アウトドア趣味の世界における「流行」以後を考える


 趣味の世界にも,いろんな「流行」の波があります。
 私が子供の頃は,「コレクション」をやる友達が多かった覚えがあります。でも,例えば今,「私は切手収集が趣味です」と言う人って,昔に較べると,やっぱり少ないと思います。けっこう「趣味」も流行り廃りがあるものなんですね。これを読んでいるあなたの家にも,今は使っていない楽器とか,スポーツ用品とか,押入れの奥のほうに転がっているんじゃないかしら?

 一般的に,「流行」って,最初は目新しさに飛びつく人(多くの場合,若者)がいて,そのうち,「お,これは良さそうだぞ」と,だんだん人が集まり,ついには,オジサン達も知りところとなり,そうなった頃には,既にピークは越えていて,あるものは支持者を減らしながらも「定番」として残り,それでも残れなかったものは消滅……と言った道筋を辿ります。
 趣味の世界にも同様の消長があり,かつては人気を集めていた趣味も,いつの間にか,ごく少数の趣味人のものになってしまったり,あるとき,形を変えて復活したり,さまざまに動いています。

 経験的に,趣味の世界でも流行に敏感なのは若者。多くの場合,まず,若者中心に流行が広がり,それから年齢層を広げてゆきます。大抵は,10代,20代あたりの一部から火がつき,まずは同年代に広がり,さらに,その上下に広がります。子供や若い主婦層まで取り込み始めた頃には,かなり大きな流れが出来ています。そうすると,入門者向けのイベントや雑誌が乱立し,マスコミも喜んで飛びつきます。しかし,オジサンたちが気づいた頃には,既に流行のピークが過ぎていたりします。ピークを過ぎると,まず,流行を牽引していた若者が離れ,年齢構成が空洞化します。でも,今は高齢化社会。オジサン世代や,もっと上の熟年世代に流行が波及すれば,かなり長いこと支持され続けます。いちど熟年世代を掴んでしまえば,この世代はそんなに移り気じゃないですからね。いまや「熟年」は「子供」よりもマーケットの大きい世代ですから,しばらくは流行が持つし,細く長く需要が期待できます。
 趣味の世界が「熟年中心」になると,その世界の雑誌や入門書にも変化が現れます。流行のピーク時には乱立していた雑誌も,淘汰が進みます。年齢層が上がると,長いタイムスパンで趣味を楽しむ人が増えるので,ちまちまと新しい情報が入ってくる雑誌の需要は,あまり期待できなくなり,少数精鋭化してゆきます。もともと趣味の世界ですから,同好の士が読んで理解できれば済むので,内容的には専門性というべきなのか,カルト性と言うべきなのか,要するに「趣味性」と呼ばれるものが高くなり,「その世界」と外界の間の敷居が高くなってゆきます。雑誌の記事が,かなりの予備知識が無いと読めない状態になっている趣味と言うのは,ある意味,「流行以後」の,ひとつの「カタチ」が出来上がっていると考えてもいいのではないかと思います。また,そういう趣味では,入門者の高齢化がしばしば見られ,入門者の絶対数も激減するので,How toものの記事は雑誌から減少し,単行本へと需要がシフトします。

 かつては人気を集めた趣味で,今は中高年中心にシフトしてしまった例としては,アマチュア無線とか,山歩き,天文なんかが,そうですね。


 アウトドア趣味の中では,特にハイキング,山歩き関係,そしてバードウォッチング関係が,高齢化の先端を走ります。若者のアウトドア趣味の1つだったスキューバダイビングも,最近では,年齢層の軸は,30代半ば〜後半辺りにシフトしてきていますから,あと10年もすれば,中高年ダイバーがわんさか増えることでしょう。
 登山・ハイキングのように,息の長い流行のあったものは,年齢層の上昇も,けっこう時間がかかっています。一方,1980年代前半に上り坂だった「バードウォッチング」は,アウトドア系にしては異例の速さで,急速に高齢化が進んだ趣味の1つだと言えます。いまや登山を追い越すほどの,屈指の「熟年化した趣味」の1つです。こうした急激な「熟年化」は,急激なブームの盛り上がりの結果なのか?はたまた,もともと高齢者にアダプトしやすかったのか?その辺は未分析ですが,いずれにせよ,探鳥会参加者の平均年齢が60歳、と言うのは,立派な「熟年化した趣味」です。私は,1980年代の野鳥の会が展開した会員増加戦略も影響していると見ていますが,現状の年齢構成についての賛否そのものに関しては,分析が不十分なので論議を控えます。
 ただひとつ,気になるのは,その「バードウォッチング」と言う趣味の世界そのものの幅が狭くなり,内容がシンプルになってきたこと。それは,外部からの「バードウォッチングとは何ぞや?」と言った質問には,実に明確な答えを出してくれる,便利な面もあります。しかし,1980年代半ばまであった,「野鳥」をキーワードに,いろんな人が集まり,いろんな思いをぶつけ,いろんなことをやっていた,「ごちゃごちゃ感」や,何かでっかいことが出来そうな期待感みたいなものが,きれいさっぱり消えてしまったことも事実。言うなれば,食事のメニューがバイキングから定食になったような印象です。もっと意地悪な言い方をすれば,「バードウォッチング」が,いろんな人を受け入れる柔軟性を失って,入門者のほうが,その枠組みに合わせて行くような窮屈さと言うか,硬直性を感じるのです。
 探鳥会だけを見ていても,大きな変化がありました。参加者の主力が60歳以上となった頃から,探鳥会初参加の人でさえ,「バードウォッチング」のやり方について,十分すぎるくらいのHow toを心得てきています。しかもかなり画一的内容で。ある程度自分で勉強して,自信がついてから探鳥会に参加する,と言う人も少なくありません。もともと「初心者のためのガイドツアー」であった探鳥会が,こうした,「敷居の高いもの」として受け止められているのは,探鳥会が,かなり「形式化した」もの,あるいは「趣味性の高い人の集団」と言うオーラを放つようになったのかもしれません。
 つまり,こう言うことが考えられます……1980年代の「バードウォッチング・ブーム」が,多くのHow to本を生み,バードウォッチングという趣味の世界を,シンプルに,わかりやすく整理したのです。それが,定型化,硬直化と言った,マイナスになりうる面も残したのではないかと思います。実際,探鳥会の観察案内する側が,いろんなことを試みても,それを受け入れきれない参加者も出てくるので,観察内容的にも冒険しにくくなっています。定型化し,成熟した趣味……それは,その趣味に没頭する人にとっては,実に心地よいものであることは,確かなんですが……。

 要するに,どう見ても「バードウォッチング」は,趣味の「ブーム」の流れから見る限りは,既に「流行」以後の状態に達しているわけです。但し,これはあくまでも「流行」の末期状態と言う意味で,「消滅」を予言するものではありませんし,また,趣味としての「園芸」が「ガーデニング」として蘇ったように,再び流行が訪れるチャンスは,いくらでも残されています。
 決して,「自然」が陳旧化したり,色褪せたりすることは無いのですから,自然を相手にする趣味も,輝きを失うことがあってはならない,と私は思います。その一方で,今は「鳥の見かたはこうあるべきだ」的な,枠にはまるような楽しみ方が一般化していますが,それには少々不安を感じます。それは,今よりずっと自由な気持ちで,のんびりと自然との対話を楽しんでいた,10数年前の状況を知る者の,ノスタルジーなのかも知れませんが……。

 いずれにせよ,今のバードウォッチングは昔より「趣味性」が高くなってきている。言い換えれば,世界が狭くなってきている。「自然保護」「環境教育」と言う点から考えれば,浅くてもいいから,より多くの人に,広く「自然」を体験し,感じてもらうことのほうが,はるかに重要だと思います。「趣味性の高さ」を否定するつもりはありませんが,それが多くの人にとって障壁とならないようにする工夫は必要だと思います。趣味性の高いバードウォッチャーの理屈を,そうでない人に押し付けるのは馬鹿げています。さらには,熟年世代だけでなく,もっと若い世代にも,魅力のある趣味として受け入れてもらう努力も必要になっています。そういった意味で,もっと「開かれた」探鳥会を作ってゆく必要性を感じています。

 バードウォッチングや自然観察を,限られた趣味人のためのものにはしたくない。その一方で,趣味としての価値は大事にしてゆきたい……難しい「両立」です。そのためには,今,何をしておくべきなのか。探鳥会の観察案内をする者に課された,大きな「宿題」だと思います。



(2000年10月1日記)

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