「2001.4.12(木)」曇後晴・歳なんて
僕は普段なるべく歳のことは気にしないようにしている・・・つもりである。
昼下がりのとある中学校横を、僕は食料買い出し帰途の自転車上にあった。
ま、それはいいとして、僕はすぐさま声の主の方を見上げた。
しょうがねえガキ達だな、全くオジサンをからかったりして・・・
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「2001.4.11(水)」曇・人生と同じ?
最近テレビドラマのおかげで、アバがリヴァイバルされているようである。
昔アバというとベイシティーローラーズなどとならんで通俗洋楽みたいな雰囲気があって、ちょっと粋がったモテナイ独身ロック少年(僕のこと?)などは「アバなんて柔なのを聴いてるようじゃーあ・・・ダメ、ダメッ!!」くらいに思っていたものである。 しかし今テレビで流れて来るアバの曲を聴くと、俗っぽいと思っていた音が確かに何か新鮮な感じがしてくるから不思議である。時代はもう20年以上も前なのに。 そんなアバなどのリヴァイバルの影で、僕が思うにはメチャクチャ名曲なのに、全くクローズアップすらされない同じ1970年代のニールセダカやビーチボーイズの曲などもある(参考)。
こんなことを思うと、曲も曲なりの浮き沈みのある「人生ならぬ曲生」みたいのがあるかもな、などと思う。
ともあれ、かくしてアバなどのリヴァイバルの影で、僕はニールセダカやビーチボーイズの曲などに「大丈夫。オレはアンタの価値を充分認めてるかんね」などと、あまり権威は無く全く頼りにはならぬがモテナイ独身エトランゼの最大の賛辞とバックアップ光線を送りつづけるのである。 |
「2001.4.9(月)」晴・やってみたい
変な話であるが、最近無性に渋谷のハチ公前で待ち合わせがしてみたい。
東京タワーの蝋人形館などもジックリ見てみたい。蝋がどこまで頑張っているか、そして我々に何を語りかけようとしているのか、ジックリ考えながら回ってみたい。帰りにはお土産屋で「根性・努力」の楯を購入したい。 そういえばハトバスに乗ったことが無いので、乗ってみたい。
こういう非常にベタなことを、何の憚りも無くノビノビやってみるのも時に面白そうに思えてきた。 |
「2001.4.8(日)」曇時々晴・ロングヴァケーション
人はいつしか老いていくものであるが、音楽はなかなか老いない。
音楽は現代では、少なくとも自分が生きている間は老いること無く、最初に出会った時と同じ若さで僕らと対峙してくれるのである。 音楽は老いないのであるから、時には時代を越えて、20年前に出会ったものにも、今現在出会ったものにも、等質の感慨を与えてくれることだってあるのである。
さてそんな色褪せない名盤の一つ、大瀧詠一の「ア・ロング・ヴァケーション」が3月にデジタルリマスタリングされ再発された。
僕としてチョッピリ残念なのは、今までの総売上が170万枚、ということであり、まあこれでも充分なのであるが、この位のアルバムであれば、500万枚位の価値は十分あると思うのである。
ところで、この「ア・ロング・ヴァケーション」というアルバム1981年の発表であるが、確かに今聴いても全然古臭く無い。
「Velvet Motel」「カナリア諸島にて」「雨のウエンズデイ」「スピーチバルーン」「恋するカレン」など、日本のポップス史上に輝く名曲がズラリと並んでいる。 僕は上京する直前にこのアルバムを良く聴いていて、今でもこのアルバムを聴いたり、ジャケットを眺めたりしていると、当時のまさに「期待と不安の入り交じった」切なく甘酸っぱいような思いにさせられるものである。
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「2001.4.7(土)」曇時々晴・マイワンアンドオンリーラヴ
今日は久しぶりにジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマンの同名アルバムに収録されている「マイワンアンドオンリーラヴ」を聴いた。
実はこの曲僕がジャズに踏み入れるキッカケになった曲で、社会人になって2年目くらいの頃、当時僕自身まだジャズをあまり良く知らなかったのであるが、周りにジャズを聞く方が結構いて、ある日こんなことがあった。 同じ職場で働いていたジャズ好きのMさんという方が、一緒に仕事をしながら少し雑談などをしていると、昨日は全然眠れなかったので大層眠いなどと言う。
眠れなくなるほど聞かせる曲が今時あるのかと、当時新しい音楽環境を模索していた僕は、えらくその話に興味を持った。
特に「ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン」のヴァージョンは、当時の僕の求めていた感覚にピッタリで「これだ!、今オレが求めていた音は!」などと思ったものだった。 あれから大部月日もたってしまったが、今は僕がこの曲を聴いて眠れなくなった、という話をして、誰かがジャズに開眼したりするのかなあ、などと空想して見たりするのである。 |