「2001.1.22(月)」曇り・変なオジサン
とある私鉄に競輪場に隣接した駅がある。
僕は車両の一番端で一人立っていた。
オジサンは勢いよく乗って来たが、発車と同時に大きくよろける。
オジサンは婦人がまともに相手にしてくれないとわかった次の瞬間、進行方向とは逆の方向にクルリと向き直り、車両内の乗客全員に向かって演説モドキをぶちかまし始めた。
僕はオジサンの被害が自分に及ばないことを確信したのをいいことに(オジサンは僕がいたドアから入ってきたが、僕が反対を向いていた為か、僕が立っていた為か、ともあれ相手にせずドンドン車両の後ろへと進んでいった。)オジサンの発言に注意深く耳を傾けていた。 オジサンの語りかけには相変わらず誰も反応を示さないのであるが、その口調は攻撃的なものというわけでは無く、どちらかと言えば自嘲的な自虐めいた色彩を帯びたものであった。
その後オジサンの話は突然「志村けん」の話題に変わった。
それにしても「さんまのからくりテレビ」などでもやっているが、酔っぱらいのオジサンというのは、時に芸術的に見事なまでのボケぶりを発揮するもんである。
相変わらずオジサンの志村けん話が続く中、電車が踏切に差しかかった。
世の中って皮肉なもんだな・・・と僕は感じた。
たぶんこういうケースは今までも世の中に沢山あったことなのだろう。
それにしても、お笑いさんがどれだけ苦労しても実現できないような見事なパフォーマンスを、一介の酔っぱらいの変なオジサンが何の事前の打ち合わせも無く成し遂げてしまうのである。
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「2001.1.21(日)」晴・ペニーレーンと昭和通り
ビートルズの歌の中では屈指の名曲「ペニーレーン」。
僕もこの曲は大分長いこと聴いていたつもりであったが、この間これを聴いて思わずハッとなってしまったことがあった。 僕はずっとこの歌はポールが「故郷の通りを歌った歌」だと思っていた。
なぜこんなところで僕が引っかかってしまったのか?
僕の故郷にも「昭和通り」という目抜き通りがある。
僕ももちろんそこへは良く遊びに行った。
先日正月の帰省時、この昭和通りに通りかかった際、その変わりように驚いてしまった。
「ペニーレーン」を歌うポールの目の前には、今の「ペニーレーン」は無い。
ポールが歌にした「ペニーレーン」は、ポールの想い出の情景なのである。
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「2001.1.20(土)」東京は夕方から雪・燃えないゴミ出さなきゃ
とある冬の夕暮れ、僕はいつものように自転車を漕いでいた。
露天の主人である老人と、その婦人は顔見知りなのであろうか、婦人は老人に近づくにつれ顔に満面の笑みをうかべつつ、何か挨拶をするような体勢に突入するとみられた。
「燃えないゴミ出さなきゃっ!」
さて、横をたまたま通りすがった一介のシガナイモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)は、この婦人のセリフを聞きハタと考えこんでしまった。
それとも単なる挨拶?・・・なのであろうか?しかしこの場合「燃えないゴミ」を出すことの決意を述べることが挨拶として果たして適切な言葉なのだろうか?甚だ疑問が残る。
そんなこんなで僕の頭の中は「燃えないゴミ出さなきゃっ・・・燃えないゴミ出さなきゃっ・・・」と同じセリフがグルグルと何度も何度も行ったり来たりしてしまうようになってしまった。 これではいけないと思い家に帰った後、あの『燃えないゴミ出さなきゃっ!』発言はどうして発せられたのか、を考えられ得る幾つかの大胆な仮説として、ここにまとめてみることにした。 かくしてそれはこのようになった。 |