Monologue2001-03 (2001.1.13〜2001.1.18)

「2001.1.18(木)」・正確な波長

 僕は趣味でギターなんぞを練習しているが、先日初めてチューニングメーターなるものを入手した。
 これはギターの弦の音を合わせる際に、弦を弾くと機械が自動的に音が合ってるかどうか判断しランプの点滅で、それを知らしめてくれる、というものである。
 今まで、こういう機械があることは知っていたが、自分でチューニングができない訳では無いし、お金もモッタイナイので特に使ってみようというところまではいっていなかった。
 しかし今回実際使用してみて、今更ながら便利だなーと改めて感じた。
 こんなに便利なら、もっと早くから導入しとけば良かったと思う。

 音感には自信が無い訳では無かったのであるが、自分の耳でチューニングしたギターの音色は、やはりどうしても今一なのである。たまーにバッチリ合う時もあるがどうもムラがある。
 それがチューニングメーターを使用すると、毎回必ず手早く綺麗な音が出るようにチューニングできる。
 こんな当たり前のような機械の便利さを今更ながらシミジミ感じているのである。

 ギターを弾く人はわかるかもしれないが、程良くチューニングされたギターの音色というのは実に心地よいものである。
 チューニングされているのとされていないのでは雲泥の差がある。ややもすればギターを弾く気力にも影響して来る。これはかなり重大なことだと言える。ほんのわずかな本当に微妙な音の差なのに、である。この僅かな差というのは、もしかしたら楽器にはあまり縁が無い人が聴いたらほとんど気づかないような音の差位かもしれないのである。そういう人達にとっては意識では気づかず潜在意識で何か狂ってるようだな、と気づいている、と言う位のレベルかもしれない。

 考えてみると、作品や業績が人の鑑賞レベルに耐えうる水準をもっているもの、というのはこうした微妙な波長が少しのズレも無く高い精度で合わせられているモノなのでは無いのだろうか。
 これは芸術に限らずスポーツだって、そうである。一流のプレーというのは凡人のプレーとパスのライン等がほんの少し微妙に違っていて、寸分も違わぬ正確なラインをなぞっている、ということになっているのでは無かろうか。
 良くF1のドライバー等が、コーナーのコース取りをほんの数ミリの違いで云々・・・等と話しているのを聞くが、まさに一流の世界というのはアノような凡人には全く気づかない僅かな波長の精度を合わせることに全精力が傾けられる世界なのである。
 良い仕事というのは実に丁寧で精度が高い。
 質の高さには精度の高さ・波長の狂いの無さというものが結構影響してくるものだと、今更ながら痛感しているのである。

 話は変わるがLOVE PSYCHEDELICO(ラヴ・サイケデリコ)のファーストアルバム「THE GREATEST HITS」がアルバムチャートの1位になったらしい。
 これが売れるのは僕も十分納得できる。久々に僕の嗜好と現在のマーケティングと意見が合ったというか波長が合った気がする。

「2001.1.17(水)」・鎌倉街道、より深く

 昨年の暮れ辺りから個人的に妙に「鎌倉街道づいて」きている。
 そして今日ついに入手したかった「旧鎌倉街道探索の旅(さきたま双書 芳賀善次郎)」という書物が手に入り、僕の鎌倉街道探索も格段に飛躍できることとなった。

 以前このページでも書いたが、MXテレビで見た「鎌倉街道夢紀行」という番組で紹介していた上池袋を通る鎌倉街道の古道が、僕が東京に上京したての頃新聞配達をしていた区域だったということを述べた。
 今回上記の「旧鎌倉街道探索の旅」を確認したところ、この道はその上池袋以降、現在の明治通りを中心に王子まで行っているらしいことが判明した。

 これによって、結果どういうことがわかったかというと、結局僕が新聞配達をしていた4年間に担当した区域は、2回の変更で全3区域を担当したのであるが、いずれもまさに現在の明治通り沿いの豊島区上池袋から北区滝ノ川に至る区域であり、実に僕の担当区域を鎌倉街道が通じていたことがわかったのである。つまり僕は4年間ずっと旧鎌倉街道を離れることは無かったのである。上京したてどころか4年間ほとんど毎日のように通っていたのである。
 逆説的に言うと「鎌倉街道づいて」いる現在よりも、当時の方がよっぽど日々日常的に「鎌倉街道」に接していたのである。
 今ショトートカットの女性が好きだが、中学時代は周りにいっぱいショートカットがいた、なんてのと同じか(違うか)。

 ま、それはそれとして、そういえば奇妙なことに、これ程縁が有りそうな鎌倉街道も自分の住居自体には、いつもそれ程近いという訳では無かったのが、また面白い。鎌倉街道に接触するのは大抵仕事がらみか、プライベートでふらっと出かけた道が鎌倉街道だったという場合である。強いて言えば現在と学生時代の大塚の時が住居が近いと言えば近いが、やはり微妙に遠い感じはある。

 これから今度は鎌倉街道が自分にとって、どういう新しい意味づけがなされていくのか?、今のところまだ神秘のヴェールには包まれてはいるようである。

「2001.1.16(火)」・まさに湯水の如し

 いつかはしでかすな、とは思っていたがおとといついにやってしまった。
 風呂のお湯出しっぱなし。
 実に1時間以上出しっぱなであった。
 僕のアパートは給湯式というやつなので、風呂は沸かさずにお湯を溜める方式になっている。
 大体15分程あれば標準的な量までに溜められる。

 この時はお湯が溜まる間にパソコンを起動させ諸作業などを片づけておこうと、それに従事していた。
 しかしこれですっかり風呂のことを忘れてしまった。
 1時間程した後、インターネットに繋いでメールチェックやホームページの閲覧などをした。
 そしてインターネット回線の接続がどれくらい経っているのか、その時間を確認しようとダイアルアップルーターの時間表示を見た。
 「ほーっ、15分かあー・・・15分ねえ・・・15分・・・15分?・・・15分ーっ!!?」
 しまったーっ、と気づいて風呂場に行った時には時既に遅しであった。

 風呂場どころかキッチン中も湯煙がもうもう。お湯はじゃんじゃんあふれ出っぱなし。
 「湯水のように〜を使う」という言い回しがあるが、成る程こういうことか、と妙に納得してしまうほど大胆に滔々と流れ出していた。こちとら湯水をこんなに無駄に使いたく無いのに〜!。この表現はもしかして元は湯水のように金などが流れでることに対して非常に哀感を込めて発せられた言葉なのかもな、などとも思ったりする。

 とりあえずは気づいてすぐ止めたので、まあ事なきを得たが、マイコン仕様のガス供給機の為、ガスの供給が異常事態とみなされ自動的にストップしていた。これは機械の方を後でリセットして復旧させた。

 最近かなり冷え込んでいたので、普段はあまり浴槽に湯をはるということが無いのであるが、ここ数日は成るべく風呂につかるようにしていた。
 慣れないことをしていると途端にこういう破目に陥る。
 やはり一人暮らしはこういう時何かと大変ですな。

「2001.1.15(月)」・今日の出来事

 突然左耳の中で「グゴギゴギゴ」という妙な音がするようになってしまった。
 なんだなんだと思ったが、おそらくデッカイ耳クソだろう、と耳かきでホジッテみた。
 しかし良く考えたら昨日掘ったばかりだったので、幾ら不精なモテナイ独身エトランゼでもたった一日で、これ程の大音量を再生させられる程の耳クソを生成することはできまい、と不審は大きくなるばかりであった。
 これはおかしい?どうしたことかと、と小指を耳の中に突っ込んでスポスポズコズコと出したり入れたりしてみる。
 すると、ふと耳に入れた小指の先に、髪の毛がひっついて出てきた。
 これが騒動の主だったようである。

「2001.1.14(日)」・オリジナリティを何とか

 そういえば、先日このホームページの表紙をちょっと変えてみたりした。

 ついでであるが今年の抱負としてこのホームページの内容的にも何とか自分のオリジナリティを模索していきたい、などとも思っている。

 もしかしたらお気づきの方もあろうかと思われるが、現在の僕の文章、モチーフの取り上げ方等、他の所でも述べてはいるが、ぶっちゃけてしまえば全て実は漫画家の東海林さだお氏の完全なる影響下にある。
 東海林さだお氏は僕がビートルズに次いで最も影響を受けている偉人(敢えて言わせてもらうが)である。
 ハッキリいって「全部ショージ君のパクリじゃん!」と指摘されてしまえば、グウの音も出なくなる。その場で憤死である。

 僕が書こうとしているようなREPORTコーナーなどの文のようなジャンルでは、たぶん東海林氏の開拓された領域を凌駕することは不可能だと思っている。どうあがいても東海林氏の掌で飛び回る孫悟空にしかなれない。

 唯一の希望は、偉大な芸術は何事も真似ることから始まっている、ということである。
 過去の偉大な芸術家は、先達の芸風を徹底して真似てきた。

 であるからとりあえず僕もモテナイ偉大な芸術家志望人(なんじゃそりゃ)の一人として、今は徹底的に東海林氏の手法を学ばせていただいている、というスタンスのつもりである。こんなことが許されるのかどうかはわからぬが。
 そんな中で何かオリジナリティを是非発見したい・・・発見できていけたらいきたい・・・万が一発見できれば儲けもん・・・うー、機会があれば発見していきたい・・・えー、気づいた時に発見したい・・・もし指摘があれば発見してみたい・・・などと思っている(だんだん消極的になっとるぞオイ)。

「2001.1.13(土)」・古里の鉄道

 NHKのBS2で時々やっている「古里の鉄道」という10分程の短い番組がある。
 その名の通り、地方のローカル線を紹介している番組なのであるが、このオープニングに流れるテーマ曲が実にいい。
 フォーク調の暖かみのある曲で主旋律をハーモニカ(だと思うが)が奏でる。
 これが哀愁があり郷愁が有り切なくて実に良い。

 僕が旅先で感じる心持ちにピッタリくる。まさにこの曲の様だと言いたいくらいである。

 この番組、それから今深夜に移ったテレビ朝日の「秘湯ロマン」、それから土曜夜9:00テレビ東京の「アド街ック天国」なんかは、僕に家に居ながらに旅情を感じさせてくれる番組の一つ達である。

 *   *   *

 ところで今日「アド街・・・」の裏で日テレの新ドラマ「愛犬ロシナンテの災難」をやっていたようであるが「アド街・・・」を見ていた為ウッカリ見逃してしまった。
 これにはモー娘のナッチ(安倍なつみ)が出ているらしく、かなり見たかったのであった。
 しかしドラマと深夜番組を見ることは僕にとっては頭痛のタネでもある。
 ドラマなぞは一回見出すと全回逃さず見たくなる。
 深夜番組にいたっては、次代を担う若手のお笑いさんや、売り出しのアイドルなどが出ていて、企画も僕の嗜好にあった面白いものが多いので、たまたまチャンネルを合わせたものでも、ついつい見てしまう。
 しかしこのように毎日ドラマや深夜番組を網羅して見ていたのでは、いくら体力と時間があっても足りやしない。
 しかも冬はNBAもあるし、この時期面白い番組が沢山あると、かえって辛い。
 だから思い切って今日は見逃してヨシとする。
 評判の良いドラマなら再放送やるだろう・・・などと自分を納得させている今日この頃である。
 
 ともあれモー娘の中ではナッチが確かに今のところ一番女優向きの感もしていたので陰ながら応援したい。

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