Monologue2001-40 (2001.7.1〜2001.7.6)

「2001.7.6(金)」曇・通勤者に復帰

 7月からこのモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)も又通勤電車で職場へ向かうという生活に復活。
 実に久しぶりだったので満員電車は閉口だとも思っていたが、電車の中で見るOLさんや女子高生に何か新鮮な感慨を催してしまったのは、まさしくオヤジ化ですな。

 ところでデスクワークというのは時として異常に睡魔を誘うもんである。
 特に細かい字が一杯詰まっているようなリスト・書類の類いをジッと睨んでいると、いつしか幻想の世界へと誘われている自分に気づく。
 そしてそのリスト上の黒い細々並んだ字の隙間が集まって何やら形を作り始め、いつしかロールシャッハテスト現象を起こし別な絵のような紋様のような映像に見えてくる。
 そして時にそれが突然ドクロに見えたりして一瞬ギョッとしたりして、それで一時的には目は醒める、などというお粗末な事態も偶に発生したりする。

 こんなとぼけたオフィス通いも、しばらく続きそうではあるが、今回は通勤途中に旧鎌倉街道中道(なかつみち)の東回りルート・西回りルートの基点のある二子玉川(世田谷区)があり(ちなみに終点は北区赤羽)、旧鎌倉街道ファンの僕としては何かの折りに定期を使って途中下車できるので、それは有り難い限りではある。

「2001.7.5(木)」晴・東京の裏道に

 東京を歩いていると車の激しい往来と近代的なビルの建つ大通りの裏手にヒッソリと立っている庚申塔や石像を見つける時がある。
 歴史を刻んだ石塔はスッカリ磨り減ってしまったり苔むして変色してしまったようなものもあるが、遠くからそんな石塔達を見かけると、なにか呼ばれたかな?などと思う時もある。
 東京と言うのは、この近代文明の象徴群と、それから深い皺を刻みこんだような歴史のモニュメント達とのアンバランスな対比が随所にあり、それが僕にとってはこの悲喜交々のいろんなごたまぜのような土地に強く惹かれる要素になっている気もする。

「2001.7.4(水)」晴・まあんだ明げね

 このところ梅雨とは思えない勿体無いほどの絶好の天気が続いている。
 しかし天気図やひまわり画像を見れば、まだ梅雨前線が北の方でジッと待機しているのがわかるので梅雨は明けていないようである。

 天気図とか無かった昔の人は、こんな晴天が続けば梅雨が明けたと錯覚しただろうか?。
 まあ年季の入った老人などは「うんにゃ、まあんだ明け取らん、おめら梅雨をなめるでねえだよ」などと梅雨明け宣言は無闇矢鱈に出すことは無いだろうが、きっと早とちりの若者などは「うりゃあ〜!夏が来ただでーッ、海さ行ぐべっ!!(どこの地方の若者なんだよ・・・)」などと、すっかり自己梅雨明け宣言を出してしまっていた者も居たに違いない。

 しかしひまわり画像などで「いつ日本に行こっかなあ〜」などという感じで無気味に停滞している梅雨前線を見れば、素人でもちょっとした見方を知れば、すぐ彼らの存在を察知できるようになったということは、本当に驚くべきことかもしれない。

 天気といえば、昔の人にとっては神仏の領域の出来事であっただろうが、今やその神仏の動きも上から見れるようにまでなったというのは格段の進歩なのだろう。
 もし昔の信心深いオバアチャンに「ひまわり画像」を見せたらぶったまげて腰を抜かすか、「うんにゃ、こな鳥のウンコみでえな訳のわからんものが竜神様であるわげねっ!」などと頑に信じようとしなかったことだろう(一体何時代の人達なんだよ・・・)。

 でも結局雲の動きを見ることができても、だからといって僕らにはどうすることもできないのであるから、やっぱり天気は相変わらず神仏の領域であることには変わりなさそうである。

「2001.7.3(火)」晴ブレーキが無い

 この頃自転車のブレーキのかかり具合がヤケに悪い、おかしいなあ?と思い、ブレーキを確認してみたら、驚いた。
 ブレーキのゴムが前後とも摩耗し尽くして、ほとんど無いに等しいような状態であった。
 磨り減ったなどという生易しいものでは無く、本当にそれこそ肉がゲッソリ削げ落ちた状態などと言った方が適切なのであった。
 もはやこれではブレーキの役割など果たすべくも無い見るも無惨な姿であった。
 ブレーキとはもう言え無いような、カボチャか何かをサジで抉ったような状態になっていた。

 こんな状態になってまでも、まだブレーキという仕事を彼らに課すのは本当に忍びないくらいであった。
 忍びない、なんてのは越えて、もはや非人道的とすら言える状態なのであった。
 これで過労死なんてされたら(過労死も同然だが)、敗訴は免れない状態なのであった。
 今まで自転車を愛してきたと思っていたが、もう10年以上も乗っていたので、最近は僕との夫婦生活(?)もマンネリ化し、その消耗に全くきづいてやれなかったのであった。不覚であった。

 全く気づかないといえば、今日TBSの「ジャングルTVタモリの法則」でやっていたが、家庭用のコンセントの穴は片方が大きい。
 人間気づいていないことが、まだまだ沢山ありそうである。

 追伸:当ページでもお馴染みの谷沢邦彦氏が、あの「みのもんた」と夢の(?)共演!!
    ちょっと急だけど、これ見た方は見てやってね。
    「おもいっきりテレビ」(日本テレビ系列)〜「夏向けのアイデアインテリア」〜
    7月4日(水)正午〜14時

「2001.7.2(月)」晴・Release Myself

 最近は夜遊びの回数もスッカリ減り、朝方帰るなんてこともしなくなってしまったのであるが、おとといは久々に夜を徹して遊んだ。

 近頃はいろいろあって自分を抑制していたような感じだったが、何となく夜遊びしている自分の方がやっぱり自分らしいのではないか?という気がしてきた。
 もちろんハメをはずしたり飲み過ぎて身体を壊したりしては本末転倒だが、歳だからとか仕事があるからとか、そういう理由で自分を押さえてしまうよりも適度に自分を解放した方がいいのでは無いか?そう思い始めてきた。だからカラオケもそろそろ引退だなどと考えていたが、まだ引退などしてはいけない。
 せっかく独身なんだから。
 また夜の渋谷に復活だっ!!(・・・アンタそれはいいけど、その前に軍資金を稼がないといけないんじゃないの?)。

 ここで一句。
 週末に歌うぞB’zとCDを、埃を払いつ取り出す中年。またも季語無し。

「2001.7.1(日)」晴・キリンジあった!

 昨日渋谷のとあるカラオケに行ったら、なんと今まで無い無いと思っていたキリンジの曲が有り、遂に入れてくれたかと、昨今の曲メニューの豊富さ、対応の速さに驚くやら嬉しいやらであった。
 しかも一応「野良の虹」「グッデイグッバイ」「雨を見くびるな」など代表曲がちゃんと揃っていて申し分は無かった。

 もちろん歌ってみたのであるが、初めて歌ったのと、かなり酩酊していたのとで出来はズタボロであった。
 更に言い訳させてもらうならば、まさかキリンジがあるとは思わなかったので心の準備が出来ていなかったのである。
 ん?言い訳にはならないって?
 ま、確かに。

 ともあれ、キリンジも歌えたし、カラオケを出たらすっかり朝の日差しの眩しくなった渋谷を、朦朧とした意識で歩きつつ駅に向かい、眠たくて早く帰りたいのに朝方の電車は各停ばかりでイライラしつつ、時に座席でウトウトしてしまいつつと、久しぶりに自分らしい一日を過ごしたような気もした。

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