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 Chapter 1 プロローグ(未定稿)

1−1 それは,ひとつの「つながり」から…


 2003年3月,我孫子市鳥の博物館……。
 子連れで博物館に遊びに来ていた私に,学芸員の時田さんが「ちょっと相談したいことが…」と声をかけてきた。時田さんと私は,以前より交流がある。野鳥関係の資料を調べていただいたり,私が時々出ている某テレビ番組で鳥の博物館を紹介させてもらって,時田さんにインタビューもお願いしたこともあったり,いろいろな形で博物館との行き来もあった。我が家が博物館から徒歩圏内にあると言う気楽さもあり,「来館者」としても,ちょくちょく顔は出していた。

 さて,その相談内容と言うのが,

「鳥の博物館で自然観察会事業を立ち上げたいので,協力してくれないか」

 と言うもの。

 私が学生時代から自然観察会を手掛けていたことは,時田さんも良く知っている。野鳥の会でいちばん歴史の長い定例探鳥会である「明治神宮探鳥会」の担当も,気がついたら20年を超えようとしていた。観察会のノウハウは十分に持っているだろうから,それを鳥の博物館の自然観察イベントに移植してもらえないか,と言う話だった。内容は我孫子の自然を紹介するものが中心で,「鳥」だけにこだわらないで,地元の自然を市民に紹介するような形で。さらに,2002年度より始まった,学校の「総合的な学習の時間」が契機となって,学校でも地域の自然を観察する「しらべ学習」に目が向いている時期だった。しかも,私の自由な発想で観察会を組み立てても良い,と言うありがたいお話。

 但し,無報酬。

 完全なボランティアワークだ。

 話としては面白い。私も平日は仕事があるので,ほぼ土日のみの対応となるが,1人で観察会を作るのではなく,学芸員と言う心強いパートナーもいる。出来るだけのことはしてみる,と言う約束で,とりあえずのOKを出した。

 「鳥博」主催の観察会事業は,博物館にとっても,新しい事業だった。開館10年を超えた博物館であるにもかかわらず,今までありそうで無かったのが,定期的なアウトドアでの環境教育事業。事実上,人材も予算も,ゼロからのスタートだったことに気づいたのは,観察会の企画を作り始めてからのことだったのだが……。

1−2 それぞれの事情


 観察会事業を始めた後に少しずつ聞いたのだが,その頃の鳥の博物館の事情は,いくつかの問題を抱えていた。「我孫子市鳥の博物館」は,日本で唯一の,公立で鳥専門の博物館として1990年に開館。当初は年間10万人の入館者のあった博物館も,2000年には4万人前後まで落ち込んでいた。2001年には地元で「第1回ジャパンバードフェスティバル」が開催され,博物館の目の前がメイン会場となった。2日間のイベントへの来訪者数は3万8千人。ジャパンバードフェスティバルはその後毎年開催され,その来訪者数も,着実に伸びて行ったが,博物館の入館者数を底上げすることは無かった。

 これは,野鳥の会の探鳥会で参加者の動向を見ていた私には,十分に理解の出来る結果だ。野鳥の会の探鳥会では,1985年頃をピークに,参加者が減り続けている。その時期にも会員数は伸びていたので,組織運営上はあまり問題視されなかったのだが,これは,会員ではない一般参加者の減少を意味すしていた。さらに1997〜2000年には,野鳥の会の各地の支部や本部で,次々と会員数の減少が始まった。つまり,バードウォッチングが「ブーム」としていろいろな人を惹きつけていた時代が1980年代に終わり,その後は熱心な趣味人によって支えられていた野鳥の会も,1990年代末より,組織力を失ってきていることを意味していた。そして,鳥の博物館の入館者の動向も,まさにこの状況を反映しているのだ。
 1990年代は,探鳥会から若い世代がすっかり消えていった時代でもある。今の野鳥の会の探鳥会は,参加者の平均年齢が60歳を超え,30代以下の参加者がゼロと言う探鳥会も珍しくない。実際,明治神宮探鳥会でも,集合時刻になって参加者の顔ぶれを見たら,いちばん若いのが担当スタッフ達だったと言う,笑えないような事態が何回かあった。鳥の博物館でも,事情はあまり変わらず,開館した年には入館者数に占める小中学生の割合が20%程だったのが,2002年には6%まで落ち込んでいた。バードウォッチングブームの終焉に引きずられるような形で,入館者の数も内訳も様変わりしていたのだ。
 確かに,剥製展示やジオラマなどが主体の展示室は,動きが少なく,子ども達に魅力を感じてもらいにくい。2001年には「体験学習室」も整備され,触れる素材,作って遊べるキットなども用意されたが,これを活用したイベントや学習プログラムなどは丸1年以上未着手で,ソフトウエア的な整備が不十分だった。上手く活用すれば,館内イベントで盛り上がるかも知れないのに,勿体無いな,と感じていたのも事実。この辺のテコ入れもして欲しいと思っていた。


 一方,私の職場は,研究機関。
 獣医系の研究機関だから,鳥の博物館の事業と全く無関係では無い。仕事上のノウハウも,鳥の博物館に還元できる可能性があった。しかし,研究機関も岐路に立っていた。組織の生き残りを賭け,予算の取りやすい研究分野ばかりが優先され,研究者の専門分野によって,成果の出かたに差が広がってきた。しかも,その一方では,論文発表や特許取得に偏重した評価システムの導入。研究者の基礎的な能力を育てる環境は,どんどん無くなっていた。

 研究成果は社会的に受け入れられなければ,学術的に面白くても,研究所の社会貢献度に寄与できないし,研究所の社会的な存在意義を認めてもらえない。……少なくとも私はそう考えている。だからこそ,自分達の研究成果を,きちんと,多くの人々が分かるように,誰にでも分かる言葉で語り,知ってもらう努力をし,より多くの人が研究成果の恩恵を受けられるようにする,「普及活動」の重要性を,主張したい。しかし現実は,普及活動は評価の対象外。
 私が普及活動の必要性を認識し始めた頃,こんなことがあった。地元新聞に,研究者が研究のことを交代で語るコラムの連載の要請があったのだ。そのときも,書き手がなかなか集まらなかった。何とか書かせても,一般人には分からない単語の羅列しか書けない人が続出。あまりの「伝える技術」の無さに,驚いた。最前線の研究分野では,それを理解して評価しているのは,同じ分野の関係者数十人,場合によっては数人と言うこともある。……その人たちのために書く文章と,数十万人,数百万人のために書く文章は,表現方法が違って当然。ところが,それが分からない,書けない研究者が多いのだ。そして,普及活動の重要性を認識できない。

 科学者が,自分の仕事内容すら,まともに語れない。

 幸か不幸か,私は毎月1回以上は,探鳥会などのイベントを通して,一般の人にサイエンスを語る機会を持っている。科学者ではない,ごく普通の市民が,サイエンスに何を期待しているのか,科学者にどんなイメージを抱いているのか,少なくとも他の研究員よりは良く見聞きして,経験を積んでいる。
 例えば,国立天文台では,普及活動のための組織も作られている。諸外国の研究機関も,広報活動については,日本より遥かに熱心だ。こうした活動……Public Outreach(パブリック・アウトリーチ)と呼ばれる,研究機関の発信する,一連の普及活動は,これからの研究機関の社会的信頼の獲得,社会的貢献を考える上で,避けて通れない問題だ。しかし現実には,私の周りの研究者は,管理職までもが,パブリック・アウトリーチと言う言葉すら知らないと言うお粗末な状況にあった。
 なにしろ,普及活動について「これは我々の仕事ではない」と断言してしまうような人が少なくない組織だ。現実問題として,普及活動が仕事として評価されない現状では,やっても無駄骨だと認識されていてもおかしくない状況にある。この研究所の中で,パブリック・アウトリーチについての知識や技術を学ぶことは困難だった。

 だったら,ひとつ,パブリック・アウトリーチのスキルを,鳥の博物館との共同作業で,磨いてみよう。そう遠くない将来,「パブリック・アウトリーチ」は確実に,研究機関の存在意義を左右する,重要なキーワードになるだろう。研究所で学べないノウハウを,ボランティアワークしながら手に入れることが出来るなら,観察会事業など,お安い御用だ。


 博物館と研究機関。研究調査の仕事と普及教育の仕事を持つ組織,と言う意味では,実は結構似ている。ただ,博物館のほうが,より,普及活動に軸足を置いていて,研究機関では研究調査が仕事の中心となる。普及教育のための舞台装置は博物館のほうが充実している。研究者がサイエンスの普及教育に関して学ばなくてはいけないことは,沢山あるはずだ。研究者も,時にはラボの外,所属学会の外に出て,学ばなくてはいけない。市民のニーズ,社会のニーズをきちんと理解するためにも。

1−3 ゼロからの企画立案

 さて,観察会をすると言うことだけは決まったが,なかなか具体化が進まなかった。4月は企画展の切り替え時期,5月はバードウイークもあり,博物館が協力するイベントも多い。結局,具体化に向けて話し合うことが出来たのは,6月に入ってからだった。平日の夕方に少し時間を作り,閉館間際の博物館に出向いて,学芸員2人(時田さん,斎藤さん)と私の3人で「企画会議」をした。

 ……結局,この3人が,その後の観察会事業の中核となったのだが……。

 「とりあえず,小泉さんのノウハウをそのまんま移植,と言うことで,どうです?」
 「…確かに,今までやっていたことをそのまんまやるのは楽ですけど,それが鳥博のイベントとして最適のものであると言う保証は無いですよ。しかも,我孫子では,既に手賀沼課や「我孫子野鳥を守る会」などの観察会があるのだから,我々は後発なんだし……。ですから,必要なノウハウは注ぎ込みますが,鳥博らしい観察会,鳥博じゃなければ出来ない観察会を,作りましょう。」

 ……と言うようなやり取りがあった末に,私に企画運営を丸投げするのではなく,学芸員にも観察会作りの重要な部分を担ってもらうことを約束してもらって,とにかくゼロから作ろう,と言うことにした。そして,観察会が軌道に乗ったら,観察会の「担い手」作りにも注力することも,提案した。
 この時点で,とりあえずの私の博物館における立場は「ボランティア」なので,正規の職員が責任を取る体制にして欲しかった,と言う理由もあるし,いずれは私以外の人にも,観察会の担い手として活躍してもらうための道筋を考えておきたかった,と言う理由もある。最初から,5年後,10年後を見据えたプランを作らないと,すぐに先細りになってしまう。たとえ観察会が立ち上がったとしても,観察会が重荷になってしまったり,参加者が集まらない,担い手が育たない,と言う悪い方向に転がらないように,この段階では,長期展望を持ったプラン作りが必要だと考えていた。

 しかし,まずは観察会の立ち上げだ。これが無ければ始まらないし,ここでコケたら取り返しがつかない。この部分は,きちんと責任を持って軌道に乗せることを約束する。

 鳥の博物館らしい観察会,鳥の博物館が目指すべき観察会を考えるところから,観察会作りは始まった。


 まず,現在の探鳥会を取り巻く問題の洗い出し。
 野鳥の会では,探鳥会の高齢化が極端に進んでいた。これでは若い人や親子連れには敷居が高い。しかも,内容的には,どこも野鳥を見つけて名前を教える程度の観察案内。5月に手賀沼で開催されたイベント「Enjoy手賀沼」でも探鳥会が行われたが,参加者の年齢層は野鳥の会よりもバラエティに富んでいたものの,主力は高齢者であり,内容的にも,子どもたちが遊べるようなものとは言い難い状況だった。

 どうしてこんな状況になってしまったのだろう。

 子どもに自然体験をさせたいと考える親は,少なくない。しかし,地元の自然,身近な自然にはなかなか目を向けてくれない。「自然の中で遊ぶ」と言う言葉から連想されるものは,街から遠く離れた大自然。全くの非日常の世界だ。我孫子で暮らす人の日常生活の中にある,地域の身近な自然を見直し,大切にするような活動に目を向けてもらえないものだろうか。
 また,いまどきの探鳥会は,高齢者中心のイベントになってしまっているので,子持ちの世代,若い世代にとっては,居心地があまり良くない。年配の方の好む話題が中心だったり,同年代の参加者が少ないことも,かなり影響している。経験的に,探鳥会に小さな子どもを連れて行くと,大人たちが夢中になって遠くの鳥ばかり見ているので,すぐに飽きてしまう。飽きて騒げば,他の人の迷惑になる。そうなると,なおさら探鳥会に参加しにくくなる。

 それ以前の問題として,「子どもに自然体験をさせたい!」と言うことすら思いつかない親も多いのではないだろうか。

 年配者をターゲットにすれば,確実に「固定客」が見込める。しかし,それでは既存の観察会や探鳥会と同じで,発展性が無い。しかも,鳥の博物館は,我孫子市教育委員会の施設なのだから,小中学生の環境学習はもちろん,幅広い年齢層を対象とした社会教育にも,もっと貢献すべきである。
 今の,小中学生以下の子を持つ親は,公害問題が大きな社会問題になっていた時代に育った世代。子供時代の自然体験が乏しい世代でもある。子どもに自然体験をさせたくても,自分が教えることが出来ない。下手をすれば,「自然体験」と言う言葉すら思い浮かばない。そんな30〜40代の「親世代」が,子供と一緒に気軽に遊べるような観察会があったら,新たな需要が生まれるのではないだろうか。

 あれこれと話し合った結果,あえて,今まで「人を集めにくい」と言うことで野鳥関係の団体がなかなか手をつけることの無かった,子どもとその親世代をメインターゲットにする方針で,観察会を組み立てることに決定。そして,そう遠くない将来には,学校の校外学習への対応も狙いたい,と言う希望も添えておいた。

1−4 プランの隅々まで,「こだわり」を持つ


 観察会の内容も,子ども達の興味を引き,興味が持続するような工夫をしたい。
 その内容は,私の持つノウハウと企画力にかかっていた。


 そこで,まず,イベント名からこだわることにした。
 イベント名は内容を端的に表すキャッチコピーであること。そうすれば,イベント内容を見なくても,参加したいなと思わせる力が備わる。子どもたちや,その親が興味を引き,参加してもらうような,魅力的なネーミングは必須だ。
 あれこれアイデアを出し合って,落ち着いた名前は……

  「あびこ自然観察隊」

 これが,鳥の博物館主催の観察会シリーズの,共通タイトル。
 言うなれば,「ブランド名」のようなものだ。

 とにかく,「観察会」「探鳥会」と言う名前はやめよう。出来れば,繰り返し参加してもらえるよう,統一した名前を用意し,さらに各観察会ごとに,魅力的なサブタイトルをつけるようにしよう……そんな想いのこもった,名前なのだ。

 中身にもこだわった。
 まず,子供たちが遊べるように,「見る」だけの観察から,「触れる」「知る」「考える」観察会へ。「鳥の博物館の主催だから…」と言っても,「鳥」にこだわらず,地元である我孫子の自然をさまざまな角度から紹介し,地域の自然に愛着を持ってもらいたい。そして,季節ごとに,いちばん観察しやすいもの,いちばん面白いものを紹介するようにして,「季節感」や「旬」を大事にすること。見せかた,学び方にも一工夫すること。観察中に行う,小イベントのアイデアも出し合った。
 徹底的に,既存の探鳥会,自然観察会の,子どもが飽きる要因を取り去る方向で,しかも,学校の「総合的な学習の時間」や,「しらべ学習」にも対応できる内容を持つこと。これらをひとつひとつ実現させるために,観察会の細かい所まで,内容を工夫することにした。また,基本的に,「小学生以下保護者同伴」とした。これはもちろん,安全確保のためでもあるが,親世代にも自然体験をして欲しいと言う,隠れた理由がある。小さな子どもを観察会に連れてくるのは,やはり,親の意思による部分が大きい。しかも,前述の通り,現在の小学生以下の子どもを持つ親の年代には,子ども時代に自然体験の乏しい人が多いので,親にも自然と出会うきっかけが必要なのだ。

 日程にもこだわっている。
 基本は,学校休日の土曜日。夏休みには,自由研究に対応できるように,お盆と8月末を避けて設定。「鳥」にこだわらなくていい,と言う館長のありがたいお言葉を受け,季節ごとに,いちばん紹介したいも「旬」のものを観察テーマにするようにした。スタッフの都合も考慮しつつ,2003年度には5回の観察会を行うことに決めた。


 みんなの住む我孫子の自然を探検,発見,体験して遊ぶ,「遊び場」感覚のエデュテイメント……「あびこ自然観察隊」と言うタイトルには,そんな願いと遊び心が込められている。


 第1回観察会のテーマは,「セミの羽化を見てみよう」。日程は,夏休み前半の土曜日。

 もう,夏休みが近づいている季節。打ち合わせを終えて博物館を出ると,外は昼間の暑さの残る,湿った夜。
 博物館の周りは,カエルの大合唱になっていた。

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