このページは2000年11月16日に立ち上げました。
「はじめに 〜このページを読んで下さる方へ〜」
ちょっと長いのですが、初めていらした方は必ず読んでいただきたいと思います。


− 子供のいる風景 −


最新更新日(2001.1.16)

-What's New!-

・「子供のいる風景いろいろ」に
 「人に歴史あり」をアップしました(2001.1.27)

「おすすめ図書」を更新しました(2001.1.16)
・「思うこと、いろいろ。」に
 「宇野千代さんのエッセイから」をアップしました(2001.1.16)
「おすすめ図書」を更新しました(2001.1.16)
・「思うこと、いろいろ。」に
 「親子と親子」をアップしました(2001.1.3)
・「今だけの、楽しみ。」に
 「かぁちゃん、..」をアップしました(2001.1.3)
「このページを読んで下さる方へ、誕生のご報告です」をアップしました(2000.12.22)
・「今だけの、楽しみ。」に
 「誕生前夜祭」をアップしました(2000.12.22)



-Contents-

◆ はじめに 〜このページを読んで下さる方へ〜(2000.11.16)

◇ このページを読んで下さる方へ、誕生のご報告です(2000.12.22)

◇ 子供のいる風景いろいろ
 小休止しよう(2000.12.14)
 冬の怪談(2000.12.14)

◆ 思うこと、いろいろ。

◆ 今だけの、楽しみ。

◆ 月ごとそれぞれの出来事

◆ おすすめ図書


◆ 出産・育児サイトのリンク集

◆ この話も読んでください..
     「自分と違う人たちへの想像力」



〜野うさぎ茶房メニューに戻る〜


はじめに 〜このページを読んで下さる方へ〜

(2000.11.16)
 ちょっと長いです、すいません。。でも初めていらした方は必ず読んでいただきたいと思います。

 今これを書いているのは臨月の時です。
お腹が大きくなって半年以上、いろんな事を考えたり生活や周囲を見る目が変わったり、変わらない事は変わらなかったり。
 子供ができても店主はやっぱり理屈屋で、書く文章は変わらなかったりします。だから、こういう「字ばっか」が苦手な人、それから、出産・子育ての情報を求めて、ついでに「ベビーがやってくる」的ホンワカした幸せの雰囲気を求めて読んでくださる方には結構しんどいページだったりします。ごめんなさい。

 私はむしろ、ここはいわゆる「子供なんか自分と全然関係ないフツーの人たち」に読んでいただきたくて書いているところがあります。
 初めて子供を持つようになろうとして、やっぱりそれって「子供と関係ないフツーの人たち」からすると特殊な状況なんだなぁ、と思いました。ひと昔前なら身近に子育て中の人が一人はいるのが普通で、ちっとも特殊じゃなかっただろうに。
 結構、肩身が狭かったり、一般の話題で子供の事を言うのがはばかられたり。
これじゃぁ少子化が進んでも仕方ないよ(笑)。

 もっともっと、「子供を持つ」という事がフツーになって欲しいと思います。
欲しいけど授からないという人も、それ以前に相手に恵まれないという人も、あっけらかんとその状況を普通に受け止められて、かつ、いつもどこかで子供を育てて奮戦中の人が普通に社会の一要素としてどこにでもいる、そんな社会が健全なのではないでしょうか。

 今の社会は「子育て中」の人が必要以上に社会の「別枠」に隔離されて暮らしているような錯覚を覚えます。
 仕事をする以上、子供はいないがごとく、独身や子供のいない頃と全く同じように働く事が正しいのかもしれません。
 でも、子供がいる事を仕事上のデメリットでしかとらえず、100パーセントの力を仕事に出し続ける事が「一人前の戦力」として求められるなんて、なんか仕事ってヘンじゃありませんか?
「子育てしながら働くという無茶苦茶大変な道」と「専業主婦になって社会から隔離される道」という(大袈裟に書き過ぎましたが)2つに分かれた道のどっちかを選ぶ、みたいな覚悟の要る社会、って、どこかヘンじゃぁないですか?

 もっともっと、普通になりたいよ。
携帯の機種がどうとか話すのと同じくらい、気軽に「子供って面白いよ」って話が誰とでもできたらいい。子供を持たない事を選んだ人ともわだかまりなくそれぞれの世界を「へぇー。」と無邪気に見せっこしたい。不妊で辛い人が普通の風邪みたいにもっと軽い負担で普通に病院に通える世の中になってもらいたい。

 だって、それらはみんな多かれ少なかれ、私自身が通ってきた道だから。
受験世代で、勉強そして社会に出たら仕事、それさえできたら人間的価値まで保証されたような、そんな価値観の中、早々と結婚し出産し、社会の表側からリタイアしてしまった人たちは、正直いって私には「敗者」でした。
 だから身近に子供の話題が無いのは当然の環境だし、そんな知識は今は不要、自分に全然関係ない事だと思って当然でした。

 確かに「いつかは自分の子供を持つだろうな」とは思っていたけれど、それは現実味を帯びていなかったし、同じようにいざ子供が欲しいとなった時ちゃんと子供が授かるだろうかという事も、何の根拠もなく信じて疑いませんでした。

 だけどいよいよとなるとそんな甘いもんじゃありませんでした。
35才を過ぎて子供が欲しいと決めたのに授からないと、本当に底なしの不安、絶望感が襲ってくるものだというのもわかりました。理屈じゃ割り切れない、本当に本当に「このいたたまれない気持ちは何だ?!」と自分で戸惑うほどのものでした。
 幸いにしてその絶望は終わり、子供を授かる事ができたのでこんな駄文を書いていられるのですが、そうでなかったらもう、生きていられるかどうかというくらい、私はあのままだったらものすごく辛いと思います。今現在も不妊と戦っている多くの人たちに何とエールして良いのか、私にはまだわかりません。

 子供ができたらできたで、やっぱりそんな甘い状況じゃないし(笑)。
でも、がんばろう。
 そういう店主の「今、生きている」とこを、やっぱり見てもらいたいから、何かを受け取ってもらいたいから、書いています。



〜このページのトップへ戻る〜


このページを読んで下さる方へ、誕生のご報告です

(2000.12.22)

 11月末に無事子供が生まれました。
男の子です。今の赤ん坊の平均としてはやや小さい方でしょうか、3000グラムちょっとでした。
 初産にしてはお産の進行は速く、病院に着いて3時間ほどで産まれました。確かに大変でしたが、痛いのどうのといった話はまた、後学のために知りたい方向けにでも別に書く事にしましょう。

 今のところはミルクをよく飲んでよく寝る、割と手のかからない丈夫な子のようです。私も問題無く回復しているようで、一日一日と母子互いに体力をつけ、日常に慣れていっています。
 私はもともとが家から一歩も出ず一人で好きな事をやっているのが性に合っているので、今のところ育児ノイローゼとは無縁のようです。こうしてネットで外の世界へ向けて好き勝手な事を言っていられるし(笑)。

 新生児は「飲む・排泄する・泣く・寝る」しかできないといわれますが、表情が豊かで、もういろいろな事を語りかけてくれます。さすが人間の子、今まで見た事のある動物の仔や鳥のヒナよりずっと、ビット数が多いと思います(笑)。
 赤ん坊とはいえ、もう少ししたらイヤでも世間の荒波にさらされるだろうから(笑)、せめて産まれたての数カ月くらいは、可能な限り、笑い声と優しい語りかけと心地良さだけを与えてやりたいと思っています。
 本人がもちろん覚えていなくとも今の時期に与えられた優しさはきっと、大人になってからの自分の支えとなり、人に優しくできる基礎となるような気がしますが、果たしてどうでしょうか。

 ひとまず、出産から4週目の、ご報告です。


〜このページのトップへ戻る〜


子供のいる風景いろいろ

(2001.1.27)

人に歴史あり

 出産の入院中から今まで撮った写真をようやく現像に出したのが、出来てきた。
最初の方の写真に、われわれ家族がよく見知った新生児の顔があった。
「あぁ、これこれ。この顔だったんだ。」と思った。

 いかにも新生児らしい、あの顔。へその緒のついた、まだ弱々しく痩せていた体。
その顔で精一杯泣いているのを見て、私は毎日を過ごしてきた。
入院中も、家に戻ってからも、離れている時「あいつ、どうしてるだろう。」と思い浮かぶのはその顔だ。 あんな小さな体で両手を振り動かして、唇を震わせ泣いていた、あの顔。
すぐに飛んで行ってやらずにいられない、小さな小さな命の灯だ。

 今は生後2ヶ月にそろそろなろうとして、すっかり太ってしっかりとした大人びた顔になった。もうあの頃の、何だか胸を締めつけられるような「ちぃちゃな」新生児ではなくなった。関係者にとってはすっかり「おにぃちゃんになった」のだった。
 もっとも、客観的にみるとまだ2ヶ月足らずの、首もすわらない乳児に過ぎないのだから、当人にとっては迷惑な評価なのかもしれない。

 たった2ヶ月足らずでももう変わってきているとは、なんて不思議なのだろう。
なるほど、これが「人に歴史あり」という事なのだな、と思った。  


(2000.12.14)

小休止しよう

 出産して1週間の入院の後、退院して2週目になった。子供は生後3週目という事になる。
 ミルクを飲んで満腹すると、ぐっすりと寝る「良い子」なはずだったのだが、昨日あたりから寝付きが悪くなった。

 ぐずる様子に、どこか具合が悪いのかと心配になったのだが、ためしに膝の上で寝かせてみたところ、ちゃんと熟睡するではないか。
 どうやら「抱いていないと泣く」事を覚えたらしい。断定はできないが、抱いて様子をみることにする。
食い足りれば後はどこだろうが寝る、という動物状態から少し進歩したのかもしれない。

 ひざに乗せてしまうと、私はこのままで手の届く範囲の物しか取れない。
しまった、電話の子機を持ってくるのを忘れている、電話が鳴ったらどうしよう。..うーん、コーヒーが飲みたくなってきたのだが..誰かこうして赤ん坊を抱いている間に、飲み終わった哺乳瓶を台所に持って行って洗って消毒して、美味しいコーヒーをいれてきて、ハイ、と手渡してくれたらいいのになぁ。あぁついでに洗濯もしておいてくれるといいなぁ。

 この不便さは、つわりで布団から起き上がれなかった時もこうだったので「またか。」という感じだ。違うのは、自分は元気だということ。これはありがたい。
 熟睡してしまえば私が身動きしても大丈夫。新聞だって読める。しめしめ。
座ったままお尻を移動させてノートパソコンを手元に引き寄せる。赤ん坊が乗っていない側にパソコンも乗せ、キーを打つ。うん、なかなかいける。この文はこうして打っている。

 ..そうこうしているうちに、完全熟睡モードに入ったので布団に下ろしてみる。大丈夫、目を覚まさない。
 やった、さぁ洗い物だ洗濯だ次の哺乳瓶の準備だ、それからコーヒーだ(とほほ..)。

 思えばこれまでは授乳の後、すぐに台所へ立ち後片付け、雑用でのべつ動いていたような気がする。
 「少しは一緒にいて。」という子供からのメッセージなのかもしれない。  


(2000.12.14)

冬の怪談

 一日6回ないし7回の授乳時間のうち「夜の部」は23:00頃になる。
大人はまだ起きていて電気が明るくついて、テレビなんかもついているのだが、夜も更けてこようというこの時間はなんとなくもの寂しい。
 そんな時、ミルクを飲み終わった後、それはやってくる。

 満腹になってすぐ眠ればいいのに、夜に限ってキョトキョトと目を開けて起きている。ぐずるので、抱いてあやす。と、子供の目線が天井の一角に釘付けになり、目を見開いておびえたような顔をするのだ。泣きながら、何か目に見えない物を払いのけるような仕種までする。

 これは正直言って恐い。子供を抱いて顔をのぞきこんでいる自分の肩越しに、子供が何を見ているのかとマトモに思うと、うかつに振り返るなんてできない。ぞっと背筋が寒くなり鳥肌が立ってくる..昼間はそういう事ないのに、なんでこの時間に..。

 我ながら馬鹿馬鹿しいとは思う。新生児の視力ではせいぜい30B先くらいしか認識できず、遠くをじっと見ているようでも実際はちゃんと見ているわけではない。
 だが、以前どこかで読んだ「生まれて間もない赤ん坊は、死者の世界ともまだ近いので、生者の見えないモノが見えている」という一節がよみがえる。..この部屋の天井のあの辺りに霊でもいるのか?

 結構、私はマジで恐いのだった。    




〜このページのトップへ戻る〜


思うこと、いろいろ。

(2000.11.16)

誕生日

 今年の自分の誕生日は、「誕生日」の意味が初めて違って思えた誕生日だった。

 今まで、みんなから「おめでとう」と祝ってもらえるのが自分の誕生日だと、当然思っていた。みなさんもそうだと思う。
 家では当然お祝いをして、親からプレゼントや小遣いをもらってきたのではないだろうか。

 大人になって社会人になってからも、親には「誕生日なんだから、いつもあれこれいらん説教して心配するくらいなら、小遣いくらい今日はくれたらいいじゃないか」くらいに思っていた。

 とんでもない事である。
世界中でたった一人だけ私の母親にとっての私の誕生日とは、「人生最大のイベントを乗り切って無事子供を産んだ記念日」なのだ。
 きっと私は少なくとも自分の子供の誕生日をそう認識すると思う。
自分にとってまず最大の記念日となるはずなのだ。

 安産だろうが難産だろうが、大変なイベントだったのだ。よくぞ耐えてくれたものである。
母だけには(父は違うと思う(笑))「ありがとう」と言って頭を下げなくてはバチが当たる。

 誕生日とは、そういう日なのだった。


(2000.11.24)

競馬

 出産予定日当日はジャパンカップだ。
おいおい「日曜に浪漫(競馬のページ)」に書けよ、とも思うのだが、やっぱりこっちの話題だろう(笑)。

 土日のうちに入院ならば、病院内で売っている「テレビカード」を買っておかなくちゃならないな。他には、お金を出してまでわざわざテレビを見たいとは思わないので、入院中に競馬中継があるかないかで予定が変わってくる(笑)。競馬に限っては、視覚から入る情報にかなうものはない。ラジオの中継だけでは物足りない。

 私の好きなダービー馬、アグネスフライトが出る。マチカネキンノホシも出る。実はあまり勝つ事は期待していないのだが(ごめん)、ジャパンカップという大レースに彼らが出る・そして勝つかもしれない、という事にワクワクして、リアルタイムでレースを見守りたいのだ。

 お産とかちあってそれどころではなかったりしたら仕方がないが、そうでなかったら見たいものだ。..これがまだジャパンカップで良かったな。一年の総決算、有馬記念だったらお産を先に延ばしてでも見たいとか思ってしまう事だろう(爆)。
 きっと子育てで大わらわになっても競馬をテレビで見るのは変わらないと思う。
そういうものだと思うよ(笑)。
 


(2000.11.24)

子供は社会資産だ。

 「どういたしまして。『子供は社会の宝物』ですから(^^)。」
実際の言葉はこの通りではなかったかもしれない。が、そういう主旨の言葉だった。
 そう言ってもらった時、えっ、と思った。

 我が耳を疑うくらい、意外だった。
そうか。そういう考え方が、この世の中にはあるのか。
 極端なようだが、私にとってそのくらい、インパクトのある言葉だったのだ。

 だって、だって。
仕事をする上で「基本形」は、「独身」だぜ。
女性または若い男性はみんなそうだ。男性にだけ限っては「家庭を構えて専業主婦の妻に家庭を任せ、ますます仕事に専念できる」という「進化形」があるに過ぎないのだ。..そうだよ。共働きと言えども男性の側から見た妻ってのは専業主婦の変型にしか過ぎない場合が多い。女はつらいよ。そうじゃないって人は夫婦共にその幸運を充分噛み締めてください。

 だから女性にとって結婚は仕事上のハンディだ。結婚したって表面上は独身時代と変わらないパワーで働き続ける事が当然求められる。まして子供を産んで育てながらも「まだそのまま働き続ける」のは「そんなにしてまでやる意義」があって初めて、「本人がそこまでがんばるなら」「会社としては(実は)渋々」認める形、なんだ。
 徐々に変わって来つつはある、だけど旧態然とした日本の企業社会では、まだまだ、まだ、こんな程度なのが実情だ。
 その証拠にその裏返しとして「腰かけ就職」「結婚退職」といった言葉が今だ女性に限っては「フツー」の社会参加の一形態として健在じゃないか。

 「普通の一通行人」として一歩街へ出れば、子連れの人は邪魔者でしかない。車椅子のためにドアを開ける人すら少ない中、一体誰がベビーカーに道を譲るだろう。一方子育て中のお母さん連中、というのもその辺は開き直っていて、傍若無人に振る舞ったり、子供を野放しにしたりしてますます一般の人から嫌われたりしている。

 「子供を持つ」なんてあくまでその人のプライベートな「勝手な事情」なんだから、「迷惑をかけてすみません」と言うのが当たり前、親、特に母親となる人はできるだけ「子供なんていないふり」をするのが礼儀だ。「ウチの子が、ウチの子が」と言いたい話題は、そういうお母さん連中同士でだけ盛り上がればよろしい。

 いや、本当に現状はこんなもんだ。
「子供を持つことで人間的に豊かになれた。」というのは全然、企業戦力としては評価の対象外なのである。
「少子化」が進み、「少子化対策」がどうにもかけ声だけなのは、当然といえば当然なのだ。
 だからこそ、いい加減アタマに来ていたのだ。

 そこへ来て、冒頭の言葉。
いいのかな、自分には何の利益もないのに心から祝福してくれる人が、世の中にはいる。
社会みんなの資産。みんなで助け合って守るべきもの。
そうか..子供は親一人の個人所有物ではない。社会資産なのか。

 ..この言葉はずっと、私を支えてくれている。


(2001.1.3)

親子と親子

 里帰り出産する人がいる。あるいは、病院でおばぁちゃんに赤ん坊を抱いてもらっている母親も多くみかける。おばぁちゃんは育児のベテランで、若い母親の良きサポーターだというのが一般的らしい。

 私の実の母親は、私を育てた時の事など忘れてしまったのでわからない、と言う。
確かに、たまに言うアドバイスも37年前の事では古過ぎて的外れだ。
 握力・筋力が低下しているのでおっかなくって抱けない、と、もっぱら見ているだけでは、ミルクを調合し哺乳瓶で飲ませ、終わったらゲップをさせる、という一連の作業が任せられないので、預ける事はできない。

 まぁ、いいのだ、それはそれで。
謝らなくていい、サバサバしていればそれで構わないのにさ。
なのに、いつまでも謝られると、悪いと思いながらこっちもイライラさせられちゃうんだよなぁ。「老いては子に従え」って世代にしたってひどいわな。そうじゃない肝っ玉母さんだって知り合いにはいっぱいいるのに。
 自分の子供には絶対当たるまい、と思った代わりなのかもしれない。育児ノイローゼにならない代わり、ここへ来て私は自分の親にイライラしてしまう。

 だって、ずっとは黙っていられなくて、やっぱり口を出し始めるからさ。
それも自信満々高飛車に出るのなら、こっちもポンポーンっと言い返せるのだが、自信無さそうな質問の形。のべつそれじゃぁ、疲れてしまう。

 イライラするのでつい「もうこっちだっててめぇのケツぐらい拭けるんだからさぁ」とタンカを切ってしまった。
 お嬢様育ちの母はこれを聞いてびっくり仰天。お下品ですみません。なんでこういう上品な母上からこういう娘が育っちゃったんでしょうねぇ。
でもさぁ、怒ってる時はそう言いたいのヨ、それ以外にぴったりくる言葉はないのよ。でも言葉じゃないのヨ、言ってる事をちゃんと聞いてよ、おかぁさん。
 面倒臭いので今まではお茶を濁していたのだが、母に孫を見せないわけにいかないし、「そんな乱暴な言葉使うんじゃありませんよ。」なんて説教された日には結構シャレにならない。
 母はこの後に及んで(大人しかったはずの)娘に反撃されてオロオロして可哀想なのだが、娘のこっちとしては、自分のスタイルを否定されてイライラしたままでは自分の育児に関わる。
 だから、こうして「自分の子供を信じてくれよかぁちゃん。」って私はあえて言いたいつもりなのだ。こうして今度は一応親になったんだぜ、あんたのムスメを信じなさいってば、って。

 でも、今いち、通じないんだよなぁ。
で、考えてしまった。自分も自分の子供に「今いち、通じないんだよなぁ。」ってうざったがられる日が来るんだろうな、と。
 きっと今度は「かぁちゃんのそういう大雑把で下品なところ、イヤなんだオレ。」って言われるんだろうな。いや、きっと、私には金輪際わからない感覚でうざったがるのだろう。それが親子というものらしい。

 その日が来ても仕方あるまい。
私は、覚悟を決めておこう。


(2001.1.16)

宇野千代さんのエッセイから

 子供に哺乳瓶でミルクを飲ませている10分くらいの時間は、文庫本を手に取りエッセイを一遍読むのにちょうどいい。
 子供は体に栄養を摂り込み、私は心に一服の栄養剤をもらう。

 心のビタミン剤のような素敵なエッセイを書かれる方はたくさんいる。
中でも私が活字を通して敬愛してやまない方の一人が、宇野千代さんだ。
 私の祖父よりも年上だったから、ずいぶん古い世代の筈なのに、誰よりも現代的な感性をお持ちだった気がする。それとも世代に関係なく、良い感性というのはいつの時代でも誰の気持ちにも通ずるものなのか。

 集英社文庫「生きていく願望」(原題「続・幸福を知る才能」)41ページより引用させていただこう。
「私はどんな生活をしている時でも、その自分の生活を、これは愉しい生活だ、と思い込んでしまう癖がある。人から見たら、まあ可哀想にと思われるかも知れない生活でも。(中略)..どうして体が続いたかと思うけれど、人間の体くらいおかしなものはない。平気だと思うと平気になれる。気持ち次第である。」

 いやまぁ本当にこの通りだ、と私も思う。 夢中になってやっている本人はあまり思わないのだが、赤ん坊が空腹で泣きわめく中、オムツを換えミルクを作り、飲ませてゲップさせてやれやれ、と思ったらもう一度オムツ..という様子を見て「大変だ」と言われる。
 確かに、頼むから泣かないでくれ、あと1時間寝ていてくれ、と思いながら夢から引きはがされてイヤイヤ起き上がる明け方もある。
 でも、結局は楽しいのだ。




〜このページのトップへ戻る〜


今だけの、楽しみ。

 なんだか「のろけ話」と似たところがあります。
「けっ、言ってらぁ。」って言われても、話してる本人は幸せなんだなぁ。
こういうちいちゃい楽しみもちゃんと用意していてくれて、神様って親切かも、
なんて思います。んでなきゃ、大変なばっかじゃぁ、やってられないよねぇ。
(2000.11.16)

エイリアンか!?:胎動

 よく動くんだよ。お腹の中で。
それもずいぶん早くから動きを感じ始めて(6ヶ月頃)、その時から結構強い胎動だったなぁ。

 ぽこぽこ。ぽこっ。
臨月ともなると、本屋で立ち読みしてると、両手で本を持つ視界に入る自分のお腹が、自分の意志と関係なくボコッと突然盛り上がったりして驚く。
 あんたはエイリアンか(笑)。
痛かったと言う人もいるけど、くすぐったいだけで済んでいるな。うつ伏せでゲームやってると、くすぐったくてゲームに集中できない。

 胎動は胎児が元気な証拠、苦しくて抗議しているわけではないのでご安心を、と育児書に書いてあった。
 母親が心地良い時、ストレスの無い時によく動くとも言われるが、そうでもないぞ。
 怒ってタンカ切ってる時も(おいおい)、お腹は一緒になってポコポコやってた。
パパとすっごい喧嘩した後、一人になってすっごく泣いちゃった時も、動いてくれたよね。「もう一人じゃないよ、ここに味方がいるよ」って聞こえて、余計泣いたなぁ。

 産まれちゃったら、もうここにはいなくなるんだよね。
なんか、ずーっとお腹で飼ってやっててもいいのに、なんてバカな事を結構本気で思ったりする。


(2000.11.24)

一日の過ごし方

 「外出の荷物」でも書いたが、37週(臨月)に入ると「正産期」といって、予定日がまだでも「もういつ産まれても良い」時期となる。どうしても外せない予定は例外として、原則は「もう予定が立たない」毎日になるわけだ。

 体はよく知っているもので、この時期になるとすぐお腹が張って痛くなってくるので1時間を越える遠出はあまりできなくなる。
コンを詰める作業もあまりできなくなる。こうしてHPに駄文をちょこちょこ書くくらいがちょうどいい(笑)。

 朝、起きると軽く朝食をとる。ゴミ出しや簡単な掃除など軽い家事をやり、お茶をいれてひと休み。新聞に一通り目を通したり、メールチェックをしたりしてウダウダしていると、「なんかお腹すいたな。」と思う時間になる。
 時計を見ると、だいたい11時15分くらい。よっこらしょ、と立ち上がって、お昼ご飯を作り始めるのにちょうどいい時間なのである。
お昼を作る。作るのが今いち、の時は、12時になってしまう前にコンビニへ行く。12時を過ぎると、近所の働いている人たちがコンビニに繰り出して、弁当を買うのも結構な競争になるからだ。先手を打って買うに限る。そうこうして食べ始めるとちょうど12時くらい。

 午後は体調が良ければもうちょっと洗濯機を回したり、歩いてすぐのスーパーへ買い物、駄文書き。具合が悪い時は寝てしまう。夕食作りはちゃんとやる。

 おや、こんな一日の過ごし方、前にもあったな。
そうか、つわりの間もこんな感じだった。あの時はでも、全然体力なくて吐いてフラフラで、ひたすら辛い毎日だった。仕事も休めるはずなく、出勤する時だけ気合いを入れて出かけ、あとはひたすら寝ていたな。
 あの時「あぁ今から夕飯を作らないで済むのなら、魂だって売るだろうなぁ」と真剣に思ったものだ(笑)。

 それに比べたら、今はパラダイスだ。
 


(2000.12.22)

誕生前夜祭


 正確には前々夜なのだが、私は様子を見るために一泊、入院して病院で一夜過ごし、一度家に戻っている。
 戻ってきた日の翌日の夕方には、いよいよ本当の入院となった。思えばあれが「誕生前夜祭」だった。

 その時は陣痛が始まったわけではなく、結局なんともなかったので、自分だけの空間でゴロゴロと本を読んだりできる入院は楽しかった。
 家に居たらなんだかんだやっていてとうてい聞くはずのない時間に、FMラジオを聞いていた。土曜のこの時間帯は大昔から「セッションなんたら」という公開録音でモロジャズをやっている。大昔は欠かさずエアチェックしていたし、よく応募ハガキを出して聞きにも行っていた。懐かしい。

 消灯時間を過ぎているのでベッドの読書灯が闇に浮かびあがり、イヤホンから流れる女性ジャズボーカル+カルテットの演奏と相まって、なんだかジャズ喫茶にいるような気がする。パジャマで寝そべって聞けるジャズ喫茶なんてないけれど。

 ..あぁ、こうしてゆっくり自分の好きな時間に好きな音楽を聞けるのも、子供が生まれたらもう、なかなかできないのかな。

 実力派のボーカルに、メンバーはもう私の知らない若手ばかりだ。ドラムだけが昔リハバン(笑)に一度だけ来てくれた事がある。あの頃の知り合いでプロとなった人たちは、もうジャズ界では中堅だ。その影にはこうやって楽器やめちゃってフツーのヒトになってる沢山の「元バンドマン」がいるんだよな。子供なんか産んじゃってさぁ、って、きっと言われるんだよな(笑)。

 曲がバラードになった。スローバラードの、この独特の雰囲気。
 あぁ。
これを聞けて、こういう時間を持てて、幸せだ。
そう、思った。心から思った。

 これが、私の、前夜祭だ。ゆったりと静かに流れる自分だけの時間。
神様、ありがとう。無事ここまでたどり着けて。
 ..そんな気持ちだった。


(2001.1.3)

かぁちゃん、..


 「早く喋ったりするようにならないかな、って思うでしょう」と言われた事がある。
育児書にも育児ノイローゼにならない方法として「子供が喋ったり歩いたりするようになるのを想像して楽しみにしましょう」と書いてあったりする。だから新生児はそんなに「こちらの意志も通じない、ただ泣いて寝るだけ」なんだろうか、と思っていた。

 ところがどっこい、産まれてすぐ10分かそこらで、ヤツには豊かな表情があった。
「おやぁ、なんだろうここは?」と、初めて見る外の世界にキョトキョトと視線を巡らせていた出産直後の顔。
 その翌日はまだお産の疲れがあるので、新生児室に預けたまま休んでいてよかったのだが、あの顔を思い出したら「アイツ今頃何してるかなぁ」と思い、会いたくてたまらなくなった。
で、さっそく会いに行き、なんだか成りゆきで小一時間ほど自分のベッドに連れて行って良い事になり、そこで「新生児の微笑」というのを見た。まだ意味のない笑顔なのだそうだ。だが、やっぱり、初めて見る笑顔はインパクトがあった。

 あれから退院し家に戻って数週間、様々な表情に勝手にアテレコしている。当たっているのかどうか、当人には迷惑かもしれないが、ハマっていて大笑いさせてもらう事もある。

 今までで最大のヒットはこれだ。
ミルクを飲み終わってゲップを出すのだが、飲む量が多くなってくると一度で排気し切れなくて、横になってしばらくして、また残りのゲップが出てくるようになってくる。
抱き起こすタイミングが遅いと空気と一緒にミルクを吐いてしまうのだが、顔を見ていたらそのタイミングがわかる事があった。
しばらく寝苦しそうにモジモジしていたかと思うと、いよいよ我慢できないらしく吐きそうになる。その顔はどう見ても
「..かぁちゃん、オレ、もう駄目、吐くわ。」
と言っている。
妙に大人びて、コンパ帰りの大学生みたいだ。

 「そうかそうか、これに懲りてもう飲み過ぎるんじゃないよ。」
と言いながら、かぁちゃんは抱き起こして背中をさするのであった(笑)。




〜このページのトップへ戻る〜


月ごとそれぞれの出来事

10ヶ月現在(2000年11月16日)から、さかのぼって随時書いていく予定です。
(2000.11.16)

つわり(3ヶ月〜5ヶ月)

  個人差の大きいことなので、一般にはいえないが、私はつわりがひどかった。

 どちらかというと嗅覚の鈍かった私が、普段から臭いに敏感な人の気持ちが初めてわかった。道を歩いていて、生ゴミの臭い、マンホールから漂う下水の臭い、人のオーデコロンの臭い、車の排ガス、食べ物屋の古い油の臭い。
 家にいると、今まで無臭だと思っていた冷蔵庫の臭い、流しの臭い、棚に置いてあるオイスターソースの匂いまでわかる。夕飯は顔をそむけながら、吐きながらの調理だ。炊飯器からご飯の湯気が上がってくるともう台所にいられないので、時間とふらつく足もとと吐き気との競争だ。

 ドラマなどでよく口を押さえて流しに駆けてゆくシーンがあるが、実際はあんなものではない。いよいよ吐くまで周囲が全然気付かないくらいシャンとしていられないからだ。その状態は「二日酔い」と酷似している。具合悪そうにグッタリしているかと思うとおもむろに「おぇぇ〜っ」っと..。だからつわりをごまかしたい人は二日酔いだと言えば納得されるぞ。笑い事じゃないけど。

 さらに、「まだお腹が全然大きくなっていないので、どんなに吐きそうで具合悪くしていても、電車で席を譲ってもらえない」事態が待っている。
 産前の産休を削ってでも、本来なら「つわり休暇」が無くては、母体保護は難しいとさえ思う。だって、つわりで苦しい間というのは、どんな健康な妊婦でも流産の危険があるからだ。だから体が「今無理をするな。」というサインをつわりという形で出しているのだ。


(2000.11.17)

戌の日(5ヶ月)

 5ヶ月に入ったら、戌(いぬ)の日に腹帯を巻き始める、という習慣がある。

 私の母などは昔の人なので、当然「さらしの帯」を何メートルもぐるぐると巻き付けるのだと思っていたらしく、他にも安産祈願のために神社に詣でたりするつもりだったらしい。

 つわりが完全に終わっていない私は、神社に行く体力なんぞありましぇーん。出勤前にさらし帯をぐるぐる巻いている時間も惜しいし、巻いて出かけた先で帯がほどけてくるのを一所懸命直すのもいやでーす。
 名のみ「帯」とは云うものの、筒状の腹巻きをして、その上からぐるっとお腹に回してマジックテープで止めるやつが今はあるんだよ。
 普通に足をとおして穿くガードルで、妊婦用のやつもいろいろ売っている。

 こと出産・育児用品に関しては、和服時代の古い情報がそのまま残っていて妙だった。育児書には楽勝で「和服を着、和裁をして着物を家庭で仕立てる生活」を前提としている記述がまだある。この分野の出版界の改訂は遅い。
 「○○クラブ」といった商業ベースの育児雑誌ならそんな事はないので、まぁいいのか。

 とにかく「戌の日」が何日かは出産・育児用品売り場や産婦人科にカレンダーが貼ってあるのでメモしておき、その日からマジックテープのやつを着け始める。

 つけてみるとこれが実に、快適。
 これが昔の人の知恵か。欧米ではそんなもの巻かないというが、日本人の勝ちだな(笑)。
5ヶ月というと、すこーしお腹がふくらんできたかな、という感じ。まだまだ、重さを支える必要はないのだが、私の時は冷房の季節が始まり、いくら重ね着をしてもお腹まわりがなんだか冷えてきて困っていたのだ。
 本を読むと「お腹を冷やしてしまうと、体の防衛反応で羊水過多になることも」とあるではないか。そういえばこの頃、ふくらみが大きくなってきたような..。
 良かった。腹帯で暖かくしてひと安心。

 戌の日に腹帯をつけるのは、5ヶ月になって流産の危険もぐっと減ったところで周囲の人達に「妊婦」として認知してもらう意味もあるのだろうと思う。


(2000.11.24)

出産準備品・ベビー用品を揃える(6ヶ月頃〜8ヶ月頃まで)

 育児書などに書いてある「出産までのスケジュール」の中で、忘れてはいけないのが「出産準備品・ベビー用品の購入」だ。

 単行本で出ている「育児書」は初版の日付けを見てできるだけ新しいものを選んだのだが、「出産準備品・ベビー用品」の情報に限って言えば、やっぱり古かった。
 そこでやはり二大月刊誌「たまごクラブ」「バルーン」を特集に応じて何回かは買った。いつ妊婦になるかまちまちの購読者層それぞれの月数に対応して、興味をひく特集を何ヶ月周期かで組むこれら月刊誌というのも大変だな、と思う。

 で、そういう月刊誌の付録「出産準備品大百科」なる本が手に入ってひと安心、となるわけだ。
 商業誌は広告スポンサーとのタイアップなので、何もかも鵜呑みにする必要もないのだが、それだけにメーカーが売りたい・売れている「今」の情報が反映しているので役に立つ。

 さて、まずはじっくりとその「大百科」を読む。
出産準備品・ベビー用品は、知らない用語のアラシだった。
スタイ=よだれかけ、アフガン=おくるみ。
なんでわざわざ、わからなく書くのだ。対応する日本語がある場合はちゃんと日本語で書け、日本語で。

 どうもこの状況は何かに似ている。
そう、パソコンと同じなのだ。慣れてくればその用語の他にピッタリ来る言い方が無いので、つい使ってしまうが、初心者にとっては「もっとわかりやすい用語で!」となるのだ。
 そうして見てみるとこの「大百科」なる本も、アプリケーションソフトを新しく習得しようとする時に、まず一冊買う、マニュアル本のようではないか。月刊「たまごクラブ」はパソコン月刊誌と同じだ。いかにも現代のマニュアル社会を反映している。ううむ、納得。

 で、このマニュアル本をもとに、自分で「必要品リスト一覧」を作る。おむつ等の消耗品は底値を調べるため、地元の薬局の新聞のチラシを取っておいたりする。
つわりがおさまった頃、散歩を兼ねて街へ出て、さまざまな用品の値段の下調べをする。
 ベビー用品の中でも洋服類は、それこそピンキリだ。
大人の服もそうかもしれない。デパートでブランド品だと、何千円もするものが、スーパーや専門安売り店のノーブランド品なら1000円以下で買える。
 結局、ベビー服などの主な買い物は2ヶ月間くらいを下調べで過ごし、いよいよお腹が重くなってくる8ヶ月ギリギリになってから、電車で小一時間ほどの、安売り専門店に出かけ、会員割引き(入会はもちろん無料)をフルに使って一度で済ませたのだった。

 そういった買い方も、なんだか秋葉原で下調べをしてからパソコンを買う時とよく似ている。


(2000.11.16)

産休に入る(8ヶ月後半〜)

 産休、といってもせいぜい普通の有休休暇を消化するだけで、あとは私の仕事では一切の手当ては無く、その間無給になるので、お気楽に喜んで休んでばかりもいられないのだが(笑)。

 なんにしても「大手を振って休める」というのは有り難いことだ。
自分的には片付けや準備があるので「ようやく休める」感覚だが、「休んでもすぐには産まれない」状況でもある。
 「社会参加最後の飲み会」までやってもらって休みに入って結構たつのに、仕事関係の電話がかかってきて「まだ産まれてないんです」と言わなくてはならないと、なんとなくバツが悪い。

 事実、期日が迫ってくるまでは「お金にもなるし、もっとギリギリまで出ちゃおうかな」という気がして仕方がなかった。
 だが「産前6週間」と一般に決めている法律には根拠があった。
徐々に徐々に、お腹が大きく、ゆるやかに変化している中で、この「産前6週間」を境に通勤電車が明らかに辛くなってきたのだ。
 ただ立って歩く、という、それだけを半日やっているだけなのに、お腹を支えている下腹のあたりがだんだんに痛くなってくるのだ。
 とにかく、横になってこの重みを分散させたい。
さらに追い討ちをかけるように、だんだん強くなってきた眠気が、うっかりミスを呼ぶくらいに強くなってきた。
 これは、いかん。
こんな状態で仕事なぞまともにできるはずがない。

 休みます。みなさん、あとはよろしく。
というわけで、世間のみなさまに申し訳ないと思いながら「平日働かないでブラブラしている」状態に突入だ。
 5週間も、まとめて休めるなんて。失業してた時以来だ(笑)。

 産後はすぐ、休み無しで、24時間フル稼動だ。
「育児」という仕事の、ね。


(2000.11.24)

外出の荷物(臨月)

 37週(臨月)に入ると「正産期」といって、予定日がまだでも「もういつ産まれても良い」時期となる。
 初産の人は予定より遅くなりがちかと思いきや、そうでもないらしく、とにかく「いつ産まれても良い」体勢を整えて待機、となる。

 ということは「今やっている事がいつ中断されて陣痛が始まっても良い」状態なわけだ。
 外出先でもし陣痛が始まったら病院へ直行、と仮定されるような、電車での外出などには母子手帳一式は当然、他にも必要最低限の入院グッズも持って出かける。つまり家族と連絡がついて追加の荷物を持って来てもらえるまでの間に必要となりそうな物は、自分が常に持って歩く事になる。

 まず、病院には備え付けられていない物。
 ただでさえ忙しい看護婦さんに頼んで病院のを借りたり、売店で買って来てもらったりするわけにはいかないからだ。
箸箱(お箸)。食事が出る時間に入院ならできるだけ食べておくことだ。
カロリーメイト。これは夕食が終わってしまってから後のつなぎ。水のペットボトルはもうずっと前から必携品なので(妊婦はノドが乾くものなのだ)いつも持っている。
 忘れがちなのがスリッパ。これはかさばらないごく軽量のものを用意。

 デジカメと普通のカメラもいつも持って歩く。
だって、産まれちゃった瞬間に、カメラが無いわでは、後で撮り直すわけにいかないもんな。私だって産まれた直後の一枚って写真はあるわけで(私の時代は白黒だ)、この情報の氾濫した現代、お誕生の時の写真が無いなんて、赤ん坊が可哀想だ。

 あとは、ラジオとMD。「まだまだ読む所がたくさん残っている文庫本」。
陣痛が始まり入院してから、いよいよお産開始までの数時間、ひょっとしたら十何時間もの待機時間を乗り切るアイテムだ。
 本当はノートパソコンを持ち込みたいのだが(電話回線につなげればもっと良い)、医療機器への影響等から当然ダメ。

 でもまぁ、家から荷物を手ぬかり無く持ってタクシーで入院、というのがいちばんいいのだろう。  




〜このページのトップへ戻る〜


おすすめ図書

※ここでは「(出産・育児の)当事者度」をつけて紹介しています。
「★★★」は出産・育児の実用向け/「★」は「誰もが読んで面白い」本/「★★」はその中間です
「生きていく願望」
(原題「続・幸福を知る才能」)

(宇野 千代著/集英社文庫)

当事者度 ★
 子育てに限らず、どなたが読んでも損はありません。上質な、心のビタミン。
うちの子どもにゃヘソがある
(まついなつき著/PHP文庫)

当事者度 ★★
 「笑う出産」の著者。この人はもの書きなので、大変なはずの育児をプラス指向で書いていく姿勢とあいまって「おっ。」と思う「何か」がある。なんだか読んでいて元気づけられる。
 「子育てってどういうもんだ?」とちょっと思ったら、老若男女問わず、読んでみて面白いこと受け合い。文庫本なのでさらにおすすめ度アップ。


〜このページのトップへ戻る〜


◆ 出産・育児サイトのリンク集


クリックすると別ウィンドゥで開きます。
ぴっぴちゃんランド 生まれてくるベビーとプレママを応援するためのサイト。メールマガジン配付中です。
ぷれままクラブ メールマガジン「にんしん生活マガジン」配布中です。

出産・育児サイトをご紹介下さいね!


〜このページのトップへ戻る〜



出産・育児に関わる方も、そうでない方も、ぜひメール下さいね!
野うさぎ茶房店主宛てメールはこちらから


〜野うさぎ茶房メニューに戻る〜