[一文無しで正月を迎えなければならない]
ブリキ屋のおとッつぁんに扮した
役者の狂乱的演技は
いくらか喜劇的でもあったのだ。
だがその可笑しさに、
浅草の客は決して笑わないのであった。
笑わないどころか、見ると、私の前の、
何かの職人のやかみさんらしいのが、
すすけた髪のほつれ毛が
顔にかかるのにもかまわず
肩掛けで眼を拭っているのである。
あちこちから啜り泣きが聞こえる。

(おお、浅草よ。)

私は感動に胸を締めつけられながら、
浅草というものに、――
その実体は分らない、漠然としたものだが、
浅草というものに、手を差しのべたかった。
差しのべていた。

(やっぱり浅草だ。)

思わずそう心の中で呟いた。
何か宙に浮いたような、
宙で空しく藻掻いているような
私を救ってくれるのは、浅草だ。
やはり浅草に来てよかった、
そんな気がしみじみとした。
私は泣きたかった。うれしいのだ。


高見順『如何なる星の下に』より