「700回」雑感


 2006年2月,明治神宮探鳥会は第700回目を迎えました。
 1947年(昭和22年)4月から足かけ59年。途中,担当者不在で未開催になったことも何回かありましたが,日本野鳥の会東京支部の発足時から,支部と共に歩み続けた明治神宮探鳥会の,ひとつの節目です。

#明治神宮探鳥会の歴史については,本サイトの「明治神宮探鳥会物語」にまとめていますので,そちらもごらんください。

 記念探鳥会と言っても,観察内容はいつもの通り。自然観察には「節目」も「記念」も無く,この季節ならではの観察を楽しむようにしました。いつもと少しだけ違うのは,記念品を配ったことと,明治神宮探鳥会ゆかりの人たちに声をかけておいたこと。明治神宮探鳥会を過去に担当した経験のあるOBが2人と支部長が,この日の「ゲスト」(個人的希望としては,支部長は,こういう特別な日に呼ばなければ来ない,と言うのではなく,普段から,あちこちの探鳥会に顔を出していて欲しいのですが,普段の明治神宮探鳥会には,支部長,副支部長クラスの人は,ほとんど来ません)。

 せっかくなので,いつもの担当スタッフも,最初の挨拶のときに,「私と明治神宮探鳥会とのかかわり」について,一言ずつ喋りました。現在の担当で,担当歴20年を超えるのが,私を含めて3人。担当歴10年超が,さらに2人……みんな,すっかり「古株」です。そこで,私の担当歴より会員歴の長い一般参加者がいるかな?と思って聞いてみたら,誰も居ない……少なくとも私より20歳以上年長であろうと思われる人たちばかりなのに,会員歴は数年程度の人が多いんですね。
 担当者OBのゲストとして,現・野鳥の会本部の安西さんにも来て頂いたのですが,安西さんが明治神宮探鳥会の担当をやめ,野鳥の会職員になってウトナイ湖サンクチュアリに赴任したのが1981年のことですから,安西さんが明治神宮探鳥会を担当していたことを知らない人ばかりです……。

 途中,芝生広場で,支部長と安西さんに一言ずつ,挨拶を頂きました。
 担当スタッフにとっては,2人とも,決して特別な人ではない,いわば仲間内なのですが,いまどきの会員にとっては,「すごく偉い人」みたいに見えたようで,その有難味もあってか,だんだんと記念探鳥会らしい雰囲気になってきました。

 支部長が,別の探鳥会でたまたま,100回記念探鳥会に参加した経験をお持ちの方と出会い,その方を呼んでくださいました。100回記念探鳥会は,1956年(昭和31年)の開催。おそらく,今回の探鳥会の参加者中で,いちばん昔の明治神宮探鳥会を知っている人でしょう。古い記録によれば,100回記念探鳥会のときは,担当が籾山徳太郎先生,世話役が小泉吉之助,ゲストとして明治神宮の宮司であり,日本野鳥の会の発起人にも名前を連ねていた鷹司信輔氏からお話を頂いています。この時期は,会員数わずか300人でしたが,今よりも年間延べ参加人数が多かった……言うなれば,明治神宮探鳥会の,「第一期黄金時代」ですね。もう,この時代の探鳥会のことを憶えている会員も,ほとんどいません。貴重なお話を聞くことが出来ました。

 探鳥会終了後,担当スタッフとゲストは,昼食を取りながら,担当スタッフの1人である高橋さんの持ってきた,過去の探鳥会の写真を見て,盛り上がったり驚いたり。
 1980年代の探鳥会風景は,参加人数が100人以上と言うのが当たり前。親子連れはもちろん,中高生,大学生もかなりの人数が出入りしていて(私も学生時代から明治神宮探鳥会を担当していた),活気あふれる様子が,写真からも良く分かります。当時の担当スタッフの若いこと!……その写真と50周年&600回記念探鳥会のときの写真を比べると,愕然……600回目は,1997年10月のことでしたが,その写真に写っているのは,60代,70代の「高齢者軍団」。学生はゼロ。親子連れもゼロ。子供が2,3人写っていると思ったら,担当スタッフの子供ばかり……。こうやって,写真で見てしまうと,この10〜20年の,参加者層の劇的な変化を,嫌でも認識させられます。

 10年前の探鳥会に来ていた人たちは,今では,ほとんど見かけません。1995年のアンケート調査を見ると,このとき既に,探鳥会参加者の年齢分布は,一番多いのが60代,次が70代以上と言う状況でしたから,年齢的にも,10年も会員を継続するのは厳しいのかも知れません。今回も,参加者の主力となる年齢層は高齢者。しかも,600回のときよりも,さらに上がっているような印象……。今回参加した人たちが,800回記念のときには,何人残っているでしょう? その一方で,親子での参加や,40代以下の年齢層の人も,少しではありますが,復活しています。また,非会員の参加率も10〜20%程度のラインを維持しています。こうした傾向は,支部内の他の探鳥会よりも顕著に表れていますので,この10年の明治神宮探鳥会担当スタッフの努力の成果,とも言えます(非会員の参加については,このサイトも大いに貢献しています)。

 継続は力なり,と言います。
 確かに,700回も探鳥会を続けてきたことは,大変なことです。
 しかし,継続しているのは担当者だけで,参加者の様子は,この20年で激変しました。

 1980年代には,他の探鳥会とは一線を画す,明治神宮探鳥会独自の自然観察スタイルを築いていった,非常に活気のある時代がありました。その内容は環境教育的なニーズを先取りしたもので,今も継承され,少しずつ進化をしています。他の団体の開催している自然観察イベントと比べても,十分に先進的かつ教育効果を配慮したものであり,それを作り続ける努力は,今も続けられています。がしかし,その継承者は,支部会員の中からは,なかなか得られていません。明治神宮探鳥会の担当スタッフは,他の組織や自治体などの主催する観察会のお世話もしているメンバーが多いのですが,明治神宮探鳥会のスピリットは,こうした講師先の組織で継承,発展しています。今回,担当OBのゲストが少なかったのは,この10年間で,OBを2人しか出していない……言い換えれば,新しい担当者がほとんど得られていないことも,ひとつの原因です。

 明治神宮探鳥会は,今の会員からは,なかなか支持されません。支部の探鳥会の多くは,珍しい鳥を探したり,鳥を見つけて名前を教えることが中心の「見世物」的な探鳥会で参加人数の確保を図っているのが現状です。これは高齢で会員歴の浅い会員のニーズに応えるものです。しかしこの状況は,はっきり言ってしまえば,若い世代のニーズを無視し,環境教育のトレンドに逆行しているわけです。珍しい鳥も滅多に見られない,鳥の種類数が多いわけでもない明治神宮では,こうした高齢の会員のニーズを満たすことが出来ない。だからこそ,もっと若い年齢層や非会員でも気軽に楽しみながら知識欲を満たすような,環境教育的なプログラムを用意しているのですが,残念ながら,このようなスタイルの探鳥会は,野鳥の会では主流ではありません。高齢者主体の組織になってしまった野鳥の会では,高齢者のニーズに応えるのが精一杯で,担い手もまた高齢者なので,新しいことに手を出しにくく,「環境教育」と言う言葉を思いつくことすら難しくなっているのが現実なのでしょう。

 10年もすれば,会員の大半は入れ替わります。そのときまでに,どんな会員を確保したいのか?誰から支持される探鳥会を作ればいいのか?……10年前にも,同じようなことを自問自答していたような気がします。

 探鳥会は,野鳥の会の「顔」であり「窓口」でもあるイベント。探鳥会が,しっかりと,自然保護や環境教育を主張しなければ,そういう志を持った人が集まるわけがありません。「鳥を見て楽しかったね」と言うだけの集まりでは,そういう人しか会員にならないのです。
 10年後,20年後を見越して,きちんと自分達の姿勢を伝えることも,探鳥会のひとつの使命です。
 はっきり言ってしまおう。現在の,会員に媚びるような探鳥会を続けているようでは,将来が無い。非会員の人,つまり,会員の枠を超え,広く社会に受け入れられ,支持されるような探鳥会を作ること……それが,探鳥会の,いや,自然保護活動や環境教育活動の将来を拓くカギになると言っても,言い過ぎではないと思います。
 もちろん,高齢者を切り捨てるつもりはありません。高齢者も含めた,全ての年齢層にとって,環境教育は必要なのです。特に御年配の方には,「自分は老い先が短いんだから,どんどん鳥を見ないと,もう時間が無い」と言うような発言をされ,なりふり構わず(他人の迷惑もフィールドマナーも顧みず)鳥を見に行くようなる方も少なくありませんが,自分達が死んだ後の責任は取らないような姿勢で鳥を見るようなことを,して欲しくないのです。そのツケは次世代に確実に残ります。自然環境を出来るだけ良い状態で次世代に渡すためにも,現在の野鳥観察者の主力である高齢者に対する環境教育は必要であり,探鳥会も,環境教育機能を充実させてゆかなくてはいけないのです。


 「探鳥会はこうでなくてはいけない」と言うスタイルはありません。もっと自由な発想で,元気で魅力的で,しかも知識欲が満たせて,子どもからお年寄りまで楽しめるような探鳥会を,明治神宮を舞台に展開出来たらな,と思います。そのために何をすべきか。ひとつひとつ,じっくり考えて,少しずつでもいいから,新たな探鳥会の形を求めて,行動に移したいと思います。


(2006年3月10日記)

→もどる