「日蓮」創作ノート2

2006年11月

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11/01
大学。明日が運動会で休みなので二文とズレができるのだが、とりあえず用意していた内容を話す。頭が老人ボケなので何を話したか忘れがちなので、二文との調整をどこかでしないといけない。来週、一文で無駄話をすればいいのだ。研究室で「ダ・ヴィンチの謎」の編集者と打ち合わせ。電気についての説明がわかりにくいとのこと。電気についてわかりやすく説明するのは不可能なので、その間は説明をすべて省いて、その後の展開をもっとわかりやすく説明することにした。1日あればできる作業だが、当面は「謎の空海」のゲラを進める。頭が仏教になっているので、このまま「日蓮」を進め、いつか天気のよい日に1日とって物理学のことを考えることにしよう。

11/02
木曜だが大学は運動会で休み。しかし文藝家協会で国立国語研究所との協議があるので休みではない。ただ説明を聞いただけ。国語の研究のためのデータベースを作るという話で、サンプルとして多くの文献の断片をデータベースに収録することになる。断片ではあるが複製を作ることになるので著作権の複製権に觝触する。単なる研究であれば無償で提供してもいいのだが、この組織は独立行政法人で、国の補助金だけでなく収益も目指している。つまりデータベースの有償利用で収入を得るということで、そうなると無償というわけにはいかない。その点についての打ち合わせ。ほとんど無償でいいが許諾は必要ということで、文芸関係の諸団体が協力することになった。さて、今夜も「日蓮」とゲラとを並行して作業することになる。序章の日蓮と親鸞の対決はうまくいった。次の第一章では父親を出す。ここまでで主人公のキャラクターが明らかになるだろう。そこまでできれば作品は自動的に動き出すのではないか。

11/03
休日。世の中は三連休だが、わたしの休日は1日しかない。妻と散歩に行く。電車で東向島まで行き、向島百花園から隅田川沿いを浅草まで歩いた。適度な散歩であった。途中、吉備団子を食べた。そろそろ生ビールを飲みたいと思ったが、妻が甘党の店に入りたいと言ったので、宇治金時アイスを食べた。あとはひたすらゲラ。

11/04
新大久保のグローブ座で平幹二郎演出の「オセロー」を観る。わが姉、三田和代さんがデスデモーナをやっている。いい芝居だった。観劇しながら、「日蓮」にどうやって女性を登場させようかと思案する。親鸞と違って、女っけのまったくない人物だ。空海にはロマンチックなフィクションを織り込むことができたが、日蓮は難しい。自宅に帰って、あとはひたすらゲラ。

11/05
ジャーナリズム専門学校で講演。通称ジャナ専と呼ばれるこの学校には、知人の評論家などが関係していて、何回か行ったことがある。以前は大盛況で別館を増築したりしていたのだが、今日久しぶりに行って話を聞くと、生徒がこのところ減っているそうだ。若者に向上心がなくなったということか。あるいは貧乏になって、アルバイトで忙しくなったということかもしれない。本日の聴衆は、人数は少なかったが、ある程度文学に興味をもっている人たちだったので話しやすかった。さて、「謎の空海」のゲラ、いよいよ大詰め。

11/06
文藝家協会理事会。出かける前にゲラを投函。これでしばらくは「日蓮」に専念できる。と思ったら学生の宿題が残っていた。二文の卒論指導の学生にメールを出す。去年はそんなことしなかったのだが、二文のシステムが以前と変わっていたので、わたしの出講日が締切になることを伝えないといけない。それでメーリングリストにアドレスを打ち込んでいる時に気づいたのだが、WASEDAという文字はキーボードの左上に固まっていて打ちやすい。そういうことを想定して大学名をつけたわけではないだろうが。

11/07
書協で図書館との協議のための打ち合わせ。それから中野に移動して矯正協会の対談。一日に2つ仕事があると疲れるが、本日はただ体を移動させるだけでいいので楽といえば楽。昔、サラリーマンをしていた頃も、とにかく移動するだけでいい仕事の場合は楽だった。ただ当時は、昼間は移動して、夜中に原稿を書くという生活だったが。いまもやっていることは同じだが、それなりに社会に役立つことをやっているという実感はある。夜中、「日蓮」をやろうと思ったが急に、日曜日に世田谷文学館の文学賞選考があることを思い出した。で、候補作を読む。面白いものが三つあった。一位、二位、三位を二篇選ぶ決まりなので、あと一つをどうするか。まあ、二人で選考するので相手の意見も聞かないといけない。

11/08
本日は大学のみ。仕事が一つというのは楽だ。明日はまた大学の前に一仕事ある。聖徳太子について1時間語らないといけない。しかし、聖徳太子はいなかった、という説が流行になっている現在、どういう切り口で語るか。これを今晩の課題とするか。あまり考えずに従来どおりの話をするか。「日蓮」をやってみてから考えることにする。

11/09
築地のスタジオで録音。聖徳太子について。まあ、聖徳太子は実在したということにして話した。いなかったということでは話にならない。1時間できっちり話をまとめるのはけっこう疲れる。原稿を書いてしゃべればいいかというと、そういうわけにもいかない。読むだけでは感情が伝わらないし、読みスピードの加減が難しい。即興でしゃべるというところに緊張感があって、思いがけないアイデアが出たりするのだ。その後、大学で2コマしゃべる。声が限界だ。これから明け方まで仕事をする。元気だなあと自分でも思う。

11/10
金曜日。本日は何もない。床屋へ行く。それだけ。昨日の夜はサッカーのアンダー20の韓国戦を観ていた。ニュースで結果を知っていたので安心して観ていた。そうでなければPK戦なんて観ていられない。サッカーを観ながら仕事もした。「日蓮」最初から読み返している。出だし、親鸞が出てくるところはうまくいっている。浄土系の読者が読むことも想定して失礼のないように心がけているつもりだ。問題はこのシーンからいきなり父親に別れを告げるシーンにとぶか、京から鎌倉を経て郷里に帰るまでの移動をイメージとしてとらえるかだ。風景描写が長く続くと、かったるいかもしれない。まだ主人公のキャラクターが明確に示されていないので、人物の動きで引っぱった方がいい。しかし鎌倉のファーストショットも必要なので、そのあたりの加減が難しい。鎌倉については改めて書くことにした方がいいかもしれない。

11/11
土曜日。本日も休みだが、姉の三田和代さんが来て宴会。疲れた。

11/12
日曜日。世田谷文学館。妻に車で送ってもらう。約30分。世田谷区は広い。文学賞の小説部門の選考委員になってから十年近くになる。最初は田久保秀夫さんだった。思いがけず三年ほどでお亡くなりになった。その次は青山光二さん。こちらはご高齢なのでリタイア。今年から青野聰さんとコンビを組むことになった。青野さんは少し年上だが、同世代といってもいいので、ずいぶん若返った。二十年以上前に早稲田文学の編集でお目にかかったことがある。久しぶりだが、つい昨日会ったみたいな感じで雑談をしながら選考にあたる。とくに問題もなく簡単に決まった。自転車で来ているという青野さんと別れて、芦花公園駅へ。道が細いのはあいかわらずだが、駅前の感じはどんどん変わっていく。下高井戸で降りて世田谷線に乗る。都心から帰る時、田園都市線の急行に乗ってしまうと三軒茶屋で降りるのだが、世田谷線で三軒茶屋に着くと、全然感じが違う。路面電車に近いので、そのまま地面に降りる感じがする。散歩の延長というムードだ。日曜なので三茶通りは歩行者天国。ぶらぶらとしてから帰る。「日蓮」はどうもまだスムーズに動いていない。主人公に話し相手が必要だ。架空の人物を側近につけるか。空海には橘逸勢というボケ役がいた。天神菅原道真には紀長谷雄というユーモラスなキャラクターがいた。日蓮はまじめ一徹の人なので、相棒が必要だ。

11/13
文藝家協会知的所有権委員会。これはわたしが委員長なので、欠席するわけにはいかない。必要な論議は尽くせた。その後、委員の岳真也さんと高田馬場に移動し、前から進行している対談を中心とした本の作業について打ち合わせ。ではあるが、半分は飲み会で、飲みながらアイデアを出し合った。控えめに飲んだので夜中も仕事。ベンガルズが逆転負けするのを見ながら、鎌倉のガイドブックを読む。どうも鎌倉の土地勘がないのがよくない。日蓮が鎌倉で活動を始めた時期の土地の様子、どんな寺があったかといったことをチェックする。日蓮宗の寺が多いことは確かだが、日蓮が活動を始めた当初はまだ日蓮宗の寺はない。時宗の寺もない。建長寺はすでにある。大仏の高徳院はちょうど木造の大仏から、現在の鋳造物への移行の時期だ。木造のものもかなり大きかったので、大仏殿は立派なものだったようだ。といった地形図を頭の中に描いて、展開していきたい。

11/14
講談社青い鳥文庫の担当者来訪。「星の王子さま」の見本届く。平積み用のポップができていて、なかなかいい感じ。この翻訳には自信がある。サン=テグジュペリの原文よりもよくなっている。原文ではわかりにくいところが、ちゃんとわかるようになっている。花との微妙な関係や、井戸を探しにいくシーンの幻想性など、謎を秘めた部分の謎の魅力をそのまま謎めいた感じで残しつつ、謎を解くヒントを折り込んであるので、小学生でも奥深い人生哲学が自然に読み込めるようになっている。わたしにとってはこれが今年の収穫といえる。

11/15
大学。妻が風邪をひいていて、うつってないかと心配。喉の調子がよくないので早めに授業を切り上げる。金曜日にも講演があるのでそこまでもたさないといけない。

11/16
著作権情報センターの理事会。神保町の本屋に寄ってから大学。木曜日の夜間の授業が終わると、一週間が終わった気がして、ほっとする。明日も講演があるのだが。本屋で「日蓮」の資料の補足。これでもう資料は必要ない。ひたすら書くだけだ。が、週末は「ダ・ヴィンチ」の仕上げをする。問題は一箇所だけなので、それほど時間はかからないはず。

11/17
自宅にて講談社の担当者と打ち合わせ。これはもとKKベストセラーズの企画で打ち合わせた担当者が突然フリーになって話を講談社に持ち込んだ企画で、著作権の切れた作品の冒頭部分をアンソロジーとしてまとめて、それにわたしがコメントをつけるという話だったのだが、引用部分を少なくして、わたしの書く部分を増やすという話にいつのまにか移行していた。え? というような話だが、まあ、本を一冊書けばいいという話なので、「日蓮」のあとでやることにした。その後、立川に出向いて、全国音楽高等学校協議会の全国大会で講演。今年の担当が国立音大付属だというので、会場は立川。著作権の話をしてくれということだったのだが、よーく考えてみると、わたしの長男も都立芸術高校に通っていてので、とりあえず保護者の立場から、せっかく教育投資をしたのに息子はスペインに拉致されてしまった、といった話から始めた。懇親会ではさまざまな人と話をした。わが妻の学友も現れたのでドキッとした。でもそういうことはよくあることで、去年某高校で講演をしたら、わが次男の一年の時の担任の先生が現れたのでドキッとした。世間は狭いので、油断をしていると不意をつかれる。妻が実家に戻っている。ケンカをしたわけではない。向こうの両親も老齢化しているので、時々見に行かないといけない。ということで週末は一人きれなので、この間に「ダ・ヴィンチの謎」の最終チェックをしたい。「日蓮」は昨日、本屋で資料の補充をしたので、これを少し読んでから先に進みたい。本日の講談社の担当者と、先日の青い鳥文庫(これも講談社だが)に、将来的な企画の話もしたので、来年はこれで埋まってしまっている。作家はフリターターなので、明日の生活も保証されていないのだが、来年のスケジュールが全部埋まってしまうというのも寂しいので、隙間を見つけて何か思いがけないことをしたいという気もする。大学は今年限りなので、まだ何かできると思う。

11/18
土曜日。この週末は何もない。ありがたい。ここで「ダ・ヴィンチ」の仕上げをすることにしている。原稿はページごとに流し込んであるが、これはまだゲラにはなっていないので、全体を書き換えても大丈夫だろう。編集者からの疑問が入っているので、そこだけ文章を補っていく。90パーセントのチェックを終える。終章の一つ手前の章が問題で、ここでは電気の歴史が書かれているのだが、長大な歴史を数ページで語ろうとしているところに無理がある。で、半分ほど削って、電気とは何かということを簡略に説明することにした。でも、電気って何だろう。これは現代の最先端の科学でも、わからないものはわからないのだ。円形に流れる電流がなぜ磁石になるのかは、誰もわからない。わからないけれども、人間はそのことを知っている(最近の高校生は物理が必修ではないので知らないのかもしれない)。知識を簡略に整理して読者に伝えることは可能だ。これを語らないとアインシュタインに進めない。ダ・ヴィンチからニュートンへというテーマだが、ニュートンの発見はアインシュタインによって修正されることになるので、そのことをしめくくりとして語らないわけにはいかないのだ。これも簡単に語ることは難しいのだが、ページ数も限られているので、概略だけでも伝えておきたい。これが明日の仕事になる。

11/19
日曜日。昨日、今日と妻がいない。コンビニなどへ行って食料を調達する。しかし妻がいないと仕事に集中できる。問題の10章、完了。これでわかりやすくなったかというと、深みにはまったという気がする。しかし図など入れれば何とかなるだろう。これで「ダ・ヴィンチの謎」は完成である。まだ打ち込みの作業がある。これがけっこう大変かもしれない。だがPHPの『文蔵』の連載の締切が迫っているので、先に片付けないといけない。明日は午後に会議が一つあるだけだ。明後日は飲み会なので、明日がリミットだ。学生の宿題もまだ見ていないぞ。うーん、明日は妻も帰ってくるし、ハードな日々が続く。早く日蓮のことだけを考えてすごせる状態に戻りたい。

11/20
ジャスラックで会議。代々木上原というところは電車では行きにくい。最寄りの池尻大橋からだと表参道で乗り換えればいいのだが、駅でいえば5つ、しかも三つの路線を乗り継ぐので、料金も高くなる。ということで、歩いていく。妻がいると車で送ってもらって帰りだけ歩くのだが、本日は往復歩いた。片道30分だから、下北沢へ行くのと変わりないのだが、下北沢は楽しい。会議はあんまり楽しくない。しかしまあ、仕事というほどのこともないので、いい散歩になったと思う。

11/21
教育NPOとの定期協議。および忘年会。5時から飲み始めたので、えらい早く自宅に帰り着いた。スペイン語の教室に行っている妻より先に帰ってしまったのでとても寂しい。出かける前にPHPの連載は送ったので、今日はのんびりできる。といっても今月末までの仕事が山のようにある。どれから手をつけるかで途方に暮れるほどだ。ということで、これから手順を考えて、一つ一つ片付けていきたい。とりあえずは世田谷文学館の選評、「謎の空海のゲラ」、「ダ・ヴィンチの謎」の修正部分の入力、それから某有名作家の取材のための質問事項の整理、それから今日頼まれた教育NPOの原稿の順か。何か忘れているものがあるかもしれない。このところよく忘れてあわてて仕事をすることがある。ところで昨日はプリンターが壊れて困惑したのだが、今日は直った。しばらく使わなかったのでノズルがつまったのかもしれない。しかしプリンターのご機嫌を伺いながら生活するというのは大変である。

11/22
大学。まあ、楽しくしゃべれた。「ダ・ヴィンチ」のチェックした部分の打ち込みをやっている。けっこう直すところがあって大変だ。もう本の体裁のレイアウトになっているのだが、数式を入れるところなど、調整が必要だ。イラストも2点ほど追加する。まあ、より充実した内容になったと思う。

11/23
祝日。この祝日はありがたい。「ダ・ヴィンチ」の入稿完了。世田谷文学賞の選評を書く。まだ何か残っているか。次は「謎の空海」の再校だ。まだ「日蓮」に行けないが、少し距離を置いてみると、アイデアが出てくる。冒頭のシーンに脇役を置けないかと思う。ホームズに対するワトソンみたいな語り手にするつもりはないが、客観的に眺めている人物がいると、世界が広がるのではないかと思う。試みてみたい。

11/24
日本メンデルスゾーン協会の実行委員会。本日は田園調布。中目黒まで歩いて電車に乗った。徒歩30分。いい散歩になった。帰りは田園調布始発のバス。三宿まで来る。夜のはバスは速い。電車よりはるかに速い。明日は日帰りの講演で朝が早い。早く寝るつもりだが、寝そびれるとそのまま起きて新幹線に乗ることになりそうだ。

11/25
大阪で講演。日経新聞主催。読者サービスの催しみたいなもの。テーマは老人問題。ふつうに話すと暗くなるので、このテーマは明るく語ることにしている。思いきり暗い話をするとギャグになってかえって明るくなる。講演は1時間。そのために往復6時間電車に揺られている。それだけの一日だが、電車の中でよく寝られたので、夜中も仕事ができそうだ。

11/26
日曜日。今日は休みだ。嬉しい。まず「ダ・ヴィンチの謎」の改訂版をメールで送る。同時にをプリントして郵便でも送る。数式などもあるので、こちらのプリンターで確認したものを参考にしてもらうため。「謎の空海」の再校、完了。これで手が離れる。ただし編集者に手渡すのは水曜日と決めてある。水曜に大学にもっていく荷物に入れる。これでこちらの作業は完了。これから某有名作家へのインタビューのための質問を考える。なかなかスケジュールが合わない。先方もご多忙だが、こちらも多忙である。で、質問を文書にしておいて、編集者に質問してもらうことも考えている。テープを起こしてもらえば、そのまま作品になるように、あらかじめ小説のストーリーを設定してしてから順番に質問するようにしておけば、あとの作業が楽になる。伝記だから、生い立ちから順番に質問していくのがいいだろう。昨日の深夜も「日蓮」について考えていたのだが、実際の作業は進めていない。集中力が必要なので、来月になってから本格的にスタートさせる。この作品は冒頭に山場がある。珍しい作品だが、仕方がない。日蓮の敵は浄土宗だ。法然はいないが、親鸞が生きている。晩年の親鸞に、若き日蓮が論争を挑む。いきなり決勝戦が始まるみたいなものだ。そのあとは長いエピローグということになる。成弁という人物を脇役に設定する。ホームズに対するワトソンのようなもの。全体は神の視点が書くが、時としてこの成弁の視点になり、時には日蓮の視点になる。成弁のいないところでも物語は進行するから、ワトソンにはなりきれない。まあ、神の視点というのはその点では便利だ。来週はシンポジウムと講演があり多忙だ。体調は良い。何とか乗り切って、12月は「日蓮」に集中したい。

11/27
月曜日。某有名作家への質問を考えないといけないのだが、質問するためには事前の情報が必要である。一度、お目にかかった時の会話が文字に起こされている。半年ほど前のことなので、自分でしゃべったことなどきれいに忘れているが、先方の言葉はきっちり憶えている。他にも資料があるので、この人物の人生(というか半生)の輪郭が見えてきた。頭の中に入っている日蓮の人生をしばらく初期化して、このまだ現存している人物の半生を脳内のメモリにインプットする。これで質問できる。ここ数日で質問を完成しないといけない。質問の順序も考えて、答えが返ってきたら、それをつなげるだけで一冊の本になるような、戦略的で、それ自体がドラマチックな質問を考えたい。というか、歴史的人物ならいくらでもフィクションが書けるのだが、本人が生きているし、周囲の登場人物も現存しているので、何ともやりづらいことは確かだ。あくまでも書き手(三田)の主観に変換して書かないといけないので、書き手が冒頭に顔を出すようなスタイルになるだろうと思う。エッセーのような導入部から、虚構の世界に入っていきたい。が、明日から、わたしはとても忙しいのだ。どうなるんだろう。

11/28
本日から3日間、連日、公用が2件あるというハードな日々になる。とくに本日がピーク。午前中に図書館との協議。午後はジャスラックのシンポジウム。図書館との協議はふだんは医学理化学書のコピーの問題とか、こちらに関係のない話が進行しているので、とりあえず出席していればよかったのだが、本日は図書館側は福祉関係の担当者を派遣してきたので、こちらもちゃんと対応しないといけない。これは権利制限の拡大に関わる問題なので、専門のワーキンググループを作って対応することにした。わたしは基本的に障害者の味方だが、出版社を説得するための詰めが必要なので、厳しい態度で臨むこともある。福祉関係者は福祉は正義だと思いこんでいるので詰めが甘い。確かに福祉は正義だが、著作権も個人の私見なので、福祉が基本的人権を侵害すれば問題となる。そういうことが時として忘れられる。公共性のために個人を犠牲にするというのは社会主義国の発想だ。日本は実は社会主義国と同様の役人天国の国なので、時として公務員がトンチンカンなことを言う。くりかえすが、わたしは障害者の味方だし、公共性の味方だが、詰めが甘いと著作者の人権を踏みにじることになるので、細心の注意が必要である。
午後はジャスラックのシンポジウム。5人でパネルディスカッションをやったのだが、権利者の代表はわたし一人なので、ふだんの2倍くらいのトーンでしゃべった。この孤軍奮闘の感じがよかったと思う。著作者はフリーターであり弱者なのだ。

11/29
大学。終わってから研究室で河出の担当者で「謎の空海」の再校ゲラの突き合わせ。その後、学研の編集者と雑談。この学研の編集者というのは昔、朝日ソノラマにいて、「天気が好い日は小説を書こう」の単行本を出してくれた中村くんである。その後、角川、幻冬舎、春樹事務所に移動し、バジリコで「犬との別れ」を出してくれて、いまは学研である。中村くんは最初は単に授業を聴きに来て、テープを録るだけであった。しかし一年間、欠かさず通ってくれて、テープ起こしもしてくれた。読み返してみるとけっこう面白いことをしゃべっているので本を出す気になった。大学の先生も今年が最後なので、中村くんに研究室からの眺めを見せ(8階なので絶景である)、高田牧舎でワインを飲んだ。それから高田馬場の岳真也氏行きつけの店で、閉店間際まで飲んだら、駅の近くの路上で岳さんと出会った。若い頃ならそれからまた飲みに行くところだが、お互いに疲れていて、じゃあね、といって別れた。

11/30
IBM本社で講演。図書館関係者に何かを売り込むための催しで、わたしは前座みたいなものだが、まあ、楽しい話ができたと思う。それから大学の2コマの授業があったが、この最後の授業は仏教の話なので、疲れは感じなかった。仏教は元気になる。


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