趣味の流行り廃りと星の寿命のどうでもいい相関性


 趣味や遊びの世界にも,流行り廃りの波は,当然あります。
 私が子供の頃,クラスメートの中に必ず何人かは,切手を集めている奴がいたものです。
 いまどき切手集めも稀有なものとなり,1970年頃に一瞬だけ流行し,一時はは社会問題にまで発展した「さけぶたゲーム」など,その当時に遊んだ経験のある者しか,その存在を記憶にとどめていないことと御察しします。

 こうした「流行の波」と言う視点で,アウトドア趣味を俯瞰してみると,オートキャンプは流行真っ最中,スキーはスノボとカービングスキーに衣替えして,ブーム下り坂を下支えしているように見えます。さて,自分でも運営に携わっているので気になるところのバードウォッチングに関して言えば,既に探鳥会参加人数のピークは10数年前に通過し,ひたすら流行後の残照の中,「落ち穂拾い」状態で企画を練っていると言ったところです。

 こうした「流行後」に関する問題についてVol.32で考察してみましたが,もともとマイナーな趣味であった野鳥観察のこと,ドーンと「国民的ブーム」になるようなことも無く,探鳥会参加者数のピークを過ぎて10年余りは,野鳥の会の会員数も増え続けていました。
 ブームの規模が小さいと,上り坂も下り坂もゆっくりするんじゃないかな,と思われます。探鳥会参加者数と会員数のピークにズレが大きいのも,興味深いところです。

 探鳥会で,バードウォッチングの流行について,明らかな「下り坂」を感じさせたのは,若い人がいなくなったこと,そして,参加者のバードウォッチングに関する行動,言動,反応が定型化していったことです。「新しいもの」「新しいこと」を開拓する力が,バードウォッチャー集団全体として,すっかり弱まってしまったのです。

 探鳥会において,鳥を見て,種名を言い当て,鳥の話題で語らい,そして最後に「鳥合わせ」と称される,探鳥会中に参加者の観察した鳥の種名のおさらい(一部の探鳥会では,競り市のように観察した個体数を出し合っています),と言う一連の定型化した作業は,様式美とも言えるほどですし,これに適応していない初心者にとっては,敷居の高さを感じさせる世界でもありますが,初心者は,この探鳥会のスタイルに適応する努力を惜しまなければ,快適な「趣味の世界」に浸れるわけです。

 同じアウトドア趣味でも,雪上スポーツは非常に流行の回転が速く,「流行後の様式美」をあまり見ることなく,廃れるものはあっという間に廃れてしまいます。一方,バードウォッチングと同じように高齢化の進んだ登山の世界では,「流行後」のプロセスが,かなり緩やかに進行しました。

 この速度差と流行の規模の大きさには関係がありそうです。


 流行に火がついてから廃れるまでのプロセスは,星の輝きにも似ています。

 星の一生をおさらいしてみましょう。ここでは恒星の話とします。
 宇宙のチリやガスが重力で集まったものが「星」としてまとまり,自重で水素を燃やして輝き始めます。水素を安定して燃やしている間は,比較的安定して輝きますが,水素燃料が切れてくると,水素の燃えカスであるヘリウムに手を出し,これを燃やし始めます。エネルギー再利用の状態です。ヘリウムを燃やし始める頃には,星の状態は不安定になり,表面温度低下と膨張が始まります。
 ここから先,道はいくつかに分かれます。
 質量の小さい星だと,膨張した後,やがて収縮し,白色矮星として,さらにしばらく輝きます。
 それより質量の大きい星になると,部分的に爆発して質量を失いながら,中心部はさらに重い中性子星に凝縮します。
 さらに質量の大きい星は,大爆発し,中心部の質量はブラックホールへと爆縮します。
 また,質量の大きい星ほど,「主系列星」として輝く安定期が短くなります。


 星の大きさと星の一生を,流行の規模に当てはめると,不思議とよく一致します。
 爆発的に流行したものほど,その終焉は早く訪れ,流行後は,コアなファンが少数残るか,全く見向きもされなくなります。「流行後のブラックホール化」と言うか,「流行のリバウンド効果」とでも言っておきましょうか。数年前の,中途半端に古い「国民的大ヒット曲」をカラオケで歌うのに,ちょっと勇気がいるのは,典型的なリバウンド効果と言えます。今,これを書いているのは2001年ですが,いまどき1996年に大流行した「たまごっち」を持ち歩いていたら,ちょっとカルトっぽいですよね。

 それほど爆発的な流行ではない場合,若い世代に浸透した後,ゆっくりと上の世代に流行が浸透してゆきます。この場合,流行を牽引するエネルギーを供給する世代が若いほど,エネルギー量も変化も大きく,牽引する年齢層が上昇してくると,若い世代が抜け落ち,世間が振り向いてくれるかどうかの境い目で,しばらく不安定に推移します。そして,高度に凝縮した星として,しばらくは残光を放ちます。

 ……つまり,流行のエネルギー量の集積度と,流行終焉の早さ,流行後の形態から見れば,1980年代に盛り上がりを見せ,1990年代に入ってから高齢化が進んだバードウォッチングは,流行の盛り上がりが緩やかで,エネルギーの集積度はさほど高くなかったので,超新星爆発→ブラックホール化のような破綻の仕方はせず,ゆっくりと終息しながら凝縮が進み,今は「白色矮星」の時期に足を踏み入れた趣味と言えます。

 いま,野鳥の会の新入会員の平均年齢が約50歳,探鳥会に参加する人の平均年齢は,場所によっては60歳を超えるわけですから,十分すぎるほど年齢層は上がっています。若い人のように,新しいことにポンポン手を出せる状況でもなく,たとえ探鳥会で主催者が新しい試みをしたとしても,参加者がなかなかついて来てくれない。高度に様式化した観察方法や探鳥会のスケジュールの運び方,内輪でしか通用しない用語が多数飛び交う観察中の会話には,ある種の動かし難いものがあります。……こうした硬直性や退縮傾向は,まさに「水素エネルギー」を使い果たしてヘリウムを燃やしている星の輝きと言えます。
 様式化,硬直化を示唆する例として,野鳥の会の研究報……これは会員からも気軽に投稿できる学術誌なんですが……の発行部数の推移が挙げられます。この研究報の発行部数は,会員数1万人台の時代から,現在の5万人時代になっても,ほとんど変わっていないと言う事実は,探究心を持った,パワーのある会員が増えていないことを意味しているように見えます。

 野鳥の会は,この20年で会員数を5倍に伸ばしましたが,会員数の増加だけでは,野鳥の会やバードウォッチング業界のポテンシャルを測りきれないのです。会員数の増加率の割には,意外と組織がパワーアップしなかったな,と言うのが,長年,会員をやっている者の,率直な感想です。その会員数だって,今では減少傾向です。

 もちろん,新たなるエネルギーの補給でもあれば,再び明るく輝くこともあると思いますが,今のところ状況を明るくするような材料は,なかなか見つかりません。「高齢化」「陳旧化」「様式化」して硬直した,この趣味の世界にエネルギーを吹き込むなら,あえて様式美を壊すぐらいの思い切りの良さは必要でしょう。新風を吹き込む目処が立ったとして,それを担うだけのエネルギーを持った人は,見つかるでしょうか?見つかったとして,空振りに終わらせないだけの勝算と戦略はあるでしょうか?


 私はこう考えます。もっと長い目で戦略を考えたい。少なくとも10年,20年の単位で。出来れば50年ぐらい先のビジョンも持って。
 年齢構成から見て,20年もすれば,今の会員の過半数は入れ替わっているでしょう。だったら,10年後,20年後にバードウォッチングや自然観察,自然保護がしっかり支持されるように,今から手を打つべきだと思っています。ターゲットは,「バードウォッチング・ブーム」を知らない世代や,「探鳥会イコール年配者の趣味の集団」,と言う先入観を持たない世代。自然観察,野鳥観察の中に,新しい楽しみと価値観を持てる人たちを仲間に迎えるのです。

 そのために今,どんなことをして,何を伝えたらいいか。
 その,私なりの答えの1つが,このHPであり,私が企画に関わっている観察会であるわけです。
 これが正解かどうかは分かりません。
 でも,何もやらないよりは,絶対に良いはずです。


 1980年代当時,野鳥の会のとあるスタッフが,「これからは,マスコミなどにも売り込んで,こっちから積極的にブームを仕掛けてゆく」と鼻息を荒くしていたのを思い出します。ブームを煽って必要以上にエネルギーを燃やしたことが,野鳥の会やバードウォッチング業界の「白色矮星化」を早めたような気がしてなりません。


(2001年12月13日記)

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