「マルクスの謎」創作ノート3

2008年6月

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06/01
日曜日。友人と三宿で飲む。帰ると孫がいる。昨日の明け方、「西行」の再校ゲラが完了したので、本日はのんびりとした休日。

06/02
月曜日。孫、帰る。まだ二カ月の乳児であるが、人の顔がわかるようで、最初はわたしの顔を不審げに眺め、やがて親族と認知したようで笑ってくれるようになった。明るく聡明な人物になりそうである。

06/03
自宅で新聞記者の取材。著作権問題。あとはひたすら仕事。大きな仕事はすべて完了したが細かい雑用が残っている。身辺を整理してから、長期的な目標としてドストエフスキー論、短期的な目標としてはマルクス論に取り組む。マルクス論は考え方のポイントはすでに考えてあるが、そもそもマルクスについて何も知らない読者を対象にしているので、マルクスとはこんな思想家、という整理が必要である。そのため資料をチェックする必要がある。一般的なマルクスの解釈と、わたしの個人的な解釈の差異を把握しておかないと、最初から論点がずれてしまうおそれがある。その上で、少しはずした視点でマルクスを再解釈したい。全体として読んで楽しい本にしたい(マルクスの話題でそんなことができるかわからないが)。

06/04
文藝家協会理事会。雑文があと一つ残っている。これが終われば新たな領域に出発できる。

06/05
午前中の会議。夕方、河出書房の担当者来訪。ずっとメールでやりとりしていたので会うのは久しぶりだ。再校ゲラを渡し、これで業務は完了。

06/06
金曜日。だが公用なし。雑文もない。来週もいまのところ何もない。ということで、しばらくの間、完全な自由が得られる。で、何をするのか。とりあえず、去年、半分くらいまで書いた童話をひっぱりだしてきて読む。確か三人目の孫を見にウエスカに行って、長男の自宅で書いていて、半分しかできなかった作品だ。で、おそるおそる読み返したのだが、これはなかなかよかった。元気が出たので続きを書くことにする。

06/07
土曜日。三軒茶屋まで散歩。童話を読んでいる。最初から文体を少しずつ修正している。この作業で、この作品の文体が自分の体内にしみこんでいく。童話なので漢字をあまり使えない。難しい言葉も使えない。手を使えないサッカーみたいなもので、慣れるのに時間がかかる。これから一週間を目途に、少し先まで書いてみたい。それで、この作品がものになるかどうかがわかる。

06/08
日曜日。下北沢まで散歩。サングラスを買う。老人なので紫外線よけに、目にぴったりしたサングラスを探していたのだが、よいものがあった。童話。去年の9月に書いた部分のチェックをほぼ終えて、新たな領域にさしかかった。書いているうちに思い出したのだが、最初に書いた原稿は、テンポが速すぎて、あっという間に終わってしまいそうだった。つまのアラスジだけで、描写や山場がなかった。それで描写を追加しつつ書き直したのが、ここまでチェックしてきた文章だった。文書の先の方には、アラスジだけの草稿がまだ残っているので、そこでも使える部分があるかもしれない。とにかくこの一週間は、童話に専念したいと思う。

06/09
印鑑証明が必要なので散歩の途中に区の出張所に行った。いつも妻に任せきりにしていたのだが、いまはカードを入れて暗証番号を入れると証明書が出てくる。便利ではあるが、少しドキドキした。機械というものは、どうも信用できない。新幹線の切符は買えるけれども、大阪の地下鉄の切符を買うのは難しい。渋谷まで散歩。昨日、秋葉原で個人テロがあったので、渋谷の雑踏も危ないと思い、スクランブル交差点は避けた。帰りは疲れたのでバスに乗ってしまった。バスでパスモ(わたしのカードはスイカだが)を使う時も、少しドキドキする。童話。順調に進んでいる。先週、次の次の次の次くらいの仕事の担当者から仕事の催促の電話があった。まあ、順番にやっていくしかない。自分の健康のために、締切のある仕事はしないことにしているので(翌日まで書ける短い仕事のみ引き受ける)、本一冊ぶんの仕事は、一つがつまずくと、どんどん先送りになってしまう。この童話の仕事は、実は締切がないだけでなく、できなかったらやらなくていいというもの。作業が長引くようだと次の仕事にとりかかるということで、ずるずると完成が遅れてきた。しかし自分にとっては、やりたい仕事でやり、やらねばならぬ仕事であると思っている。何とか、がんばりたい。

06/10
医者。血圧を計るだけ。月に一度医者に行くのもわるくない。童話。前進している。ようやくこの作品の世界が身についてきた。

06/11
今週は公用がない。雑文の締切もない。ひたすら自由な日々。童話。調子が出てきた。

06/12
童話はいまちょうど半分のところか。昨年書いた原稿のチェックを終え、一段落したので、本日は「マルクスの謎」の冒頭部分の文体を考えることにする。文体とは何か。文章の調子、といったものだが、その作品に取り組む書き手の立ち位置が文体を決定する。つまり文体を決めるというのは、立ち位置を決めるということだ。シンプルな私小説の場合でも、目の前に出来事が展開しているといった文体と、四十年前のことを回想する文体とでは、明らかに差異がある。「マルクスの謎」というタイトルの本を出すからには、書き手(わたし)がマルクスのことをいまどう考えているかという立ち位置が必要である。この作品はおそらく、40年ほどの前の状況といまとを、比較しながら論を展開することになるだろう。すると、40年前の自分の立ち位置も決定しないといけない。もっと簡単にいえば、40年前にマルクスの理念を信じていたのかいなかったのか、いまマルクスについてどう考えているのかということを、決めないといけない。
重要なのは「決める」ことだ。プロの作家は要するに決めて書くのである。そこが素人と違うところで、素人は自分の心の中を探りながら、本当の自分、みたいなものを追求しようとするから話がややこしくなる。本当の自分とは心の中にあるものではない。思考と行動の総体としての一人の人間の全生涯が「本当の自分」であるので、早い話、「空海」も書くし「日蓮」も書くし、「アインシュタイン」も書くというのが、本当の三田誠広なので、今回は、「マルクス」について書くのである。マルクスを信じているとか、応援しているとか、批判しているとか、憎んでいるとか、そういうことは、どうでもいい。本に書くということは、少なくともマルクスはわたしにとって気になる存在だということができる。それからこれは重要なことは、40年前には、同時代のかなりの人々が、マルクスを信じていたということだ。
20世紀の終わりに、ソビエトロシアや東欧諸国が社会主義体制を捨て、自由主義、資本主義に移行した。このことをもって、マルクスは間違っていたとか、資本主義は正しいと断定することはできない。いま、この日本では、格差社会が進行している。人間の暮らしがどんどん絶望的になっている。つまり自由主義、資本主義というものには、どこかに欠陥があるのだ。だから、資本主義は間違っていると指摘したマルクスの考えのコアの部分には、未来を予言するような直観があったと見ることもできる。そういうことをもう一度、整理して考えてみる、というところに、「謎を解く」ための方途がある。この本はまず、そろそろリタイアしてひまになりそうな同世代とともに、マルクスのことを考えてみたいというわたしの思いがあり、そのきっかけとなる問題提起をしたい。それと同時に、いま格差社会の底辺で絶望している若者たちに、昔の若者のビジョンを伝えるとともに、そのビジョンのどこが間違っていたのか、たとえ部分的に間違っていたとしても、正しい部分もあったのではないか、するとその正しい部分を追求していけば、この格差社会を改善するビジョンが見つかるのではないか、といった論を展開したい。いまの若者は、40年前のことを知らない。極端にいえば、誰もが(というのは大げさだが)マルクスを信じていたという、そんな嘘みたいな時代があったのだ。そのことをまず伝えるとともに、謎を掘り下げ、解明するという、知的な作業を、読者とともに楽しみたいと思う。
この「マルクスの謎」というタイトルは、わたしが考えたものではない。わたしの参謀みたいなE氏が考えたもので、このタイトルがなかったらこの本を書く気にはならなかっただろう。この次に書く「アトムへの不思議な旅」(これは仮題)も、このタイトルでなら書く、といった感じで、予定表の中に入れている。こういうタイトルは、原稿が出来た段階で、営業部などの提案がコロッと変わってしまうこともあるのだが、書いている間はそのタイトルがモチベーションの推進力となるので、タイトルはヨットの帆みたいなものなのだ。で、とにかく、7月のはじめから、いよいよ「マルクスの謎」をスタートする。この創作ノートはもうこのタイトルで3月目が終わろうとしているのだが、この間、「西行」の校正と「堺屋太一伝」に時間をとられて、実際に書き始めるだけの余裕がなかった。今月もまだ童話が終わるまではスタートできないのだが、頭の中では考えてきた。マルクスとの距離感が難しいということはわかっている。距離をとりすぎると書く意味がないし、距離が近すぎると全共闘世代の懐メロみたいなものになってしまう。マルクスは少なくとも百パーセント正しくはないし、マルクスを曲解した人々に騙されて、全共闘世代の人々は悲惨な青春時代を送った。そのことを認めた上で、でもいま、大貧民が増えているのはなぜだろう、いまこそマルクスを復活させる必要があるのではないか、といったことも視野に入れて、マルクスの謎を解いてみたい。

06/13
立川の母を見舞う。来月には92歳になる母だが元気である。今回は兄、姉と3人で訪ねた。さて、明日から旅行に出る。荷物はできた。童話はこれまでのところをプリントして荷物に入れた。まだ全体の半分だけだが、旅行の間は童話のことを考える。で、マルクスについて考えるのは本日だけ。文体はほぼ確立できたと思うが、もう少し長く書かないと安定しない。このまま寝ずに出発する。去年の9月は、一人でスペインに向かった。何ともこころもとなく、実際にパリの乗り換えで、危うく迷子になるところであった。今回は妻もいるし、ツアーにまぎれて行くので問題はない。ツアーで旅行するのは久しぶりだ。7年ほど前に、まだ長男がブリュッセルにいたころに、長男の家にしばらく滞在してから、東欧を回るツアーに現地で参加したことがある。それ以来だが、日本からツアーに加わるのは、もっと前にイタリアに行った時からだ。長男がスペインにいるのでスペインに行くことは多いのだが、たまには別の国へ行きたい。

06/14
土曜日。ロシア旅行に出発。まずは早朝に成田に向かう。いつもスペインに行く時は、緊張感があるのだが、今回はツアーにまぎれていくので、とにかく成田に行きさえすればいい。前日宅急便で送り出した荷物を受け取り、ツアーコンダクターに指示されたカウンターに出向いてチェックイン。スペイン行きなら息子たちのために日本の食料品を大量にもっていくので、20キロの制限をいつもすれすれでオーバーしているのだが、今回はあまりに荷物が軽いので、ぎりぎりまで水をつめた。日本のおいしい水と、三軒茶屋の安売店で買ったスコッチウイスキー。これでぎりぎりの重さになった。モスクワへ。乗り継ぎでサンクト・ペテルブルグ。時間待ちのモスクワの飛行場のカフェに、大きなメニューが掲示されていた。KOФEというのがコーヒーだというのはすぐにわかった。ФがFにあたる。発音はコフェだろう。そのコフェのうしろに文字があった。ただのコフェの他に2種類のコフェがある。最初はまったくわからなかったが、じっとにらんでいるうちに、エスプレッソとカプチーノだと気づいた。それで暗号のような文字のトリックが解明された。CがSで、PがRで、Пという文字がPだということがわかった。まるでシャンポリオンになったような気分だ。サンクト・ペテルブルグについた時は、すぐにロシア文字のサンクト・ペテルブルグという表示が読めた。それ以後は、道路標示や看板を読むのが楽しくなった。交差点の前に必ず出ているCTOПというがストップだとわかって嬉しかった。マクドナルドはもとより、レストラン、タベルナ、カラオケバー、ピッツァなどがどんどん読めるようになった。ヤキトリという表示もあった。ロシア旅行が楽しくなった。

06/15
日曜日。エルミタージュ美術館の中を延々と歩かされる。今回の旅の目的は、とにかくペテルブルグの空を見ておきたいということであったが、できれば「罪と罰」の舞台を自分の足で確認しておきたい。夜8時にホテルが解散。幸い都心のホテルなので2時間ほどの散歩。センナヤ広場とかラスコーリニコフの下宿、金貸し老婆殺しの殺人現場、盗品の隠し場所、ソーニャの部屋など、すべての所在地を足で確認できた。これで今回の旅の目的はほぼ達成できた。

06/16
本日はペテルブルグ郊外のエカテリーナ宮殿など。テレビで見たことのあるトリックの噴水、せっかくだか水を浴びてみた。夜は白夜のネヴァ河を観光。確かにすごい長めだ。北極ではないので、日は沈むのだが、群青色に暮れなずんだ空の輝きが長く続くため、ネヴァ河の水面が青く光る。これをドストエフスキーは見ていたのだし、ラスコーリニコフも見ていたはずなのだ。こんな美しいものを眺めていたのに、なぜ殺人などをする気になったのか。とにかく「罪と罰」の舞台は7月のペテルブルグだから、まだ白夜は続いていたはずだ。

06/17
本日はひたすら移動の日。空路モスクワへ。それからモスクワへ行かずに、ロシア正教の聖地スズダリまで4時間のバス旅行。疲れた。

06/18
スズダリ観光。ひなびた村に点々と古い寺院がある。のどかな農村の風景に古寺がとけこんでいるさまは、まさに奈良の郊外や明日香村の眺めだ。それからバスで1時間ほどのウラジーミルというところ。ここは大きな街なのだがここにもりっぱな寺院がある。さらに郊外に車では行けないところに古寺がある。往復30分歩く。快晴で周囲はのどかな自然が広がり、快適な散歩である。ただし暑い。日本よりも暑い。夜中、テレビでサッカーを見る。ペテルブルグに着いた日、真夜中にもかかわらずホテルのロビーではロシア人がテレビ観戦に熱狂していた。ロシアは初戦でスペインに大敗していたし、日韓Wカップでは日本に負けたこともあるので、大したチームではないと思っていたのだが、その日韓Wカップで韓国を率いてベスト4になったヒディングが監督をしているので、チームの組織力が抜群に向上している。しっかり守って、前回優勝のギリシャに勝った。で、予選の最終戦が本日。スウェーデンに快勝してベスト8に進出。明日もロシア人運転手のバスで大旅行するので、ずっとロシアを応援していた。

06/19
古都のセルギエフを経てモスクワへ。本日はサッカーはポルトガルとドイツ。これは優勝候補のポルトガルだろうと思っていたら、ドイツがいきなり2点とった。ポルトガルがようやく1点返したと思ったらまたドイツが点を入れ、ポルトガルが1点返すのがせいいっぱいで、大番狂わせでドイツの勝ち。

06/20
日程も残り少なくなった。モスクワは赤の広場の他には見るべきものもない。夜のサッカーの方が面白い。クロアチア対トルコ。新聞などの情報がないので、昨日から決勝トーナメントが始まっているのを知らなかった。それで両チームがやる気のない感じで攻めようとしない展開を見て、これは予選の消化試合かと思っていた。結局、点が入らず、0対0で引き分けて終わりかと思ったら、監督が選手を集めて円陣を組んでいる。どうやら本日から準々決勝が始まっているようで、引き分けはない。30分の延長もあと1分というところで、トルコのキーパーのミスでクロアチアが先制点。しかしここでクロアチアの選手は喜びすぎた。ロスタイムもほとんどタイムアップ寸前で、トルコのキーパーがエリアから飛び出してロングキック。ディフェンスが浮き足だっていて、トルコのダメ元のシュートが入ってしまった。PK戦はクロアチアの選手たちの気持がキレていて、大差でトルコの勝ちとなった。ロスタイムの同点で、がらっと戦局が発展した、まれにみる奇跡的な逆転勝ちだった。これでトルコは3試合連続で逆転勝ちだ。このサッカーのヨーロッパ大会はスイスとオーストリアの共催で、ヨーロッパの標準時間(基準はドイツ)のゴールデンアワーに試合が行われる。2時間の時差のあるロシアでは、深夜に試合が始まるので、予想外の延長やPK戦は面白かったが、大幅の寝不足である。

06/21
クレムリンの中を見学してから空港へ。ようやく三宿に帰れる。残念ながら本日のロシアの試合は見られない。もう一日、ロシアにいたらお祭り騒ぎが見られただろう。飛行機の中でツアーコンダクターがロシアが勝ったらしいと告げたのだが、信じられなかった。何しろ、相手は予選の3戦とも大勝したオランダだ。しかも相手がイタリア、フランス、ルーマニアだった。前回のドイツWカップの優勝チームと準優勝チームに大勝したオランダに、ロシアが勝てるわけはないと思っていたのだが、ヒディング魔術が今回も炸裂した。しかも自分の母国のオランダを撃破したのだ。
06/22
日曜日。飛行機の中で少し寝た。「譜めくりの女」という怖い映画(エンディングがつまらない)を見たあと、「相棒・劇場版」を見ようと思ったのだが、そこで寝てしまった。オープニングとエンディングしか見ていない。やたら音楽のうるさい映画だった。ようやく自宅について、睡眠不足ではあるが起きていて、夜のスポーツニュースでロシアの勝ちを確認する。そのままずっと起きていて、スペインとイタリアという、まさに優勝決定戦のような試合にそなえる。

06/23
朝のサッカーを見てから寝たので、昼過ぎに起きたのではまだ寝不足。本日は会議が一つ入っているのだが、旅行前に欠席通知を出していた。時差ボケを解消して体調を整えないといけない。北沢川緑道を散歩。一週間前にはペテルブルグのエカテリーナ運河の岸辺を散歩していた。しかしわたしはこの北沢川を愛している。さて、仕事をしないくてはならないが、徐々に体をならしていかないといけない。まずは「マルクス」の謎の出だしの文体の試行錯誤。少し固いかと思うが、いい感じでスタートできている。これでやや安心したので、しばらくは童話に集中したい。

06/24
この旅行で2キロふとってしまった。渋谷まで散歩。ついでにプリンターのインクを買っておこうと思い、東口のビックカメラを目指す。前の前のソニーのパソコンのバッテリーを買ったことがある。これまでは下北沢の石丸電気で必要なものを買っていたのだが閉店してしまった。まあ、渋谷までも散歩のコースなので問題ない。
ところで渋谷東口には新しい地下鉄ができた。副都心線。ロシアに出発した日にオープンした。箱崎に向かう電車で渋谷を通った時、ホームからさらに地下の深いところに向かう階段ができていた。それで乗り換えするのだろう。地上から行く場合はどうなるのかと、いつものように地下道に入る。渋谷の地下道は二層になっているので、地下一階の部分を進むと、行き止まりになっているので地下2階に降りる。以前は渋谷の地下道は西口から東口には行けなかったのだが、この地下2階の地下道は東口まで貫通されていて、副都心線の改札口に出た。で、ビックカメラの前に出る出口を探したのだが、ない。明治通りの地下と思われる通路をかなり進むとエレベータがあったので、乗って地上に出る。渋谷駅の方に戻ると、ちゃんと地下に降りる通路がある。これでビックカメラの前に出られるかと思うと、通路は渋谷駅の方に向かっている。そこでようやく、ビックカメラの方に向かう通路と合流した。迷路のように複雑だ。この東口の方も、地下が二層になっているのだ。どうしてこんなことになっているのか。川が流れているせいだろう。渋谷は谷のどん底の地形だ。銀座線はデパートの3階に突入している。そこにさらに地下鉄を二本も入れるというのが、かなり無理があるのだろう。しかし、これで構造はわかった。もはや渋谷地下道の達人になった。
帰りに目黒川の緑道を通ると、カルガモのヒナにサクラエビをまいているおばさんがいた。この川のヒナは、3組いて、それぞれ生まれた時期が違う。おばさんは生まれたばかりのヒナにエビをやっていたのだが、すると少し前に生まれたヒナの集団が近づいてきた。おばさんはあわてて、少し移動して、大きいヒナにもエビをやった。自宅の方に進むと、第一期のヒナがいた。これはもう親と同じ大きさなので全然かわいくない。エサをやる人もいない。
さて、仕事。旅行中、飛行機の中などで、童話のプリントにチェックを入れた。これをまずパソコンに入力していく。丸一日かかったが、これで文章はパーフェクト。次に進む意欲がわいてきた。

06/25
北沢川を散歩。童話を進める。いい感じで前進を始めた。突然、原稿を送ったのでは編集者が驚くので、メールで、半月後に送ると通知をする。返信が来たのでこれで準備オーケー。締切なしの仕事なので、担当者が忘れてしまっているのではと心配していた。さて、本日はサッカーのはずなのに、何とWOWWOWの独占のようだ。今日からWOWWOWに入ろうかとも思ったが、これに入ると仕事ができないと前から思っていたので、がまんする。明日のスペイン戦は地上波で放送されるようだ。サッカーの始まる時間になると、何となくくやしいような気分になったが、NHKでウィンブルドンをやっていて、デシーとイヴァノヴィッチのまれにみる好ゲームをやっていて楽しめた。イヴァノヴィッチは、美人だと思う。目がパッチリしていないのに美人と感じるのは、わたしの好みなのだろう。

06/26
昨日、少しハードな散歩をしたら、太腿の筋肉が痛い。それでも軽く散歩した。とにかく旅行中に2キロふえた体重は、1キロは減った。さて、童話は前進しているが、本日は、サッカーを見る。スペイン対ロシア。ロシア旅行から帰ったばかりだから、ロシアにも愛着はあるが、スペインに3人姉妹の孫がいるわたしとしては、スペインを応援するしかない。試合前、国歌の演奏で、スペイン選手は誰一人として国歌を歌っていない。これは事情を知らない多くの国の人にとっては奇異に映るかもしれない。実は、スペインには国歌がない。いや、国歌のメロディーはあるのだが、歌詞がない。だから歌いようがないのだ。なぜ歌詞がないのかは、よくわからないのだが、スペインというのは国家よりも、州と呼ばれる地方国が主体となっている国だ。日本でいえば、薩摩とか津軽とかいう地方国の勢力が強いということで、バルセロナのあるカタルーニャはカタラン語を公用語としているし、巡礼が集まるサンチャゴ・デ・コンポステラのあるガリシアでは、ガリシア語が公用語だ。一般にスペイン語と呼ばれているのは、マドリッド周辺のカスティージャ語のことで、この言語をスペイン全体が支持しているわけではない。これとはまったく別系統のバスク語を話す人々の中には、独立を求めるテロ集団があるくらいで、スペインは、日本人には想像もつかない多言語国家なのだ。だから国歌の歌詞がないのだろうが、それにしても、多言語国家のベルギーやスイスやカナダでも、とりあえず翻訳で歌えるようになっている歌詞は用意している。スペイン国歌に歌詞がないというのは、やはり複雑な歴史があるのだろう。そんなことはどうでもいい。3対0の圧勝。今年のスペインはすごい。州ごとに独立性の強い国なので、国家という意識が希薄で、レアル・マドリッドとか、バルセロナとか、単独チームは強いのだが、国別の対抗では盛り上がらなかった国が、今回は若手の起用で勢いが出ている。レアル・マドリッドの主力のラウルが、メンバーからはずれるくらいに、若手が成長しているところが、今回のチームのすごいところだ。決勝の相手はドイツ。トルコと接戦しているチームだから、スペインは圧勝するだろう。日曜日が楽しみだ。それにしても、孫3人がいるおかげで、まるで身内のようにスペインを応援できるのが楽しい。もっとも、ピアニスト夫婦の長男のところは、サッカーにはまったく無関心で、たぶんテレビも見ていないだろう。スポーツ好きの次男のところの方が、徹夜で応援しているはずである。

06/27
ネット連載の担当者と三宿で飲む。この編集者とは学生時代からのつきあいであり、いままでもさまざまな仕事をした。天体写真家の藤井旭さんと共著を出したり、東芝の工場に取材にいって発売前のワープロを見せてもらったりした。いまのネットの仕事は、どういう人が読んでいるのかよくわからないままに一年ほどたってしまった。一年の区切りなので軽く飲んだ。締切のある連載は基本的にやらないことにしているのだが、友人であるので例外で引き受けてきた。区切りということなので少しほっとしている。

06/28
土曜日。コーラスの練習。何と久しぶりに全員出席。このコーラス団でわたしは最年少である。そのわたしが還暦であるから、メンバーは全員、老人であるが、このメンバーが一人も欠けることなく、まだ生きているということが不思議てある。

06/29
日曜日。雨の中をついて北沢川を散歩。あとはひたすら童話。すでに半分は越えて終盤に入っているはずだが、ここから先が難しい。もはやタレることは許されない。小説でも同じだが、後半になってから展開がゆるむと、読者はストレスを覚える。一歩も緩まずに、果てもなく盛り上がってそのままゴールに突入する、といった展開でなければならない。
さて今日はサッカーの決勝戦。ロシア旅行中も毎日、テレビでサッカーを見ていた。親戚の多いスペインが決勝まで進んだ。相手はドイツ。このまま起きて中継を見る。
さて、決勝戦、終わりました。スペイン国籍をもつ3人の孫をもつわたしとしては、わが国を応援するごとくスペインを応援しておりましたが、日本の選手と違って、スペインの選手はちゃんとボールがキープできて、ワンタッチでパスをしてもミスがない。とりあえず蹴るといったことがまったくなく、どんなキックも意図をもって蹴っている。そしてフェルナンド・トーレスの奇跡的な得点。いままでワントップで、おまり活躍できなかったトーレスが、最後に決めてくれた。長男の嫁さんの苗字がトーレで、わが3人の孫は皆、ミタ・トーレという苗字なので、ひときわトーレス君の活躍を期待していたわたしとしては、最高の結果であった。では、おやすみなさい。

06/30
まだサッカーの興奮が残っている。今回はロシア旅行中から毎日テレビで見ていたので、ヨーロッパを身近に感じた。孫3人のいるスペインが優勝したのもまことにめでたい。トーレスのゴールをスポーツニュースで何度も見る。さて、本日は出身中学の同窓会関連のインタビューを自宅で受ける。これば6月も終わり。童話は順調に進んでいるし、気持も盛り上がっているが、本来は7月1日から「マルクスの謎」に取り掛かる予定であった。一週間くらいずれこむか。まあ、出だしの部分はできているし、資料も読み込みつつあるので、すぐに調子が出るだろう。


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