「青春小説」創作ノート2

2005年10月

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10/01
土曜日。またクラフトを見に行く。昨日泊まったペンションに、焼き印を売っている人がいたので、焼き印を買う。午後は陶芸を見に行く。海岸を散歩。

10/02
日曜日。クラフトのそばを通り過ぎて、本日は自宅に戻る。伊豆の道路は渋滞しやすいので、山岳ドライブ。三宿に戻って仕事。

10/03
書記局、教育NPOの人々と待ち合わせをして、文化庁著作権課を訪問。われわれの取り組みについて説明する。昨日までは伊豆高原でオフだったので、頭がきりかわらない。疲れて地下鉄の二重橋駅まで来て、思わずエレベーターに乗ってしまった。閉じこめられるおそれがあるのでエレベーターは避けているのだが。しかも、唐木田行きが来たので下北沢まで乗ってしまった。ふだんは表参道で乗り換えるのだが、小田急の直通が来ると、そのまま下北沢まで行ける。下北沢から歩くと十分ほど余分に歩くことになるが、緑道を通るので散歩だと思えばいい。

10/04
何事もなし。明日から大学の後期が始まる。疲れそうなので、本日は散歩もやめて明日に備える。

10/05
大学。後期の最初の授業。疲れるかと思ったが、最初なので雑談をまじえて話すことがいっぱいあって思ったほど疲れなかった。しかしその後、亀有まで行くのは疲れた。三田和代さん出演予定の井上ひさし作「薮原検校」だが、わが姉は病気でダウン。代役を立ててもらった。長い旅公演の初日だったが、姉はまだ入院中。かなり動きの激しい芝居で、還暦をすぎた姉にはタフな仕事だった。病院でゆっくり休んだ方がいい。芝居そのものは面白かった。亀有のホールは立派だったが、自宅からは遠い。以前、次男が土浦に住んでいたことがあり、花火を見に行ったこともある。土浦、柏、流山などで講演したこともあるが、やっぱり遠いし、中央線や小田急線に比べればなじみがうすい。帰りの電車は唐木田行きで、下北沢まで一本で行けるのだが、妻といっしょなので、北千住で乗り換えた。北千住から池尻大橋までも乗り換えなしなのだが、それでも遠い感じがした。

10/06
ペンクラブで中国訪問についての打ち合わせ。5人ほどのメンバーで中国に行くことになっている。面識のある人ばかりなので、問題はないが、中国に行ったことがないのはわたしだけなので、皆さんについていくだけだ。それから大学。昨日の学生の宿題を見たりして時間をつぶす。夜間の授業。最後に疲れがドッと出た。昨日、亀有まで行ったのが応えた。亀有は遠いし、北千住の駅で迷って歩き回ったりしたので、足に疲れが出た。

10/07
本日は自宅でインタビュー。公用はない。やれやれ。明日から三連休だ。「お父さんの算数」を一気に完成させたい。

10/08
土曜日。連休だがひたすら仕事。「空海」のゲラ届く。うーん、ついに来たか。だがまだ頭の中はツルカメ算だ。

10/09
日曜日。妻と三軒茶屋まで散歩。この週末はお祭り。茶沢通りのゴリラビルの前から横に入る道があり、その奥にある八幡神社まで、かなり長い道路がある。そこに店が出る。雨上がりで一気に人が出たのか、ものすごい混雑。時々、お神輿や太鼓が通る。三軒茶屋は町内会がいくつかあって、競い合って神輿が出る。さて、こちらはひたすら算数。ゴールは見えてきたが、まとめが難しい。

10/10
体育の日で休日。昨日は四日市にいる次男夫妻が来た。先輩の結婚式のパーティーということで、夜遅く到着。何と自宅に荷物だけ置いている野辺山電波天文台の甥が、北海道からの学会の帰りで泊めてくれといってきた。老夫婦二人の生活に、いきなり若者3人が加わったので、いささか疲れた。で、嫁さんが、パソコンにカメラをセットしてくれた。同じカメラをすでにスペインの長男のところに送ってある。で、夜中に妻と試しに交信してみたら、音声がとぎれがちではあるが、ちゃんと映像は見えた。生まれたばかりの2人目の孫である。長女の方は幼稚園に行っている時間帯であったから不在。今度は長女のいる時間に交信したい。テレビで宣伝している自宅で英会話、といったのと似たようなカメラだが、スペインにつながるというのはすごいものだ。まあ、インターネットだから、世界中につながるわけだが。しかし、何かすごく疲れた気がした。スペインの遠さをなぜか感じてしまった。

10/11
昨日から、某サイトで日記を公開することになった。まあ、連載ページをもったようなもので、いま書いているこの日記とは違う、読まれることを念頭に置いた文章を書く。こちらも誰かには読まれるのだろうが、原稿料をもらうわけではないので、いいかげんに書いている。サイトに出す方は、原稿料がもらえる。しかし、メモ帳に日記みたいなものを書く点では同じだ。書いていて、何か調子がおかしいな、と思った。原稿を書く場合は、改行する時はリターンキーを押すだけでいいが、いま書いているこれはハイパー・テキストなので、改行の時は、BRという文字をカギではさんで書き込む(実際にそれを書くと改行してしまうので書けない)。辞書登録してあるので、「ぬび」というカナキーを打つとこのマークが出る。ちなみに、「ぬぴ」は1行アケ、「ぬひ」はラインで区切る。なぜ「ぬ」かといえば、かなのキーボードの左上で、めったに使わないからだ。「び・ぴ・ひ」というのは、「B・P・H」に対応している。ハイパー・テキストのコマンドがそうなっているからだ。このハイパー・テキストというのは、誰が考えたのか知らないが、なぜこうなっているのかよくわからない。ホームページ作成のソフトや、ブログ作成なら、こういう手間は要らないのだろうが、そんなものがない時代からこのページを書いているので、クセになっている。で、その原稿料をもらう日記の方を書いている時、改行の度にコマンドを打ち込んで、それから消す、ということを何度もやってしまった。そこが何となく、奇妙なところである。
集英社の担当編集者と三宿で飲む。いよいよ本日から、青春小説を本格的にスタートする、とその編集者には言ったのだが、まだ算数の本が完成していないし、「空海」のゲラもかかえている。実は、まだスタートはできないのだ。

10/12
大学。後期の2週目なので少し慣れた。「お父さんの算数」ツルカメ算など算数についての記述が終わり、あとは結びを書けば草稿完成。が、結びは全体を読み返してから書いた方がいいので、プリントして読み返すことにする。ただし、少し時間を置きたい。ということもあるし、「空海」のゲラが出ているので、これから数日は、「空海」のゲラを読む作業にあたる。

10/13
大学。本日は夜間だが、ゲラをもって昼過ぎに研究室に入る。この研究室は眺めがいい。客員教員は2人部屋なのだが、今シーズンは相方がいないので、2人用の部屋を1人で使える。もう少し近ければ毎日通ってくるのだが。「空海」のゲラ、1章、完了。非常にいい文章である。展開も問題ない。編集者の指摘で、仏典の記述がやや長いところをカット。この作品は空海の青春小説であるから、空海が仏典を勉強して視野を広げ、世界観を構築していくプロセスをたどる必要がある。つまり既存の仏典を読む過程をたどらないといけないので、仏教になじみのない人にはやや煩雑かもしれない。しかし、仏教に興味をもっている読者も少なくないはずで、この一冊を読めば仏教のすべてがわかるという本にしたい。もっとも空海の時点では、禅宗も浄土宗もないので、おのずと限定的なものになるが、しかし、密教というすごい世界がこの本を読めば見えてくる。と、自画自賛する。

10/14
本日は公用なし。三軒茶屋へ散歩。西友で犬のバーゲン。見るだけ。

10/15
電気屋が来て修理。テレビの地上波デジタルが見えなくなった。テレビの本体が壊れたかと思ったのだが、ブースターが壊れたとのこと。とにかく見えるようになったが、新しいブースターを入れたのでお金がかかる。そもそもブースターなどというものがなぜ必要なのかよくわからないし、壊れたといわれても、不良品なのか、偶然に壊れたのか、よくわからない。まだ2年の経過していないのである。コーラスの練習。軽く飲む。「空海」のゲラ、3章の半ばまで。明日は日帰り出張であるが、飛行機の待ち時間などに、ゲラは持参したい。

10/16
日曜日。出雲で日帰り講演。疲れたが、飛行機の中や待ち時間にゲラを読めた。3章完了。ここまではよくできている。

10/17
本日は公用なし。矯正協会の選考の締め切りが迫ってきたので作品を読み始める。これは現在、社会復帰を目指して更生中の人々の文芸作品のコンクールで、予備選考を経た作品を読んで、甲乙をつけなければならないのだが、今年は作品のレベルが高く、入賞者を決めるのに苦労をした。同じように作品を読み、評価をつけるという仕事を大学でもしているわけだが、小説家のプロを目指している学生の方がレベルが低いと感じる。人生経験が少ないから無理もないのだが。
ゲラは4章。ここはレベルが高い。歴史的に見ても、仏教哲学の最高峰ともいえる高僧が出てきて議論をするのだから、話が難しくなってしまいそうなところを、何とかもちこたえてわかりやすく書いているのだが、それで話のレベルが下がってはいけない。もうゲラになっているので大幅な修正はできないわけで、もし修正が必要なくらいにレベルが低すぎたり、逆に難解すぎたりしたらどうするかと、読むことに恐怖を感じているのだが、ここまでのところはうまくいっている。これから読む4章の後半が山場なので、ドキドキする。それにしても、3章まではうまくいっている。とくに蝦夷地へ行くところが面白い。空海が蝦夷地へ行ったという歴史的な記録はないが、蝦夷地の平定によって朝廷の財政に見通しがつき、遣唐船の派遣につながるわけだから、空海が蝦夷地の平定に関与するというのは充分にあり得る事態だ。実際は、空海が消息不明になる8年をどうするか、とにかく大きく動いてくれないと空白を埋めることができないので、富士山でも見せよう(ちょうどその時期に噴火している)と思いついて、蝦夷地に行くことにしたのだが、書いているうちにこれはきわめて論理的な展開だと気づいた。小説はこんなふうにして思いがけないかたちでまとまっていくのだ。

10/18
文藝家協会常務理事会。議題が多く3時間もかかった。疲れた。

10/19
大学。空海のゲラを中断して矯正協会の仕事をしていたのだが完了。ゲラに戻る。週末には完了させたい。「お父さんの算数」はプリントしたものを来週の旅行にもっていく。青春小説は11月になってから書き始める。プランは固まっている。

10/20
大学。わたしの授業は出席をとっていない。それでも参加してくれる学生がいるのが嬉しい。「空海」のゲラ、ようやく最終章に突入。ゴールが見えてきた。

10/21
何事もなし。妻の運転でビールを買いにいく。三ヶ日の仕事場にいる時は、よくスーパーに行く。適度なドライブになるからだ。浜名湖の湖岸の眺めが美しい。三宿では、高速道路の高架下の国道246を三軒茶屋まで行くだけで、景色も何もない。車を置くスペースもないので、路上駐車をしてあわただしくビールのケースを運ぶ。それだけだ。しかし毎日3個ほど飲むので、時々買いに行かなければならない。最近、ウイスキーを飲むのをやめた。つい飲み過ぎてしまうからだ。もう少し生きていたいので、やや控えめにしている。さて、ゲラもそろそろ終わるので、また「お父さん」に戻ることになるが、来週、旅行に行くので、ここまで書いたものをプリントしてもっていく。そう思うと、少し気持ちがゆるんでしまった。青春小説の方も、そろそろ出だしのフレーズを考えないといけない。二つの三角関係が交錯する話になりそうなので、出だしが難しい。何度か試行錯誤することになるかもしれない。

10/22
「空海」のゲラ完了。「お父さんの算数」の草稿をプリント。

10/23
前日、このノートを書いてから、「空海」のエンディングが完全ではないことに気づいた。というか、前から気にかかっていたのだが、これでもいいかというくらいの気持ちでいた。しかしどう考えても、ゴール直前で失速している感じがする。わたしは高校生の時、半年だけ水泳部にいたことがあり、平泳ぎをやっていた。あれはゴール前で力尽きると、本当に止まってしまって、水没してしまうことがある。何とかしなければと考えると、洗面所で歯を研いている時にひらめいた。2カ所ほど大きな書き込みを入れた。これでかなりよくなったと思う。これで本当の完了。
本日は日曜。三軒茶屋で大道芸のお祭りをやっている。妻と散歩。烏山川緑道にクラフトの店も出ていたのだが、伊豆のクラフトフェスティバルに比べれば、出ているもののレベルが低い。まあ、素人の人が多いので、そう思えば面白いものがたくさんあるのだが、お金を出して買うほどではない。大道芸も同様だが、それでも芸人が帽子を回すと、お金を入れる人が多かった。日本の観客はやさしい。去年は中国雑伎団を見たが、これはお金を出す値打ちのあるものだった。今年も招かれているはずだが、時間が合わず。早めに帰ってテレビで競馬を見る。わたしは馬券を買うことはないが、いちおう、ディープインパクトのすごさはわかる。小さい馬が、すいすいと逆転勝ちして、しかもギリギリで勝つのではなく、はっきりと差をつけるところがすごい。抜き去ってからさらにスピードを上げる感じが、何ともいえない。野球の日本シリーズも、何となく結果は気にしている。どうでもいいことではあるが、ロッテの応援団の熱意は立派なものだと思う。

10/24
青春小説の出だしを書いてみた。いくらでも書けそうな気がするので、あわてて筆を止めた。一人称にするか、三人称か、三人称だと早急に主人公の名前を決めないといけないが、まだ何も考えていない。とりあえず「ぼく」でスタートしてあとで置換するか。旅行に出るのでその間、パソコンに触れない。「お父さんの算数」の草稿をもっていくので仕事はできる。飛行機の待ち時間などに意外に集中できる。「空海」の草稿チェックや校正も、飛行機の待ち時間や、新幹線の中が大いに活用できた。青春小説に本格的に取り組むのは11月になってからだが、「書けそうだ」という気分になれたので、気分よく旅行できる。どこへ行くかは、帰ってきたから報告する。

10/25
何事もなし。明日から中国に行くので、そのための準備。必要な原稿はすべて書いて送信した。旅には「お父さんの算数」の草稿をもっていく。草稿をチェックするだけなのでパソコンはもっていかない。荷物を作る。スペインへ行くときは長男の家族にさまざまな土産をもっていくので荷物が重くなるが、今回はわたしだけの小旅行なので、小さなバッグで行く。

10/26
妻に箱崎まで送ってもらい、バスに乗り込む。海外旅行に行く時、このバスに乗ると、ほっとする。旅に出てしまえば、しばらくの間、日常の業務から解放される。もちろん「お父さんの算数」の草稿をもっているので、仕事はしないといけない。早朝なので道路はすいている。予定より早く成田に着く。人はあふれている。日航に乗るのは初めてで、さらにふだんは妻任せで自分で手続きしたこともないので、少し戸惑ったが、日航のブースの中にいた女性にどこへ行けばいいか問うと、自動チェックインの機械を操作してくれた。先日、必要があって銀行振り込みをしたのだが、その時も、自動の機械をそばにいた女性が操作してくれた。人が操作したのでは自動機械の意味がないのだが、それでも窓口に並ぶよりははるかに簡便である。自動チェックインをした人のための荷物預けの窓口が一つだけあって、そこは列がない。荷物を入れて、すべて完了。
チェックインの前に集合ということだったのだが、荷物を預けて身軽になってから集合場所へ。今回の旅は、吉岡忍団長以下、関川夏央、浅田次郎というメンバー。本当は井上ひさし会長が団長だったのだが、ご病気のため急遽不参加。結局、気の合った同世代のメンバーだけになったので、楽しい旅になった。欠員ができたので、ペンクラブ職員の宮川さんが同行。これもありがたい。団長が少し遅れて到着。皆はチェックインに向かったが、こちらは先に出国手続きを済ませて、搭乗口の前の椅子に座って、「お父さん」の草稿を読み始める。飛行機の座席に座っても作業を続ける。北京の空港が混んでいるとのことで、離陸前に飛行機に乗ったまま1時間待たされたが、こちらは仕事をしているので問題はない。離陸してから、約3時間。ひたすら仕事を続けて、半分以上のチェックを終える。この本、うまく書けているか心配したのだが、出だしから算数の問題までの過程がスムーズに流れているので、ほっとする。これで旅が楽しくなった。
北京空港には中国作家協会の李さん、陳さんが迎えに来ている。以後、帰国まで、このお2人のお世話になる。本日は京劇博物館の観光。博物館を見たあと、併設されたレストランで食事、続いて京劇の観賞。ここから帰国まで、ひたすら中華料理。

10/27
現代文学博物館を訪ね、昼はペキンダック。それから北京作家協会の人々と懇談。今回の訪中には、国際ペンクラブと絶縁状態にある中国ペンに復帰を求めるという重大な任務があるのだが、吉川団長以下、熱弁をふるうと、北京作家協会の人々も耳を傾けてくれた。わたしはペンでは一会員にすぎないのだが、日本文藝家協会では著作権の責任者をしているので、日本の状況を説明し、中国の著作権事情について情報交換した。中国は広いので、小説などでも海賊版が出回っているとのこと。日本では映画DVDの海賊版はあるが、小説の海賊版などはない。そこが大きな違いだろう。
今回の旅には、中国演劇に詳しいペン理事の菱沼さんと、神戸学院大教授の中山さんにサポートに加わっていただいている。中国語に堪能なお二人のおかげで、われわれの発言がストレートに相手に伝わったことと思う。

10/28
本日は自由時間。中国が初めてのわたしだけは、李さんに故宮に案内してもらうことになっていたのだが、浅田さん、宮川さん、中山さんも、いっしょに来てくれることになったので、楽しい観光になった。神戸学院大の中山文教授は、大阪出身なので(わたしも高校まで大阪にいた)、いろいろと共通の話題がある。若い頃はすごい美人だった思われる魅力的な女性である。昼は菱沼さんの知り合いの日本からの留学生もまじえて、羊のしゃぶしゃぶ。京劇を勉強している女の子の歌も披露された。午後の自由時間は部屋で仕事。もってきた「お父さん」の草稿を読み終えてしまった。最後のまとめの部分は、新たに書かないといけない。パソコンをもってきていないので(団長はもってきていた)、手でノートに書く。ゲラを手直しする時は手で書き込むしかないし、日記は手書きなので、手で書くことに問題はない。夕刻、ホテルをチェックアウトして北京駅へ。夜行列車に乗り込む。2人部屋の寝台。同室は関川さんだが、わずかな年齢差で関川さんが上に昇ってくれた。考えてみると、今回の4人のうち、わたしが最年長なのだった(吉岡団長とはわざす1月差だが)。食堂車でビールを飲んだ後、団長の部屋に全員(団員4人と中山、宮川の女性2人)が集まって酒盛り。修学旅行みたいな盛り上がり。この6人の全員に、節度のあるユーモアとウィットがあることがわかってきたので、会話の回転が早くなった。

10/29
朝、上海に到着。観光の後、昼は上海料理。その後、上海作家協会の人々と懇談。来るまではよく事情がわからなかったのだが、北京と上海は、ほぼ完全に独立した組織のようだ。だから北京で話したこととまったく同じことを、この上海では伝えないといけない。疲れる仕事であるが、これが今回の旅の任務である。ただの物見遊山の旅ではない。夜はお茶を主体とした独特の料理。中国に来てから、毎日中華料理だが、一つとして同じものが出てこない。中国は広くて多様である。ここでは追加注文で上海蟹を楽しむ。わたしは蟹が苦手なので、残骸が大量に残る。隣の浅田次郎さんは、甲羅まで食べたかと思われるほど、残骸がほとんど残らない。小説の技量では天才的な作家であるが、蟹の食べ方の技量でも常人ではなかった。

10/30
昨日で公式行事がすべて終わったので、気楽になった。本日は蘇州を観光。寒山寺のすぐ横を大運河が流れている。空海もこの大運河を通ったので、蘇州のことは書いたはずだが、どんな書き方をしたのか記憶がない。再校でチェックしないといけない。昼はむろん蘇州料理。これはまた、料理も味付けも、未体験のもの。これまで漠然と「中華料理」というイメージをもっていたことを反省する。日本みたいな狭いところでも、多様な郷土料理がある。中国は広く、長い歴史があるのだから、街ごとに違う料理があるのも当然である。夜は上海に戻って、日本側の主催で、お世話になった李さん、陳さんに返礼の宴会。菱沼さんに、上海のヌーベルキュイジーヌの店を予約していただいた。新しい料理といっても、中華料理ではあるのだが、確かに新しく、モダンで、美味であった。毎日中華料理が続いても、ついに飽きることがなかった。この店は、われわれの主催なので、店にある一番いい酒を飲んだ。20年ものの老酒というものを体験。美味であることは間違いないが、違いを確認するために、10年もの、5年ものと飲んでいくと、違いがわかった。いままでふつうの老酒をうまいといって飲んでいたのは何だったかと思われるほどだが、ワインのボジョレーヌーボーにはそれなりの味わいがあるように、できたばかりの紹興酒もまた捨てがたい。しかし20年ものを飲んでしまうと、これはすごいと思わずにはいられない。ということで、この最後の宴では、酒をかなり飲んだ。団員4人で割り勘で払うのだが、まったく酒を飲まない浅田さんには申し訳なかった。ま、金持ちだからいいだろう。

10/31
上海空港から帰国。だがその前に、空港近くのホテルのレストランで、最後の中華料理。今回は軽く前菜をとってから、麺を食べる。これまでの中華料理では麺は出なかった。ということで、全部で10回食べた中華料理のすべてが、異なる料理であった。成田には妻が迎えに来ている。無事、三宿に戻る。夜は仕事をしようと思ったが、疲れが出たので早めに寝る。

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