「イクメノオオキミ/活目王/新アスカ伝説A」創作ノート1

2001年12月〜

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12/01
月が変わったので、創作ノートとタイトルを変えることにした。これまで「新アスカ伝説」ということにしていたのだが、このシリーズは長く続くので、ここからは第A部のタイトルの「活目王」の創作ノートとする。9月の頭から書き始めた「角王ツヌノオオキミ」はようやく完成して、編集者に渡した。引き続き、第A部に移りたいところだが、少し疲れたので休む。ということならいいのだが、実はそううではない。諸事情で入稿が遅れている「ビッグバンの謎を解く」と「頼朝」がいよいよ入稿になるので、その前にもう一度、チェックしたいということで、今月は、この二作を読み返すことになる。一度書いたものをもう一度読むというのは、けっこう疲れる作業だ。
「ビッグバンの謎を解く」は、8月に一カ月で書いたもの。当初のタイトルは「ビッグバンと生命の謎」というものだった。これまで同じ版元から、「聖書の謎を解く」「般若心経の謎を解く」「アインシュタインの謎を解く」の3冊を出しているので、「謎を解く」シリーズの続編ということになるのだが、宇宙の始まりの謎は簡単には解明できないので、「謎を解く」ではなく、問題提起だけをするという意味合いで、「謎」にとどめておいた。しかし今回、リメイクのチャンスがあるので、もっと大胆に謎を解ききってみせるという決意をこめて、「謎を解く」に変更することにした。当初はまた「ビッグバンと生命」という二つのテーマを考えていたのだが、7対3くらいの割合でビッグバンの方に比重がかかっているので、単に「ビッグバンの謎を解く」とした。
それで今月は、「ビッグバン」と「頼朝」について考えることになるが、並行して「活目」についても考えることにする。というのも、実はもう「活目」を書き始めている。続編だから、「角王」が終わった時点で、そのまま次の章に進むような感じで、少し書いてみたら、いくらでも書けるという手応えがあった。しかしオープニングで失敗すると、脇道に迷い込んでしまう可能性があるので、10枚ほど書いたところで、冷却期間を置くことにした。というわけで、そこでストップしているのだが、これから考えるべきことは、果たしてこの書き出しでいいかということと、全体の大まかな構成を考えることだ。
「角王」の場合は、ツヌノオオキミがケヒの浜に流れ着くところから始まり、再びケヒの浜から去っていくところで終わるというのは、作品の根幹であり、最初から決まっていた。今回は、どこから始めるかということを考えないといけない。すでに「角王」には、主人公のイクメ王子も、もう一人の主人公ともいえるマワカ王子も、子供として登場している。二人ともツヌノオオキミすなわちミマキ王子の子息だ。厳密にいうと、イクメ王子の本当の父親はミマキ王子ではない。従ってイクメ王子には角がない。しかし天皇の後継者であるから、形式的には先の大王の子息ということになっている。偉大な父親の後継者でありながら、血がつながっていない、従って父親の王権のシンボルでもあった角をもたないということが、主人公のコンプレックスになっている。
一方、マワカ王子の方は、ツヌノオオキミの実の子息である。だから額に角がある。角があって、父親の霊力を継承していながら、大王の地位にはつけない。マワカ王子もまた苦しい立場を置かれている。この二人に女がからんで三角関係になるという、比較的わかりやすい構成になっている。第B部はヤマトタケルになる。ヤマトタケルは景行天皇の子息で、景行天皇は垂仁天皇の子息で、その垂仁天皇が今回の主人公のイクメ王子だから、この巻では、イクメ王子の子息の景行天皇が成長するまでを描くことになる。かなり長い時間を描くことになるが、前半の山場として、二人の王子の青春時代を描くことになる。
で、何でこの小説を書くのか、ということなのだが、まあ、あんまり厳密には考えていない。女帝三部作の場合、道鏡(孝謙天皇)と聖徳太子(推古天皇)を書く、ということは決まっていたのだが、二冊では寂しいので三部作を書くということから、間に持統天皇を挟むことにした。従って、真ん中の「炎の女帝」には書くべきテーマはなかったのだが、結果としては、藤原不比等という魅力的な人物を描くことができた。小説としても、「炎の女帝」は成功作だと思っている。というふうに、あまり期待していなかったものが、意外にうまくいくということがある。今回も、そういうふうになってほしいと思う。
はっきり言って、崇神天皇と日本武尊のつなぎの章なのだが、「角王」に出てきたマワカ王子という少年がとても魅力的だった。超能力がありながら屈折している。これはヒーローの条件ともいえるだろう。このマワカ王子の方が主人公かもしれないが、とりあえず作品はイクメ王子を主人公として展開していく。この人物もかなり屈折しているが、こちにはヒーローにはなりえない人物だ。そのあたりの関係がどうなるかは、書いてみないとわからない。適当に布石を打っていけば何とかなるだろう。
ということで、12月になった。本日は専修大学でシンポジウムに出席した。ホームページの業務日誌に「順天堂大学」と書いたら、主催者からメールが来て、「専修大学」ですといわれた。もちろん順天堂大学に行った記憶はないのだが、頭の中に水道橋あたりの大学、という情報しかインプットされていなかったようだ。というのは嘘で、専修大学には知人もいるし、確かに神保町駅から歩いていったので、専修大学に行ったことは記憶しているのだが、なぜ順天堂大学になったのかは、いまもって謎である。ワープロの変換ミスだろうか(まさかね)。 明日から、「ビッグバンの謎を解く」のリメイクを始める。時間がたったので、少し気分が変わった。序章のオープニングが暗くて重い。少し軽くすることにした。それから、序章からいきなり難しいことを語っているので、ここはカット。ビッグバンについては、もっと軽いタッチで語るべきだ。それから序章でDNAについて語っている部分は、作品の後半の、生命について述べた部分の冒頭に移すことにした。とりあえずビッグバンについてだけ語っていき、すべてを語り終えた時点で、これだけでは宇宙の謎のすべてが解明されたとはいえない、DNAについても語らねばならない、といった展開で言及することにした。
そこでかんりの量の文章を移動させることになるのだが、こんなものはワープロならあっという間だ。ただ場所を移動したので、読み返して多少は語調を整えたり、重複を避けたりする必要がある。こういう作業はけっこう面倒くさいのだが、これもワープロだから何とかなる。まったく、ワープロというものがこの世に存在しなければ、こんな作業はできない。わたしがワープロを使い始めたのは35歳の時だが、本当にいい時代に生まれ合わせたものだと思う。

12/06
「ビッグバンの謎を解く」のチェックをしている。3日ほど前から、急に腰が痛くなった。ぎっくり腰というほどひどいものではないが、ちょうどぎっくり腰の治りかけといった状態で、椅子に座っていると痛くなってくる。立っていれば何ともない。4日は文芸家協会の理事会で、椅子に長く座っていたので悪化した感じがする。昨日は早稲田文学の宴会で、これは立食だからずっと立っていればよかった。二次会はいつも座敷なので、欠席して帰って仕事をした。本日もまだ痛い。
痛みに耐えながら、チェックを続けている。序章の書き直しは完了。かなり長い説明になった。序章で言及したことが、本文に出てくるので、重複しないようにカットするか、言い回しをかえないといけない。そういう可能性がありそうなところはチェックし、可能性のないところは読み飛ばすことにした。8月に草稿を完成させた時点で細かいチェックは終わっている。確かにいま読み返すと、少々難解だ。序章でわかりやすく説明しようと思ったのだが、かえって難解になったかもしれない。宇宙発生の謎を解くのだから、読者も覚悟をもって読んでほしい。
「アインシュタインの謎を解く」の韓国語訳が最近出た。見ると、ハングルばかりだから意味不明だが、時々、図が出ている。わたしの本では図は一切使わなかったのだが、こうして韓国版を眺めると、やっぱり図があった方がわかりやすいかもしれない。で、今回は少し図を使うことにした。明日は仕事が二件ある。忙しい。腰が大丈夫か心配だ。

12/09
「ビッグバンの謎を解く」のチェック終わる。一週間かかったがそれなりの成果はあった。草稿の序章はいきなり難解な問題提起があった。今回は序章をすべて書き換えた。用語解説などを混ぜながら、全体の構想を平易に語ったつもりだ。しかし書けば書くほど難解になるという気もする。テーマがビッグバンだから仕方がないというしかない。
続いて「頼朝」のチェックに入る。こちらは頼朝の意志の部分を強化する。子供でもそれなりの意志はあるはずで、そこのところが草稿では見えていない。頼朝が出てくるところだけをチェックすればいい。前半は文覚が主人公になって展開するので、頼朝の出番は少ない。伊豆に流されてからが問題だろう。早い段階で頼朝の意志を明らかにしておかないと、主人公としての魅力が見えてこない。

12/13
「新アスカ伝説@」の担当編集者から電話があって、10章のうち7章まで読んだとのこと。面白いと言ってくれた。で、予定どおり6月にノベルスで出すとのこと。ノベルスの体裁の本を出すのは初めてだ。今年は書き下ろし文庫というのを初めてやってみたのだが、増刷になったという話は聞かない。小説家は本が売れないと生きていけないが、どうも世の中全体がおかしくなっていて、本も売れてないみたいだ。これはわたしの人気が落ちたということよりも、出版界全体がダウンしているのではないかと思われる。
本の定価が高いことも事実だ。何と比べて高いのか。吉野屋の牛丼やマクドナルドのハンバーガーと比べても仕方がないし、ゲームやCD、DVDと比べれば、本はまだ安いけれども、ゲームは何日も遊べるが、本は一回読んだら、それっきりだ。何度でもくりかえし読むに値する本、いつも手元において時々読み返したくなる本、本棚にあると何となく安心する本を書きたいと思う。要は、図書館で借りるのではなく自分の手元に置いておきたい本、けっしてブックオフには売らない本ということだ。
しかし自分で本を買う場合にも、高い本は抵抗がある。去年までは大学の先生をやっていたので、「研究費」で本を買うことができたのだが、今年は自分のポケットマネーで買うので、新書や文庫を買ってしまう。世の中全体が貧乏になっているので、ハードカバーはもはや売れないのではないか。ということで、ノベルスのサイズで出してみることにした。ノベルスの条件は、面白くてすらすら読めることだが、そういう内容になっている。でも、最後まで読んでいくと、重いテーマがじわじわと胸のうちにくいこんでくる。そんな作品が書けたと思う。「角王ツヌノオオキミ」ご期待いただきたい。できれば買っていただきたい。
で、「新アスカ伝説A」に取り組まないといけないのだが、現在は「頼朝」のチェックに取り組んでいる。「清盛」もそうだったのだが、本当の主役は後白河である。しかし、後白河ばかりが目立っていて、頼朝の影がうすくなるのも困る。読み返していると、後白河が出なくなると、作品の面白さのレベルが下がるようだ。文覚、西行といった脇役も活躍しているのだが、この二人も出ていない場面は苦しい。とくに大人になってからの頼朝に魅力がない。これではいけない。ということで、今年いっぱい、この作品に集中して、頼朝をレベルアップする。
「活目王イクメノオオキミ」は来年スタートということになるだろう。すでに冒頭の部分は書いてあるのだが。ヤマトトヨ姫という、手足のない肉塊として生まれた巫女が冒頭に登場する。これは「角王ツヌノオオキミ」のラストに出てきた人物で、その意味では作品は連続しているのだが、このシリーズは一冊だけでも独立して読めるものにしたいし、またこの本だけを読む読者に魅力的なストーリーを展開したい。この冒頭シーンは、たぶん、魅力的だ。何が始まるのかまったくわからないところがいい。その直後に、主人公イクメ王子が、サホ姫という薄倖の女性を犯すシーンを置く。読者サービスである。神さまの話ばかりだと動きがないので、人間のいとなみを入れる。この作品のもう一人の主人公、マワカ王子をどの段階で登場させるかが、当面の課題だ。1章は前回同様、15ページ(1ページ30行のワープロ画面で)つまり45枚と考えている。1章はイクメ王子で押しきって、次の章の冒頭からマワカ王子を登場させたいといまは考えている。

12/18
昨日、野間文芸賞の受賞パーティーに行った。教え子の清水博子さんが新人賞を受賞した。野間新人賞は、芥川賞、三島賞と並ぶ、上級の新人賞で、デビューした「すばる新人賞」を第一ステージとすると、第二ステージにレベルアップしたことになる。この第二ステージは、笙野頼子さんが「三冠王」になったように、重複して貰うことができるので、まだ先のステージがあるが、とにかく一つでももらえれば、ワンランクアップであることは間違いない。
野間賞に行く前に文春ネスコに寄って原稿を渡してきた。あとは「頼朝」だけだ。忙しかった雑用も今週末にパネルディスカッションが一つあるだけで、今年もようやく終わる。来年もけっこう忙しいようだが、今年は忘年会もあと一件(大学の同窓会)だけになった。仕事に集中できる。
「頼朝」は半分くらいまでチェックを終えた。石橋山の合戦の直前まで。実は問題はここから先だ。担当編集者のアドバイスで、頼朝のイメージを少し強くすることにした。草稿では、運命に引っぱられて何となく戦を始めてしまう感じになっていたので(事実はそうかもしれないがそれでは話として面白くない)、ここまで、頼朝が出てくるシーンをすべてチェックして、キャラクターを強めに変えていった。ある程度、強い意志と戦略をもって戦を起こしたという感じにしたい。
ここまではわずかな手直しですんだが、戦が始まると、もう少し具体的に頼朝のキャラクターを描く必要がある。枚数が少し増えるだろうが仕方がない。ここからは必要なシーンを新たに書き足すことになるだろう。ただし、ストーリーの流れを損なわないようにしたい。書くというのは一回きれのパフォーマンスといったおもむきがある。あとで部分的に書き換えようとすると、かえってぎくしゃくして読みにくくなることがある。これは読み手の立場に立って読み返すということで調整できる。
腰を痛めていたのだが、かなり回復した。それでも、仕事用の椅子に座るのがまだ怖いので、ホットカーペットの上の座椅子にがんばっている。これは妻の目から見るとかなり見苦しい状態ではないかと思う。妻のわたしに対する愛情が試されると思う。妻の気分には波があるので、危険な兆候が感じられれば対策を講じないといけない。座椅子で仕事をするといいことは、すぐ横で犬が寝ることだ。犬との距離が近い。犬の体温が感じられる。尻尾がわたしの膝に触れていることもある。顔がこちらを向いていると口臭が伝わってくるし、オナラが臭い。しかし、寿命が尽きようとしている老犬とコミュニケーションできるのは嬉しい。

12/19
アンサンブル・バリエのコンサート。これはわが長男がソルフェージュを習っていた先生が主宰する演奏集団で、教え子の若手演奏家たちが演奏する。JVCという難民救済のNGOが開催するチャリティーコンサートだ。この難民救済の活動は、メサイヤの公演もやっていて、十年以上も前だが、わたしもメサイヤのコーラスに参加したことがあるし、アメリカから招いたソロのアルトに自宅に泊まっていただいたこともある。それから指揮者のショスタコヴッチ氏(有名な作曲家のジュニア)を寿司屋に案内した時は、わたしが運転手を務めた。で、去年のチャリティーコンサートでは、わが長男のリサイタルをやってもらった。というようなことがあって、今年も聴きにいった。
木管四重奏を聴いていた時に、どういう加減か、突然、アイデアを思いついた。第3巻の「ヤマトタケル」についてだが、相模の海で死ぬオトタチバナ姫が、黄泉の国から復活して、別の人間として生まれ変わるというアイデアを思いついた。唐突に思いついたわけではない。オトタチバナという名前からの連想だろう。第2巻で、タジマのモリという人物が常世の国に赴く話が出てくる。これは「日本書紀」に出てくる史実、というか、とにかく書いてあることだ。モリは常世の国から、タチバナを持ち帰る。常世の国と黄泉の国は、日本の古代の世界観に出てくる天国と地獄みたいなものだが、いずれも死の国であり、どこかでつながっている。
タチバナとは、ミカンのことだ。ミカンは温暖な地域の作物で、豊かさのシンボルみたいなものだろう。このミカンが異界からもたらされたというところがポイントだ。モリは天皇にミカンを差し出すのだが、モリが持ち帰ったのは、ミカンだけではないはずだ。ここから先はわたしの想像なのだが、オオクニヌシやヤマサチヒコと同様、モリは異界の女人をこの世に連れ帰ったのではないか。そうしてその異界の女との間に生まれたのが、オトタチバナ姫ではないか、というのがわたしのアイデアである。だとすれば、彼女は異界の女とのハーフであるから、死んで黄泉の国へ行っても、そこの住人とはコネがあるわけだから、簡単にこの世に戻ってこられるのではないか。
この世に戻ったオトタチバナ姫がどうなるかというと、ヤマトタケルが死んでしまうので、今度はオトタチバナ姫が嘆くことになる。白鳥になった王子を追いかけていくオトタチバナ姫の姿を、作品のエンディングの盛り上がりとしたい。というようなことを、演奏を聴きながら思いついたのであった。この死者の復活というのは、第1巻でも使っているが、同じ手品のタネは、どんどん使うべきだ。同じことがくりかえし起こるというのが、神話の原理でもあるのだから。

12/22
「頼朝」のチェックは八割くらいは終わったが、ここからが問題だ。頼朝のキャラクターを少し強めにする、ということをやってきたのだが、早い段階で少し強めると、時間を追うごとにじわじわとより強くなっていく。草稿の頼朝は、強くならずに、強さと弱さの間を揺れ動いているので、後半に行くにつれて、草稿のイメージとのズレができてきて、話のツジツマが合わなくなっていく。ここまではわずかな手直しですんできたのだが、ここから先は大幅な書き換えが必要だ。
しかし、思いきって新たなシーンを加えることができるので、細かい手直しをするよりも、作業は進むかもしれない。正月はのんびりしたいので、今年中にこの「頼朝」の作業を終えたい。昨日、パネルディスカッションの仕事を終えて(なぜかガッツ石松、夏木マリ、花田紀凱というメンバーだった)、今年の仕事はこれで終わり。とくに今月はえらい忙しかったが、ようやくのんびりできる。のんびりというのは、時間に追われることがなくなったということで、仕事はしないといけない。

12/24
昨日、次男が帰ってきた。一泊して今夜は帰るのだが、クリスマスイブに息子がいるのは、まあ、賑わいになる。イブに自宅にいる若者というのもヘンだが、今夜中に土浦に帰らないといけないのだから仕方がない。毎日残業という過酷な日々を送っているようだ。こういう時代だから、仕事があるだけでありがたいと思わなければいけない。
さて、「頼朝」は昨日は7章が終わり、いよいよ最終章になった。ここは全体がアラスジだけになっていて、頼朝のイメージが少ないような気がした。直すのに一週間くらいかかるかと思い、ちょうど年内に片づくかと予想を立てていたのだが、今日、チェックしてみると、全体の流れが緊密で、直しようがないことがわかった。エンディングは泣ける。作者が自分で泣いてどうするんだという気もするが、この最終章はうまくできている。ここまで、頼朝のイメージをしっかり強化してきたので、最終章は手をつけないことにした。
ということで、突然だが、「頼朝」の草稿チェックは終わりである。つまり、完成である。これで入稿できるだろう。出版社の都合で入稿が遅れたのだが、編集者のアドバイスに従ってかなり書き換えた。結果として、70枚くらい原稿の量が増えた。量が増えても原稿料が貰えるわけではなく、本のページが増えて定価が高くなり、ますます売れない、ということになるのだろうが、それでも、よりよきものを書くという書き手の良心に従って、書き込みを加えていった。実際に、草稿よりは格段によくなったと思う。
明日は学研の担当者が「碧玉の女帝/推古天皇」の文庫本を届けてくれる。クリスマスで近所の飲み屋が混んでいるかもしれないので、自宅で祝杯をあげたい。この本は廣済堂出版部から出したのだが、その時の担当者が学研に移ったので、学研M文庫に収録することにした。女帝三部作の残りの二冊も随時文庫化することになる。三冊が揃ったところで、「角王ツヌノオオキミ」をペイパーバッグのサイズで出したい。予定は6月。それまでにあと2冊書いて、これも連続して出したい。
世の中は不況で、本も売れなくなっている。今年は「三田誠広の法華経入門」「ウェスカの結婚式」「天神菅原道真」の三冊の本を出した。「天神」は文庫書き下ろしだから最初から一万部以上刷り、かなり売れたはずだ。しかし残りの2冊はハードカバーなので、最初から刷り部数が少なく、本屋の店頭に並んでいる期間も短かった。読んだ読者からメールが届くので、少しは売れたのだろうと思うが、本屋に行ってもなかったという声も多い。本屋には本があふれているので、売れない本を置いておくわけにもいかないのだろう。
ということで、作家として生き延びるためには、売れる本を書かないといけない。「角王ツヌノオオキミ」は、売れる本を目指して書いている。売れればいいということではない。文学にして娯楽。横光利一が目指した純粋小説の理念を借用して、自分なりにトライしたいと考えている。「角王」は文学である。神秘的な哲学小説である。しかしテンポの速いストーリー展開があって、娯楽としてもなかなかのものである。そういう小説を書きたいと思って書き、ほぼ予定どおりに仕上がったと思う。
「角王」を書いてから、「ビッグバン」と「頼朝」の草稿チェックをした。「角王」のテンポのよさに比べれば、この2冊はいささか思い。しかし面白さという点では、負けていない。「ビッグバン」は何よりも、宇宙創造という魅力的な謎に挑んだ作品だ。この本を読めば、宇宙の始まりの謎が解ける。すごい本だ(と自画自賛する)。
「頼朝」はよくできている。歴史に絡んだ作品なので、ある程度、史実に忠実である必要があり、また歴史的事実を書き記す必要もあって、いくぶんかったるいところはあるが、歴史そのものの面白さがあるので、読者には満足していただけると思う。文覚と西行という脇役が光っている。わたし自身も大江広元という人物が好きなのだが。わが義兄にあたる、亡くなった岸田森という役者が、NHKの大河ドラマでこの役を演じていた。そういうことがあるのかもしれないが、頭のいい冷徹な人間というのが、わたしは割合好きだ。大江広元が脇にいるので、頼朝にはかえって人間味が感じられるようになっている。
「ビッグバン」も「頼朝」も事実に即した作品なので、事実をねじまげるわけにはいかない。そういう制約の中で書くことの面白さというものがあるし、読み手にとっても、事実に接する面白さがあるだろう。そこへいくと「角王」は嘘八百である。いちおう「古事記」「日本書紀」という資料はあるのだが、この資料そのものが、どこまで本当がわからないものなので、ある程度、自由に書き換えてストーリーを作った。何よりも神話の時代の話だから、神さまが登場する。
神さまは、空を飛ぶ。そこが面白い。「天神」でも、菅原道真が空を飛ぶシーンがある。何しろ天神さまなのだから空くらい飛ぶだろう。「碧玉の女帝」の聖徳太子も空を飛ぶ。空を飛ぶ小説は面白い。「角王」のミマキ王子は、自分では空は飛ばないが、さまざまな神さまや、竜や大蛇が出てくるので、すごいスペクタクルになる。まあ、読者サービスということを意識している。プレイステーションに負けないぞ、という思いもある。「ハリーポッター」の映画はまだ見ていないが、本を3冊買ってある。正月に読むつもりだ。読んでないが、「ハリーポッター」に負けないぞ、という思いもある。
さて、第2弾。「活目王イクメノオオキミ」だ。前作の「角王」はスペクタクルのオンパレードだったので、じっくり泣かせるシーンがなかった。いちおうヒロインは出てくるのだが、すぐに消えてしまう。今回はがらりと趣向を変えて、恋愛をストーリーの中心に据える。イクメ王子がサホ姫に恋をし、サホ姫はマワカ王子を慕い、マワカ王子はヒバス姫に恋し、ヒバス姫はイクメ王子に恋している。ざっというとそういうことになる。すごい悲劇だ。明日から、がんがん書いていきたい。

12/25
学研の担当者来訪。「碧玉の女帝」の文庫本届く。美しい装丁。「角王ツヌノオオキミ」最後まで読んだとのこと。すごく面白いと言ってくれた。しかしその面白さに比べれば「碧玉の女帝」はまだ生真面目で固いということ。仕方がない。「碧玉の女帝」だけでなく、「天神」を書いた今年の初めの頃も、まだ文学というものにとらわれていた部分がある。むろん「角王」も文学だと考えているけれども、ここではコンピュータゲームに負けない作品、という思いがある。「天神」は、コンピュータゲームとは無縁の読者を想定している。そういう想定では、読者がいなくなってしまうということだ。
さて、これで仕事はすべて終わった。最後の雑文600字もメールで送り、届いたという知らせが来たので、これで作業は完了。年間で2400枚の原稿を書いた。月200枚。いい枚数だと思う。これ以上増やすと文体が荒れるだろう。本を5冊ぶん書いた。「頼朝」「角王」に3カ月。「天神」「ウェスカ」に2カ月、「ビッグバン」に1カ月、手直しに1カ月。これで12カ月になる。雑文、雑用は大したことはない。やはり大学を辞めたので、だいぶ楽になった。文芸家協会、文化庁がらみで外に出る用は多かったが、それは外に出ている時間だけの問題だ。大学にいると、学生の宿題を自宅にもって帰って読むことになるので時間をとられる。大学の先生も講義だけだと負担にならないのだが。
かくして一年は終わった。このノートは「活目王」のノートなので来年まで続いていくが、いちおう今年のぶんはここでおしまいということにしよう。この続きは次の押しボタンで2002年1月のノートに進んでください。

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