは、ちよっとした理由があって、それは又別途お話ししたいが、簡単に言えば健康の為、である。ちょうどこんなお菓子を探していて、本当にグッドタイミングで見つけたのである。

 「2002.10.22(火)」晴・つづれおり

 キャロルキングの「タペストリー」のようなアルバムこそは本当に名盤というに相応しいアルバムなのだろう。長い間聴き続けても未だに色褪せず、聴くほどに一層曲が好きになる。まさに「不朽」という言葉がピッタリである。
 このアルバムの曲をカヴァーした人、このアルバムに触発された人、どれほどのアーチストに影響を与えたか図り知れない。
 このアルバムでは、アコースティックなサウンドが印象的だ。キャロルキングの暖かみのあるピアノの弾き語りには随分癒されたものだ。
 僕は「去りゆく恋人」や「恋の家路」なんかが好きだ。
 勿論有名な「イッツトゥーレイト」や「ナチュラルウーマン」もいいし・・・それから・・・結局、みんないいってとこに落ち着きそうだ。

 「2002.10.21(月)」雨・雲

 日本をしばらく覆っていた雲が、ようやくどいたようだ。
 雲は陽を遮ったり雨を降らすのが大きな働きというイメージがあるけど、人間の精神に良くも悪くも何かしら働きかける、という大きな仕事もある。
 どうもやっぱり雲も生きてるんだよね、たぶん。

 「2002.10.20(日)」雨・ほんのちょっと変える

 カンボジアからタイに出稼ぎに出ている人の中には1000バーツ(タイの貨幣単位)の借金が払えないで生活苦に喘いでいる人がいるそうだ。幼い子供を出稼ぎに出させてまでも。
 1000バーツ、一体幾らだろう。1バーツが約3円、3000円である。
 お金だけで人を完全に救えるとは思わないけれど、今の僕等がチョット何かを我慢するだけで、一体何人カンボジアの人々を救えるだろうと思う。

 何もカンボジアだけに貧困の人々がいる訳では無いし、勿論日本にだって、世界中にも困っている人が沢山いる。
 それでそうした人々を無理してまで助けてやろうとすることは無いと思うけれど、とりあえず食べて寝れる生活を送れている僕等の今の生活をちょっと見直し、心のベクトルを自分の欲望だけで無く、ほんの少しでも他人の為に向けるようにしていくことでも、もしかしたら世界は大きく変わって行くのでは無いか。そうあってほしいと願っているし、いつかそうなると信じている。
 誰かのフレーズでは無いが、できることからコツコツと、何が自分にできるか、折りに触れ考えてみたい。

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