「図書館/団塊世代/小説論」創作ノート6

2003年8月〜

8月 3月 4月  5月  6月  7月


08/01
本日もやや涼しかった。散歩に行こうと思ったがいつも三軒茶屋では飽きるので、妻を誘ってお台場へ行く。海底トンネルが開通しているらしいので環七で行ってみたが、平和島から先、トラック群にとりまかれて、快適なドライブではなかった。海底トンネルは面白かったが、やはりいつものように環六で行くべきだ。海岸を散歩し、アイスクリームを食べて帰る。

08/02
先月に引き続いて、桜間真理さんの能公演で解説を務める。今回も三田和代さんの朗読とセット。場所が横浜なので、時間の見当がつかなかったが、ぴったりの時間に到着。今回は敦盛の話(「生田」)なので、「平家物語の時代背景」と題して、平家の興りなどについて話す。時間が30分なのでコンパクトに話すために集中力が必要だ。終わったあと、公演を見るのが楽しみ。琵琶、狂言、能、すべてが愉しめた。姉と別れて妻と中華街へ行く。生ビール2杯。これから仕事もする。このノートを書くのはだいたいいつも午後11時から12時くらいなので、ノートをつけてからまだ一仕事する。来週はけっこう忙しい。明日の日曜は量的に仕事をしたい。

08/03
日曜日。暑い。三軒茶屋まで歩いてみたが、これが日本の夏だったなと思い起こした。去年はこんな猛暑の中を、スペインから来た孫をつれて歩き回ったなと懐かしかった。今年は孫も来ないし、何のイベントもない夏だが、公用が多くてスケジュールが遅れ気味の自分の仕事を、何とか前進させたい。6月に1度試運転した書斎のエアコンを、本格的に稼働させる。この家を建てた時(1986年)につけたエアコンだが、まだ動いているから不思議だ。その前年にタイガースが優勝したのだから、はるか昔というべきだろう。その翌年もまだ阪神は強くて、わたしは昔の野天の後楽園球場で酒を飲み過ぎて階段から落ちて負傷した。小学生の次男が家までつれて帰ってくれたのだが、わたしはバースの逆転ホームランが後楽園の夜空に消えていくイメージからあと、記憶がまったくなくなっていた。ちなみに投げたのは江川で、原と中畑が連続エラーをしたことは記憶に残っている。このパソコンはリビングルームにあって、ここはエアコンが動いていない。暑いといやなことを思い出す。本日はここまで。

08/04
貸与権協議会の記者会見に出席。NHKの7時のニュースにわたしの顔が20秒ほど映った。

08/05
久しぶりに会議のダブルヘッダー。朝10時からの会議はつらい。書協は昨日も行った。ここの職員になったみたいだ。午後はオペラシティーの著作権情報センター。初台からは京王線だけで自宅に帰れるので、おうちが少し近くなった感じがする。どうでもいいことだが、夜中のテレビ放送が、地上波デジタル放送の実験で中止になるのは困る。テレビをつけっぱなしにして仕事をするので、テレビがないと寂しい。それにしても、その放送休止の間、1、3、6。12チャンネルはエッフェル塔、4、10チャンネルは畳んだセーターの写真、8チャンネルは花をもった女性の写真が、ずうっと映り続けていたのだが、そこに何か意味や理由があるのだろうか。

08/06
本日は文芸家協会で、保護同盟、文化庁との恒例の会議。2月から続けてきたこの会議も、保護同盟との譲渡契約が締結されて、ついに今回で終わりだ。文化庁のお役人に3名以上に毎回、麹町までご足労いただいた。ありがたいことである。著作権管理事業の契約書が、ついに自分のところにも送られてきた。感慨無量。

08/07
勁草書房の担当者来訪。「図書館」の本、届く。ずいぶん時間がかかったが、いい時期に本が出せた。ここには図書館問題についての、自分なりの提案が書かれている。文芸家協会の知的所有権委員長としての仕事の実務と、この問題に関する見解があって、三田誠広という書き手の人生の中の一断面が描かれているので、私小説みたいなものだ。
世田谷郵便局に寄って、スペインに送る荷物を出してから、三ヶ日に向かう。5月の連休以来、仕事場で仕事をしていない。会議の連続で、仕事場へ移動しているヒマがなかった。今回はお盆なので、しばらく仕事場にいられる。何とか公用を片づけて、自分の仕事に専念できる状況になった。三ヶ日に着くと、暗くなっていた。6月に降った大雨のせいか、家の中に雨漏りのあとがある。掃除に時間をとられた。

08/08
夜中に豪雨。ダイニングテーブルの上に雨漏り。台風が近づいている。築22年の木造家屋だから、多少の雨漏りは仕方がない。昼間は陽射しが出て暑い。農協で買い物。あとは仕事。三ヶ日に来ると電話もかかってこず、仕事がはかどる。夜中、台風が近づく。家が浮き上がるような感じ。四方八方で雨漏り。

08/09
まだ台風。真夜中に目がさめて寝られなくなった。明け方まで仕事をした。三ヶ日に来るとこういう時差ボケが出る。しかし仕事はどんどん進んだ。8章が終わる。夜が明けてから仮眠。昼前に目が覚めたがまだ雨。午後、ようやく止んだところに、この家を建ててくれた地元の大工さんが来る。雨漏りの箇所を見てもらう。建て替えたら? などと言われたが、この家にはいろんな思い出がしみついているので、壊すわけにはいかない。犬の思い出がいちばん多い。その次は息子たちの思い出。仕事をした思い出もある。夕方、湖岸を散歩。猪鼻湖。かつて見たこともないほど増水していた。この猪鼻湖は浜名湖につながっていて、浜名湖は海につながっているから、増水することはないはずだが、川から流入する量が多いので、捌けていかないのだろう。日没直前、急に湿気がなくなって、爽やかな風が吹き始めた。快適。空気が澄んで、浜名湖の対岸の舘山寺がくっきりと見える。9章もあとわずか。朝から晩までひたすらキーボードを叩いていた。このぶんだと、あと数日で草稿が完成する。

08/10
台風一過。雲一つない晴天。暑い。鷲津のイオンに行く。ここはスズキの工場があり、ブラジル系の人が多い。店にもポルトガル語の表示がある。去年は長男の嫁のエレーナがいて、表示を見ながら何かぶつぶつ言っていた。スペイン人がポルトガル語に接すると、われわれが東北弁に接したような感じになるのだと思う。日曜日なのでけっこう人がいたが、それでも広大な駐車場のごく一部に車が並んでいる程度。浜名湖の南岸に近い場所なので、どこまでも平地が続いていて、広々としている。
暑いけれどもひたすらワープロに向かっていた。9章が終わり、10章に突入。最終章だ。ここでは芸術と宗教について触れる。観念的だけれども、こういうものについて述べないと、まとまりがつかない。この本でわたしが言いたいことは、焼き肉を腹一杯食べることを喜びとするような人生は寂しいということだ。必要なのは、ワビ、サビ。侘びしく寂しく生きることが、この世に生まれたことの静かな愉しみである、というある意味では倒錯した世界観を、何とか読者に伝えたいと思う。

08/11
暑い。散歩もせずにひたすらワープロを打つ。妻が鷲津の駅に義父母を迎えに行く。

08/12
「団塊老人」草稿完成。しかもまだ朝のうちだ。三ヶ日に来てから、一日に一章のペースで進んだ。雑用もないし電話もかからない。三宿にいる時は一週間に一章のペースだったのが嘘のようだ。何年か前、夏休みの三ヶ日で、「アインシュタインの謎を解く」一冊を20日ほどで書き上げたことを思い出す。小説でないものは、それくらいのペースで書かないといけない。まだ草稿段階だが、出だしの部分は一度、編集者に見せてチェックしているので、文体は問題ない。もう一度最初から読み返して、かったるいところがないか調べたいが、手応えからすると、大きな直しは必要ないと思う。いずれにしてもしばらく時間をおいてから読み返した方がいいので、本日から、「小説論」を書き始めたい。
小説論、とここまで呼んできたが、要するに、小説の書き方の決定版ということ。当然、小説とは何かという考察も入るが、ハウツー的な要素も必要だ。しかしハウツーだけに徹してもしようがない。むしろ、なぜ小説を書くのかという気構えみたいなものを中心に据えたい。
小説の書き方としては、早稲田で教えていた頃に当時朝日ソノラマの編集者だった中村くん(この創作ノートをずっと読んでいる人はご存じと思うが、中村くんは唯一実名で出てくる人物。彼はその後、ソノラマを辞めて、角川、幻冬舎、角川春樹事務所と転職して、いまはバジリコというところにいる。来年はそのバジリコで犬の本を出す予定)が、一年間、教室に通って、授業をテープにとって起こしてくれた。それで本3冊ができて、いまは集英社文庫に入っている(「天気の好い日は小説を書こう」など)。
今回、光文社で新たな本を出すことになったのは、教え子からの依頼。教室の授業は、早稲田の学生が相手なので、少し文学的に傾いていた。しかし小説を書くのは早稲田の学生だけではない。むしろ専門学校の生徒などの書いたものの方が具体性があって面白いし、また定年後に小説を書きたいと思っている人も多い。そういう幅の広い読者を対象に、なぜ小説を書くのか、というところから始めて、この本を一冊読めば、楽しく小説が書けるようになるということにしたい。それにしても、なぜ小説を書くのか。これは難しい問題だ。暑い。三ヶ日は夜は涼しいので許せる。
トンボが大発生している。この三ヶ日の仕事場からは浜名湖が見渡せるのだが、その浜名湖を背景に、トンボが左右に飛翔する。いい感じの風景なのだが、ノートパソコンの画面を見る視界の隅で、トンボがチラチラするのは、やや迷惑。

08/13
猪鼻湖の松林を散歩する。ここはこれまで歩いたことのないゾーンだ。犬が生きていた頃、湖で泳がせた浜があって、そのあたりが、犬との散歩では引き返すポイントだった。去年の夏は、松林の手前まで歩いて、そこから有料道路の端を仕事場まで戻ったりもしたのだが、ここは人は歩いてはいけない道なので、本日は松林の沿ってさらに進んだ。有料道路と、湖岸に沿った自転車道がここは並行している。自転車などほとんど走っていない。1時間の散歩の間、3台が通っただけ。さすがにここに来ると、犬のことを思い出す。去年は孫といっしょだったことも思い出す。しかし歩きながら仕事のことも考える。いまは「桓武天皇」のことを考えないといけないのだが、来年の仕事の段取りも気になるし、著作権問題のことも気にかかる。仕事場に戻ってパソコンでメールを取り込むと、著作権関係のメールがどっと飛び込む。こちらがリゾート地にいる間も、世の中は動いているのだ。

08/14
もう30枚は越えている。1日10枚のペースで進んでいる。これなら1ヶ月で本1冊書ける。三ヶ日にずっといられるわけではないが、三宿に帰ってもこのペースを守りたい。今年は冷夏だ。窓を開けると寒い。本日はずっと雨で散歩にも出られず。真夏なのに夜は鍋を食べる。

08/15
今日も涼しい。ようやく雨が止んだので一昨日行った松林の先に行ってみる。思いがけないトンネルと歩道橋を通って、浜名湖の湖岸まで行けた。この別荘地で仕事をするようになって22年になるけれども、ここまで来たのは初めて。疲れたがいい気分だ。

08/16
雨。傘を差して短い散歩。 08/17
また雨。豪雨の中を散歩。本日はNPOのホームページのための原稿。文芸著作権に関する情報を掲示しないといけない。NPOのスタートまでに何とかデータを揃えておかなければならない。

08/18
突然、暑くなった。義父母帰る。こちらは松林を越えて浜名湖へ。さらに湖岸を少し歩いて、有料道路の料金所まで行く。ここにはハマナコスタというお土産屋があり、三ヶ日ミカン入りソフトクリームというのを売っていた。ものすごく暑く喉もかわいているのに、お金をもっていない。無念。

08/19
朝は晴れているのに、お昼には霧が出てきた。今年の夏は異常だ。また松林を越えて浜名湖へ。本日はコインをもって出る。念願の三ヶ日ミカン入りソフトを食べる。ミカンの味がした。

08/20
妻の運転で富士山へ。叔母さんの別荘。ここは涼しい。去年はスペインの孫を連れて行った。今年は三ヶ日も涼しかったから、あまり有難味がないのだが、やはり富士山は涼しい。

08/21
妻の運転で本栖湖、精進湖、西湖、河口湖と回り、スバルラインのドギーパークというところへ行く。ここは犬を貸してくれて園内を散歩できる。犬がたくさんいる。シベリアンハスキーも2頭いた。暑さで疲れているのか、ひたすら寝ていた。車がパークに近づいていく段階から、胸が痛み始めた。とても借りて散歩させる気分ではない。散歩している間はいいが、別れがつらくなる。

08/22
本日はどこへも行かず、一日中、仕事をする。「小説論」は順調に進んでいる。もう三分の一くらいのところまで来た。かなら難しいことも言っているので、上級者にも読み応えのあるものになっているはずだが、基本的には、初心者向けの小説創作の入門書にしたい。創作するつもりのない人にも、小説とは何かということが、よくわかるような本にするつもりだ。ここまでは、小説とは何かという話を展開してきた。これから具体的に、小説に書き方の話に移りたい。明日は三宿に帰る。三ヶ日と富士山と、半月、三宿から離れていたことになるが、その間、充実した仕事ができたと思う。三宿にいる間というのは、会議などがあって集中力がそがれるが、それも自分の仕事だから仕方がない。このペースをなるべく維持するようにしたい。

08/23
妻の運転で富士山を出発。山中湖から道志村を通って厚木に出る。昔、八王子めじろ台に住んでいた頃、道志村とか秋山村とかの山中をドライブした。わが庭のようなところだが、三宿に引っ越してからは行ったことがなかった。道志村のあたりの道が広くなっていた。新しいトンネルもできてかなり快適だ。しかし少し疲れた。東京は暑い。三宿に到着。郵便物がたまっているので整理に追われる。

08/24
三田和代さんの芝居。「ラブレターズ」は男女二人だけの朗読劇。さまざまな男優、女優の組み合わせで演じられるのだが、細川俊之さんと三田和代の組み合わせは評判がよいようで、何度も再演される。わたしは昔に見ただけで、久しぶりに見た。同じ芝居を時間を置いて観るといつも感じることだが、こちらが年をとったということが痛感される。登場人物に対するこちらの受け止め方が、年齢によって違うからだ。

08/26
久しぶりに三軒茶屋に散歩。書評の仕事が1つあるので昨日、神保町へ行って本を探してきたのだが、帰ってきた途端に別の仕事の依頼があった。それで三軒茶屋の本屋。ここは小さな本屋だから、ここに置いてある本はある程度ポピュラーなものだ。書評する本はこういう本屋で探した方が効率がいい。

08/27
文化庁の委員会の後、妻の運転で軽井沢へ向かう。妻はスペイン大使館などを回る用があり、少し疲れ気味に見えたので、途中で運転を代わる。霞ヶ関で高速に乗ったのだが、まったく渋滞はなかったのだが、旧軽井沢に入って、足止め。天皇の車が通過中とのこと。軽井沢には毎年行く。友人の別荘があるからだが、去年は老犬の介護で行けなかった。この別荘にも犬との思い出が多い。来年書く犬の本には、必ず出てくるはずのシーンがいくつもある。

08/28
この別荘には快適なテラスがあり、いつもここで仕事をするのを楽しみにしている。今回は「団塊老人」の草稿をプリントしたものをもってきた。赤ペンをもって手を入れる。7章までできた。午前中は白糸の滝から小瀬温泉まで4キロの山道を散歩。夕方は友人の運転で草津温泉。天皇はまだ軽井沢に滞在中だが、明後日くらいに草津に行くらしい。道路脇の草刈り作業が急ピッチだった。

08/29
早朝に起きて草稿のチェック続ける。完了。旧軽銀座を散歩してから妻の運転が帰る。東京は暑い。朝チェックした原稿をパソコンに入力。プリントしてすべての作業が終わった。まだ「小説論」が残っているが、このノートは今月で終わる。来月からは「桓武天皇」のノートを始める。

08/31
軽井沢で「団塊老人」のチェックをしていたため、「小説論」の勢いが止まってしまった。担当編集者と三宿で飲み会をして景気をつけたい。それまでは、「桓武天皇」をやることにした。で、9月からは「桓武天皇」のノートということになる。
この半年、「図書館論」「団塊世代論」「小説論」という、論文ばかり書いていたわけだが、小説家だから小説を書かねばならない。その前も、仏教関連の2作だったので、小説に挑むのは半年ぶりだ。まあ、「釈迦と維摩」は小説だが、これは冒頭の部分を創作しただけで、あとは「維摩経」の展開をそのまま踏襲した。オリジナルの小説としては、まさに半年ぶりの作業だ。昨年の夏は、推理小説を書いていたわけだが、これはまあ、つきあいで書いたもので、ヤマトタケル3部作以来の歴史小説になる。全力を投入したい。
「団塊老人」は本日、宅急便で原稿を送った。よく書けている。多くの読者にメッセージが伝わることを祈る。「小説論」はまだ3分の1くらいのところ。この創作ノートは、「桓武天皇」のノートの中に随時書き込んでいくことになる。ということで、半年間にわたったこのノートを終了する。


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