好きな神様は?という人気投票が盛んなようですが、店主がいちばん好きな神様は、この方です。


〜神の巻〜

 交神の儀が終わった。
人間の娘はまだ、夢の中をさまよっている。
「ありがとう福郎太どの。では、これで。一ケ月後に子供を迎えに来ます。」
下界へ降りる準備をする昼子に、鎮守ノ福郎太は訊いた。
「昼子どの、この娘は急いで連れ帰らなくてはならぬのか?」
「えっ、人間の娘などに何のご興味が..?」
「目を覚ました時にそばにいてやりたいのだ。」
「まぁ..。福郎太どのは、格段に心のお優しい方ですね。皆、大義な労働に駆り出されたとばかりに、さっさと帰ってゆくものだと思っていましたよ。」
「俺は、そのような事はせぬ。」
福郎太は、娘の髪にそっと触れてその寝顔に見入りながら、答えた。
「では、月が終わるまでにもう一度迎えに参ります、..といっても人間にとっては天界での半月は瞬く間でしかないでしょうが。」
「あぁ。かたじけない。」
「では。」
昼子は、まばゆい光の筋に身を変じ、下界へと帰って行った。

「う..うーん..」
「目が覚めたか?」
娘は、半ばまだ夢うつつのままで薄目を開けた。
すぐそばに、深い深い瞳がまばたきもせずじっと彼女を見つめていた。
「..あっ。」
眠りに落ちる前の状況を思い出したらしい。娘の頬が徐々に紅に染まってきた。
福郎太の純白の羽根が、ふうわりと、娘の肩を包んだ。
「...俺が、怖いか?」
反射的に身をすくめる娘の顔をのぞき込んで、福郎太は訊いた。
その声に、森を吹きわたる太古の風の響きを、娘は聞いたように思った。
「いいえ、怖くありません。..あなたの羽根は暖かいわ。」
「よく顔を見せておくれ。..そなたは美しい娘だな。」
「あ...。」
ちょん、と指先で頬を突かれ、娘はまた赤面する。
「鎮守ノ福郎太さま..」
「福郎太、でいい。」
「福郎太さま..。」
「そなた、名はなんという?昼子どのは、名乗るに足らぬなどと言って教えてくれなかった。」
「はい、...華恋、と申します。」



 こうして、華恋は神と恋に落ちた。
福郎太と過ごした蜜月はあまりに短かった。
一晩、恋人の腕の中で過ごしたと思っていたら、もう、月日が流れて、交神の月は終わろうとしていた。
「天上では時間が早く過ぎるのだ。」
甘やかな睦言の合間に、福郎太は、ある人間の男の話を聞かせてくれた。天上に招かれて楽しく過ごして、下界に帰ってみたらた何百年もたっていたという話だ。

「そのようにならないうちに」と、福郎太は華恋を下界に送り届ける、と言った。
「昼子どのと入れ違いになったら申し訳ないが、そなたに俺の森を見せたいのだ。」
福郎太は下界に親しんでいる神だ。自分の治める森と天界とを行き来して暮らしている。
「しっかりつかまっていろよ。」
「はい。」
華恋が福郎太の首に腕を回すと、福郎太は大きな羽根をいっぱいに拡げ、飛び立った。
白い光がその体を包む。
「華恋、見ておくれ、これが俺の力だ、これが俺の姿だ。」
バサッと一つ大きくはばたくと、福郎太は巨大なシマフクロウに姿を変えた。
純白の羽根はまばゆく輝き、大きな瞳はトパーズのようにきらめいている。
美しく力強い、神の鳥の姿だった。

福郎太は一気に下界へと降りた。
ふいに視界が開ける。
眼下にどこまでも広がる、深い緑の森。その中を曲がりくねって流れる川。
その川で、大きな熊が魚を捕っている。
鹿の群れが鳴き交しながらはるか尾根を越えて行く。
ちょこちょこと、小さなリスが木の梢を跳び移る。
そこは、太古から連綿と続く、豊かな森だった。
小さな集落に暮らす人々が巨鳥の姿を仰ぎ見て、口々に呼びかける。
「コタンクルカムイ..と呼んでいるわ?」
(そうだ。それはこの民が俺を呼ぶ名だ。華恋よ、俺はこの北の民が好きだ。だがお前の事は、もっともっと好きだ。)

雄大な自然のもと、華恋も胸にこみ上げる想いをありったけの声に出して応えた。
「福郎太さま、好きよ。あなたが、大好き。」
このままいつまでもあなたといたい、と言いたかった。
だが、華恋の心の中で、それを引き止める思いがあった。
(私が戻らねば、皆が困る。)
華恋は、やはり紅后の娘だった。
(さぁ、..名残り惜しいが、もうお帰り。..安心しな、俺が守ってやるよ。)
気が付くと、華恋は自分の屋敷の庭に降りたっていた。
空を見上げるが、神の鳥の姿はもうない。
「..福郎太さま..」
華恋はしばらく立ち尽くしていたが、やがてあきらめて家に入って行った。



(安心しな、俺が守ってやるよ。)
福郎太の言葉が何度も思い出されて、華恋はまた一つ、ため息をつく。
「福郎太さまに会いたい..」
二度と会えぬ事とわかっているだけに、切ない、辛い恋だった。
「華恋さま、..お食事は召し上がっていただけましたか?」
襖の外からイツ花が声をかけ、静かに入ってくるが、kまったく手つかずの食事の膳を見て眉を曇らせる。
「華恋さま..お辛いのはわかりますが、少しは何か召し上がらないと。」
「大丈夫。..出陣には差し支えないようにするわ。」



遠征中も、華恋はややともすると物思いに沈みがちだった。
「華恋どの、ご気分はいかがですか」
玉吉は年下の華恋に対してさえ、礼儀正しい。そのまなざしには一族の者を案ずる誠意があった。
「ありがとうございます、玉吉兄さん。」
「華恋どの..恋をしておいでなのですね。それも本当の。」
「..はい。」
玉吉はそれ以上何も言わず、華恋に励ますようなまなざしを向けると立ち去った。

戦闘が始まった。
手強い敵だった。
薙刀を閃かせ、華恋は戦った。
地を這うもののけどもを華恋が平らげた直後、上空から黒い影が前列を急襲してきた。
「華恋どの、危ないっ」
玉吉は横っ飛びに跳び退いて、襲撃を辛うじて逃れた。
「カラス天狗だ、華恋、伏せろっ」
流水珠が弓矢で狙うが、華恋に当たりそうで矢を放てない。
「きゃーっ」
カラス天狗の鋭い鉤爪が、華恋に襲いかかる。
その時。
一条の白い光がさっと射し、カラス天狗がギャッと悲鳴をあげた。
(雑魚め、立ち去れ!)
ヒーッと鳴いて、カラス天狗は逃げ出した。
「あっ..福郎太さま..」
いらえはなかった。

「華恋どのっ」「華恋、無事かっ」
皆がバラバラと駆け寄ってくる。
(福郎太さま...ありがとう)
撒き散らされたカラス天狗の黒い羽根に混じって一枚、大きな白い羽根が落ちていた。
華恋はそれを手に取ると、そっと頬ずりした。











 






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