(→「博物館で遊ぼう!」の先頭へ)
(→前のページへ)
(→次のページへ)
(→Home)

 Chapter 28 年度替わり(未定稿)

28−1 恒例行事


 2005年4月。4月は新年度。鳥の博物館も,市の施設だから,この時期の人事異動が多い。この4月は,けっこう人が動いている。まず,館長の交代。管理職も動いた。時田さんも管理職扱いなので,観察会や学術関係は継続するものの,職務内容に変化があったようだ。
 観察会事業にいちばん関係しそうなのは,新たな嘱託学芸員2名の採用。戦力強化は何よりも嬉しいことだ。これで,博物館内外のイベントにも,学術関係にも,新展開が期待できそうだ。

28−2 今年度の,新しいこと


 2005年度の,鳥の博物館の新しい展開において,最大の目玉商品は,「市民スタッフ」制度の導入だ。
 市民スタッフとは,市の業務の一端を,我孫子在住,在勤の市民に,有償ボランティアと言う形で担ってもらう制度だ。もちろん,行政権を行使するような事項を業務委譲することはないが,鳥の博物館の業務の中では,館内案内やイベントの手伝いなどの,来館者とのインターフェース部分や,標本整理や調査データの集計と言った学術関係の業務など,市民スタッフの参入が可能な業務はいろいろある。
 有償と言っても,昼食代ぐらいしか出ない。ボランティアであることには変わりがない。ただ,「市民スタッフ」と言う肩書きは,博物館内で活動するときには,なかなか便利なものである。もちろん,肩書きなりの責任も発生すると思うが……。
 鳥の博物館の「市民スタッフ」は,4月に公募,5月に人選,説明会の後に始動,と言う予定になった。私も早速,半ば強制的に(笑)市民スタッフの申込書を書くことになった。別件の観察会の打ち合わせ中に申込書を書き,顔写真を持っていなかったため,その場で斉藤さんにデジカメで撮ってもらって,すぐにプリント。おそらく私が,応募者の中で,いちばんいい加減な応募方法をしていると思う。
 私にとっては,「市民スタッフ」になる,と言うことは,突き詰めれば,「ボランティア」と言う名称の肩書きが無くなるだけのことだ。あるときは研究所の研究者,あるときは獣医の先生,と言った,状況に応じた肩書きの言い換えは,今後もあると思うが,「市民スタッフ」の称号をもらえば,肩書きの使い分けも,だいぶ楽になりそうだ。

28−3 継続中,快走中


 ところで,定例探鳥会である「てがたん」のほうは,順調に回を重ね,2005年4月には,無事に,2度目の桜の季節を迎えた。月1回の自然観察イベントは,運営してみると,結構忙しい。それは最初から覚悟していたことなのだが,ともかく1年目を頑張れば,季節が2巡目となる2年目からは,それまでの観察記録やノウハウの蓄積が効いてくるので,少しずつ楽になる。それと同時に,余裕が生まれれば,次の新しいことにも手を出せるようになる。定例の自然観察イベントを立ち上げたい,とさんざん力説していた私にとっても,とりあえずの節目だ。

 定例イベントならではの効果も見えてきた。

 ひとつは,唯一の宣伝メディアとして使っている,市の広報に,開催告知を出し損なっても,確実に参加者が集まること。これは,市民への浸透力を示すことにもなっていると思う。3月,4月と続けて,40人を越える参加者があり,そろそろ担当スタッフの増員も考えたいところだ。

 また,単発の観察会には出来ない芸当として,定点観測での季節変化を見てゆくことも出来た。1月から4月にかけて,親水広場にあるハンノキを,毎月話題に取り上げて,「定点観測」をしてみた。ハンノキは2月に開花する。冬の間は変化の少ない植物観察だが,毎月,ハンノキを眺めることで,早い春の訪れを感じ,「生き物を見つめる目」を育てようと言う目論見だ。実際,「てがたん」に継続して参加している人には,こういう観察が,ちょっとした楽しみにもなり,「来月はどうなっているのだろう?」と,次回への参加意欲にも繋がっていたようだ。開催月をまたいだ,長期的な自然観察のストーリーが組めるのも,定例イベントの特性を生かした自然解説だ。
 2年目からはさらに,「昨年との比較」と言う,新たなストーリーも加わる。

 そして,前々から提案していた,「担い手作り」のこと。今年度からは「市民スタッフ」制度の導入により,本格的に,「我孫子の自然を語る我孫子市民」を増やす計画だ。その活動の中心が,定例探鳥会となる。「てがたん」を自然解説のスキルを磨くための「ホームグラウンド」として活用し,ここからさらに活動の場を広げてもらえれば,さまざまな展開が期待できる。そして,「てがたん」の「フィールドミュージアム」としての機能も,強化されてゆくはずだ。

28−4 「ゼロ査定」ふたたび


 春は,私の職場の業績評価の時期でもある。こちらは頭の痛い話だ。評価対象期間中に配置換えがあって,研究分野の変更を余儀なくされていたので,ほとんど勉強と試行錯誤の年だっただけに,評価は厳しい。研究成果の公表は,評価対象期間では実現せず,新年度に予定している。そんな中でも,外部からの問い合わせや相談を受けたり,肩書きを背負って外部講師に出たり,と言った普及活動は,相変わらず続いていた。これらは,研究所の知名度を上げて成果の普及に貢献したと言う意味で,研究所の組織としての実績として記録されるが,相変わらず個人評価の対象とならない。頼まれごとは,こちらの研究課題に適合しないネタのほうが多いのだから,仕方がない。忙しく対応し,組織としての実績に残っても,研究課題に見合うネタでなければ,個人の実績には何も残らないと言うシステム。なるほど,これでは普及教育事業を拒否する研究者が多いのも納得できる。個人評価段階では,何の得にもならないのだから。
 こうした矛盾が生じる原因は,研究課題や研究所の行うべき業務内容の中に,「普及活動」が,はっきり位置づけられていないことにも起因している。特に研究課題に,情報の普及,浸透を目的としたものが無いことも,足を引っ張っている。現状では,広報普及活動は,研究者の仕事ではないと言う位置づけ。そのため,研究内容を理解していない人が研究情報の広報窓口に立たされると言った矛盾も生じている。広報活動には,研究者を巻き込まなければできない部分は,たくさんあるはずだ。研究者が知らん振りを決め込むから,広報窓口の担当者が,異様な忙しさに襲われているのも,私は見ている。研究課題のほうからのアプローチは,「リスクコミュニケーション研究」を立てて,それを突破口に,もう少し工夫してみる余地はありそうだ。
 このような理由もあって,私の職場では,研究成果の普及,特に一般市民向けの普及教育関係は,担い手がほとんどいないのが現状だ。頼んでも,ほとんどの場合「仕事が忙しいから」と突っ返されるだけだ。……とてつもなく多忙な人も結構いるが,本当に忙しくて出来ないのではなく,「やりたくない」,ないしは「やり方がわからない」,「面倒臭い」「個人業績にならない」と言う本音もある。究極的には市民の安全を担保するための研究をしているはずの人たちが,肝心の,市民とのパイプを持たないで仕事をしているのだから,矛盾している。しかも,その矛盾を認識している人は,多くない。自分たちの出したデータは,行政が使えば,「普及」したと判断し,普及活動は自分たちの仕事ではない,と言うことのようだ。がしかし,実際には,行政からの情報が市民に浸透しているとは言いきれず,ひとたび何らかの病気が出れば,メディアは行政窓口をスキップして,直接,研究所に取材に来る。
 私の勤める研究所の「売り物」は,学術的知識や安全情報を担保するためのデータだ。特に鳥インフルエンザ騒動のときは,「安全情報」が,研究所の「売れ筋商品」となったわけなのだが,それを売り込んで,同時に研究所の存在価値をアピールする,と言ったことは,私の見る限り,自発的に行われた形跡は無い。需要の見込める良い「売り物」を作っておきながら,セールスをしないと言う,普通の会社の常識では考えられないことだが,それが当たり前になっている世界だ。私は決して,売名行為をしろ,と言っているのではない。きちんと安全情報を普及させて,市民の不安を取り除くことの大切さを認識してほしい。そして,こうした普及活動によって,研究所が多くの市民から認知され,信頼を寄せられる存在になるようにと,願っているのだ。信頼が高まれば,研究所の存在意義も高まり,情報普及も円滑になるという,良い循環も生む。まぁ,こんなところで文句を言っているしかないような状態では,現状は推して知るべし,であるが。

(→「博物館で遊ぼう!」の先頭へ)
(→前のページへ)
(→次のページへ)
(→Home)