野鳥に「癒し」を求める時代


 11月の初め,,東京に用事があった折りに,上野の不忍池に寄ってきました。
 例年,ここで初心者向けの探鳥会を企画しています。この季節になると,ロケハンを兼ねて,不忍池を時々訪れます。

 鳥の様子としては,まだ蓮の葉が枯れていないので,全体像は掴めませんが,カモ類は少な目です。去年より,さらに少ないかも知れません。10年前の1/10ぐらいの数しかいません。
 ユリカモメは数百羽いました。但し,ユリカモメはここに「ねぐら」がないので,日によって,時間帯によって,多かったり少なかったりします。
 カモの種類は,ひととおり出揃っています。オナガガモ,キンクロハジロ,ホシハジロ,マガモ,ハシビロガモ,ヒドリガモ,カルガモ。このほかに,コガモ雌が1羽いました。この個体は移動してしまう可能性が高いでしょう。さらに,ホシハジロ部分白化(頭が白っぽい個体)が,昨年同様,来ています。これは常連の鳥見客の間で,「デストロイヤー」と呼ばれていました(苦笑)。種間雑種もマガモ+カルガモとマガモ+オナガガモ(いずれも雄)がいました。
 ほかに水鳥はバン,オオバン,カイツブリ,カワウと言ったところ。
 最近,ときどきキセキレイが現れるそうです。

 パン屑などを持って餌付けする人がたくさん来ていました。
 池を一回りしている間に,少なくとも50人は見ました。
 平日ですから,餌を撒いているのは,もっぱらシルバー世代。
 個人で,あるいは夫婦や少人数のグループで,入れ替わり立ち替わり,思い思いに餌を撒いています。

 ぼーっと池を眺めていましたが,ロケハンのために双眼鏡を持っていたので,時々声をかけられ,何人か,鳥見の常連客とお話をしました。
 比較的,珍鳥情報を探るために話しかけてくる人が多かったのですが,彼らはとんでもない略語や,よくわからない「ギョーカイ用語」を使うので,ときどき話が全然分からず,呆気にとられてしまいました。
 そんな中に,地元の人で,ずっと不忍を眺めている人もいました。
 けっこう鳥の変化や水環境の変化をよく知っていて,参考になりました。

 いろんな人の話を聞いて(と言っても,年配の方しか居ませんでしたが),ひとつ,印象に残ったのは,鳥を見ていると心が癒される,と言う趣旨のことを言う人が,少なからずいたこと。

 なるほど。
 最近では,アニマルセラピーと言う言葉も普及していますが,野鳥にアニマルセラピー効果を求めている人が少なくないんですね。鳥に餌をやって楽しむのも,珍しい鳥を追い求めるのも,重い器材を持ち歩いて写真を撮るのも,「癒される」からこそ,鳥のところへと出かけるパワーが出るんでしょうね。
 いまはペットを飼うのも大変な時代。どんなに周辺住民の非難を浴びても野良猫に餌をやっている年配の人も,見かたを変えれば,アニマルセラピーの「癒し」効果を,知らず知らずのうちに求めているのでしょう。これと同様の印象を,不忍に来る人達から感じました。

 獣医の世界では,アニマルセラピー用の動物が人から受けるストレスについて研究している人もいます。「癒し」効果を求めるあまり,動物たちに負荷を与えることの是非を問う人もいます。まあ,この辺は,人と動物の関係をどう構築するか,これからのコンパニオンアニマルの獣医学における課題でもあるのですが,……
これと同様に,野生生物である野鳥や,自然環境に「癒し」を求めるあまり,野鳥や自然環境に過大なインパクトを与えてしまう,と言う視点も,今後の「環境教育」の課題になってゆくのかな,と感じました。

 環境に悪影響があるから過剰な餌付けはやめて欲しい,と言うのは,冷静な生態学者や熱心な自然保護論者の言い分なのでしょう。野鳥に「癒し」を求めている人達に,その理論が通じると思いますか?多分,どんなに野良猫への給餌がまずいことだと説き伏せても,餌を与え続ける人がいるように,生態学や自然保護理論では説得できない部分があると思います。池の水がカモの食べ残した餌でドロドロになっても,カモの数がどんどん減っても,餌を食べるカモがいる限り,餌を撒く人はいなくならないでしょう。そして,カメラマンも同様に,鳥がいなくなるまで,ファインダー越しに「癒し」を求め続けるのではないかと思います

 つまり,これらはすべて,「フィールドマナー」の問題,ひいては環境問題にも関わってきます。

 「癒し」と言う恩恵と,その恩恵がもらえる環境を維持するための我慢とのバランス。その辺が,案外,「マナー問題」のカギになるのかも知れないな……と,おぼろげに思いつつ,電車に乗り,上野を後にしました。


(1999年11月15日記)

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