Monologue2001-47 (2001.8.1〜2001.8.5)

「2001.8.5(日)」晴・順風満帆

 私いつまでたっても冴えないモテナイ独身エトランゼであるが、こんな僕でも最近ふと大人になったな、と感じたことがあった。
 「順風満帆」という言葉がある。
 もちろん自分の人生、順風満帆だなどということは全く無いが、この言葉が自然にすんなり理解できるようになった。
 この言葉は良く「順風万帆」などと「まん」の箇所を間違え易いということが取沙汰される。
 僕も若い頃は「満」でも「万」でもエエじゃねえか、くらいに思っていた。

 しかし今は「順風」には「満帆」するんだ、と自然に思える。
 今は「順風」に「満帆」するのは「パン」に「バター」を塗る、のと同じくらい自然に思える。
 「順風」に「万帆」だと「パン」に「万バター」、などというオカシナことになるのが良くわかる。

 人生思うように運ばないことが長く続くと、いかに「順風」に乗ることが大切かということが身に沁みてわかる。
 今まで逃して来た数々の順風時に、なぜ帆を一杯に張らなかったんだと後悔の念しきりである。

 であるからちょっと追い風が吹いたら「すぐ帆を一杯に拡げて、この風を余すこと無く受けるんだ」という気持ちになる。
 つまり自然に「順風」を「満帆」したいと思えるのである。
 自転車で走っている時に追い風を受けて走っていくのは大層気持ちが良いものである。
 だから人生でも「順風」を「満帆」するのは、さぞかし気持ちがいいことだろうなと思える。

 だから「順風」に「万帆」などしている場合では無かったのである。
 「順風」には「満帆」すれば良かったのである。

「2001.8.4(土)」晴・椅子か?

 吉野家などに普通に若い女性客が足を運ぶようになった昨今、未だ女性客の出足が少ない我が愛する立ち食い蕎麦屋なのであるが、その原因として「椅子の有無」が、かなり重要なポイントなのでは無いか?という説が、我がモテナイ独身エトランゼ女性生態調査班ならびに立ち食い蕎麦屋女性誘致推進委員会の自称詳細な調査により最近判明して来た。

 立ち食いと称した蕎麦屋でも、中には椅子席を設けた所もあり、そうした店では結構若い女性客を見かけることがある。
 とある私鉄駅の構内にあった椅子席のある立ち食い蕎麦屋では、なんと僕にとっては驚くべきことであるがルーズソックスの女子高生二人組が立ち食い蕎麦を食べている光景を見かけることができた。まさに日本近海においてクジラの群れに出くわしたかのような感激であった(見たことあんのかよ・・・)。

 実はあまり大きな声では言えぬが、その蕎麦屋というのは、あくまでも僕の個人的な意見であるのだが、あまりオイシクないのである。ツユは薄いし麺ものび切ったようなフニャフニャだし、かき揚げなど「ん?これ一体何日前に揚げたもの?」と問いたくなるような生気のないかき揚げで、僕もよっぽど緊急に小腹が空いている時ででもなければ、あまり利用はしない。
 なのに椅子席のあることと、乗換駅という地の利を生かしたことがあるのか、いつも女性客を含め客が入っている。が、一番の原因は、おそらく廉価なセットメニューや、御飯もののメニューも多少あることが最大のポイントのようではある。

 一方、灯台下暗しというわけでも無かったのであるが、都心にわざわざ出なくても我が地元の南武線稲城長沼駅前の立ち食い蕎麦屋が、立ち食い蕎麦にしては意外にいけるので結構僕も利用する。
 僕が頼むのは、野菜天ソバばかりであるが、この天ぷらが玉ねぎのかき揚げ風になっていて、少し焦げ目が付くくらいコンガリ揚げており、これがソバツユと混じり合うと中々良い味を出すのである。

 ここにはもちろん椅子が無い。
 従って、というわけでも無いが少なくとも僕が、この店に入っている時に女性客がいた、という記憶は皆無である。
 もちろん味なぞ断然先程の私鉄駅構内の店とは比べ物にならないくらい、こちらが上出来である。

 こうなると女性、特に若い女性は立ち食い蕎麦屋選定のポイントを、味で決めているのでは無く「椅子があって寛げるか」に重点を置いているのでは無いか?という結論が導き出される、というわけである。
 尚この問題については今後更に調査を続け、ゆくゆくは更に有効かつ確実性のあるデータを皆様に御提示したい・・・ということにしておく。

「2001.8.3(金)」晴・ゴキブリ中心

 この欄でもちょっと述べたが、僕はゴキブリ封鎖対策として、部屋の灯をつけっぱなしにしたり、エアコンを思いっきり低温ドライで稼働させたりしている。
 ガンガンに冷え切った部屋の中で「この寒さなら、よもやヤツも出てきはしまい。ヘーックショイ、コンチクショー!」などと、もう風邪をひく寸前では無いかくらいまで我が身を削りつつ、ゴキブリの為に頑張っている。
 もちろん駆除剤などの設置も完璧である。

 更に成るべくゴキブリ発生率の高い丑三つ時(深夜1〜3時)には起きていたく無く、熟睡状態に自らをもっていきたいので、時には寝たくない時でも布団にはいるかと思えば、時には就寝時間でなくても少しでも眠気が来たら、とにかく寝てしまうなど、時間調整には余念が無い。

 こうして僕はゴキブリの為に、ゴキブリに合わせて自分のライフスタイルを構築しつつある。

 ・・・などというように、こんな生活をしていると、なんだか自分が「ゴキブリ中心」に生きているような気がしてならない。
 世の幸せなカップルなどは、毎日彼氏・彼女のことを想い、考え続けているのであろうが、僕に至っては、毎日ゴキブリのことを想い、考え続けているような気がしてならない。
 「君の為に生まれてきたんだ」などというフレーズが、ラヴソングなどでチラホラ見かけられるが、僕などややもすると「ゴキブリの為に生まれてきたんだ」などというフレーズが思わず口を突いて出て来そうである。

 なんでこうまでゴキブリの為に一生懸命にならなきゃいかんのだ!と無性に腹立たしくなってくるが、いい大人がゴキブリごときに翻弄される様は実に哀しく滑稽である。

 なんで万物の霊長たる人間がゴキブリの下僕の如く生きなけりゃいかんのか!とも思ったが、よく考えて見ると、ヤツラはもう既に3億年もこの地球上で生き延び続けているらしい。
 ヤツらは地球が温暖化しようが紫外線が降り注ごうが核戦争が起きようが、絶対生き延びていくような感さえある。
 そんなにシブトク進化もせずに、恐竜が絶滅したって意に介せず鈍感の権化の如く、この地球で生き続けてこれたというのは、ある意味この地球上では一番お偉い方なのかもしれない。

「2001.8.1(水)」晴一時雨・妄想んな季節か

 通勤通学途中に毎日顔を会わせる異性と言うのは妙にトキメクもんである。
 私モテナイ独身エトランゼも、せっかく電車通勤を再会したので是非そうしたトキメキを所望したいと、毎日アンテナを張り巡らせているのであるが、都会の電車と言うのはダイヤも多いが不規則だったり、なにせ乗降客も多く毎朝パニックしていることもあって、なかなか同じ美女と顔を会わせるというご利益にあずかるという訳にはいかない。
 しかしなぜか同じオジサン・同じオバサンなどはいたりするので始末が悪い。

 そんな中おととい、なんとこのモテナイ独身エトランゼは、とある電車でメチャストライクな女性を発見し、エエナアと感激していたのであるが、翌日、すなわち昨日、その女性をまた同じ時刻同じ車両で見かけてしまった。

 ここで即「モテナイ独身エトランゼちゃんの、ドラマティックラヴストーリー&コメディー純愛編(妄想)」が、勝手に企画段階に突入してしまったことは言うまでも無い。

 ”これは運命だ・・・。もし明日も又同じ時間同じ場所で会えたなら、二人は絶対赤い糸で結ばれていたんだ・・・。”などと、どんどん妄想は独り歩きしていくのであった。
 ”明日もあの場所に行ってみよう、そして僕等が神の導きによる二人なのか試してみよう・・・。”(オイオイもう「僕等」になっとるで)。などと神を試さんばかりの大胆不敵な妄想に浸り続けるのであった。

 さて、明けて今日。
 僕は勇んで同じ時間同じ車両に乗ったのであるが、まっーたく極々フツ〜〜に、彼女は居なかった。
 「だよねー。ははは。」僕から思わず乾いた笑いがこぼれる。

 危うくスポンサーもいないのにモテナイ独身エトランゼちゃんの、ドラマティックラヴストーリー&コメディーが、初回・第二回と見切り発進してしまうとこであった。いかんいかん。
 今日は夕立が降り、僕の心も雨のウエンズデイになるところだったが、帰る頃にはスッカリ上がっていたことが、せめてもの救いであった。

 もう8月。
 夏は恋が始まり易いというが、妄想も暴走し始め易いのでくれぐれも注意したい。

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