「2001.1.23(火)」曇のち晴・魔法のうどん
人間初めて行うものや経験が浅いものに関しては、どうしても失敗してしまいがちである。
むしろ失敗する可能性の方が大きい。
熟練されたものというのは、そうした数々の失敗の上に成り立っている。
失敗無くしては進歩はあり得ない。
そうでなきゃやり切れない。
僕は味噌汁を作ったまでは良かったのであるが、ふとそれに「うどん」を入れ「味噌煮込みうどん」を作ろうと思い立ってしまった。これがいけなかった。
味噌汁は赤出汁にして大根を入れてあった。
これに乾燥したうどん束と玉ねぎをいれて煮込んでみたりなんかした。
途中で鍋の蓋を開けてみると、うどんがまだまだ煮えきっておらず固いのもあった。
「もうちょっとかな・・・」
こうして僕はうどんを更に煮込んだ。
しばらくして、ちょっと煮込みすぎちゃったかな、という思いもあったが、まあ大丈夫だろうと思って開けてみる。
具の方が大分煮込まれてきていたのであるが、どうも麺がまだ固そうなのであった。
「火が強すぎんのかなあ・・・?」
僕は弱火にして、ジックリ煮込むことにした。
しばらく経った。
もういいだろう、と思い蓋を開けた僕は絶句してしまった。
そこには何か恐怖映画にでも出て来きそうな無気味な「底なし沼」状のようなものがあった。
カレーなのか何なのか何とも形容し難い水面に、時折ブクッブクッと泡が立っている。
僕は慌てて蓋を閉じた。
見てはいけないものを見てしまった・・・そんな感じであった。
申し訳ないが正直な第一印象は「わっ、まずそー」であった。
いろんな思いが頭を去来したが、兎に角「これを何とかしよう」ということになった。いや、何とかしなければいけないのであった。
なにせこのドロドロ状態は何とかしなければいけない。
そう考えとにかく水を追加し濃度を薄めようとした。
しかし結局これはもはや手遅れであった。
一番早く何とかする方法は、ヒタスラ消費していくしか無いことに気づくのは、そう遅くは無かった。
水で薄めた、この恐怖の煮込みうどんは、あまり薄まらない量で、既に鍋一杯になってしまった。
薄めるにも限界があった。
僕は料理をあまりしない為、鍋は一つしか持っていないので別な容器に移し変えることができない。
仕方なくもう一度煮込んだ後、兎に角全体量を減らす為食べることにした。
味のほうは幸い思ったよりひどくは無く、まあ自分一人なら何とか食べていけるくらいであった。
しかしとても人様に出す代物では無かった。
一回食べた後、水を足してまた煮込む。
これを繰り返すと、うどんが更に伸び、とろけ、玉ねぎもドロドロに溶け、また水分が無くなる。
どういうことになるかというと、この煮物自体が食べても食べても「なかなか減らなく」なるのである。
見方によっては「なかなか減らない魔法のうどん!」ということで重宝されそうであるが、実態はかなり苦しいものがあった。
水を注してサラサラのツユにすることなどは到底不可能ということがわかってきた。
僕の意識から、このうどんをもっとより良いものへと変えていこう、などという考えはスッカリ消え去った。
今は兎に角罰が当たらないように、全部これを食べきることだけだ、それしか無かった。
この恐怖のうどんを作って食べ始めてから、今日で3日目になる。
毎回これを食べるのはキツイので、パン食などを挟んでいるが、今日ようやくうどんをすくったら鍋の底がチラっと見えるようになった。
うまくいけば明日あたり完食できるかもしれない。
しかし、あれで又水を注すと、また増えるから・・・明日も無理かな・・・という気もする。
3日目ともなると、うどんも細かくバラけてきたりして、形状的にはパスタ風になったりしている。
初日に入れたはずの玉ねぎはスッカリ溶けこんで、今や跡形も無い。
大根はジックリ煮込まれ茶色くなっている。
煮込みうどんというより、うどん入り和風ビーフ無しシチューなどといった方がいいかもしれない。
明日はできれば何とか完食したいと思っている。
いいところまでいけたら気力を振り絞ってゴールを目指しチャレンジしていきたい。
たかがうどんを食べるのに「気力」とか「チャレンジ」などという単語を用いるのもどうかという気もしないでも無いが、いかんせん今やこのうどんを捨てずに食べることこそ僕の人生の最重要課題にすらなっている感さえあるのである。
* * *
もちろん僕だって最初は料理屋などで出されるようなアツアツの味噌煮込みうどんを食せることを想定していた。せいぜい2〜3人前分を想定していた。
しかしここまで泥沼にはまるとは露程も思わなかった。
慣れないものに手を出したばっかりに、こんなにうどんで苦しい切ない思いをするとは思わなかった。
今回いろいろと反省点はあったが、やはり料理というのは奥深いものであると感じた。
僕のようなモテナイ独身エトランゼが踏み込むにはあまりにも大きな壁があったようである。
いつもは何気なく食べている、出来合の弁当一つでも、そこにはいろんな熟練した要素が散りばめられていると思うと、やはり感謝して食べなきゃアカンナ・・・とつくづく感ずる今日この頃であった。 |