Monologue2001-41 (2001.7.7〜2001.7.9)

「2001.7.9(月)」晴・ブレーキ蘇生

 僕の自転車が今年で13年目を迎えた。
 我ながら良く乗ってきたもんだと思う。
 13年と言えば、モー娘。の加護亜衣ちゃんが2歳の時からということになるから、その古さは相当なものとお察しいただけよう。・・・ん?又その路線できたかって?、いやはや何とも・・・お粗末さまです。

 車種はマウンテンバイクであるが、マウンテンバイクが流行り出した初期のもので、もう大分流行遅れのスタイルになってしまい、当然10年以上も使っているので、かなりガタがきている。
 先日ブレーキが摩耗し尽くして無くなっていたことを述べたが、あれから土曜日にようやく新しいブレーキをつけなおしてもらった。
 ブレーキ程度なら自分で付け替えてしまうこともできそうだったが、一度古いのをはずそうとしたら古い為かネジが堅くて全然外れないので、観念してプロに直してもらうことにした。

 そんなわけで近所の自転車屋さんに出向いたのであるが、そこで自転車屋さんが仰しゃるには、なんと僕のMTBのブレーキ部品と同じものはもう無いらしい。
 僕の車種のパーツを扱う業者が大部前に倒産している為、もう完全に合った部品は取り寄せられないとのことだそうだ。
 結局今回は替わりにメジャーなシマノというメーカーのブレーキパーツに取り替えてもらった。
 やはり10年以上も経つと、そういう問題も出てくるのだな、などと逆に妙な感慨を覚えた。

 さて、ようやく新しいブレーキに取り替え僕の自転車もお蔭様で蘇ったが、ブレーキが効くということは改めて偉大なことなんだと痛感する。ブレーキの有り難さが身に染みる。
 今までは、ちょっとした坂でも横から誰か飛び出てこないかと異常に神経質になり、スピードが出ないよう足を引きずって自転車を減速していたくらいであるから、ブレーキがかかる、というのが、こんなに素晴らしい事なのかと感嘆する。

 ところが、である。
 半日も乗っていると、ブレーキが問題無かった頃、つまり普通に乗っていた頃の感覚が次第に蘇って来て、いつしか又元の状態に戻り、ブレーキがかかるという「新鮮さ」をスッカリ忘れてしまった。
 まさに「ブレーキの存在を忘れ感謝の念を忘れていた頃」の感覚にスッカリ戻ってしまった。
 こうなると、ブレーキが効かないことよりも、当然ブレーキが効くことの方が当たり前なので、ブレーキの効かない感覚を想い出そうと思ってもなかなか想い出せない。感覚は消え、ブレーキに感謝したという過去の事実の見出しの記憶だけが残るのである。

 そんな折りふとカレンダーを見たら、なんと7月の20日からは3連休になるじゃないすか。
 今までしばらくカレンダーの休日とは何ら関係の無い仕事をしていたので、つい久々の3連休に感動してしまった。普通は何でも無いことなのだろうが、今まで日祭日の無い生活だったので、こんな定休でも大変有り難いのである。

 かくも感動とは相対的なものなのだろうか。
 こう考えると、人間の仕組みは意外と単純らしい。
 人間刺激が欲しい、感動したい、或いは進歩したいと思ったら、経験・喪失・再現の繰り返しをして、常に「経験の新鮮さ」を経験することによって、その経験をより強烈に内部に印象づけ、自分の意識を活性化させ進化に繋げることができるかもしれない。
 ちなみに僕は現在他にも冷蔵庫を「喪失」体験し、その喪失感を嫌と言うほど充分に味わっている。
 この状態ならば、いずれ冷蔵庫が「再現」した時に、さぞかし「新鮮な感動」がやってくるだろう・・・。
 
 あれ?、何か自転車のブレーキからいやに難しい話になってしまいましたな。失礼。

「2001.7.8(日)」晴・地蔵通り

 巣鴨地蔵通り商店街はいろんな意味で安心できる商店街である。
 最近商店街が元気が無いと言われている中、ここはいつも賑わっている。
 ここを歩くと僕はいつも「今日も人が一杯いるな、よしよし、ダイジャブ(知る人ぞ知る東海林さだお先生の名作「ショージ君」のギャグです)」と安心するのである。
 この通りは平日でも賑わっているし、4の数字がつく俗に「4の日」と言われている酉の市には、遠くから老人などが大挙してやってくる。

 巣鴨は割とコマーシャルチックな街だし「老人の原宿」などというユニークなキャッチフレーズもあるし、交通の便も良し、良い条件に恵まれたということもある。

 それからやはり街には「お年寄り向け」の店が多い。
 「お年寄り向け=労る・癒す・治癒」ということにもなる。
 だから町全体が「労る・癒す・治癒」的雰囲気が漂っているのである。
 つまり町全体が養生所的雰囲気を醸し出しているのである。
 こうなると当然僕のような中年でも、労られ・癒され・治癒されるかの如き気持ちになってくる。
 だから安心し、落ち着くのである。

「2001.7.7(土)」晴・???

 僕の実家の裏には庭というにはおこがましいかもしれないが、猫の額ほどの土のあるスペースがある。
 そこには雑草や木も生えている。

 僕の郷里焼津市は漁村から発展した下町で市街地は一応ほとんど住宅や商店なので、中心部には緑がほとんど無い。
 いわゆる自然のある山林部は市街地から車で20分ほど行かないと無い。
 そんな下町的な僕の郷里では古い家だと良く便所の横のちょっとしたスペースが僕の実家のように庭のようになっている家が結構多く、辛うじてそこに緑を見かけるくらいである。

 僕の実家の箱庭じみた場所は、それ故回りの道路や家から隔離された独立国のようになっていて、そこに生き物が生息している。

 そんな中にトカゲがいる。
 もう大分昔から見かけている。
 昔はヘビがいたことがあったが、さすがにもう見かけない。
 トカゲは、こんな小さなクローズされたスペースの中で、何世代にも渡って繁殖を続けているようなのである。
 あの小さなスペースで食物連鎖がバランスをとって、小さな自然ができあがっているのが僕には常々驚異であった。

 実家に帰るとこの箱庭に隣接した部屋に寝泊まりすることが多い。
 そこで良く掌ほどもあるアシダカグモ、俗には便所グモなどと言われているだろうか、それが物凄い速さで壁を登っていくのを見かけたりする時がある。
 他にもセミやバッタなどの昆虫も見かける。

 ・・・と、少し長くなったが、ここまでが今日の本題の前提となる話であった。

 さて、この間の水曜の朝、夢を見た後奇妙な体験をしたので、ちょっとここにご報告して置くことにしよう。
 フジの「ごきげんよう」的に言えば、「びっくりした話、ドキッ、ハイ、『ドキッ』(観客の声で)」。

 その夢はまず次のような内容であった。
 実家の裏庭にある木に、トカゲが登っていて僕はそれを見ていたようであった。
 それは実際にいる物よりも大分大きく長さが30〜50cmはありそうだが、その割に細いのでそんなに無気味には見えなかった。
 色は基本的には普通のトカゲと同じであるが、背中の部分に白黒のタイルのような模様の衣装を羽織っているかのように見えた。
 それを見る僕の横には誰かがいたようで誰かはわからぬが、僕はその人(或いは人達)に向かって「こんな所で、このトカゲは長いこと繁殖し続けているんです。これは驚異的なことです。」みたいなことを説明していた。
 ところが次の瞬間不意に木の上から何かがボトンと落ちて来て、僕の口に入ってきたのである。
 ウエッ!、僕は思わずそれを振り払った所で目が覚めた。

 どうやら何かが本当に落ちて来て口に当たってしまったようであった。
 起きて枕元を見ると口に当たって跳ね返ったのか、枕の上に薄茶色の物体がいて何やらすばやい動きでうごめいていた。
 見ると足が一杯あるようである。
 僕は咄嗟に、アシダカグモだ!と思った。
 しかしアシダカグモにしては色も若干違うし、大きさもちょっと小さめで全体で直径が5cm程度であったので、色からすると大きなカマドウマのようにも見えた。
 それにしてもあまりに透明な一種輝くような感じの様子だったので、新種のクモの幼虫かもしれんな、などと思った。

 まあ、僕の部屋には、こうした得体の知れない昆虫が勝手に侵入することなど日常茶飯なので、一瞬ドッキリはしたが、ヤレヤレまた来たかくらいに考え、まだ枕の上でうごめいているその虫を、枕毎窓の外へ持っていって、振り落としてしまおうと思った。
 それで、とりあえず枕を2〜3度揺すってソイツの反応を試してみた。

 僕が唖然としてしまったのは、その後であった。
 僕が枕を揺する、その揺れと共に、茶色の物体はシューッと見る見るうちに消えてしまったのである。
 はっ?
 あれれれっ?、確かにここにいたのにー・・・?。
 僕は枕をひっくり返したり布団をはがしたりしたが、何も出てこない。
 そこはいつもと変わらない何も無い、いつもの僕の寝床であった。

 夢ではあったが、その未確認うごめき物体が唇に落ちた時のやけにリアルな感触も残っている。
 何だったのであろうか?
 僕の回りには妙な静けさだけが残った。

 今もって???満載であるが、もしかしたらこれが世に言う「妖精」の類いの一種だったのだろうか?
 何か用があって僕にそれを伝えたかったのだろうか?

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