Monologue2001-09 (2001.2.9〜2001.2.11)

「2001.2.11(日)」晴・バレンタインに物申す

 モテナイ独身エトランゼ的に、また縁の無いお祭りイベント「セント・バレンタインデイ」の季節がやってきた。
 モテナイ独身エトランゼとしては、やはりこのイベント向けて今年も斜めから水を差していきたい。世の熱狂に冷や水をばさばさと浴びせていきたい。

 フジテレビ笑っていいともの金曜日のコーナーで”だんだん減らしましょう”というのがある。
 会場の女性客100人にあるテーマでアンケートをとり、その人数が前回アンケートの人数より順に減っていけばいいというものである。
 それはいいとして、前回の金曜日にそのコーナーで藤井隆氏が出した「今までバレンタインにチョコをあげて、それがキッカケでチョットでも付き合うことができた人」という質問に100人中一体何人がハイと答えたか?。
 同胞のモテナイ独身エトランゼ諸君喜びたまえ。
 聞いて驚く事なかれ、なんと12人である。
 12人しかハイと答えた人がいなかった。
 これはこの会場だけの数字ということもあるが、会場には年頃の若い女性が多かったし、やはりどこでアンケートとっても平均的にはこんなもんじゃないか?と思えてきた。
 100人中12人というのは1割強である。

 1割ですよ。皆さん。少っくなー。100人中88人は苦渋を舐めているのですよ。
 モテナイ独身エトランゼ的には、これじゃぜ・ん・ぜ・ん確率少ないんじゃないの?という気がしてきた。
 てゆーかー、バレンタインってー、そんなもんなのっ?
 これが5割くらいの確率なら何ももう言わないけどー、1割なんてー、全然大したことないじゃん!。
 ハッキリ言っちゃえば、ほとんど失敗なのよっ!、失敗に終わるのよっ!

 なのになんで、こんな大ごとにみたいに扱われるイベントなわけー?!!
 これなら勤労感謝の日をもっとアピールしてちょうだいっ!!
 1割なんて、博打よ!ギャンブルよ!ギャ・ン・ブ・ルっよっ!!
 (なんでオカマ口調なんだよ)。

 僕はテッキリ毎年バレンタインの日には日本中のあちこちでモテナイ独身青年諸氏の物欲しげな眼差しを尻目に新しいロマンスがボコボコとタケノコのように生まれているかのように錯覚していた。
 1割なんて結構カッコイイ男性が路上で出し抜けに街頭ナンパして成功する確率とさほど変わらないでは無いか。
 これならまだ国立大の入試の倍率の方が低くて簡単では無いか。
 野球だったら1割バッターじゃほとんど使い物にならないのである。
 これじゃピッチャーの打率である。ピッチャーと良い勝負である。
 1割じゃあ清原に文句は言えなくなるのである。

 こんな1割程度のギャンブルのような、こんな危険な先物買いのような低確率のものに投資するなんて、世の女性諸君、もう無駄な力を難度A級のセント・バレンタインデイに注ぐのはやめようではないか!

   *   *   *

 えっ?・・・あっ、ちょっ、ちょっと待って・・・・
 何?、えっ、これ僕に?・・・
 あっ、ありがと、・・・・わっ、チョコだ!うそ!
 えっ?余ったから義理で?、いや義理でも何でも貰えるだけマシっす!・・・。

   *   *   *

 ・・・コホン、え、えーと、世の女性諸君、今年も頑張って男性にチョコを送り続けましょー!フェイドアウト・・・
 (あんた、イソップ童話のコウモリか・・・)

「2001.2.10(土)」曇・続ゲノム

 先週「ゲノム」の「ゲ」について重点的にお話ししてきたが、今日は別のポイントから「ゲノム」を責めてみたい。
 只本論に入る前に復習も兼ねて少し前回のおさらいをしておこう。

 「ゲ」は「ゲゲゲの鬼太郎」でもお馴染みのように、妖怪・鬼畜・魑魅魍魎の類いに使用されることが多いことは前回述べた。
 この類似例では(事例が若干古くて申し訳ないが)他に「仮面ライダー」における「ゲルショッカーのゲ」、「バロムワン」出演怪人群の「〜ゾルゲもしくは〜ゲルゲのゲ」等も挙げられる。
 このように「ゲノム」の「ゲ」は「ゲノム」の語感における印象を特色づける非常に大事な語であることは前にも述べた。
 もしこれが「ゲ」では無く、比較的インパクトの薄い「サ行」「ハ行」「マ行」の語などだったらどうなるだろうか?
 試しにその中から「ス」「ヘ」「モ」などと置き換えてみよう。
 例えば「スノム」などとしてみよう。こうなると「ゲノム」時代に保持していたオドロオドロシさが抜け、どこか健康的な雰囲気を漂わせ始めて来る。
 次に「ヘノム」などとしてみよう。こうなると「ゲノム」時代に保持していた厳めしさが抜け、どこかユーモラスな雰囲気を漂わせ始めて来る。
 次に「モノム」などとしてみよう。こうなると「ゲノム」時代に保持していたドイツ的ゲルマン色が抜け、どこか和な雰囲気を漂わせ始めて来る。

 更に「ゲノム」の導き出す驚愕と混乱は「ゲ?なのか?ノム?のか?出すのか?入れるのか?」の選択に迫られていることから生じることを明快な論旨にてご説明した。

   *   *   *

 さて、寄り道したが、早速今日の本題に入ろう。
 今日僕がクローズアップしたいのは「ゲノム」の「ム」である。
 前回「ゲノム」の「ゲ」について、その秘めたるパワーを暴いてきた。
 しかし実は「ゲノム」の「ゲ」よりも更に恐るべき力を持ったモノが実は裏にはいたのである。

 そう、「ゲノム」の「ム」である。
 今日は「ゲノム」の「ム」の恐るべき影の力の一端を皆さんと共に垣間見ていきたい。

 では早速「ゲノム」の「ム」の恐ろしさを見て行くこととしよう。
 「ゲノム」は本来であれば「ノム(飲む)」ことにはなっていなかった。
 「ゲノム」だと、志村けんの酔っぱらいコントで吐いたらまた飲み込んじゃうサラリーマンに成り下がってしまう。
 故に「ゲノム」は本来であれば「ゲノマヌ」もしくは「ゲノマズ」になっていたはずであった。
 「ゲノマン」も候補に挙がっていたが、最終選考時において「タフマン」との誤謬を生じる恐れがあるとの見解から今回見送りとなった。
 「ゲノム」の導き出す驚愕と混乱は「ゲ?なのか?ノム?のか?出すのか?入れるのか?」の選択に迫られていることから生じることは先程触れたが、「ゲノマヌ」もしくは「ゲノマズ」になっていればこの混乱は無かった。
 「ウゲっと出すだけっ!、入れはナシっ!」となることによって、明らかに「ゲ」主導の和平状態が保たれていったことであろう。
 ところがここに「ム」が出現することによって、なんと「ゲ」の後飲んじゃうことになっちゃったのである。

 そもそも「ゲノム」の末尾において、突如彗星の如く現れたこの「ム」とは一体何者か?
 「ム」の一番の強力な力は、宇宙戦艦ヤマトの波動砲を上回るのでは無いかと一部では噂されている「全否定=無」のパワーである。これにはモテナイ独身エトランゼ民族である我々もそう迂闊には手出しはできない。
 しかもこれは「ム=無=武」であり、恐るべき軍事力すら控えさせているのである。
 しかも困ったことに我々がそれに対抗して兵力を集め攻撃をしかけると途端に「ム=霧=無」となり、うまい具合にその姿を隠してしまうという恐るべき術を持っている。まさに神隠し状態を現出する。
 そう「ム」とは実は「ラ・ムー」などと言われるように「神の力」を持っているのである(この辺スムーズな論理展開ね)。

 神は時に市井の小市民の会話においても「静かな怒り」すら垣間見せる。
 例えば
  A:(終業のベルが鳴りそそくさと帰宅体勢に入り低い声で)「お疲れさまでーえす」
  B課長:「あっ、帰ってもいいけど明日の朝一に協議書出してな」
  A:「(ム・・・)」 
   などというように。

 このように「ム」はその強大で圧倒的なパワーによって他を支配し、「ゲ」など一握りに捻り潰そうとすら考えているのである。
 更に「ゲノム」の「ゲ」は妖怪・鬼畜・魑魅魍魎であったが、「ゲノム」の「ム」に至るとそうした異形の者たち程度では済まなくなってくるのである。
 思いつくままに挙げると「鉄腕アトムのム」「機動戦士ガンダムのム」「荒野の少年イサムのム」「宮本武蔵のム」「モーニング娘。のム」、「コンドームのム」などというのすらある。

 このような図り知れない多様性とパワーを持った「ム」の前には如何なるモノも無力にならざるを得ないことは容易に御想像できるであろう。
 「ゲノム」は本来「ゲノム」と普通に読むのでは無く、「ゲノ」くらいに読まねばいけなかったのである。

   *   *   *

 こうして「ゲ」は「ム」を最後尾に配したことにより、その存在は非常に不安定なものと化していった。
 いくら「ゲ」だって飲まれたく無かった。
 こんな無気味な「ム」如きに飲まれたく無かった。
 「ゲ」としては「ノ」の後には是が非でも「マヌ」を採用したかった。
 「マヌ」を獲得する為の画策を本能寺において日夜行っていた「ゲ」達の姿を、偶然見かけたとの情報が我が情報局にも当時何件か入って来ていたらしい。

 「ゲ」は「マヌ」「マズ」がダメなら最低「サ」くらいで「ゲノサ」などと民謡の合いの手めかしてお茶を濁したかった。
 そうでなければ少なくとも「ダス」くらいを配し「ゲノダス」と威厳を醸すくらいにしておきたかった。
 
 しかし結局神の力という半ば強引ともいえる伝家の宝刀を振りかざした「ム」の介入の為に上記候補は一蹴のもとに蹴散らされた。
 どこの馬の骨ともしれぬ「マヌ」程度のものでは到底「ム」の敵では無かったのである。
 こうして「ゲ」は終に飲まれざるを得なくなってしまったのである。
 天下分け目の戦いは「ム」方に軍配が上がった。
 「ゲ」の致命的な敗因は、まさかバックに「モーニング娘。」が控えていたとは知る由も無かったことであろう。「ゲ」は「モーニング娘。」の「ミニモニじゃんけんピョン」そして「ベスト!モーニング娘。1」の立て続けの攻勢に最後はTKO寸前まで打ちのめされていたと聞く。

 図らずも窮地に追い込まれてしまった「ゲ」は、こうして一転していつも「ム」の脅威に晒される生贄の如き状態にまで身を堕すこととなり、もはや往時の全盛の影を無くしていった。
 その日から「ゲ」が夜な夜な「よもや飲まれるとはっ!」と悔恨の悲痛な叫びを漏らしすすり泣いているのが延暦寺から聞こえてくるらしいと、風の便りに聞き及んでいる。
 実にこの「悔恨の念」が「ゲノム」の語感に与えている影響は図り知れない。
 人は街角で「ゲノム」とふと耳にした時に、図らずも「飲まれてしまった「ゲノム」の「ゲ」」の恐るべき怨念を無意識的に感じ取ることができるはずである。

 こうして導き出される結論として「ム」の恐るべき影の力の本性は「モーニング娘。」であったことがおわかりいただけることであろう。つまり「ゲノム」とはまさに「ゲゲゲの鬼太郎」と「モーニング娘。」の戦いにおける、高らかな娘達の戦勝の雄叫びといえるのである。
 アレ?何か変なことになってるかな?
 最初と論点が大分変わっているような気もするが・・・ま、いいか。

   *   *   *

 えっ?何々?あっ、そー・・・。
 えー、たった今我がモテナイ独身エトランゼ事務局に「ゲノム」の「ノ」の関係者から「我々の立場はどうなるんだ?」との抗議のFAXが寄せられたそうである。
 確かにその指摘にも一理ある。
 こちらとしても早急に「「ゲノム」の「ノ」検討委員会」を設置し、その対処を討議していくこととしたい。
 なるべく善処する方向に持っていきたいと考える次第である。

「2001.2.9(金)」晴・娘に依怙贔屓

 「依怙贔屓(えこひいき)」という言葉がある。
 広辞苑によると「みなに公平でなく、ある人を特にひいきにすること。かたびいき。」とある。
 依怙贔屓する人間は、しばしば人から嫌われる。

 かくいう僕自身最近依怙贔屓ばかりしているので、モテナイ上に人間的にも嫌われたりしたら大変だと焦り始めている。

 僕は大衆音楽においては自分の中では1960〜70年代あたりの音楽を嗜好し、それが自分の中での判断基準になっている節がある。
 最近のJ−POPなどにおいては、せっかく若手が一生懸命作った楽曲も、これらの1960〜70年代あたりの音楽と比較して時に手厳しい判断を下したりなどしている。

 ところがである。
 こんな僕がメッキリ弱いグループがある。
 非常に下す判断の甘〜いグループがある。
 このグループに関しては、全ての判断が甘くなる。まさに依怙贔屓である。
 そのグループとは・・・・
 そう「モーニング娘。」である。

 他のグループが昔のディスコサウンドを取り入れた楽曲を出していたりすると「ああ、これあの焼き直しね。あんま目新しく無いね」などと気の入らない評価を下しているのに、モー娘が同じような曲を出すと「昔のサウンドをうまい具合に消化している。あのサウンドが現代に蘇った。言い知れぬパワーを感ずる」などと手放しに賞賛したりしているのである。まさに依怙贔屓である。

 ところでモーニング娘。の初のベスト盤「ベスト!モーニング娘。1」が発売され現在売れていると聞く。
 僕も有線で録音し早速外出時にウォークマンで聴いてみた。
 最初はいくらモー娘とは言え、言ってもアイドルグループのアルバムだからな、などと思っていた。
 確かに実際過去3枚出したアルバムもMDには録音したが外出時にウォークマンで聴くことはあまり無かった。
 ところがこのベストは結構聴きいってしまうのである。
 やはり良く知っているヒット曲が並んでいるから、ということもあろう。
 しかし僕としたことが、音楽に関しては結構耳が肥えていると自分で思っていた僕が聴きいってしまうなどと、これは依怙贔屓状態に他ならないと指摘を受けるかもしれない。
 プロデューサー・楽曲提供のつんくの手腕も見逃してはいけない。しかしそれにも増してつんくはいい子見つけたなと思う。

 よく精神世界系・哲学系の本などで「自分探しの旅」とか「自分発見」という宣伝文句が謳われているのを見かける。
 僕はモー娘においても「自分発見」をしている自分に気づいた。
 その意味でモー娘は、既に哲学の域に達しているといっても過言なかろう、と思わないでもない気もする、かもしれない、らしい、という感じ。
 ともあれ都営大江戸線に揺られながら、このアルバムを聴きつつ僕は「いろんな自分」を発見していた。

 それは
 「全曲どんな曲か既に知っている自分」
 「特に意識して歌詞やメロディーを覚えようとしたことは全く無いのに、ほとんどの楽曲を一緒になって口ずさめてしまう自分」
 「曲を聴きながら、あっ、これ圭ちゃん(保田圭)の声だ、これはジョンソン(飯田圭織)だな、などと分析している自分」
 「抱いてHold on meを聴きつつオリコンで初1位になった時の感慨を噛み締めている自分」
 「全曲聴き終えて、あれもう終わりか、と時間を短く感じている自分」
 「NeverForgetを聴きつつ、未だに福田明日香嬢の引退を心の片隅で残念に思っている自分」
 などなどである。

 依怙贔屓するからには、それなりの理由があるからであるが、やはりモー娘を見ていると、このモテナイ独身エトランゼもいつしか元気にさせてもらえる、ということが一番なのかもしれない。

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