Monologue2001-24 (2001.4.19〜2001.4.23)

「2001.4.23(月)」晴・鎌倉街道、本になった

 古の旧街道を探索・紹介するテレビ番組「鎌倉街道夢紀行(テレビ埼玉)」の「中道(なかつみち)編」が3月で終了し、僕が見ていたMXテレビの方も、来週の日曜で最終回になる(朝7:00〜7:15)。

 この番組の「上道(かみつみち)編」の内容が、なんと本になったということで早速入手した。
 その名も「鎌倉街道夢紀行〜上道コース」1600円(こちらで案内が出ています)。
 これで「中道(なかつみち)編」も出版してくれれば、僕の探索も又随分幅を拡げられるので、出版実現を切に願っている。

 ところで旧街道沿いには、数々の史跡や寺社仏閣が残されている。
 それらの一つ一つにも数々のドラマがある。ドラマと言わないまでも古の人の様々な思いや願いが込められている。
 そんな古の人のモニュメント一つ一つを探索し一つ一つに思いを寄せてていくだけでも膨大な時間を要するかもしれない。
 旧鎌倉街道という今では幻の街道となってしまった道一つとっても、それは数え切れないほどある。

 いやしかし、本当は街道沿いだけに、それはあるのでは無い。
 自分の身の回りにだって、そこかしこにそういうものは沢山ある。
 いろんなところにいろんなドラマが転がっている。

 僕はそんな中から偶々好きな街道に、それを探そうとしている。
 それだけでも極めるには一生あっても足りないかもしれないが、それは坂口安吾では無いが、男子一生の業とするに足りるのだろうとは思っている。
 いささかキザでしたかな。

「2001.4.22(日)」晴・中也の気配

 今年もゴールデンウイークがもうすぐやってくる。
 昨年は山陰・九州を一人旅してきた。
 今年は都合で、どこへも行けなそうであるが、きっといつかどこかへ行ってやるわい!(そりゃ生活していればどこかへは行くでしょうよ)とヤケクソにもなりつつある今日この頃である。

 ところで、その昨年行った場所の中に往年の詩人中原中也の故郷、山口県の湯田温泉があった。
 その時は、旅の初日だったことも加わってか、その当地での「中也の故郷」という印象がメチャクチャリアリティがあって、本当に強く印象に残った。

 良く「タイムスリップする」などということを言うが、本当に中也の生きた時代にタイムスリップしたかのような感覚になった。
 この旅行に関しては旅行記を書かせてもらったが、まあ全体的に面白おかしくしようとして、あまり強調はしなかったけれど、当時は結構ブルーな複雑な奇妙な感覚に襲われたものだった。

 キザな言い方をさせてもらうと中也の意識が自分に流れ込むというか、何か寂しい街の閉塞感と上京への決意やら都会での恋人との生活やら友人との反目やら身近な人間の死やら何やら、そうしたものがゴチャマゼに一気に押し寄せてくるような何か言い知れない重苦しさを感じてしまったものであった。
 まるで街中に未だ中也の意識だけが残って漂っていて、中也の詩を思い浮かべると、それこそ物凄いリアリティがそれにシンクロしてしまい、変な話これが古の偉人の故郷へ訪れる意義なのかあ、みたいまで感じてしまった。

 そう言えば芭蕉が平泉で「夏草や兵共が夢の跡」という句を詠んでいたが、もしかしたら芭蕉もその時に何か僕と同じような強烈な古のリアリズムを感じとっていたのかもしれんな、などと思うのであった。

 オジサンは歴史に惹かれていくが、まさにこのリアル感、特に旅先でのリアル感こそ、歴史に魅了されるキッカケだという気もする。

「2001.4.21(土)」雨後曇・水の気配

 画面上で現実感を追体験するヴァーチャルリアルティというのがあるが、やはり映像と実物ではかなり「何か」が違う。
 その「何か」というのは、やはり気配・暖かさ・匂い、などといった目に見えないものである。
 これがあると無いでは大違いである。
 目に見えないものだって、とんでもなく重要なのである。

 以前岐阜の郡上八幡に行った際、岐阜から高山本線に乗って乗換駅の美濃太田まで向かう途中、車窓の景色を眺めていて、ふと「実家の雰囲気に似てるな」と感じたことがあった。
 まあ日本の一般的景色からすれば、日本中にはいたるところに似た景色はあると思うのであうが、僕の実家は静岡県焼津市という一般的には港町として知られているところであり、日本の農村的景色というよりは下町的港町的情景の濃い街である。
 だからといってその高山本線沿線には、港の倉庫があったり、魚屋があったりするから似ている、というのでは無かった。
 何が似ていたのかというと、家に当たって反射する太陽光の反射具合、家のさびれ具合、そんなちょっとした情景が、どことなく似ていたのは当然であったが、その街が漂わせている雰囲気、それから匂いなどがとても良く似ていたのである。

 それにしてもなぜ岐阜まで行って、故郷と似た雰囲気を感じたのか?。
 後日家に帰って地図を見た時、この謎が解けた。
 鍵は「水」にあったのである。
 焼津は海に面した街。そして岐阜から美濃太田に向かう路線の南側には平行して沿うように長良川が流れていた。
 故郷に似ていた雰囲気は、長良川から漂って来ていた水の気配が醸し出している雰囲気なのであった。
 僕は高山本線沿線の景色を通じて「水」の気配を感じていたのである。
 港町に育った方なら、なんとなくわかっていただけるように思うが、海や川の近くの街にただよっている独特の「水っぽい気配」というのを感じていたようなのである。
 この高山線に乗った時は長良川が近くに流れているということは全然気付かなかったのであるが、どうも街の雰囲気が水っぽいなというのは無意識に感じとっていたようである。
 匂いや気配というのは目には見えないが、その状況を判別し得る情報には充分成得るんだなあと、変に感心してしまったものである。

 さて、我々は人とのつき合い等においても、相手が自身の事情をあれこれ説明してくれなくても、その前に直感的に合うとか合わないとかを結構「気配」などで感じていることが多い。
 人に会って「写真より良かった」などと思う時は、その人の気配を感じ取った時に良い感触を受けた、ということがあるからであろう。

 人とのコミュニケーションは、今現在「見た目」と「テキスト(言葉)」によってのみ行われているように思われがちである。であるから、この2点のみに注意すれば良いように思われるが、実際はもっと、その人の醸し出す雰囲気を、かなり大きな情報として感じていることが多い。
 だから、その人の醸し出す雰囲気をもっと重視していけば、自ずと自分が人生で積み上げてきたものなどに気を使うようになるだろうし、悪い雰囲気を作って醸しだして、場を壊すなどということは、危なっかしくてできなくなってくるのではないかと考えるが・・・、どうだろうか?

「2001.4.20(金)」晴・来年があるさ

 「明日があるさ」という歌がリバイバルでヒットしている。
 僕も確かに若い頃は、明日があるさ、と思って気を取り直していた時もあったが、社会人になり次第に事態は複雑化してくるや、今ではもう何年も長いこと「できれば明日はあまり来て欲しくないのでありますが・・・」などという状態が続いている。
 来て欲しく無い日は、明日・明後日・1週間後・更に半年後、とかなり先までスケジューリングされている。
 こんなざまであるから「明日があるさ」は最低「来年があるさ」くらいまでのレンジに改作してほしいぐらいではある。

 ところで、こんな若干ショゲ気味の僕にも、俄に明日の到来を前向きに所望したくなるような一件が判明した。
 ダウンタウンなどの吉本のオールスターズをフィーチャーした、まさにそのものズバリの件の「明日があるさ」という名前のドラマがまさに「明日」土曜日から日テレで放映されるらしい。
 なんとそのドラマに僕が最近お気に入りでマックのCMでもお馴染みの平田裕香嬢が女子社員役で出演するらしい。

 この一件により俄然「明日があるさ!!」になってきたことは言うまでも無い。
 ん?相変わらずカワイイコに翻弄されてばかりで情けないぞと?それだから明日が無くなるってか?
 確かに。でも当分やめられんしなー・・・。
 ま、「来年」くらいには改めます、ということで。
 ま、「来年があるさ」ということで、お後がよろしいようで。

「2001.4.19(木)」曇後晴・通帳記入に卑屈

 男たるもの金が無い時でも卑屈にならず大らかに堂々たる態度でありたいものであるが、どうも私モテナイ独身エトランゼのような身分であると、修行が足りないのか預金残高の大小に今だに精神状態を左右されやすい。左右どころか前後上下も加え、むしろ残高に「翻弄される」などと言った方が良い。
 孫悟空が釈迦の掌の中で翻弄されていたが、日頃数字やお金ににコダワルナなどと言っているモテナイ独身エトランゼはどうも預金通帳の小額のほんの数桁の数字の中で翻弄されうごめきやすい。

 そんな具合であるから、大きな引落としが有りその後の預金残高を確認する為に銀行に通帳記入しに行く時などは、必要以上にオドオドしてしまっていることが多い。
 できれば通帳記入は誰にも悟られず、人知れずヒッソリと、比喩が適当かわからぬがカスミ草のように控えめに記入を行ないたい。そして人知れずその場をそっと去って行きたい。その後はほっといてもらいたい。その後は一人にしておいてほしい。一人になってあれこれと行く末を考えたい(元々一人じゃねえか)。

 そんな際は当然なるべく人の少ない時間帯を選ぶ。
 できれば銀行窓口の通常営業時間外、すなわち午後3時過ぎに出向くことになる。
 幸いなことに僕の住む町の銀行は、さほど大きくもないので元々人も少ないから助かる。

 給料日まで大部あるが残高は大丈夫だろうか?、来る電話代とガス代の引落としには対応可能なのか?、果たして食費は残っているのか?。
 モテナイ独身エトランゼの心配は尽きない。
 通帳を見るのが恐いような見てみたいような複雑な気持ちになる。学期末の通信簿、などという単語も浮かんでくる。
 故郷で細々と暮らす両親の顔、などもチラリと脳裏を横切ったりする。

 幸い人の少ない時間帯に行くことが出来るのであるが、ここであろうことか傷心(小心?)のモテナイ独身エトランゼの神経を逆なでる事態が発生する。
 それはキャッシュディスペンサーが発する必要以上に大きい声の指示である。

 きっと銀行側もいろんな配慮でそうしているのだろうが、あれこそ僕のようなモテナイ独身エトランゼとってには「余計なお世話」の最たるものとまで言いたい。
 こちとら人知れず記入を行ないたいが為にわざわざ時間を選んでいるのにヤツは、ここぞとばかりに大声を発する。僕が来たのをカモがやってきたかの如く「待ってました」と言わんばかりに狙ってイジメようとする。
 ヤツはどうにかして、この哀れな青年を大衆の面前に晒し目立たせてしまえ、と拡声器でも使用しているかのようにビクっとする必要以上の大声を発する。

 僕が機械の前に立ち、財布の中のカードを探してマゴマゴしていると、
 せかすが如く「カードをお入れ下さいっ!!」などと無機的な大声を出してくる。
 まるで僕には『ヤーイ貧乏人がやってきたっ!!、ヤーイヤーイッ!!』という風に聞こえてくる。
 僕としても「イワレナクテモワカッテルヨッ!!ウルセエナアー・・・」などと睨んでもどうにもならないのだが画面をキッと睨みつつ心の中で抵抗する。
 この時点で隣のディスペンサーにいる人に貧乏がバレテしまったかのように思ってしまう。

 そして残高を確認し、金を千円単位で少しだけ下ろした後、後は通帳を記入しコッソリ帰宅しようと思っているのに、その段階になると、
 「ツーチョーをっ!!キニューしますっ!!ピーンポーンッ!!」などと、まーたしても余計なことを大声で口走ってくる。
 どうも僕には『みんなーっ!!聞いて聞いてーっ!!、この人ねーっ!!、今こーんなちょっとだけ金おろしましたーっ!!、あとねえーっ!!、こーんなちょっとしか残ってないんですよーっ、皆さーんっ!!』にしか聞こえてこない。
 僕は思わずチッと舌打ちなどし、左右の人の気配を伺いつつガックリと項垂れる。

 ジーコジコジコと記入が終わると、すかさず「ツーチョーをっ、お取り下さいっ!!」などと追い打ちをかけてくる。僕には『受け取れるもんなら受け取ってみな、ほーらガックリ来たでしょ、その残高。』に聞こえてくる。
 「取りますよっ!!今」などとこちらも一触即発状態になる。
 更には「アリガトーゴザイマシタ」などと儀礼的機械的な返事に『今度はいつ来んのかなー、モ・テ・ナ・イ・ド・ク・シ・ン・エ・ト・ラ・ン・ゼ・さんっ』などと高飛車なニュアンスを感じ、そのモテナイ独身エトランゼさんは、来行当初の脅えた態度からおかげ様ですっかりテンションが上がってしまい「二度と来るかっ!!、こんな所っ!!・・・ってな訳にはいかんか・・・ですよねー・・・。」などと、結局銀行サンにゃあ頭が上がらねえでげす、みたいな、どこの出身の太鼓持ちかわからんような下卑た態度で、人知れずというよりは「お邪魔でやんした。こりゃ又失礼でやんした。ハイッ、ごめんなすって、ハイッ、スタコラサッサと」などと手を揉み擦りなどして逃げるように銀行を去っていくのであった(あれー?)。

 ・・・ともあれ全く、余計なお世話ばかりしてくれるもんである。ハアーッ・・・(ため息)。
 ん?グチグチ言ってないで頑張って稼げってか?
 全くおっしゃる通りでやんす。

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