Monologue2001-04 (2001.1.20〜2001.1.22)

「2001.1.22(月)」曇り・変なオジサン

 とある私鉄に競輪場に隣接した駅がある。
 僕が乗る電車が、その駅に停車した際、一人のオジサンが乗車してきた。
 一見労務者風の、お世辞にも上品とは言い難いオジサンであった。

 僕は車両の一番端で一人立っていた。
 僕以外は全員シートに腰かけていた。
 車内は空席がチラホラ有り、それ程混んでいる様子では無い。中年の婦人が客の大半を占めている。

 オジサンは勢いよく乗って来たが、発車と同時に大きくよろける。
 どうやらかなり酩酊しているようである。見るからに酔っぱらいである。間違いなく酔っぱらいである。
 酒の香りが辺りにプンプンと漂う。酒の樽かなんかに一晩浸けておいてそのまま出してみましたというような感すらある。よーく漬かった「オジサンの粕漬」というような感すらある。
 オジサンは、おそらく競輪場からの帰りなのであろう。
 そのオジサンが乗車してすぐ、ヨロメキながら僕の近くに座っていた婦人に向かって、いきなり軍隊口調の大声で次のような質問を浴びせかけた。
 「この電車は、ちょ、調布までー、行きますでしょーかっ?!!」
 婦人はあからさまに不快そうな顔をしつつも、YESを示す意で首を縦に振って応対していた。調布に行くどころか、まさに次の駅がもう調布であった。

 オジサンは婦人がまともに相手にしてくれないとわかった次の瞬間、進行方向とは逆の方向にクルリと向き直り、車両内の乗客全員に向かって演説モドキをぶちかまし始めた。
 「皆さーん!!、ガッカリしちゃあ、いけませんっ!!・・・本日は休みでしたっ!!、やっていませんでしたっ!!・・・」
 オジサンは切々と訴えだし始めた。
 オジサンの語る内容を聞いていると、どうやら勇んで競輪場に向かったはいいが、自分の期待していたレースは中止か何かで開催されなかった、とのことのようである。ガッカリしてんのは何のことは無い、当のオジサン本人であった。まさに「アンタだろガッカリしちゃあ、いけねえのは」とツッコミたくなるのであった。
 よほど悔しかったのだろうか、皆さんにも是非聞いてもらいたい、というような様子で乗客一人一人に語りかけるような感じでヨロケつつも演説を続けているが、もちろん乗客は誰一人として相手にするべくも無い。

 僕はオジサンの被害が自分に及ばないことを確信したのをいいことに(オジサンは僕がいたドアから入ってきたが、僕が反対を向いていた為か、僕が立っていた為か、ともあれ相手にせずドンドン車両の後ろへと進んでいった。)オジサンの発言に注意深く耳を傾けていた。

 オジサンの語りかけには相変わらず誰も反応を示さないのであるが、その口調は攻撃的なものというわけでは無く、どちらかと言えば自嘲的な自虐めいた色彩を帯びたものであった。
 これが第三者的立場で聞いていると、あながちうっとおしいものでも無いのである。むしろオカシイ。むしろ結構ユーモアに溢れる調子に聞こえてくるのである。
 オジサンはシャベリだけでは無い。
 オジサンの酔い具合と電車の揺れ具合が絶妙なハーモニーを醸し出し、オジサンの妙な動きだけを追って行くだけでも相当笑えるものがある。

 その後オジサンの話は突然「志村けん」の話題に変わった。
 推測するに、どうやら乗客が自分のことを「変なオジサンだと思っている」ということを酔っているとはいえ敏感に察知したらしく、その野性的ともいえる直感が「変なオジサン=志村けん」という図式を導き出したようである。
 オジサンは「志村けんは、あれでもオレよりゃ、若けえんだゾっ!」などと言っている。今はこんな惨めな自分だが、志村けんよりは年季が入っている、とでも主張したかったのであろうか。
 そしてそれから論調は、お決まりのように志村けん批判へと変わっていった。

 それにしても「さんまのからくりテレビ」などでもやっているが、酔っぱらいのオジサンというのは、時に芸術的に見事なまでのボケぶりを発揮するもんである。
 このオジサンの名調子も、これが本当の天然ボケというのだろうが、この間合いといい見事としか言いようが無かった。
 大勢の客の前でも物おじしない堂々たる演説ぶり、アドリブとは思えない饒舌なセリフの連続・・・
 僕もハタで聞いていて、その見事なパフォーマンスに思わず拍手をしそうな時が何度もあった。

 相変わらずオジサンの志村けん話が続く中、電車が踏切に差しかかった。
 すると間髪を容れずオジサンが車窓の踏切をを指しながら「ただいまー、踏切をー、通過いたしましたーっ!!」と車内アナウンスギャグを挟んだ。
 このタイミングが又実に絶妙であった。この前後の流れと何ら脈絡の無いフレーズの入れ方が実に見事であった。
 乗客は閉口しているのか、水を打ったようにシーンと静まり返っているが、これがお笑いのライブだったらさぞかし大爆笑ものであろうな、と僕はしきりに残念に思うのであった。
 状況的には、まさに車内はシーンとして観客の笑いは無いが質の高いオジサンの独演ライブ、といった趣が無いでも無かった。
 程なく電車はオジサンの目的地である「調布」に着いた為、オジサンは降りていった。

 世の中って皮肉なもんだな・・・と僕は感じた。
 先程のオジサンは、ほんの一駅の間であったが、僕からすれば見事な「お笑いパフォーマンス」を演じてくれた。僕は正直、惜しい才能だ・・・とつくづく思ってしまった。この才能なぜお笑いに活かさなかったんだ、とさへ思った。
 舞台に上がると萎縮して緊張してしまい自分を出せない人や、対人恐怖症で悩んでいる人もいるのに、このオジサンはあの大勢の他人の前で何ら臆すること無く自分の主張を饒舌に論じてみせた。
 しかもその語り口調、間合いの取り方が、実に絶妙でユーモラスなのである。
 スランプで悩んでいる芸人さんが聞いたら羨ましがるような天然ボケぶりであった。
 まさに「笑いの神」が降りているかのようであった。
 しかしこのオジサンの一期一会ともいえる迫真のパフォーマンスを、好意的に受け取った人があの車両内にどれくらいいただろう?
 お笑いの場であったら大喝采のパフォーマンスも、結局「酔っぱらいの変なオジサン」の出現事件としか受け取られていなかっただろうことは明白である。

 たぶんこういうケースは今までも世の中に沢山あったことなのだろう。
 お笑いさんが演じる舞台上の酔っぱらいより、本物の方が何倍もオカシイ、というのはいかにも有りそうなことである。逆にこういう天然の偶発的な生の悲喜劇があるからこそ「お笑い」が生まれてきたのかもしれない。

 それにしても、お笑いさんがどれだけ苦労しても実現できないような見事なパフォーマンスを、一介の酔っぱらいの変なオジサンが何の事前の打ち合わせも無く成し遂げてしまうのである。
 こうした報われない天才パフォーマーが今までどれくらいの数、公衆の面前に不意打ちをかけるが如く現れては、そして消えていったのか?
 それを考えると、人生とは何て皮肉な、しかし面白いものなんだろうと思わざるを得ない。

「2001.1.21(日)」晴・ペニーレーンと昭和通り

 ビートルズの歌の中では屈指の名曲「ペニーレーン」。
 これは作曲者のポールマッカートニーが、自分の故郷に実際にある通りを歌ったものである。

 僕もこの曲は大分長いこと聴いていたつもりであったが、この間これを聴いて思わずハッとなってしまったことがあった。

 僕はずっとこの歌はポールが「故郷の通りを歌った歌」だと思っていた。
 しかし厳密にはそうでは無かった。
 これは「故郷の通りを想い出しながら歌った歌」なのである。

 なぜこんなところで僕が引っかかってしまったのか?
 まあ「故郷の通りを歌った歌」でも、別にいいじゃないかとも思える。
 しかし「故郷の通りを想い出しながら歌った歌」だと感じた瞬間、僕には「ペニーレーン」の響きが別な感じに聴こえだした。
 あの明るい感じで始まる曲が、真ん中で突然短調に転じたり、サビへの移行時も微妙に転調することが、非常に理に叶った感情表現をした結果なんだと思うようになった。

 僕の故郷にも「昭和通り」という目抜き通りがある。
 かつては市内随一の商店街として隆盛を誇った。
 通りには人がいつも行き交っていて、買い物の人のみならず通勤通学の人も沢山利用していた。
 商店街にはアーケードがあり雨でも安心して買い物が出来た。

 僕ももちろんそこへは良く遊びに行った。
 そこにはオモチャ・レコード・本・食べ物、当時の流行りの文化等、子供たちを魅了するものが溢れていた。
 ショッピングセンターで怪獣ショー等のイベントをやっていたこともあった。
 僕らにとっては言わば、夢・浪漫の象徴のような世界でもあった。

 先日正月の帰省時、この昭和通りに通りかかった際、その変わりように驚いてしまった。
 一部分ではあったがアーケードが取り外されていたり、既に姿を消した店舗等もあった。
 どうやら火災があったらしく、それを機に改築作業等が行われていたようだ。
 そして何より変わったのは、行き交う人の量である。
 往時に比べると、この通りも大分ヒッソリしてしまった。
 僕が少年の頃の華やかだった「昭和通り」の姿は、今や確実に過去のものになろうとしていた。

 「ペニーレーン」を歌うポールの目の前には、今の「ペニーレーン」は無い。
 ポールの「ペニーレーン」があるのは、ポールの頭(耳)の中(in my ears)・瞼の中(in my eyes)なのである。
 ポールは今「ペニーレーン」を見て歌っているのでは無く「座りながら思い出している(I sit and meanwhile back)」のである。
 こう歌詞が歌っているのに気づいた途端、僕はとても切なくなった。

 ポールが歌にした「ペニーレーン」は、ポールの想い出の情景なのである。
 僕にとっては、僕の「ペニーレーン」は実に少年の頃の「昭和通り」ということがいえるのである。

「2001.1.20(土)」東京は夕方から雪・燃えないゴミ出さなきゃ

 とある冬の夕暮れ、僕はいつものように自転車を漕いでいた。
 前方に一人の老人が営む野菜の移動露天販売の軽自動車が停車していた。
 その横を40代くらいの婦人が歩きながら買い物カゴを下げて通りかかった。

 露天の主人である老人と、その婦人は顔見知りなのであろうか、婦人は老人に近づくにつれ顔に満面の笑みをうかべつつ、何か挨拶をするような体勢に突入するとみられた。
 そして婦人が挨拶をするな、と思われた瞬間、婦人の口から発せられたセリフは「こんにちわ」でも「ごきげんよう」でも無かった。
 それは以下のようなものであった。

 「燃えないゴミ出さなきゃっ!」
 老人は何を言うともなく相槌をうっていた。
 そしてそのまま婦人はそこを通り抜けていった。

 さて、横をたまたま通りすがった一介のシガナイモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)は、この婦人のセリフを聞きハタと考えこんでしまった。
 燃えないゴミを・・・?出さなきゃ・・・?
 僕は何度もこのセリフを繰り返し頭の中で反芻したが、どう考えてもこれは婦人のある種の決意表明であると、僕には思われて仕方が無かった。
 なぜ今、婦人は野菜売りの老人に向かって、自分が燃えないゴミを出さなければいけない、というような自らの決意を表明していかなければならなかったのだろうか?
 それからこの決意表明にはいつどこで行うかといった具体的な日程等の情報は何ら盛り込まれていない。これだけ聞けば純然たる婦人の決意のみが込められた発言である。
 かように他人に表明して、じゃあ例えば今すぐその是非を仰がねばならない、といったような緊急の事態なのか?
 それにしては婦人のあの満面の笑みは何を意味していたのか?最期の時を待つ者の達観した笑顔、などというようなものに共通するような崇高な笑顔だったのか?
 老人側からしてみれば「では、一体わたくしは何をどのようにすれば良いのでしょうか・・・」となりはしないか?。
 婦人は老人の如何なる答え・反応を期待していたのか?

 それとも単なる挨拶?・・・なのであろうか?しかしこの場合「燃えないゴミ」を出すことの決意を述べることが挨拶として果たして適切な言葉なのだろうか?甚だ疑問が残る。
 もしかしたら、この婦人と老人との間には、僕の及び知れない前段階のやりとりがあり、それを経過した後に発せられた奥深いセリフかもしれない。
 それにしても、普通各種ゴミは朝方出すというのが東京近辺においては決まりとなっている。
 婦人は日も暮れようとしている、こんな夕方から燃えないゴミを出そうと考えているのだろうか?・・・
 そもそも「燃えないゴミ出さなきゃっ」の後には何かが続くのか?、燃えないゴミ出さなきゃ一体どうなってしまうのか?、燃えないゴミ出さなきゃ生きていけない・・・なのか?、燃えないゴミ出さなきゃ故郷に錦は飾れない・・なのか?、燃えないゴミ出さなきゃアタシ泣いちゃう・・・なのか?、疑問は尽きない。

 そんなこんなで僕の頭の中は「燃えないゴミ出さなきゃっ・・・燃えないゴミ出さなきゃっ・・・」と同じセリフがグルグルと何度も何度も行ったり来たりしてしまうようになってしまった。

 これではいけないと思い家に帰った後、あの『燃えないゴミ出さなきゃっ!』発言はどうして発せられたのか、を考えられ得る幾つかの大胆な仮説として、ここにまとめてみることにした。

 かくしてそれはこのようになった。

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