「マルクスの謎」創作ノート2

2008年5月

5月 4月に戻る 6月に進む
05/01
前日、明け方まで仕事をした。「西行」2章終わる。一ヶ月以上前に完成した作品なので内容を忘れていた。いつも小説は十章くらいあるので、まだ2章かと思ったのだが、この作品は密度が濃いので、全体が4章になっている。ということは半分が終わったのだ。本日、四日市の孫が来ることになっているので、とにかくこの時点で半分が終わったというのは、順調である。1章は悠然とした導入部だが、2章はスピード感があって、一気に盛り上がっている。主人公がヒロインに会う前にすでに恋してしまっているというのが、この作品の主題であって、その感じがよく出ている。その出会いの瞬間まで、かなりひっぱっている。ぎりぎりまで弓の弦を引いて、力をためている感じがある。会ってからもまだ発射はしない。どこまでも我慢をするのがこの作品の醍醐味であるので、読者もいっしょになって我慢してほしい。昼前、「プロを目指す文章術」の見本届く。装丁、帯のコピーともに、よくできている。これは文章教室の決定版である。上級者篇なので、これまでの「天気が好い日は小説を書こう」の読者も読んでほしい。
夕方、四日市の次男夫婦到着。孫とは約一カ月ぶりの対面。次男のブログやケータイのテレビ電話などで顔はいつも見ているのだが、実際に目にすると体重5キロの存在感がある。あまり泣かない赤ん坊だが、低い声で何やらぶつぶつ言っている。次男の赤ん坊の時とそっくりだ。DNAはすごい。3章のチェックはこれから夜中の作業になる。

05/02
明け方までがんばって3章終わる。この作品は4章しかないので、残りあとわずか。この3章が恋愛小説としての山場なのだが、ヒロインと西行の間に、核となるような恋愛体験があるわけではない。かなり観念的なロマンスなのだが、そこから周囲に波紋が拡がっていくところがこの時代の歴史小説の面白いところだ。さて、本日は義父母を駅まで迎えに行く。もちろん義父母は孫を見るのは初めて。孫というのはわたしの孫で、義父母にとっては曾孫である。義父母にとっても、スペインにいる3人娘は曾孫だが、日本の曾孫で、しかも男の子であるから、まあ、感懐をもって曾孫と対面したと思われる。眠っている間は怒鳴るような声でぶつぶつ言うところは、最初は泣いているのではと心配するのだが、慣れれば機嫌のよい、めったに泣かない赤ん坊だとわかる。ともあれ、義父母、次男夫婦に新参の赤ん坊を加えた7人での生活が始まった。赤ん坊は百パーセント母乳なので問題はないが、そのぶん嫁さんに食べさせなければならない。ふだん二人きりで生活しているので、料理を作る妻に負担がかかる。こちらは仕事に集中。3章の半ばは終わった。

05/03
土曜日の祝日。こちらはひたすら仕事。ゲラ完了。連休明けに戻す約束であるが、余裕の作業終了である。一箇所だけ大幅な書き込みをした。ヒロインが死ぬところに桜吹雪というイメージ。あいにく夏なので季節が合わない。読経をしながら西行が幻想を見るということにした。夢を見るというのは一種の禁じ手で多用してはいけないのだが、一度だけならいいだろう。この書き込み以外はわずかな手直しだけ。摂政関白の藤原忠通が時々忠実(父親の前関白)になっている。校閲者に感謝。一人称にもばらつきがある。清盛だけ「おれ」を使う。他は「わたし」なのだが、身分の上下関係がある時や、改まった時は「わたくし」になる。あとは老人が「わし」を使う。日本語は面倒である。

05/04
日曜日。何事もなし。堺屋伝に取り組む。石油ショックの状況と、『油断』出版の経緯など。わたしも石油ショックを体験した。長男が生まれたばかりで、粉ミルクが不足するという風評に乗せられて、神田の問屋から20キロほどの段ボールをかついで帰った。その長男が3人の娘の父になっている。そういえばこの仕事場を建てた時、次男は幼稚園児だった。それが一児の父になっている。あたりまえのことではあるが、時間というものはたえまなく流れていくものだ。

05/05
月曜日だが祝日。雨。管理棟まで出向いてゲラを発送。あとはひたすら堺屋伝。

05/06
火曜日だが振り替え休日。次男が帰っていった。11連休だったそうだが、明日からは出勤だ。結局、孫と5日ほどいっしょに暮らしたが、存在感のある赤ん坊であった。いなくなると寂しい。機嫌のよい人物であった。

05/07
義父母を浜松駅まで送っていく。古道具屋で子供の椅子を買う。

05/08
三宿に戻る。日常に戻る。仕事場では前半は夜型だったが、生後一ヶ月の孫がいるので、つられて朝型になった。今日から夜型にする。

05/09
民主党本部で著作権についての説明。民主党の人々は文化についての造詣が深く好意的であった。ありがたいことである。帰りの緑道で、今年初めてのカルガモのヒナを発見。発見といってもすでに人だかりがあったから、遠くから見てもヒナの誕生だとわかった。この緑道の周辺の人々は、緑道の桜の開花と、いつしか棲みついたカルガモのヒナを心待ちにしている。目黒川は国道246号の南から先はふつうの川だが、北側は暗渠になっていて、その上に人工の小川が作られている。周囲には草花が自然の景観を形成しているし、もとからあった桜並木と融合している。不思議なことに、下水を再処理した水が流れているだけなのに、ドジョウやザリガニが住みついているし、錦鯉が泳いでいたりする。鯉は近辺の老人が放ったものだろう。しかしカルガモは勝手に飛来して、ここが安全な場所だとわかったようで、ずっとここに棲みついているのだ。ここには天敵はいない。カラスはいるが生ゴミがたくさんある地域なのでカラスのエサはほかにある。飢えたネコもいないし、カモに追われて逃げまどうネコを目撃したことがあるから、いまはカモの方が優位なのだ。この目黒川緑道はやがて烏山川と分岐して北沢川緑道と名を変えて、環七まで続いている。そこまでに何組ものカモが子育てをすることになる。カモの夫婦によって、子育ての日程にタイムラグがあるので、初夏までの間、どこかにヒナがいるという状態が続く。その点では、桜の花よりも長く楽しめる。

05/10
土曜日。もう土曜日か。今週は民主党本部に行っただけだった。わたしにとって、著作権の仕事はボランティアなのだが、しかし人とあって話をまとめたり、説明会をしたり、議論をしたりするので、それが仕事(わたしは「公用」と呼んでいる)みたいなものだ。連休期間は公用が休みになるが、そういう時には、自分の仕事(「私用」ということになるが、それでわたしは生活している)に集中しなければならない。来週は公用がいくつかあるので、この週末は貴重である。いまやっている仕事は、「堺屋太一伝」だが、『マルクスの謎』の準備もしなければならない。実はいろいろ考えてはいるのだが、このノートに書くほどまとまったことを考えているわけではない。そろそろ具体的な構想を練らないといけない。
本日は雨。薬が切れたので医者に行く。高血圧と花粉症の薬を飲んでいる。わたしスギが3ポイント、ヒノキは1ポイントなので、そろそろ花粉の季節は終わりである。前回の血液検査の結果。糖尿病、腎臓病、前立腺はオーケー。肝臓と痛風がやや注意。チーズとビール。これがないと仕事がはかどらない。命をすり減らしながら仕事をしているようなものだが、昔の作家のように毎日飲んだくれているわけではない。本日はエアコンの工事をやっている。この三宿の家に住んで22年。新築の時に各部屋につけたエアコンが順次、アポトーシス状態になっていく。寝室、ダイニング、居間と客間の順に交換した。去年の暮れだったか、書斎のエアコンがご臨終。22年、よく頑張った。といっても、ここを書斎として使うようになったのは、犬が死んでからだから、フルにエアコンを使うようになったのはここ6年だ。だから寝室やリビングに比べて長持ちしたのだろう。犬がいた頃は、リビングで仕事をしていた。つねに犬がそばにいた。この6年は孤独に仕事をすることになった。書斎のエアコンは壁の中に埋め込まれている。工事の人が苦労していた。日本人はよく働く。スペイン人なら、途中で投げ出して帰ってしまうと思われる難工事だったが、朝から暗くなるまで作業をして、きっちりと仕上げて帰っていった。感謝感激。

05/11
日曜日。何事もなし。久しぶりに北沢川を散歩。こちらのカモはまだヒナの気配なし。この北沢川の緑道は最近、環七までの工事が終わった。以前は某有名シンガーソングライターの家のあたりで左折して三軒茶屋の方向に回っていたのだが、いまは環七まで行ってUターンする。人工の川の右側(川の流れからすれば左岸だが)を進んで、Uターンして左側を戻ってくる。友人の弁護士の家の前だけは注意して川の反対側を歩く。暴力的な人物なので出会い頭に衝突したくないからだ。

05/12
月曜日。今週はハードな日々が続く。本日は姉の出ている芝居を観るだけ。あとで姉を自宅に招いて、舞台の感想と、わが孫の話。

05/13
文藝家協会で塾関係者と打ち合わせ。必要なことは話せた。夜中に文化庁から資料が届く。ざっと読んでメールを出したらすぐにまた返事が返ってきた。いつも思うことだが文化庁の人はよく働く。

05/14
ジャスラックで文化庁の人と打ち合わせ。ちょうどジャスラックでは定例の記者会見をやっていたので、その打ち上げに合流。軽く飲んで帰った。往復とも徒歩。快適な散歩であった。

05/15
作品社の担当編集者と大久保で飲む。「空海」「日蓮」と続いてあと、次は「親鸞」と決めていたのだが、もう少し資料をじっくり読みたいということと、親鸞の研究はいまも続いていて、学会でもイメージが揺れ動いている。あと数年、趨勢を見極めてから取り組みたいと申し出て、理解を得た。そのかわりといって何だが、二十歳くらい頃に構想していたプランがあり、それを話すと、賛同を得た。自分にとってのライフワークになる作品である。ただ4冊くらい連続で出さないといけないプランで、1冊目が勝負だと思っている。とにかく可能性に挑戦したいというこちらの思いが編集者に伝わったので、来年以降のプランが固まった。

05/16
やや宿酔だが本日は長い一日。午前中、文化庁の会議。午後、文藝家協会の理事会、懇親会。その後、NPOのスタッフと打ち合わせ。本当に長い一日だったが、明日は大阪で講演がある。これが終わって長い一週間が終わる。あと一日、何とかもちこたえたい。

05/17
土曜日。大阪で講演。母校の追手門学院で中学生を相手に短いスピーチ、それから大人を相手に講演、先生方と打ち上げの会食。日帰りのフル活動。昨日と今日、連続して長い一日であった。ようやく長い一週間が終わった。

05/18
日曜日。渋谷まで散歩。鹿児島おはら祭というのをやっていた。大勢の人々がさまざまな衣装を着て、これから踊りが始まるといった感じであったが、真夏のように暑い日で、陽射しも強く、踊る人は大変だろうと思われた。こちらは陽射しを避けて地下街に逃げた。渋谷の地下街は二重になっていて、目的地にまっすぐ行くのは難しいが、わたしにとってはわが庭のようなものだ。やや疲労がたまっているようで、帰りの道を歩く気力がなく、目の前にあったバスに乗ってしまった。西口のバス停にあるバスは、どれに乗ってもたいてい大丈夫だ。246を行くと三宿、淡島通りを行くと淡島、どちらでもいい。さて、自分の仕事をしないといけない。「マルクスの謎」について、マルクスの解説書にはしたくない。しかし、マルクスのことを知らない読者も読むだろうから、マルクスってこんな感じ、といったものが必要だろう。マルクスについて簡略に語るのは難しいが、そこで腕の見せどころだ。

05/19
貸与権センターの宴会。著作権法の改正で書籍の貸与権が確立されたことを受けて設立されたこの団体も5周年を迎えた。わたしは法律の改正に委員として関わり、またセンターの設立から利用業者との交渉にも立ち合ってきたが、実際にセンターの業務を動きだしてからは関わっていない。レンタル店で貸し出されるのはマンガと推理小説を中心だからだ。それでも「相談役」ということになっているので、宴会には出席する。文化庁の著作権課長も来ているし、関係者とも話ができて、出席した意義はあった。ことに訟務情報政策局の課長に挨拶できたのは収穫であった。一目で出来る人だとわかった。こういう人と出会うとこちらも元気が出る。さて、夜中は自分の仕事。堺屋太一伝。ゴールは見えているのだが、まだ少し時間がかかりそうだ。

05/20
本日は何もない。先週はフル稼働だったので、ウイークデーに何もないというのは、とても新鮮。ひたすら仕事。

05/21
本日も休み。堺屋太一伝、『団塊の世代』についての言及が終わった。その本は主人公が通産省を辞めるところを一つの区切りにしようと思っているので、ゴールは近い。そろそろ本格的に『マルクス』のことを考えないといけない。読者のターゲットは、一つはわたしと同世代の人々。つまり団塊の世代であり、全共闘世代でもある人々だ。かつては熱い情熱をもって全共闘運動に取り組みながら、やむなく社会に出てサラリーマンになったが、定年退職を迎えたこの時期に、あらためてマルクス主義とは何だったのかと考えてみたいという読者に、考えるヒントといったものを提供したい。この場合、マルクスの解説書とか、マルクス礼賛の本にしてもしようがないし、もちろんマルクスを単純に否定する本でもない。批判すべきところは批判しながら、マルクスの意味とは何かを検証したい。もう一つのターゲットは若い読者だ。お父さんの世代がなぜあれほど熱くなれたのか。その経緯を歴史を踏まえて語ると同時に、マルクス主義の限界とこれからの可能性について考えたい。可能性というのは、いまは格差社会で、小林多喜二の『蟹工船』がヒットしている時代だから、もう一度、マルクス主義によって格差社会の解消が図れないのかといった視点も必要である。そのためには、マルクス主義に頼らず、なぜこの世の中には貧民と富豪がいるのか。貧富の差はどこから生じたのか。それを解消をするためには何が必要なのかといったことを、わたしの考えで大胆に新たな論理を展開したい。わたしの新しいマルクス主義といったものを読者に伝えたい。
どうでもいいことだが、今日は散歩のついでに三軒茶屋の世田谷区出張所に出向いて、住民票コード入りの住民票をもらってきた。年金手続きのためというと無料だった。無料はありがたい。住基ネットという国民背番号制みたいなものには反対だったので、何やら通知が来た時には、そのまま放っておいたのだが、厚生年金の受給のためには、コード番号が必要だとのこと。とりあえずコード番号を確認して、書類に書き込もうとしたのだが、他にもいろいろと書類が必要なことがわかった。そもそも用紙の書き方が複雑で、何度も考え込んでしまった。大卒文科系のわたしが読んでもよくわからない文章で、これでは一般の労働者が手続きするのは不可能だと思った。しかしよく考えてみると、一般の労働者は六十歳になってもまだ働き続けているのだ。退職する時には、企業が手続きのアドバイスをしてくれるのだろう。六十歳になったばかりで年金を受け取ろうとしているわたしが間違っているのか。しかし大学を卒業してサラリーマンとなり、作家となったあとも客員教授などを務めていたわたしは、給料から年金の掛け金を天引きされていたのだから、当然、受け取る権利はあるはずだ。べつにお金に困っているわけではないが、厚生年金は税金ではなく、労働者が報酬に比例して払ったものだから、払った金額に応じて受け取る権利はある。それにしても、手続きがこれほど煩雑では、めんどうになって受け取らない人もいるのではないか。

05/22
大阪で講演。先週も大阪で講演した。今回は教育NPOの主催で、ジャスラックの部長と二人でやるので時間が短く、講演そのものは楽だったが、大阪は遠い。それでもわたしが学生だった頃は、大阪までは3時間10分かかった。普通車はリクライニングしなかった。そのことを思えば、いまは少しましになっている。先週は講演のあと宴会があって、ぎりぎりで新幹線に乗った。本日は時間にゆとりがあったので蓬莱の豚マンを買えた。

05/23
金曜日。公用なし。妻が留守。一人きりでのんびりしている。来年やるドストエフスキー論の資料など読んでいるが、その前に書かなければならない本が5冊ある。一つ一つクリアーしていくしかない。

05/24
土曜日。ひたすら仕事。ゴールに一歩ずつ近づきつつある。夕方からコーラスの練習。二次会でめじろ台まで行く。終わって電車の駅で、いささか感慨。このめじろ台というところには、30年前から22年前までの8年間、生活の拠点としていた。そこで長男は幼稚園と小学校卒業までを過ごした。この年月は軽いものではない。しかし過去を懐かしんでいるゆとりはない。いま、つねに勝負を賭けないといけない。来年はドストエフスキー論をやる。これはかつてない画期的な試みになる。このために、少しずつパワーを盛り上げていきたい。

05/25
日曜日。ひたすら仕事。

05/26
前夜、というか本日の明け方、堺屋太一伝、第一草稿完了。文字のチェックだけして編集部に渡す。一両日中にチェックを終えたい。明日には「西行」の再校が届く。やらねばならないことが多いが、並行してドストエフスキーについて考えないといけない。当面はマルクス論だ。頭の中が混乱しそうだが、とりあえず堺屋太一伝は手が離れた。編集部からの要望や、堺屋さん本人からのチェックもあるはずだが、しばらくの間は頭の中のメモリーから堺屋太一のことを消去する。「西行」も再校が終われば消去できる。で、ドストエフスキーとマルクス。これはまあ、永遠の課題なので、考え続けないといけない。その次の「原子への不思議な旅」(仮題)のことも考えたいが、いま原子を頭の中にインプットすると混乱するので、ぎりぎりまで考えないようにする。本日は文藝家協会で教材出版社と打ち合わせ。その場で考えて、すぐに消去。著作権関係はそれでいくしかない。

05/27
「西行」の再校ゲラ届く。とりあえず開けてみる。「僕って何」新版文庫の解説が同封されている。大崎善生さん。面識はないが、将棋の小説でデビューしていまは恋愛小説で活躍している人。好意的な解説で、元気が出た。ゲラはまだ見ない。堺屋太一伝、チェック完了。最後まで一定の文体で書けている。「空海」「日蓮」「西行」と書いてきたが、「西行」は続篇を想定しているので主人公は死なない。「空海」も「日蓮」も、その前の「桓武天皇」も主人公が死んで結びとなる。「西行」の場合は、うまく終われる仕掛けを考えた。初校で見て感じではピタッと着地が決まっている。堺屋太一氏も、まだお元気で活躍されている方だから、終わり方が難しい。仕掛けというほどではないが、締めの文章は用意した。とりあえず担当編集者にメールで送る。このメールで送るという作業が、いまだに何だか物足りない。本当に届いているのかと思う。
さて本日は日本点字図書館の理事会。議長を頼まれた。まあ、何とかできた。この理事会に集まっている人は、善意の人ばかりである。こういう集いに加わることができるのは、ありがたい。夜、ゲラに向かう。急ぐ必要はない。堺屋太一伝を頭の中から消去して、一人の読者として「西行」を読んでみたい。大幅な直しはないはずだが、読者としてわかりにくいところがあればチェックしたい。

05/28
本日は公用なし。「西行」の再校ゲラ。前夜、第一章終わる。全体が四章だから4分の1が終わった。長い導入部。何事も起こらないが、何かが起こりそうな緊張感が文体からにじみ出している。これが伝わる読者と、そうでない読者がいるだろう。そうでない読者は、申し訳ないが、お帰りいただく。一見さんお断りの世界だ。わたしこの作品を読者として、ここまで楽しんで読めた。何を書いたかはほとんど忘れてしまっているので、一人の読者として読めたと思う。状況の説明はややくどいが、それは歴史小説の宿命で、文章の流れの中で何度も必要な情報を発信して、読者にストレスなく時代状況を把握できる仕掛けがうまく機能していると思う。とにかくここまで完成度の高い展開になっている。

05/29
ジャスラックで会議。小雨だが歩いていく。往復歩くと1時間以上かかるので疲れるが、本日はわたしが議長を務める会議で、そっちの方で疲れた。一昨日の点字図書館の理事会も議長だった。議長というのはけっこう疲れるものだ。出かける前に「西行」の再校ゲラ、2章終わる。これで半分。ここまで、かなり直しが出たが、表現の重複やルビのつけ方の問題で、根底的なものはない。ということは、もとのり原稿がよく出来ていたということだ。もっとよくなるのでは、と思うようなところが何もない。全体によくできている。後半は話のスピードが早くなるのだが、たぶん先に行くほど密度が高く話が盛り上がっているはずなので、大きな問題はないはずだ。1章、2章が問題なく読めたので、まあ、大丈夫だろうと思う。

05/30
文化庁で会議。3章はやや読むペースが落ちた。動きが少なくやや観念的になっている。しかしこれは3章後半から4章にかけての激動の展開の嵐の前の静けさのようなものだ。

05/31
土曜日。小雨。夕方、3章終わる。最後の章だ。次男夫婦来て、孫と一ヶ月ぶりの対面。どんどん大きくなり、表情が人間らしくなる。


次の創作ノート(6月)に進む 4月へ戻る

ホームページに戻る