Monologue2001-22 (2001.4.7〜2001.4.12)

「2001.4.12(木)」曇後晴・歳なんて

 僕は普段なるべく歳のことは気にしないようにしている・・・つもりである。
 「歳なんて所詮地球が何回太陽の回りを回ったかってことじゃねえか」などと強がりをいっているくらいである。
 来年で僕の誕生から地球の公転が40回を数えようとしているという科学的実測値が計測されていようとも、全く意に介さないことにしている。
 ・・・只、やはり何にせよ若く見られると嬉しく無くも無い。

 昼下がりのとある中学校横を、僕は食料買い出し帰途の自転車上にあった。
 すると少年の声で上方から「ちくわーっ!!」などと聞こえて来る。
 一体今なぜチクワなのか?この時点でチクワが出て来る必然性があるのか?・・・などということは全く考えなかったが大方昼休みでハシャイデいるその中学校の少年達の喚声が洩れ聞こえて来るのだろうと思っていたが、その内やはり少年達の声で「お兄さんっ!!、袋落としたよっ!!」と聞こえてきた。
 どうやら僕に対する助言?のようであった。
 チクワも僕に対しての発言だったかもしれない。

 ま、それはいいとして、僕はすぐさま声の主の方を見上げた。
 しかし少年達は僕に見つかったのがわかると、即座に窓の下に隠れた。
 実際僕は確かに袋を一杯さげて自転車の操作もままならぬ状態ではあったが、まだ落とすまでには至っていなかった。
 どうやら少年達は案の定昼休みにフザケて、通りすがりのオジサンをからかっただけのようであった。

 しょうがねえガキ達だな、全くオジサンをからかったりして・・・
 ん?待てよ?
 そう言えば彼らは僕のことを・・・
 そう!
 お兄さんっ!!
 お兄さんって言ってたよねっ!!、確かに言ったよねっ!12行上を見てみてよ!ねっ!ねっ!
 ああっ、なんて素晴らしい少年達なんだ!!・・・(何のこたーない。嬉しく無くもないなどと言っておいて、相当ハシャイじゃってるじゃねか全く・・・)。

「2001.4.11(水)」曇・人生と同じ?

 最近テレビドラマのおかげで、アバがリヴァイバルされているようである。
 「チキチータ」などが結構テレビなどでも流れていたりする。
 それにしても曲も人間と同じように数奇な運命を辿るんだな、と何か感慨のようなものすらある。

 昔アバというとベイシティーローラーズなどとならんで通俗洋楽みたいな雰囲気があって、ちょっと粋がったモテナイ独身ロック少年(僕のこと?)などは「アバなんて柔なのを聴いてるようじゃーあ・・・ダメ、ダメッ!!」くらいに思っていたものである。

 しかし今テレビで流れて来るアバの曲を聴くと、俗っぽいと思っていた音が確かに何か新鮮な感じがしてくるから不思議である。時代はもう20年以上も前なのに。

 そんなアバなどのリヴァイバルの影で、僕が思うにはメチャクチャ名曲なのに、全くクローズアップすらされない同じ1970年代のニールセダカやビーチボーイズの曲などもある(参考)。
 アバももしかしたら、このまま行ってたらニールセダカなどのような扱いになっていたかもしれぬが、ドラマのおかげかジャニーズのおかげか、はたまた僕の応援する深キョンのおかげか、とにかく陽の目を浴びることとなり若い世代にも存在を知られることとなった。

 こんなことを思うと、曲も曲なりの浮き沈みのある「人生ならぬ曲生」みたいのがあるかもな、などと思う。
 アバが実力が無いという訳では全く無く、曲のクローズアップのされ方も実力以外に「運」や「タイミング」があって、必ずしも名曲が常に持てはやされる、ということでも無いようである。
 只「持てはやされる」ことが、その曲にとって最大に良いことでも無いのかもしれないけれど。

 ともあれ、かくしてアバなどのリヴァイバルの影で、僕はニールセダカやビーチボーイズの曲などに「大丈夫。オレはアンタの価値を充分認めてるかんね」などと、あまり権威は無く全く頼りにはならぬがモテナイ独身エトランゼの最大の賛辞とバックアップ光線を送りつづけるのである。

「2001.4.9(月)」晴・やってみたい

 変な話であるが、最近無性に渋谷のハチ公前で待ち合わせがしてみたい。
 できれば女性とするのが勿論ベターではある。
 よく考えたら僕は渋谷の駅近辺で待ち合わせをする際は、東急線に降りていく地下道の入り口とか、結構あまり知られていない109のB1(実はなぜか臭いんだけど)、東口バス停、モアイなどを使用し、「ハチ公前」を限定して指定した記憶があまり無い。ハッキリ言えば避けていた。
 でも今や敢えて「ハチ公前」を限定して指定すること自体、それだけでなんかイベントじみてイイカナなんて思う。できたら午前午後各3回づつ待ち合わせたい(アホか・・・)。

 東京タワーの蝋人形館などもジックリ見てみたい。蝋がどこまで頑張っているか、そして我々に何を語りかけようとしているのか、ジックリ考えながら回ってみたい。帰りにはお土産屋で「根性・努力」の楯を購入したい。

 そういえばハトバスに乗ったことが無いので、乗ってみたい。
 たまに誰かに指示されるままに観光するのも、あれこれ考え無くていいし楽でイイカナなんて思える。

 こういう非常にベタなことを、何の憚りも無くノビノビやってみるのも時に面白そうに思えてきた。

「2001.4.8(日)」曇時々晴・ロングヴァケーション

 人はいつしか老いていくものであるが、音楽はなかなか老いない。
 いや、なかなかでは無い。たぶん絶対老いない。老いるとか老いないという次元のものでは無い。
 音楽が老いて今年から総入れ歯になった、などという話は聞かない。
 音楽が老いて今年から介護保険料を支払う義務が出来た、などという話は聞かない。
 音楽が老いて今年からバイアグラを服用している、などという話は聞かない。

 音楽は現代では、少なくとも自分が生きている間は老いること無く、最初に出会った時と同じ若さで僕らと対峙してくれるのである。

 音楽は老いないのであるから、時には時代を越えて、20年前に出会ったものにも、今現在出会ったものにも、等質の感慨を与えてくれることだってあるのである。
 たぶん名曲・名盤であればあるほど、その傾向は顕著なのであろう。

 さてそんな色褪せない名盤の一つ、大瀧詠一の「ア・ロング・ヴァケーション」が3月にデジタルリマスタリングされ再発された。
 そして何と4月2日付けのオリコンチャートでは、モー娘のベストに次ぐ13位という順位でチャート入りをしていたそうである(朝日新聞より)。
 やはり名盤はいつの時代でも聴かれる、ということなのであろう。

 僕としてチョッピリ残念なのは、今までの総売上が170万枚、ということであり、まあこれでも充分なのであるが、この位のアルバムであれば、500万枚位の価値は十分あると思うのである。
 だから、まだあと330万枚分、日本人は目覚めなくてはいけないのである。
 170万枚位だと今のところ浜崎あゆみには負けてしまっている。
 日本人は、あと330万ロングヴァケートしなくちゃいけないのである(なんじゃそりゃ)。
 300万アユしている場合では無い。
 まあ売れた数字が必ずしもアルバムの価値を示す訳では無かろうから、これはこれでどうしようも無い。
 ちなみに170万枚の内、3ロングヴァケートは僕である。
 ちなみに先日有線で浜崎あゆみのベストを録音してしまったので、影でコッソリ0.5アユ程してしまったことは一応白状して置く。

 ところで、この「ア・ロング・ヴァケーション」というアルバム1981年の発表であるが、確かに今聴いても全然古臭く無い。
 むしろ時代を気にしない、どこか孤高な感じすらある。

 「Velvet Motel」「カナリア諸島にて」「雨のウエンズデイ」「スピーチバルーン」「恋するカレン」など、日本のポップス史上に輝く名曲がズラリと並んでいる。

 僕は上京する直前にこのアルバムを良く聴いていて、今でもこのアルバムを聴いたり、ジャケットを眺めたりしていると、当時のまさに「期待と不安の入り交じった」切なく甘酸っぱいような思いにさせられるものである。
 「上京」というのは、今でも僕にとっては人生の中で、これから始まるぞ!という「新しい出来事」であった。
 だから今でも、あの当時の想い出は、どこか新しい別天地に踏み込んでいくような新鮮な感覚がある。
 つまり想い出も音楽も、両方とも僕にとっては、今だに色褪せること無く新しいのである。

「2001.4.7(土)」曇時々晴・マイワンアンドオンリーラヴ

 今日は久しぶりにジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマンの同名アルバムに収録されている「マイワンアンドオンリーラヴ」を聴いた。
 これは明日が休日なんてユッタリしたような時に聴くと実に良い。
 サックスの暖かく切ない響きも良く、ボーカルは甘く、ピアノの響きは美しくほのかに輝いているようで何かとても心温まる大層心地良い曲なのである。

 実はこの曲僕がジャズに踏み入れるキッカケになった曲で、社会人になって2年目くらいの頃、当時僕自身まだジャズをあまり良く知らなかったのであるが、周りにジャズを聞く方が結構いて、ある日こんなことがあった。

 同じ職場で働いていたジャズ好きのMさんという方が、一緒に仕事をしながら少し雑談などをしていると、昨日は全然眠れなかったので大層眠いなどと言う。
 その理由を聞いてみたところ、あるジャズの曲の聞き比べを夜通ししていたからだ、とのこと。
 それが前述の「マイワンアンドオンリーラヴ」という曲なのであった。
 Mさんが聴き比べをしていたもう1枚は、アートテイタム〜ベンウェブスターカルテットの「THE TATUM GROUP MASTERPIECES」の中の同曲。

 眠れなくなるほど聞かせる曲が今時あるのかと、当時新しい音楽環境を模索していた僕は、えらくその話に興味を持った。
 Mさんも、それならこれは是非お勧めというので、早速購入したところ、これが大当たり。

 特に「ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン」のヴァージョンは、当時の僕の求めていた感覚にピッタリで「これだ!、今オレが求めていた音は!」などと思ったものだった。

 あれから大部月日もたってしまったが、今は僕がこの曲を聴いて眠れなくなった、という話をして、誰かがジャズに開眼したりするのかなあ、などと空想して見たりするのである。

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