「タマちゃん」って……


 2002年夏,東京湾奥の河川にアゴヒゲアザラシが出没し,マスコミを賑わせています。
 若い個体が単独で観察されていますが,本来,もうちょっと北のほうに生息する生き物ですから,迷行であることはほぼ間違いありません。アザラシが本州の海岸沿いに迷い込むことはそんなに珍しいことではないのですが,今回は大都市と言うこともあり,マスコミが騒ぎ,たくさんの見物人がアザラシを追いかけています。最初,多摩川で見つかったことから,「タマちゃん」と言う名前までつけられてしまいました。

 珍しい生き物に人が群がるのは,アザラシに限ったことではありません。珍しい鳥が見つかったと言う情報がネットに流れたら,その日のうちに現地には超望遠レンズやらスポッティングスコープを持った集団が出来上がるご時世です。……じゃ,何のためにそんなに人が押し寄せるのか?「タマちゃん」の見物人へのインタビューも多いので,マスコミに流れた見物人のコメントを整理してみたところ……「かわいいから」「一度見てみたかった」と言う,TVを見て駆けつけた人が多そうです。要は,野次馬根性なのでは?……ひとつ,興味深かったのは,中高年男性の中に,「タマちゃん」を見て癒されると言う感想があったこと。Vol.3にも紹介しましたが,野生生物に「癒し」を求める傾向,最近,目立つようです。

 しかし,大局的に見れば,こうして群がる人って,野生動物をペット感覚,ないしは擬人的とも言える感情移入を持って見ている人が多いように思います。「東京湾に迷い込んだ野生のアザラシ」と言う視点で考えれば,あまり騒ぎ立てないで,そっとしてやって,なんとか本来の生息地に帰って欲しい……可能なものなら,出来る限り自力で……と考えてやりたいのですが……。野生動物を脅かすほどの「追っかけ」集団が現われるのは,ちょっと考え物です。まして餌付けなどは,もってのほか。

 東京都心では,これと似たような野生動物の事件が,10数年前にもありました。……大手町のカルガモです。カルガモ自体,東京で繁殖する野鳥ですから,アザラシほど珍しいものではないのですが,人目につくオフィス街の池で孵化したカルガモ家族に見物人やマスコミが群がり,挙句の果て,写真集が出たり,「あやかり商品」もいろいろ作られました。

 珍しい生き物を見に行くこと自体,否定される理由はありません。しかし,「人と野生動物の関係」を考慮することが出来たら,もう少し,生き物との接し方も変わるんじゃないかと思います……いや,変えるべきだと思うのです。少なくとも,野生動物の生態に影響しないような配慮は最低限のルールとして必要です。野生動物はペットと違う。人間の支配下,管理下に置かれている生き物ではないわけで,それを理解した上で,お互いに適切な距離をおくのが,野生動物と付き合う上では,大切なことです。
 野生の猛獣を見物することで人気の高い,アフリカの「サファリツアー」で,今年,ツアー参加者が猛獣の犠牲になりました。ツアーの客は動物に近づきたい。大きく写真を撮りたい。案内人は客の満足度を上げたい。……その結果,人と野生動物の適切な距離の取り方が守られなくなったのでは?と思います。サファリツアー自体は,「野生」が観光資源として経済効果をもたらす「商品」になってきたことで,密猟や焼畑などによる自然破壊を食い止める効果もあり,現段階では自然保護的にはプラス面のほうが大きいと思います。しかし今後,危険を認識しない観光客をどう扱うか,問題になる場面は増えると思われます。あるいは,過剰な観光客の流入が野生動物への悪影響をもたらしたり,新たな自然破壊を生む可能性も持っています。

 訪れると「自然保護」になる場所があります。
 訪れないことが「自然保護」になる場所もあります。

 例えば,三番瀬や藤前干潟。積極的に観察会を開いたり,希少な渡り鳥が来ることをアピールし,それを見に来る人が増えれば,開発に対して大きな歯止めにもなりますし,来訪者が増えることで周辺地域に多少なりとも経済効果ももたらします。干潟そのものの水質浄化作用や生物資源としての経済評価も試みられ始めています。
 例えば,尾瀬。既にトップシーズンの入山者数は,道や宿泊施設の容量を超えています。人が集まれば,人の使った排水も増え,湿原や沼の富栄養化が進んで生態系が一気に変わりますし,どんなに来訪者にお願いしても,植生に影響を与える人やゴミを残す人はゼロにはなりませんから,来訪者数に比例して環境は荒れます。自然保護のためには入山規制や入山禁止のような措置を取ることがやむをえない状況だと言えます。

 自然と向き合う場所,野生動物と向き合う場面では,「観光」「見せ物」的な感覚だけでは,その対象であり目的である自然を,維持できなくなりつつある……そんな気がします。

 そんなわけで,私は「タマちゃん」も大手町のカルガモも見に行きませんでした。
 尾瀬も,もう10年ぐらい足を踏み入れていません。中高年の登山ブームと共に,足が遠のきました。
 私一人ぐらいでは,大勢に影響は無いでしょうけど,「訪れないことによる自然保護」の実践です。

 まずは個人個人の意識改革から,ってことで……。


(2002年10月03日記)

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