Monologue2001-05 (2001.1.23〜2001.1.27)

「2001.1.27(土)」大雪・スクラップオジサン

 若い頃テレビなどに新聞や雑誌の記事をスクラップしているオジサンなどが出て来たりすると「随分マメな人だ・・・オレにゃとてもこんなチマチマしたシミったれた芸当はできねえなあ」などと半ば軽蔑にも近い思いで見ていた。

 そして現在。
 僕の部屋にはなぜか数冊のスクラップブックが存在している。
 下らない切り抜きからNBAの記事までコツコツチマチマ保管してきたものである。
 これがどうも後から見たらなかなか面白いものもあったりするので今はやめられない。
 結局今や僕も立派な(?)スクラップオジサンになってしまったのである。

 スクラップ以外でもテレビ番組なんぞも折りに触れ録画保存したりている。これが後で見るとやはり面白いのもある。
 TBSの「うたばん」の特番でその名も「とくばん」(1999年3月23日放送)という番組に、以前モーニング娘。が出演していたので録画しておいた。
 やはり面白かったが、中々意味ありげなシーンもあった。

 その頃はちょうど旧メンバーの福田明日香嬢が脱退直前の時期であった。
 番組では話題が福田嬢が抜けた後、誰がセンターに立つか、という話になり、娘間でも「私がやる!」みたいなノリで盛り上がっていたところ、タカさん(石橋貴明)が「(ところで福田が抜けて)メンバー補充すんの?」という話を振った。
 娘達は戸惑いサアわからないという様子だったのだが、そのあとタカさんがもう一波起こさせる為に絶対追加するという意見を言い、すかさず中居君(SMAP中居正広)が動揺する娘達に向かって、その追加メンバーが主役を取っちゃったら元も子もないべ?と脅し煽るように「どうすんの?、福田がやめて誰かが入って(その追加メンバーの力で)もっと売れちゃったら?・・・云々」
 タカさん「それで、すっごいカワイイのが来ちゃったら、・・云々」とかぶせる。
 そこで娘達騒然としつつ「それはヤバイ」「しかし補充はあり得ない」等の消極的意見。

 このタカさんと中居君の発言(予言?)は、後の後藤真希嬢の追加と「LOVEマシーン」のヒットによって結局事実となってしまうのであった。

 こんなのも後からの展開で番組が新たに意味づけされたりしていて中々面白いのである。

 ・・・とまあ、モテナイ独身エトランゼは、こんな取るに足らないところにささやかな喜びを見いだしつつも日々細々と暮らしている訳であります。

「2001.1.25(木)」曇り後雨・鎌倉街道、心くるはせ

 今日のMXテレビで放映した「鎌倉街道夢紀行」は鎌倉街道中道の宮代・杉戸(埼玉県)編であった。
 この辺になると、さすがに都内の鎌倉街道に比べて個人的には大分馴染みは薄くなってくるのであるが、番組で映し出されていた景色・・・のどかな田園風景、そしてその真ん中を流れる川、その背後に拡がっていく青い東の(たぶん)空・・・、それらを見ていると、なぜか今すぐにでも無性に歩いてみたくなってしまうのであった。今外は雨で夜であるが。
 芭蕉が「おくのほそ道」の序章で「片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず・・・」だとか「そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るものも手につかず・・・」などと言っていたのが、何だかわかるような気がした。
 「そうだ、京都に行こう」などというCMもあったが、あのように旅に出たくなる時は、何かに憑かれたように、まるでその土地が呼んでいるかのように、どこか物狂おしい程に、突然ふらっと行きたくなってしまうもんである。
 なんかこんな気持ち、何かの状態と似ている気がする。自分では制御できない切ない気持ち、僕が久しくご無沙汰しているあのトキメクような精神状態・・・。

「2001.1.24(水)」晴・続魔法のうどん

 昨日食べても食べてもなかなか減らない「魔法の(?)うどん」について述べたが、今日その件で新たに急展開があったのでご報告しておくことにしよう。

 うどんの状態であるが、一晩寝かした後は水分がすっかり抜け、具部・汁部共に凝結し、カレーペースト状になっている。「味噌煮込みうどん」と称されるべき物体からは、かけ離れた完全に別なものに姿を変えてしまっていた。
 その様はちょっと蓋を開けてマジマジと見るには忍びない感もあった。
 「変わり果てた姿」という表現は、まさにこんな時に使うのではなかろうかとも思えた。

 ともあれ4日目を迎え、その「魔法のうどん」もついに今日で、ようやく完食できるのではないか?という位の量まで減ってきた。

 そして今日もまた、それを食する為水を加え煮込み直そうとした時、僕にふとある考えが浮かんだ。
 現段階の「魔法のうどん」に水を加えかき混ぜ加熱して食べるのも、もちろん可能は可能だ。しかし汁部のあの極端な減少だと、水だけでは今回不十分である。どうしても醤油等の味つけが必要と思われる。
 それならば、いっそのこと現在の汁部は廃棄してしまい、具だけ残して新しいうどん、言わばネオウドン(ネオがついただけじゃねえか)として再生することはできないか・・・?
 汁部は凝結により、かなり少なくなっている。これくらいの量なら今回に限って捨ててしまうことも許してもらえるだろう。

 そう決断した後の僕の行動は速かった。
 まずお湯を加え汁を軽く熱し、内容物を柔らかくした後、それをザルに開け、中身の具だけを残した。
 汁は排水溝へと吸い込まれていった。僕は汁の為に、神と共にあらんことを、と祈る・・・。
 そして一旦鍋を洗い奇麗さっぱり出直すことにした。何かを変えるには時には荒治療も必要だと自らに言い聞かせつつ。
 鍋の中は数日来の格闘、いや失礼、煮込みの連続で、何かが焦げて強烈にコビリついていた。
 鍋を綺麗にした後、ダシなどを加えそこに今度は醤油ベースの汁を作った。味噌味は今回は諦めることにした。

 こうして汁部として以前とは見違えるようなサッパリした「透明の(これ重要)」醤油味のツユができあがった。
 そして万感の思いを込め先程の救い上げた具を、もう一度鍋に加え煮込んだ。
 それから冷蔵庫に餅があったことを思い出し、餅を加えてみた。
 つまりあの「魔法のうどん」は、こうして醤油味の「雑煮」として見事再生を遂げたのである。

 そしてこれを食したのであるが、これが何と思いのほか上出来な味であった。
 おそらく具には4日間の味が染み込んでいたこともあったであろう。
 もちろんモテナイ独身エトランゼの私めが作るので、人様に出せるような代物では無いことは当然ではあったが、少なくとも僕が今まで作った雑煮等の汁物の中では、1、2を争うのでは無いかと思われる味となった。

 こうして「魔法のうどん」は、その不死身の力で、その魔力によって最後は不死鳥の如く雑煮にまで変貌を遂げ、復活を成し遂げた。
 今僕は、その最後の一滴のツユをすすりながら、これを書き上げた所である。
 今や「魔法のうどん」の魔力から完全に解放され、正直なところ肩の荷が下りかなりホッとしている今日この頃である。当分うどん見たく無いかもしれない。

「2001.1.23(火)」曇のち晴・魔法のうどん

 人間初めて行うものや経験が浅いものに関しては、どうしても失敗してしまいがちである。
 むしろ失敗する可能性の方が大きい。
 熟練されたものというのは、そうした数々の失敗の上に成り立っている。
 失敗無くしては進歩はあり得ない。
 そうでなきゃやり切れない。

 僕は味噌汁を作ったまでは良かったのであるが、ふとそれに「うどん」を入れ「味噌煮込みうどん」を作ろうと思い立ってしまった。これがいけなかった。

 味噌汁は赤出汁にして大根を入れてあった。
 これに乾燥したうどん束と玉ねぎをいれて煮込んでみたりなんかした。

 途中で鍋の蓋を開けてみると、うどんがまだまだ煮えきっておらず固いのもあった。
 「もうちょっとかな・・・」
 こうして僕はうどんを更に煮込んだ。

 しばらくして、ちょっと煮込みすぎちゃったかな、という思いもあったが、まあ大丈夫だろうと思って開けてみる。
 具の方が大分煮込まれてきていたのであるが、どうも麺がまだ固そうなのであった。
 「火が強すぎんのかなあ・・・?」
 僕は弱火にして、ジックリ煮込むことにした。

 しばらく経った。
 もういいだろう、と思い蓋を開けた僕は絶句してしまった。
 そこには何か恐怖映画にでも出て来きそうな無気味な「底なし沼」状のようなものがあった。
 カレーなのか何なのか何とも形容し難い水面に、時折ブクッブクッと泡が立っている。

 僕は慌てて蓋を閉じた。
 見てはいけないものを見てしまった・・・そんな感じであった。
 申し訳ないが正直な第一印象は「わっ、まずそー」であった。

 いろんな思いが頭を去来したが、兎に角「これを何とかしよう」ということになった。いや、何とかしなければいけないのであった。
 なにせこのドロドロ状態は何とかしなければいけない。
 そう考えとにかく水を追加し濃度を薄めようとした。
 しかし結局これはもはや手遅れであった。
 一番早く何とかする方法は、ヒタスラ消費していくしか無いことに気づくのは、そう遅くは無かった。

 水で薄めた、この恐怖の煮込みうどんは、あまり薄まらない量で、既に鍋一杯になってしまった。
 薄めるにも限界があった。
 僕は料理をあまりしない為、鍋は一つしか持っていないので別な容器に移し変えることができない。
 仕方なくもう一度煮込んだ後、兎に角全体量を減らす為食べることにした。

 味のほうは幸い思ったよりひどくは無く、まあ自分一人なら何とか食べていけるくらいであった。
 しかしとても人様に出す代物では無かった。

 一回食べた後、水を足してまた煮込む。
 これを繰り返すと、うどんが更に伸び、とろけ、玉ねぎもドロドロに溶け、また水分が無くなる。
 どういうことになるかというと、この煮物自体が食べても食べても「なかなか減らなく」なるのである。
 見方によっては「なかなか減らない魔法のうどん!」ということで重宝されそうであるが、実態はかなり苦しいものがあった。
 水を注してサラサラのツユにすることなどは到底不可能ということがわかってきた。
 僕の意識から、このうどんをもっとより良いものへと変えていこう、などという考えはスッカリ消え去った。
 今は兎に角罰が当たらないように、全部これを食べきることだけだ、それしか無かった。

 この恐怖のうどんを作って食べ始めてから、今日で3日目になる。
 毎回これを食べるのはキツイので、パン食などを挟んでいるが、今日ようやくうどんをすくったら鍋の底がチラっと見えるようになった。
 うまくいけば明日あたり完食できるかもしれない。
 しかし、あれで又水を注すと、また増えるから・・・明日も無理かな・・・という気もする。
 3日目ともなると、うどんも細かくバラけてきたりして、形状的にはパスタ風になったりしている。
 初日に入れたはずの玉ねぎはスッカリ溶けこんで、今や跡形も無い。
 大根はジックリ煮込まれ茶色くなっている。
 煮込みうどんというより、うどん入り和風ビーフ無しシチューなどといった方がいいかもしれない。

 明日はできれば何とか完食したいと思っている。
 いいところまでいけたら気力を振り絞ってゴールを目指しチャレンジしていきたい。
 たかがうどんを食べるのに「気力」とか「チャレンジ」などという単語を用いるのもどうかという気もしないでも無いが、いかんせん今やこのうどんを捨てずに食べることこそ僕の人生の最重要課題にすらなっている感さえあるのである。

   *   *   *

 もちろん僕だって最初は料理屋などで出されるようなアツアツの味噌煮込みうどんを食せることを想定していた。せいぜい2〜3人前分を想定していた。
 しかしここまで泥沼にはまるとは露程も思わなかった。
 慣れないものに手を出したばっかりに、こんなにうどんで苦しい切ない思いをするとは思わなかった。 
 今回いろいろと反省点はあったが、やはり料理というのは奥深いものであると感じた。
 僕のようなモテナイ独身エトランゼが踏み込むにはあまりにも大きな壁があったようである。
 いつもは何気なく食べている、出来合の弁当一つでも、そこにはいろんな熟練した要素が散りばめられていると思うと、やはり感謝して食べなきゃアカンナ・・・とつくづく感ずる今日この頃であった。

back to ●Monologue Index

back to●others

back to the top