「日蓮」創作ノート3

2006年12月

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12/01
著作権情報センターの「著作権パーティー」という宴会。著作権関係者がほぼ全員集まる大きなパーティーである。わたしもよく考えると理事なので主催者側なのだが、何となくお客さんのような気分になってしまうのは、この組織の運営が、録音録画保証金の一部で支えられているからで、文芸はほとんど何も貢献していない。宴会も音楽や映像関係の人ばかりで、作家もいないし、文芸出版社もいない。だが、文壇のパーティーよりも知り合いが多く、挨拶して回るので疲れた。今年はとくに音楽関係者と打ち合わせをする機会が多く、知人が増えた。知人が増えるというのはありがたいことだ。

12/02
土曜日。先週の土曜日は大阪に日帰りしたが、今週の週末はお休み。妻と表参道から外苑まで散歩する。公孫樹はまだ緑っぽかったが、ラッシュアワーのごとき人出であった。それを見ただけで疲れた。どうしてこんな混雑したところへ来るのだろう、と疑問を覚えたが、われわれも来ているのだから仕方がない。われわれは認識が甘く、少し色づいた樹木の下をのんびり散歩できると思ったのだが、ここに来ている人の半分は、混雑しているところに行きたかったのではと思われる。今日と明日は学生の宿題にあてる。本日はレポートを見るだけで疲れ果てた。小説の授業だが小説を書けない学生もいるので、出席をとるかわりに簡単なレポートを義務づけている。月に一度ということなので月末に集中する。登録者は4コマで500人以上いる。読むだけでも大変だが、これを出席簿につける作業が賽の河原の石積みだ。夜中は自分の仕事。某有名作家へのインタビューの質問事項がやって終わったので、あとは「日蓮」だ。冒頭部を読み返してみる。うまくいっている。脇役の成弁という人物を設定したので、日蓮の性格がクリアーに見えるようになった。出てきただけでキャラクターが浮き上がる。冒頭は親鸞との対決なので、ここがいきなり山場になる。こんな小説は他にはないな。埴谷さんの「死霊」のラストの釈迦と大雄の対決みたいだ。

12/03
日曜日。もう12月に突入している。誰でもそう思う時期だろうが、今年が長かったのか短かったのか、よくわからない。まあ、長かった。それだけ日々充実していたのだろうと思う。本日は一人で散歩。あとは学生の宿題の小説を読む。夜中にようやく完了。これから朝まで「日蓮」に取り組めるのが嬉しい。

12/04
日大芸術学部で著作権についての講義。日芸へ行くのは久しぶり。江古田はわが妻の母校武蔵野音大があるので、懐かしい場所である。日芸ではいままで2度、講義をしたことがある。最初は昔どおり西武池袋線で、2度目は有楽町線で行ったと思う。有楽町線の小竹向原からはかなりの距離であった。しかし渋谷、池袋の雑踏の中を通らなくていいのが何よりであった。今回は大江戸線である。江古田はどんどん便利になる。著作権の話を90分でやるのはけっこうきつい。さて、明日はゲストで招かれている宴会が一件あるが、ただ行って酒を飲めばいいだけなので、公用は本日で終わり。来週のシンポジウム(著作権延長反対の人々の主催)は人と話し合うことを楽しめばいいので問題ではない。いよいよ「日蓮」に集中するぞ、と思うのだが、「空海」を書いていた時は空海になりきっていたので、今回も日蓮になりきることになるかもしれない。しかし日蓮は自分と意見の違う人間をけっして許さないキャラクターなので、シンポジウムなどに出るのはアブナイかもしれない。熱狂的に折伏してしまいそうだ。

12/05
書協の出版著作権等管理販売研究会の忘年会に出席。出版社の人々は自分にとっては業界内なので親しい感じがする。先日の著作権パーティーのように音楽業界やIT産業の人たちよりも、自分の仕事に近い感じがする。出版社は半分は利益を追求する集団だが、残りの半分は理念をもっている。そこが他の業界とまったく違うところだ。わたし三田誠広は90パーセントくらい理念だけで生きているので、出版社とはまだ距離があるが、それでも理解できる部分がある。夜中は「日蓮」。冒頭の親鸞との対話。あと一日で完了する。

12/06
大学。これくらいになるとカウントダウンするような気分になる。本日を入れて講義は4回だけ。1月になると宿題についての指導で時間をとられるので、まとまった講義は今月の2回だけになる。中上健次の話などする。

12/07
母の見舞いに行ったあと、大学。仏教の話。仏教は面白いなあ、と思いながら話す。いつものように妻の車で帰る。「日蓮」の序章、昨夜、最後のところでつまずいた。これから修復する。立川方面から三鷹で東西線に乗り換えて大学に向かうと、吉祥寺に住んでいた大学生の頃を思い出した。いったい何年前だ?

12/08
妻とお台場で映画を見る。お台場の映画館はすいているし老人のカップルは一人1000円になる。「武士の一分」静かないい映画だ。キムタク、よかった。

12/09
土曜日。久々にややのんびりした週末だ。「ダ・ヴィンチの謎」のゲラが届いている。ついこのあいだ入稿したばかりと思っていたのに、もうゲラが出てくる。この間、「日蓮」があまり進んでいないので、やや気分的にアセッているのだが、とにかくゲラを見ないといけない。出だしから読み進むにつれて、なかなかにいい文章だと感銘を覚えた。宗教と科学の接点に言及した本なのだが、高校生の頃、レフ・シェストフを読んだ時の感動を思い出した。神秘主義の話をするのはとても楽しい。自分にとって大切な本になるという感じがした。

12/10
日曜日。代々木上原の古賀記念館のホールでアンサンブル・ヴァリエのコンサート。これはスペインにいる長男の聴音の先生が主催する音楽集団で、日本にいた頃は長男も参加していた。以前は下北沢のタウンホールなどでやっていたのだが。いつも会議で出かけるジャスラックの隣である。行きは妻に車で送ってもらうことが多いのだが、今日は妻もいっしょなので二人で行く。わたし一人だと三十分で行けるのだが、妻がいるので少し早めに出た。が、三十五分くらいで到着できた。下北沢のタウンホールよりほんの少し遠いくらいだ。とにかく歩いて行けるのはありがたい。トロンボーン、、ソプラノ、ピアノソロ、マリンバなど多彩な演目で楽しかった。帰りも歩いた。いい散歩だ。学生の宿題を読む。期待した量が出ていない。12月の最終回にドッと出るのか。正月に持ち越したくないので年内に読んでしまいたい。夜中はゲラ。「日蓮」も毎日少しずつやっている。

12/11
早朝(わたしにとっては)から図書館に関する権利者の会議。いったん自宅に帰ってゲラを見る。それからまた出かけて著作権保護期間の延長問題を考える国民会議。これは延長に反対する人々が開いたもので、わたしと松本零士さんは、いわば甲子園に乗り込む巨人軍といった感じ。しかしフェアなシンポジウムであったし、聴衆の中にも味方がいた(甲子園にいる巨人ファン)ので、楽しい集いになった。必要なことは話したが、しゃべりすぎると印象を損ねるという配慮が働いたし、ビジターだから目立ちすぎてはいけないという謙虚な態度を押し通したので、ストレスがたまった。しかし打ち上げの懇談会では、わたしの話を理解してくれた人が何人も支援の言葉をかけてくれたので元気が出た。が、午前中の会議が余計だったので、いささか疲れた。これで今年の行事はほぼ終わり。水曜にわたしのNPOのスタッフと忘年会をするのが最後の仕事みたいなもの。大学も今週で今年は終わり。ゲラは残りわずか。渡すのは来週なので、少し寝かせておいてからもう一度チェックしたい。「日蓮」に集中できる。というか、いまでもわたしの体内に日蓮が半分くらい入っている。思わず大声で折伏しそうになって、自分を抑えるのにストレスがたまった。日蓮って、いやなやつだなーと思う。脇役の弁どのという人物を活躍させて、少し批判してやろうと思う。

12/12
自宅にて新聞の取材一件。散歩にも出ず。冷たい雨。ゲラは終わったが渡すのは来週なので、チェックした部分の再チェックをやりたい。が、あとはPHPの「文蔵」の連載だけなので、「日蓮」を先に進めたい。夜中。冒頭の対話。長すぎることに気づいた。削る方向で検討する。一度書いたものを削るのはつらい。しかも充実した対話である。しかし冒頭部分であるからいかにも重い。次に展開させないといけない。

12/13
大学。この水曜日は午後一番の授業だが、わたしとしては通常より30分ほど早く起きなければならないので、つねにプレッシャーである。今年はこれで終わり。来年2回の水曜日の授業をクリアすると、この仕事から解放される。あとは卒論の口頭試問の日に早起きするだけでおしまい。帰りに文藝家協会に寄って打ち合わせ。難題がいくつもあり疲れる。その後、わたしのNPOのスタッフと忘年会。終電で帰る。

12/14
ジャスラックで打ち合わせ。いつもは妻に車で送ってもらうのだが、美容院へ行くというので、歩いていく。あっ、いまこの文章を書いていて気がついた。妻が美容院に行ったのに反応を示さなかった。これはいけない。が、夜間の授業のあと迎えに来てもらったので、暗くて見えなかったのだから仕方がない。二文も今年最後の授業。同時に、卒論提出の締切。何か予定よりも人数が少ない気がする。卒業しないのかな。今週もハードだった。この夜中から「日蓮」に集中できる。

12/15
本日は休み。ひたすら「日蓮」。ようやく冒頭部分を終了。冒頭から議論ばかりの小説だが、迫力はあると思う。二章からは動きが出てくる。

12/16
男声合唱団の練習と忘年会。夏の前に行ったきり参加していなかった。なーんか、すっごく忙しかった。土曜日に講演とかがあって、休みなく働いていた気がする。この一年は、途方もなく長かった。去年の今頃は、スペインで年末をすごすために、切符の手配とか仕事の調整で慌ただしかったのだが、遙かな過去と感じられる。
ところで、八王子市もリタイアした老人が増えたのか、いつもの練習場が使えなかった。で、めじろ台の教会を貸してもらうことにした。この教会というのは、実はわたしの旧宅である。現在の世田谷区三宿には20年住んでいるのだが、その前の8年間、ここに住んでいた。長男の幼稚園から小学校卒業までにあたるので、子供たちと暮らした思い出が残っている。以前にもコーラスの練習場に貸してもらったことがあるので8年ぶりというわけではないが、ずいぶん久しぶりだという気がする。家の中にも思い出がいっぱいつまっている。長男が弾いていたアップライトのピアノの位置。その長男がグランドピアノを弾くようになったので、わたしの書斎と交換して、わたしがもとのピアノの位置に専用ワープロを置いて仕事をするようになった。リビングルームのすみっこである。その位置に、いまは牧師が説教する台が置かれている。ここは以前、まだ作家になる前の重松清に貸していたことがある。重松くんは「早稲田文学」の学生編集者だった。引っ越しの時には、陣頭指揮をしてくれた。懐かしい思い出である。

12/17
日曜日。下北沢まで散歩。プリンターのインクを買う。ついでに本屋に寄って、年賀状のイラスト集を買う。いままでは昔に買ったものを使っていた。最近のものはイノシシの絵しかない。すると毎年、新しいのを買わないといけない。昔のその年のエトの他に、十二支の絵がひととおりついていたのだが。「日蓮」ようやく冒頭の対話から脱して、ストーリーが動き始めた。とりあえずは鎌倉から船にのって房総へ向かう。物語の舞台となる地勢をとらえておかないと話が始まらない。のんびりと旅をさせて、主人公の日蓮と脇役の成弁のキャラクターを読者に印象づけていく。いい感じで進んでいる。

12/18
自宅にてNHKの取材。ワンコメントだけだと思っていたら、けっこう長い取材になった。でも結局、ワンコメントなのだろうが。仕事をしているところも撮らせてほしいというので、ワープロを叩いているところを見せていたら、けっこう文章が書けた。こんなふうにいつでもワープロに向かったら文章が出てくるという状態だといいのだが。さて、世の中は年末モードに入っているので、公用はもうない。「日蓮」に集中しつつある。このまま正月の間は、日蓮になりきってすごすことになる。わたしの小説の書き方はシンプルである。その人物になりきるのだ。なりきってしまえば、自分の日記を書くような感じで、いくらでも書ける状態になる。もちろん時々読者のことを考えて、ひとりよがりにならないようにしないといけないが、なりきりパワーで押し切った方が面白いものになることが多い。日蓮のキャラクターがほぼわかってきたので、もうなりきれるという感じがする。

12/19
本日は公用なし。これから年始年末はかなりフリーだ。ひたすら「日蓮」。夕方、歩いて渋谷へ。昔住んでいた神泉のあたりを散歩。

12/20
出版文化社の編集者来訪。お歳暮のようだが律儀な会社だ。まあ、現在進行中の仕事の打ち合わせでもあるのだが。某有名作家の伝記、こちらから質問事項を渡してあるが、先方が多忙なので、インタビューは来年になるようだ。こちらとスケジュールが会えば自分が行って質問するのだが、スケジュールが合わなくても編集者がテープを録ればいいようにしてあるので、そのテープ起こしが出来た時点で作業にとりかかれる。まあ、来年の仕事である。PHPの「文蔵」の連載。連載はなるべくしないようにしているのだが、これだけ残っていた。あと新聞に一つ原稿を頼まれているのと、ジャスラックのシンポジウムの記録のチェックがあるが、それで今年の仕事は終わりだ。「日蓮」は順調に進んでいる。日増しに自分が日蓮になりつつある。

12/21
大学に行く。授業はもう終わっているのだが、研究費で購入した資料の伝票を事務室に提出するのと、一文の卒論が届いているかの確認。客員教授も専任教員と同様、研究費が貰える。研究費の用途はいろいろと難しいので、とにかく本を買うことにしている。40万円、本が買える。客員教授を通算6年やった。毎年、予算を消費するのに苦労する。突然、40万円ぶんの本を買えといわれても困るし、一冊ずつ買いたい本を買っていては追いつかない。手続きに手間がかかる。そこで、まとまった全集などを買う。今年はたぶん大学の先生の最後の年なので、仏教研究の中村元先生の全集を買った。これから勉強したい。研究室に入ると、学生の卒論が届いている。二文はすでに個別に学生から受け取っている。一文と二文と方式が違うところが面白い。とにかく、卒論が届いていることを確認したので本日の作業は終わり。それから新橋の日本メンデルスゾーン協会の理事会。なぜかわたしが理事長である。来年のコンサートの計画について。話している最中に担当者が電話すると会場がとれた。ラッキー。これでほぼ計画は実現する。なぜメンデルスゾーンなのかということは難しい。しかしわたしは個人的にはメンデルスゾーンは面白いと思っている。単なる作曲家ではなく、バッハの発見者であり、指揮者という役割を最初に実践した人でもある。この協会にはいろんな人がいるので、単なる飲み会としても面白い。夜中、これから日蓮に挑む。

12/22
金曜日。祥伝社の担当者来訪。校正者のゲラと、こちらのゲラとのつきあわせ。校正者からの質問に答える。午後4時から2時間。ちょうど頃合いとなったので三宿に飲みに出る。この編集者と飲むのは初めて。一回目は必ずゼスト。チェーン店だが三宿が本家である。ここの料理はメキシコ風。メキシコ料理ではなくて、カリフォルニアあたりのメキシコ風料理というコンセプトで、若干無国籍ふうになっている。マルガリータのハーフピッチャーを2杯、ほとんどわたし一人で飲む。とりあえず今年の仕事はこれで終わった。「ダ・ヴィンチの謎」(正式タイトルはこれから検討する)はこれまでわたしの本の中でもかなりレベルが高く、面白い本になっている。さて、夜中はまた日蓮だ。

12/23
音楽番組から電話があって出演を依頼されて、オーケーと答えたのだが、大丈夫かなと思ったので渋谷のヤマハまで行って確認をした。必要な情報(楽譜の確認)は立ち読みで済ませて帰ろうとしたら、歌謡曲大全集という本が目にとまって買ってしまった。今夜はこれに載っている歌を全部歌おう。

12/24
日曜日。年賀状作成。

12/25
最後に一つだけ残っていた短い原稿を仕上げた。これで本年の仕事は完全に終わった。まだ学生の宿題を見ていないのだが、これは正月の仕事。「日蓮」は順調に少しずつ進んでいる。ようやく父親が出てきた。日蓮の父親は重要である。日蓮の性格はおそらく父親譲りだろう。一般的に日蓮の父は漁民だということになっているが、わたしは武士だと考えている。源平から承久の変にかけては時代の激動期だから、リストラされる武士はたくさんいたはずで、そういう武士が漁民をやっていたのだろう。日蓮は強靱な体力をもっているし、何度も危機から逃れている。武道のたしなみがあったはずだ。どうでもいいことだがまたプリンターがこわれた。この前はインクがつまったようで、半日たつと勝手に回復した。今回もそうであってほしい。年賀状の住所録を整備し、裏面のデザインはできたが、これからプリントしようという時にダウンしてしまった。年賀状というのはこの時期の一大事業だ。明日、プリントを試みたい。

12/26
プリンター壊れたまま。年賀状作成のリミットがあるので、修理を頼んでいたのでは間に合わない。古いプリンターを作動させてみたがこれも壊れている。この古い機種はヘッドを取り替えれば動くかもしれないが、そんな手間をかけるよりも、プリンターそのものを買えばいいのだと気がついた。台風みたいな豪雨の中、妻の運転で渋谷へ行き、1万8000円のプリンターを買う。もっと高いのも売っていたが、写真画質などは必要ない。これまで使っていたのと同等の性能で、大きさが半分以下になっていた。値段も安くなっている。技術の進歩というのは素晴らしい。自宅に帰ってとりあえず妻の年賀状をプリント。自分のは宛名のプリントを終えた段階で、深夜の雷が激しくなったので中断。明日に持ち越し。「日蓮」も少しだけ書いた。
ところで、今年はアメリカン・フットボールに熱中できない。去年のスティーラーズのような、一途に応援したくなるチームがない。今年はベアーズとかチャージャーズとか、連勝するチームがある反面、7勝8敗でもまだプレーオフの可能性を残すチームがいくつもあるなど、ドングリ状態になっている。いちおうマニング兄弟のいるコルツとジャイアンツを応援していたのだが、コルツは年末になって調子を落としている。ジャイアンツはほぼ絶望か。ハリケーンの災害から復活したセインツがダークホースか。QBが交代してから勝つようになったイーグルスとカウボーイズも調子が上がっている。わたしは怪我で交代したカウボーイズのブレッドソーが好きなのだが、いなくなってからの方が勝率がいい。ブレッドソーはペイトリオッツにいた時も、怪我で新人のブレイディーに交代してから連勝が始まって、今日のような常勝チームになった。いなくなって喜ばれる気の毒な人だ。そのペイトリオッツの暗い監督(ベリチック)も好きなのだが、もうどうでもいいという感じがする。思い起こせば今年は野球の年だった。世界大会で敗者復活で優勝したのもすごいが、何といっても早稲田実業のハンカチ王子だ。これも王貞治の励ましが効いていたのかもしれない。春先、つかのま巨人が首位だったことも、いまとなっては幻のような思い出だ。
去年のいまごろはスペインにいた。今年の正月は日本ですごす。学生の宿題をまだ見ていない。それだけがノルマとして残っているのだが、それ以外の細かい原稿の締切はずっと先なので、正月はひたすら「日蓮」だ。どうも日蓮という人物が堅物すぎて面白くないのだが、時々、悩ませないと、小説としてのドラマがふくらんでいかないのかもしれない。この点についても正月にじっくり考えたい。

12/27
年賀状のプリント、ようやく終わる。毎年のことだが一大事業だ。これですべての作業が終わった。

12/28
大学の教養課程の同窓会。このクラスは全共闘が第二学生会館を占拠していた時に、クラスだけで一部屋の割り当てを受けていた。セクトやサークルではなく、クラス単位で一部屋をもっていたのはわれわれだけだと思う。その第二学生会館は機動隊導入の前に最上階をコンクリートで封鎖していたために、長い間廃墟として放置されていた。わたしが大学の先生になってからも、長らく廃墟のままだったのだが、ごく最近、まったく新たに立て直されて高層ビルとなった。タワーと呼ばれるこのビルの15階に西北の風というレストランがあって、ここが本日の会場。ちょうど大隈講堂の向かいにあたるのだが、こちらはいま改装中で工事用の幕でおおわれていた。大隈講堂は革マルが占拠していて、夜中になると全共闘との間に石の投げ合いがあったのだが、わたしは現在の妻とすでに結婚(というか同棲)していたので、「日帰り全共闘」であったため参加せず。というような懐かしい思いでの場所に13人が集まって祝杯を挙げた。卒業後35周年だそうだ。もっともこれはストレートで卒業した場合。大半が5年かかって卒業している。13人のうち来年が還暦だというのが2名いた。これは2浪で大学に入って場合。わたしは大学はストレートだが、高校時代に1年ニートになっていたので1浪の人々と同じである。当時の早稲田の文学部は30倍以上の倍率で、ストレート合格の方が少数派だった。ここ10年ほど毎年この時期に同窓会を開く。わたしは去年はスペインにいたので不参加。といってもいつものメンバーだからとくに懐かしいというわけではないが、皆、元気で顔を揃えたことが喜ばしい。もうそろそろ定年が近づいている。いまバンコクで暮らしている直木賞作家の笹倉明とわたしは作家だから永遠のフリーターで定年はない。他に弁護士が1名。それ以外の男性はもうすぐ定年である。どういう老後をすごすのかこれからが楽しみ(?)である。明日、朝が早いので一次会だけで失礼する。

12/29
早起きして10時半に三宿を出発。2時半に三ヶ日着。去年はスペインだったので、三ヶ日の年末年始も久しぶり。寒い。築25年の木造だし、風の吹き抜ける丘の上にあるので、隙間風がすごい。風の音がうるさくて眠れないほどだ。石油ストーブ2つ点けても温まらない。建物の全体が冷えているからだ。今日は酒を飲んで寝るだけ。

12/30
ユニクロに行って厚手のトレーニングパンツを買う。これで寒さが防げる。食料品を買い込み、いつも行く西気賀駅のレストランで食事。ここのオーナーは昔、仕事場のある別荘地の調理責任者だったので、25年前からのつきあい。というか、昔、一人で仕事場にこもっていた時、毎日のようにこの味の料理を食べていたのだ。子供たちが大きくなってからは、仕事場に一人でこもることもなくなった。夏休みや正月に別荘として利用するので家族で来ることが多い。いまは子供もいなくなったので妻と二人。時に妻の両親も来るが、今年は体調がよくないとのことで来ない。正月には四日市にいる次男が来るはず。朝と夕方に「日蓮」を進めた。両親との再会のシーン。母親とはまた会うが父親はここにしか出てこないのでしっかりとイメージを定着させておきたい。父母というのは、重要な要素だ。遺伝子を受け継いでいるわけだから、父母も日蓮に似ていなければならない。というか日蓮が両親に似ているわけだが。そういう意味で両親のキャラクターは重要である。

12/31
大晦日。近くのこの家を建ててくれた大工さんのところに行く。大工さんなのだが親の跡を継いでいまはミカン農家をしている。家の管理や草刈りも頼んでいる。われわれと同世代でとてもいい人なので友だちである。今年は多忙で行けなかったが、ミカンの摘み取りの手伝いをすることもある。わが仕事場には、義父が増えた土佐の文旦という大きな実がなる柑橘類があるのだが、今年はどういうわけか1つもなっていない。義父が大工さんのところに苗を5本プレゼントしたことがあって、その実が今年からなり始めたというので見にいったのだ。豊作である。ここは三ヶ日みかんというブランドのミカンの産地だが、文旦は出荷できないので、5本のうち3本はとっていいというので、妻と二人で摘み取る。段ボール3箱ぶんとれた。仕事場に帰ってから義父が増えたキーウィーも摘み取る。100コ以上あった。「日蓮」も進んでいる。日蓮が母に教えを説くシーン。ここで最初の説法が始まる。長々と理屈をつらねては小説としてはテンポが落ちるので要点だけに絞る。夜は紅白歌合戦を見ながら仕事を続ける。深夜に近くなって次男夫婦が到着。夜中だが鍋をいっしょに食べ、芋焼酎を飲む。次男もけっこう飲む。去年はスペインで年越しだった。長男の嫁さんの実家で、大勢の人々と年越しをした。そこには次男夫婦もいたのだが、今年は四人だけの年越し。充実した一年だった。来年は同じペースで仕事をしたい。


1年間、この創作ノートをご愛読いただきありがとうございます。この「日蓮」のノートは来年も続きます。よろしく。
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