「2001.2.11(日)」晴・バレンタインに物申す
モテナイ独身エトランゼ的に、また縁の無いお祭りイベント「セント・バレンタインデイ」の季節がやってきた。
フジテレビ笑っていいともの金曜日のコーナーで”だんだん減らしましょう”というのがある。
1割ですよ。皆さん。少っくなー。100人中88人は苦渋を舐めているのですよ。
なのになんで、こんな大ごとにみたいに扱われるイベントなわけー?!!
僕はテッキリ毎年バレンタインの日には日本中のあちこちでモテナイ独身青年諸氏の物欲しげな眼差しを尻目に新しいロマンスがボコボコとタケノコのように生まれているかのように錯覚していた。
こんな1割程度のギャンブルのような、こんな危険な先物買いのような低確率のものに投資するなんて、世の女性諸君、もう無駄な力を難度A級のセント・バレンタインデイに注ぐのはやめようではないか! * * * えっ?・・・あっ、ちょっ、ちょっと待って・・・・
* * * ・・・コホン、え、えーと、世の女性諸君、今年も頑張って男性にチョコを送り続けましょー!フェイドアウト・・・
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「2001.2.10(土)」曇・続ゲノム
先週「ゲノム」の「ゲ」について重点的にお話ししてきたが、今日は別のポイントから「ゲノム」を責めてみたい。
「ゲ」は「ゲゲゲの鬼太郎」でもお馴染みのように、妖怪・鬼畜・魑魅魍魎の類いに使用されることが多いことは前回述べた。
更に「ゲノム」の導き出す驚愕と混乱は「ゲ?なのか?ノム?のか?出すのか?入れるのか?」の選択に迫られていることから生じることを明快な論旨にてご説明した。 * * * さて、寄り道したが、早速今日の本題に入ろう。
そう、「ゲノム」の「ム」である。
では早速「ゲノム」の「ム」の恐ろしさを見て行くこととしよう。
そもそも「ゲノム」の末尾において、突如彗星の如く現れたこの「ム」とは一体何者か?
神は時に市井の小市民の会話においても「静かな怒り」すら垣間見せる。
このように「ム」はその強大で圧倒的なパワーによって他を支配し、「ゲ」など一握りに捻り潰そうとすら考えているのである。
このような図り知れない多様性とパワーを持った「ム」の前には如何なるモノも無力にならざるを得ないことは容易に御想像できるであろう。
* * * こうして「ゲ」は「ム」を最後尾に配したことにより、その存在は非常に不安定なものと化していった。
「ゲ」は「マヌ」「マズ」がダメなら最低「サ」くらいで「ゲノサ」などと民謡の合いの手めかしてお茶を濁したかった。
図らずも窮地に追い込まれてしまった「ゲ」は、こうして一転していつも「ム」の脅威に晒される生贄の如き状態にまで身を堕すこととなり、もはや往時の全盛の影を無くしていった。
こうして導き出される結論として「ム」の恐るべき影の力の本性は「モーニング娘。」であったことがおわかりいただけることであろう。つまり「ゲノム」とはまさに「ゲゲゲの鬼太郎」と「モーニング娘。」の戦いにおける、高らかな娘達の戦勝の雄叫びといえるのである。
* * * えっ?何々?あっ、そー・・・。
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「2001.2.9(金)」晴・娘に依怙贔屓
「依怙贔屓(えこひいき)」という言葉がある。
かくいう僕自身最近依怙贔屓ばかりしているので、モテナイ上に人間的にも嫌われたりしたら大変だと焦り始めている。 僕は大衆音楽においては自分の中では1960〜70年代あたりの音楽を嗜好し、それが自分の中での判断基準になっている節がある。
ところがである。
他のグループが昔のディスコサウンドを取り入れた楽曲を出していたりすると「ああ、これあの焼き直しね。あんま目新しく無いね」などと気の入らない評価を下しているのに、モー娘が同じような曲を出すと「昔のサウンドをうまい具合に消化している。あのサウンドが現代に蘇った。言い知れぬパワーを感ずる」などと手放しに賞賛したりしているのである。まさに依怙贔屓である。 ところでモーニング娘。の初のベスト盤「ベスト!モーニング娘。1」が発売され現在売れていると聞く。
よく精神世界系・哲学系の本などで「自分探しの旅」とか「自分発見」という宣伝文句が謳われているのを見かける。
それは
依怙贔屓するからには、それなりの理由があるからであるが、やはりモー娘を見ていると、このモテナイ独身エトランゼもいつしか元気にさせてもらえる、ということが一番なのかもしれない。 |