三田誠広の新刊案内2006

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2006 2005 2004 2003 2002 1998〜2001


新刊案内2006

「星の王子さまの恋愛論」(集英社文庫)発売中

「永遠の放課後」(集英社文庫)発売中

「聖書の謎を解く」(PHP文庫)発売中

「父親が教えるツルカメ算」(新潮新書)発売中

「星の王子さま」(講談社青い鳥文庫)11月発売


「星の王子さまの恋愛論」(集英社文庫)

5年前に日経新聞社から出した単行本の文庫化。昨年、原作の著作権が切れたので、さまざまな翻訳が出て、読者が増えたことを想定して、この一種の解説書も文庫化することにした。原本を書いた時点では内藤濯さんの訳しかなかったが、文庫化にあたっては集英社文庫版の池沢夏樹さんの訳にも言及した。


「永遠の放課後」(集英社文庫)

書き下ろし文庫の青春小説。「いちご同盟」を集英社文庫に入れた時に、担当編集者に「三部作」にすると約束したらしいが、記憶はない。しかしその後、「春のソナタ」を文庫化した時に、カバーに「高校編」という文字が入り、「いちご同盟」のカバーは刷り直して「中学編」という文字が入った。すぐに「大学編」も出るということだったのかもしれない。しかしわたしはそんな約束はきれいに忘れていた。去年、その編集者に、「定年までに書いてくれ」と言われた、急遽書くことになった。「大学編」であるが、新しい担当になった若い編集者は、そんなダサイ説明は入れずに、前2作も含めて、統一した感じの新しい装丁で出してくれた。大学生の話だが、中学生の頃から話が始まるので、「いちご同盟」のいまの読者にも読んでほしい。


「聖書の謎を解く」(PHP文庫)

文春ネスコから出したシリーズの第2弾。いまは聖書ブームなので、ちょうどよいタイミングである。


「父親が教えるツルカメ算」(新潮新書)

「団塊老人」に続く新潮新書第2弾。今回は算数の話。算数の面白さがわかると同時に、算数の大切さもわかる。子供に算数をちゃんと教えないといけないという危機感をもってもらいたい。同時に、算数を通じて、父と子の絆ができればと思う。


「星の王子さま」(講談社青い鳥文庫)

サン=テグジュペリの名作。初の翻訳である。フランス語は多少は読めるが、流暢にしゃべれるほどではない。子供向けの作品なので、難しい構文はなく、辞書で確認しながら何とか翻訳できた。子供向けの文庫なので、抽象語が使えない。responsableを「責任」と訳すことができない(「つぐない」と訳した)。こういう縛りがあったのがかえって面白かった。この作品は童話ではなく、恋愛や友情の大切さを象徴的に描いた奥の深い哲学的な作品である。それを子供向きにどのように語るかがポイントで、最高の翻訳になったと思う。子供だけでなく、大人向けの訳を読んでも物足りないと感じている「星の王子さま」のファンにもぜひ読んでいただきたい。


新刊案内2005

「天才科学者たちの奇跡」(PHP文庫)発売中

「アインシュタインの謎を解く」(PHP文庫)発売中

「空海」(作品社)発売中


「天才科学者の奇跡」(PHP文庫)

物理学の歴史を、「大発見」の瞬間をポイントとして、若い読者に語りたい。最近の中学、高校では、理科離れが進んでいるといわれている。わたしは作家であるが、物理学や化学には深い興味をもっているし、哲学や宗教と同様に、物理学は人間存在の根幹について考える知識の体系だと考えている。というと話が難しくなってしまうが、重力や、電気や、宇宙論について、最初に発見し、考察した人は、いったいどんな経緯でその大発見と遭遇したのか、その着眼の素晴らしさと、当人が感じたであろう驚きや喜びを、人間ドラマを中心とした、読みやすい物語として展開したい。小学校の上級生なら読んで感動できる本を目指したい。


「アインシュタインの謎を解く」(PHP文庫)

以前、文春ネスコで出した本の文庫版。文庫化にあたって必要な箇所を書き直した。「天才科学者の奇跡」とあわせて読んでいただければありがたい。


「空海」(作品社)

空海の生涯を描いた作品だが、一種の青春小説だと見てほしい。世界とは何かという巨大な問いに、ひとりの青年が挑む姿を丹念に追いかけている。法華経、華厳経など、既存の仏典を読み込んでいく作業と、山岳修行が、彼を途方もない地点にまで押し上げていく。歴史上の人物なので、資料は活用しているが、空海には謎の期間がある。少年時代から遣唐船に乗り込むまで、わずかに大学の学生であった期間を除いては、何をしていたかまったくわかっていない。その少年時代と、青年時代を、作者の想像力で鮮やかに描いている。そのフィクションの部分の先に、歴史的な偉業が語られる。仏教徒にとっても、意義のある作品になっていると思うが、むしろいかに生きるべきかを追求した青春小説として読んでいただければと思う。


新刊案内2004

「こころに効く小説の書き方」(光文社)発売中

「桓武天皇/平安の覇王」(作品社)発売中

「団塊老人」(新潮新書)発売中

「犬との別れ」(バジリコ)発売中

「ユダの謎キリストの謎」(祥伝社NONブックス)発売中


「こころに効く小説の書き方」(光文社)

小説の書き方の決定版。小説の書き方の本としては、大学の講義録をまとめた朝日ソノラマの単行本「天気の好い日は小説を書こう」のシリーズ3冊が、集英社文庫に収録されているのだが、これは大学生を相手にしているので、ある程度の知識をもった若い人をターゲットにしている。もっと幅の広い読者に向けての小説の書き方の基本というコンセプトでこの本を書き始めた。専門学校の学生や高校生から、定年退職やリストラで小説を書きたいと希望する高齢者までを対象に、小説の書き方の基本と、やや上級者向けの理論をわかりやすく書いたもの。おりしも芥川賞の受賞作がベストセラーになっているが、この本には芥川賞の傾向と大作も書いてあるので、時宜を得た本といえる。書いている時は、ベストセラーを書くよりも、無人島からビンにつめてメッセージを流すような、孤独な魂の救済について考えていた。悩みや苦しみをかかえた魂が、書くことで自分を深め、結果としては、浄化され、癒される。そのプロセスを語って、孤独な魂をかかえた書き手を励ましたかった。「こころに効く」と題したゆえんである。


「桓武天皇/平安の覇王」(作品社)

本業の歴史小説。今回は桓武天皇が主人公である。わたしが本格的に歴史小説を書き始めたのは「天翔ける女帝/孝謙天皇」が最初だが、この作品のエンディングの部分には、白馬にまたがった桓武天皇のイメージがチラッと描かれている。聖武天皇、藤原仲麻呂、道鏡という、めまぐるしい政権の転換の果てに登場するのが桓武天皇である。桓武天皇は末端の皇族の子息として生まれ、母は渡来人(百済系)である。万世一系の皇嗣としてはもっとも不利な立場にあった若者が、千年の都を築く偉大な帝王に成長していく姿を、絵巻物のような青春小説として描きたかった。主要登場人物だけで八十名を超える大作であるが、主人公の足どりに沿って読み進めば、自然にこの時代の全容が浮かび上がるように配慮したつもりである。作品の最後に、空海が登場するけれども、これは次の作品への橋渡しとなる予告編である。


「団塊老人」(新潮新書)

団塊世代論はすでに数多く出ているが、世代の連帯感を確認しながら、多くは人数が多すぎることの悲哀を語り、結局は愚痴をいって慰め合うといったものが多い。実はわたしが数年前に書いた「中年って何」のその域を出ていなかった。今回はそこから一歩進んで、団塊の世代がこれからいかに生きるべきかという問題に対する、積極的な提言を試みたいと思う。団塊の世代とは何か、なぜ団塊の世代は行き詰まっているのか、団塊の世代に未来はあるのか、というスリリングな問いに対する、わたしなりの解答である。


「犬との別れ」(バジリコ出版)

15年間、つねにわたしのかたわらにあった犬への鎮魂歌である。これは単なる犬についてのエッセーではない。伝統的な文学の手法である「私小説」を試みたいと思う。犬について語りながら、家族について、そして自分自身についても語る。生きるというのは、苦難の連続である。一見穏やかに見える犬との生活の足もとに広がる危機について語りながら、人生とは何かという深いテーマについて考えてみたい。もちろん、犬にまつわるエピソードは満載する。犬好きの人に何よりも読んでいただきたい。


「ユダの謎キリストの謎」(祥伝社NONブックス)

キリスト教の教祖のイエスとはどんな人物だったのか、という基本的なテーマをわかりやすく解説し、とっておきのトリビアなどもまじえながら、楽しい本にするというのが狙いである。とくにイエスの行言の証言者であり、生きたキリストと言葉を交わした12人の使徒に焦点をあて、使徒のキャラクターを通して、生身のイエスの姿が見えるような本にしたい。同時に、現代のわれわれも、1人の使徒として生きていかなければならない。現代にとって宗教とは何かという深いテーマにまで到る、読みやすいキリスト教の入門書として、多く読者に読んでいただきたい本である。


新刊案内2003

「蓼科高原の殺人」(祥伝社文庫)1月中旬発売

「釈迦と維摩/小説維摩経」(作品社)5月中旬発売

「わたしの十牛図」(佼成出版社)5月中旬発売

「図書館への私の提言」(勁草書房)8月下旬発売


「蓼科高原の殺人」(書き下ろし文庫)

友人の作家、岳真也、笹倉明の両氏との競作ミステリー。三田誠広が初めて書いたミステリーであるから、画期的なものではあるが、本格ミステリーというわけではない。400円文庫という制約があるため、かなりコンパクトな作品になった。制約の中で仕事をするというのも面白い体験である。編集部からのオーダーは、旅情ミステリーの競作ということで、岳氏は京都、笹倉氏は上海を舞台としているが、三田の作品は、主人公が蓼科に着いてからは、密室殺人事件となるので、あまり旅情はない。二十年前の青春と、現在とが重なっていく、一種の青春小説である。


「釈迦と維摩/小説維摩経」(書き下ろし)

維摩経は、仏典の最高傑作といっていい。「法華経」の方がスケールが大きいところもあるが、「維摩経」はコンパクトで、しかも文学作品としてのレベルが高い。この作品を小説に書き換えるというのは、壮大な試みである。いままでそんなことを考えた作家はいなかったのではないか。わたしも考えなかった。担当編集者が、小説化を提案した。できるとは思わなかったが、もしできる作家がいるとしたら自分しかいないだろうという自負はあった。そこで挑戦してみたら、意外にすらすらと書けた。まるで維摩経を小説にするために、この世に生まれてきたような気がする。わたしは維摩の生まれ変わりか。小説にするための工夫は、導入部を設けたこと。釈迦の最後の旅という、よく知られた物語から、ごく自然に維摩経の世界に入っていけるようにした。仏教について何の知識もない人にも楽しめるように、わかりやすく書いた。必要な解説も文章の中にとけこませた。この一冊で、仏教のすべてがわかるようにした。そこで法華経や阿弥陀教、禅書などのエッセンスも盛り込んだ。読者は必ず感動し、仏教とはすごいものだと思うはずだ。しかし仏教がすごいのではなく、小説にしたわたしがすごいのだと思ってほしい。


「わたしの十牛図」(書き下ろし)

このテーマも担当編集者がもたらしたもの。この出版社からは以前に「三田誠広の法華経入門」を出した。立正佼成会系の出版社だから、法華経の本しか出さないのかと思ったら、禅書の十牛図について書けという。十牛図というのは、若者が山の中に牛を探しにいくところから始まる、十枚のイラスト集である。まず足跡が見つかる。次の牛の尻が見つかる。綱をつける。やがで自在に操れるようになる。ついに牛に乗って故郷に帰る。そこから先は不思議な展開である。まず牛が消える。次に空白がある。その次は樹木だけがある。最後に老人が若者に何かを語りかけている。この十枚の絵には、禅の極意が秘められている。牛とは、「本当の自分」の象徴である。したがってこの本は、「本当の自分とは何か」というのがテーマであり、十枚の絵をたどりながら、「禅の極意」が解き明かされる。その極意を解き明かすのはわたしであるが、まあ、禅書の「無門関」などを引用して、これが禅だ、というものを読者に理解していただく。それから現代原子物理学の極意を説いて、仏教の存在論がアインシュタインと融合しているところを見ていただく。というわけで、ものすごく奥深い本になった。「小説維摩経」と二冊続けて読むと、確実に成仏できるであろう。


「図書館への私の提言」(書き下ろし)

わたしは文芸家協会で著作権の責任者をしている。現行の著作権法では、作家にとって基本的人権に等しい著作権が「権利制限」というかたちで剥奪されている。人権の剥奪は断じて許せない。とくに、教育機関におけるコピーの問題と、公共図書館における無償の貸与は、ひどい権利の剥奪である。この本は、著作権保護のために奮闘する三田誠広の3年間の軌跡であるが、図書館関係者にぜひ読んでいただきたい。ヨーロッパの各国ではすでに、図書の貸出に対して、著作者に補償金が支払われている。日本だけいつまでもタダにしておいていいものではない。これは利用者からお金をとるということではない。そんなことを考えるのはオランダ人くらいのもの。利用者にタダで本を貸し、著作者にはお金を払う。公共のために税金を投入するのが、公共投資である。タダで著作権を剥奪するというのは、単なる泥棒である。


新刊案内2002

「碧玉の女帝/推古天皇」(学研M文庫)1月中旬発売

「宇宙の始まりの小さな卵」(文春ネスコ)2月下旬発売

「炎の女帝/持統天皇」(学研M文庫)3月中旬発売

「天翔ける女帝/孝謙天皇」(学研M文庫)5月中旬発売

「新アスカ伝説@/ツヌノオオキミ角王」(学研歴史群像新書)6月下旬発売

「新アスカ伝説A/イクメノオオキミ活目王」(学研歴史群像新書)7月下旬発売

「新アスカ伝説B/ヤマトタケル倭建」(学研歴史群像新書)8月下旬発売

「夢将軍/頼朝」(集英社)10月上旬発売


「碧玉の女帝/推古天皇」(文庫版)

女帝三部作の第1弾。書いた順番からいえば3番目。50歳になった時に、本格的に歴史小説を書き始めることにした。その第1弾は「天翔ける女帝」なのだが、そこから時代を遡って三部作とした。今回の文庫化では、時代順に発売することにした。次の「炎の女帝」(3月刊)「天翔ける女帝」(5月刊)と連続して文庫化される予定。この碧玉の女帝は、ヒロインは推古天皇だが、本当の主人公は厩戸皇子すなわち聖徳太子である。実は、作家になった当初から、イエスと釈迦と聖徳太子を書くのが夢だった。イエスは「地に火を放つ者」、釈迦は「鹿の王」で描いたので、聖徳太子が最後に残っていた。この作品によって、夢が果たせた。まぎれもなく、三田誠広の代表作でありライフワークである。


「宇宙の始まりの小さな卵」

「聖書の謎を解く」「般若心境の謎を解く」「アインシュタインの謎を解く」に続く、文春ネスコの「謎を解く」シリーズの第4弾。前回の「アインシュタイン」が好評だったので、もう一度、理論物理学に挑む。要するに、宇宙の始まりについての、わたしの見解を、わかりやすく述べる。宇宙の始まりに何があったか、知りたくはないだろうか。宇宙の始まりについて知らずして、生きていくことはできない、とわたしは思う。そうは思わない人も、ぜひ読んでほしい。宇宙の始まりについて知る(仮説を提出してある程度イメージを描くということだが)ことがいかにすばらしいかが、この本を読めばわかるはずである。なおこの作品は創作ノートでは「ビッグバンの謎を解く」という仮題で進めてきたのだが、表記のタイトルに変更。


「炎の女帝/持統天皇」(文庫版)

女帝三部作の第二弾。三部作の真ん中で、実は書き始める前は何もプランがなかった。聖徳太子と道鏡については書きたいと思っていたし戦略も立てていたのだが、二冊だけでは寂しいので、持統天皇を書くことにした。書き始めてみると、持統天皇の個性が面白く、三部作の中でも、最もまとまった作品になったのではないかと自負している。女帝でありながら、というか、女帝であるゆえにといった方がいいかもしれないが、日本の歴史上、最も強い権力を握った天皇であるといえるし、ほとんど独裁者といってもいい。その背後には、藤原不比等がいるのだが、不比等はまだ若い。この作品では、万葉集の歌を引用した。歌が残っているので、登場人物の歴史的な実在性が補強されることになる。とくに有間皇子のくだりが、効果的だった。この作品では、さまざまな悲劇が描かれているが、大伯皇女の歌はとりわけ痛切である。自分ではいい作品だと思っているが、あるいは、歴史をそのまま書いただけかもしれないという気もする。作者の空想の部分が少ないということ。この作品では、登場人物の誰も空を飛ばないし、奇蹟も起こらない。額田女王に予言能力があるということが、唯一のオカルト的要素だ。


「天翔ける女帝/孝謙天皇」(文庫版)

三部作の最後だが、書いた順番からすれば、最初に書いた作品。歴史小説を書くということに、まだ慣れていなかったので、構成が少しこみいったものになった。前半は孝謙天皇の視点で書かれ、途中から道鏡の視点となり、二人が出会ったところから客観描写になる。そのため、前半は少女小説みたいで、途中から宗教小説になり、最後は客観的な歴史の記述になる。そういう構成が面白いといえばいえるが、読者は戸惑うかもしれない。この作品の主人公は道鏡であるが、脇役として、吉備真備が魅力的に描かれていると思う。「炎の女帝」の藤原不比等のような人物で、歴史を陰で操る黒幕である。行基も魅力的な人物として登場するし、良弁とか鑑真とか、いろんな人物が出てきて、それなりに歴史の雰囲気が出ていると思う。オカルト的な要素は強いが、歴史の面白さも押さえてある。エンディングのあたりは、自分でも気に入っている。


「新アスカ伝説@/ツヌノオオキミ角王」

新しく始めるシリーズの第一弾。「新アスカ伝説」というのは、都がアスカに移されるまでの長い物語という意味で、この第一巻の舞台はアスカの少し北にあたるマキムクである。主人公は額に角のある英雄で、ミマナからケヒの浜に流れ着く。そこから物語はものすごいスピードで進行する。神さまやモノノケが次から次へと登場する。アニメやゲームを意識したファンタジー的な作品ではあるが、三田誠広の哲学もちゃんと入れてある。主人公とオオナムチ(大国主)が出雲の神殿で対決する場面は、哲学小説的な盛り上がりを見せる。理屈っぽいことが嫌いな読者は、ここのところだけ飛ばして読んでいただければ、その他の部分は、マンガ的にすらすら読めるようになっている。三田誠広としては初めてのはノベルス版(新書サイズ)である。不況で高価な本が売れないということもあるし、読者に経済的な負担をかけたくないという思いもあるが、より多くの読者と出会いたいという作者の切なる願いで、いささか冒険ではあるがノベルス版に挑むことにした。読み始めたらやめられない面白さがあるし、読み終えた後、胸の奥に重いものが残る、深くておいしい小説になっていると思う。


「新アスカ伝説A/イクメノオオキミ活目王」

第二弾。この巻は、いわばつなぎである。第一巻では日本の歴史上、最大のスーパースターを描いた。第三巻の「ヤマトタケル」も別の意味でスーパースターだ。両雄にはさまれて、この巻の主人公はいささかツブの小さいキャラクターである。そのため、脇役であるはずの英雄マワカノオオキミの方が目立ってしまっているかもしれない。主人公が二人いると考えてもらってもいい。この二人に、二人のヒロインがからんで、かなり複雑な三角関係、つまり四角関係が発生する。今回も戦闘シーンはたっぷりあるけれども、基本は男女の恋愛であり、その意味では典型的なロマンスである。長いシリーズの中には、そういう巻があってもいいだろう。この作品では、神楽の起源、相撲の起源、埴輪の起源、伊勢神宮の起源などが描かれる。そういう歴史を背景として、ロマンスがダイナミックに展開する。面白くて、少し悲しい、美しい作品に仕上がっていると思う。


「新アスカ伝説B/ヤマトタケル倭建」

第三弾。これまでの主人公は、歴史的な呼び方でいうと、崇神天皇、垂仁天皇なのだが、そんな天皇の名は誰も知らないだろう。誰も知らないから、作者が自由に空想してファンタジーを描くことができた。ヤマトタケルは有名人である。ようやく知っている人物が出てきたという感じだ。ヤマトタケルは舞台やオペラにもなっているし、マンガも出ている。それだけに、既存のイメージと同じでは面白くないという意識が働いて、かなりユニークなキャラクターとして描くことになった。話のスケールは三つの作品の中で最大であるし、テンポがものすごく速い。中身がいっぱいつまっている。まあ、この作品を書くために、このシリーズを始めたといってもいい。いちおう三部作と考えてここまで書いてきたのだが、できればこのシリーズをもっと先まで書いていきたい。ノベルス版を支えるだけの読者と出会えるかどうかがカギになる。


「夢将軍/頼朝」

頼朝を主人公にした小説はあまり書かれていないように思う。義経は人気者だし、妻の政子も魅力的に描かれることが多い。頼朝は陰気で冷酷な敵役か、そうでなければ影のうすい人物として、脇役で登場するだけだ。この作品では、頼朝を魅力的に描きたかった。頼朝は京で生まれた文弱な人物である。義経のように武術を鍛錬したわけではないので、武士ではなく、むしろ文官としての戦略とリーダーシップにたけていたというべきだろう。そのことのすごさと、文弱であることのウィークポイントを正確に描き、リアルな人物像を描き出した。脇役として、門覚と西行が活躍する。門覚は一種のユーモラスな狂言回しとして、西行は裏で暗躍する影のスーパースターとして描いた。「清盛」で影の陰謀家として異彩を放っていた後白河法皇が、この作品でも魅力的な登場する。個性をもった人物像が交錯するところに、歴史の面白さがある。その面白さは充分に読者に伝わると思う。

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