「ツヌノオオキミ/角王/新アスカ伝説@」創作ノート1

2001年9月〜11月

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09/01
今日からこのノートを書く。ちょうど月のかわりめだが、「新アスカ伝説」の創作ノートとする。今日から本格的に、「新アスカ伝説」を書き始める。8月は「ビッグバンと生命の謎」を書いていた。8月1日からスタートして草稿は20日間で書き上げた。それから「新アスカ伝説」の資料を読み、オープニングの部分をテスト的に書き始めたりしながら、並行して「ビッグバン」の草稿をプリントして読み返していたが、チェックに意外と時間がかかった。宇宙の始まりについて論じるのは、けっこう難しい(当たり前だが)。見たこともないものについて語るというのは、一種のサギかもしれないが、本を書くという仕事はすべて、口先だけで何かを語る行為にすぎないのだから、胸をはってフィクションを書くしかない。
プリントした用紙に赤でチェックを入れる作業が一昨日完了したが、入力に2日かかった。それだけ直しが多かったということだ。で、本日、入力が完了。プリントとフロッピーのコピーも終わり、発送の荷造りも完了。で、完全に手が離れた。少し休みたい気もするが、そういうわけにもいきたい。「ビッグバン」の後半からは、早く「新アスカ伝説」を書きたいという思いが強かった。このまま一気に書き始めないと、集中力がきれてしまう。
少し涼しくなったので、気分よく仕事に取り組める。さて、「新アスカ伝説」について。これは通しタイトルで、とりあえず三部作と考えているが、編集者や読者の反応を見ながら、できればもっと長く続けたいと考えている。反応というのは、売れるかどうかということになるが。本は売れないといけない。ある程度、売れてくれないと、次の仕事の注文が来ない。版元も書店も、コンピュータでデータをつかんでいるから、売れないという実績を作ってしまうと、次の仕事にさしつかえる。
「三田誠広の法華経入門」は自分でやりたかった仕事だが、こういうものはそれほど売れるものではない。その意味では、「ウェスカの結婚式」は背水の陣だった。昨日、三軒茶屋の本屋に行ってみると、平積みで置いてあった。しかも一冊しか残っていない。同じ平台の他の本は、4冊ぐらいは積んであったから、「ウェスカ」は3冊は売れたようだ。ありがたいことだ。「天神」も何とか売れてほしい。こちらは書き下ろし文庫なので、それなりに売れてくれないと困る。
「新アスカ伝説」という通しタイトルについて。アスカとは、奈良県南部にある飛鳥とか明日香と書かれる地名に由来しているが、歴史小説ではなく神話をもとにしたファンタジーと考えているので、あえてカタカナで表記することにした。ここにヤマトという国ができる。中心になるとは、ハシハカ古墳に埋葬されているといわれるヤマトトトヒモモソ姫だが、名前が長すぎるので、ヤマトモモソ姫、あるいは単にモモソ姫と呼ぶことにする。
「新アスカ伝説」の「新」とは何か。これはむろん、「旧」に対応しているのだが、古事記や日本書紀を正史と考え、これを「旧い伝説」ととらえて、これに対抗して新しい伝説を書くという、こちらの気持ちを表しているともいえるが、出雲の伝説のオオクニヌシが、サキミタマ・クシミタマと呼ばれる自らの霊を三輪山に祀った時から、アスカの伝説が始まったと考えると、神話の時代から神武天皇、そしてその後裔までを旧いアスカ伝説ととらえ、崇神天皇から以後を「新アスカ伝説」と考えてもらってもいい。
三部作はいちおう、@崇神天皇、A垂仁天皇・景行天皇、B日本武尊というふうに考えている。しかし崇神天皇については、古事記や日本書紀の記述にはとらわれずに、自由に想像力をふくらませていきたい。主人公はミマキ王子。任那から流れてきた、角のある怪物のような人物である。この角がある人物は日本書紀の垂仁天皇の項に出てくる人物だが、この人物は実は崇神天皇そのものである。日本書紀では「ツヌガアラシト」という名前になっているが、これは明らかに「角がある人」がなまったもので、本当の名前ではない。わたしの作品でも、名前はなく、ミマナの城、すなわちミマキから来た王子ということで、ミマキ王子と呼ばれる。
「ビッグバン」の草稿が完成してからの1週間で、少し、オープニングの部分を書いてみた。霧の中に船が流れ着いて、ミマキ王子が登場する。浜で主人公を迎えるのが、オトヒコという人物だが、これは架空の人物ということになる。もう一人の崇神天皇といってもいいヒーローでもある。こちらはハンサムな若者である。ここから先は、実は、具体的なことは考えていない。心のおもむくままに、自由にストーリーを展開させたい。
ただ敵については考えてある。モモソ姫もオトヒコも、九州から来た。アスカには先住の軍団がいる。神武天皇の末裔ということになる。これは人間の敵だが、他に三輪山の霊を始め、神々がいる。ミマキ王子は渡来人だが、九州からの軍団も一種の渡来者だから、土着の神々とは当然、対立することになる。三輪山の霊は出雲のオオクニヌシのミタマだから、国津神ということになる。これに対して、モモソ姫の方は、天津神系であり、巫女であるモモソ姫には、天照大神の霊が宿ることになるのだろう。つまりこの物語は、天と地の神々の対決でもある。そこに渡来人のミマキ王子がオブザーバーとして参加することになる。一種のアウトサイダーだ。というところで、どんどん書いていきたい。

09/03
スタートして3日目。20枚くらいは書いたと思う。すらすら書けているようだが、描写が不足しているのかもしれない。主人公のミマキ王子を軸に、登場人物の紹介をしているだけだ。オトヒコという副主人公、ツチ神、クシミタマ、ヒコイマス、そしてヤマトモモソ姫、といったキャラクターが次々に登場する。イメージをしっかり書き込まないと読者は混乱する。それぞれのファーストショットはしっかり描写しなければいけないが、神は形がないので難しい。明日、学研の担当者が来る。学研シリーズの第一弾となった書き下ろし文庫「天神/菅原道真」をもってきてくれる。たぶん三宿で飲むことになると思うので、構想を話して、景気をつけたい。

09/04
学研の担当者、来訪。「天神」の見本。きれいな装丁で、上品な感じ。この作品は別の出版社のために書き下ろしたものだが、出版社の事情で出せなくなったため、学研で出すことにした。もともと文庫書き下ろしを前提として書いたものだが、これから学研でシリーズを始めるので、結果的にはよかったかなとも思う。が、出版不況は書き手の生活を脅かす。書き手は、書き手としての自分の立場を守るために、ある程度の売れ行きを自分の才覚で確保する必要がある。
「天神」の装丁はなかなかいい。月と白梅。「天神」は悲しい物語だ。一種の英雄譚だが、悲劇の英雄である。その悲しい場面に、白梅が登場する。従って、白梅を見ただけで胸が痛むということになる。むろん本を購入する読者はまだ中身を読んでいないから、白梅の意味はわからない。読み終えて、改めて表紙の白梅を見て、胸が痛む、というふうになっていてほしい。それだけの中身があると自分では自負している。
さて、「角王」だが、ヒコイマスは王家の人物なので、それなりの霊力をもっているはずだ。ただの仇役ではない。まずヒコイマスのファーストショットで、この作品の霊的なレベルを示さないといけない。仇役をいかに魅力的に描くかで作品のレベルは決まる。ここがこの作品の山場になるかもしれない。このシーンには少し時間をかけたい。

09/05
昨日の深夜、届いたばかりの「天神」を半分読んだ。もう何を書いたかすっかり忘れていたので新鮮で面白かった。テンポがよくどんどん読んでいける。在原業平がキャラクターとして傑出している。伊勢物語の世界と天神伝説が見事に融合している。これは自分にとっても記念碑となる作品だと思う。

09/06
このところ、パソコンにたたられている。8月の末に、新しいワードを入れようとしたら、メールソフトまで更新されてしまい、使い慣れないソフトで苦労することになった。これは使い方がようやくわかったが、まだ不明な部分もある。それから数日前、突然、マウスが反応しないという表示が出てパソコンが起動しなくなった。マウスをUSBにつないだら起動はしたが、今度はキーボードが動かない。で、キーボードをUSBにつなぎ、マウスをキーボードにつないだ。とにかく一つしかないUSBの穴がふさがってしまったので、デジカメをつなぐ時はどうするんだ、と思ったが、キーボードの裏にはマウス用のジャッグが2つあることが判明した。左ききの人のためのものらしい。差し込むのにキーボードを持ち上げないといけないので不便ではあるが、これでデジカメがつなげることも確認した。たぶんパソコンショップに行けばUSBの二股ソケットみたいなものを売っているはずだが、いまのところこれで用が足りるのでそのままにしてある。
本日、ペンクラブの言論表現委員会で図書館関係者と討議した。わたしは文芸家協会の知的所有権委員会の委員長をしているので、本来ならわたしが文芸家協会でやらなくてはいけないところだが、同委員会の委員は、この問題には消極的なのに対し、ペンクラブの方は、がんがんやる。ペンクラブはもともとそういうところだが、猪瀬直樹委員長のガッツもすごい。で、今日は図書館関係者とディスカッションをして、意見の交換をした。これは有意義であった。簡単にいうと、先進諸国では、図書館における本の貸し出しに応じて、著作者には著作権使用料が払われている。この「世界の常識」を図書館関係者は知っていながら、知らぬふりをしている。というわけで、いまだに日本の著作者は、タダで本を読まれてしまっているのだ。

09/09
スタートから一週間と少したったが、まだピッチが上がっていない。登場人物が少しずつ出てくるのを紹介しているだけで、物語も進んでいない。もっとストーリーを展開しないといけない。早い段階で大きな戦闘シーンを用意したい。派手に物語を動かさないと、読者は満足しないだろう。台風が近づいている。三ヶ日で遭遇した台風とまったく同じコースをたどっている。天気図を見ると、三ヶ日あたりで豪雨のようだ。仕事場は築二〇年の木造家屋で、少し雨漏りするところがあるので心配だ。

09/11
アメリカのワールド・トレード・センターの崩壊。たまたまテレビ朝日のニュースステーションを見ていたので、ビルが崩壊する映像も見ていた。驚くべき映像だ。ファンタジーなんか書いている場合ではないぞ、という気もするが、自分にいまできることはこれしかないので、仕事を続けるしかない。
主人公がクサカに到着してモモソ姫に会うシーンまで到達したが、ここで主人公の過去について語ることにした。当初、主人公の過去については謎のままにしておこうと考えていたのだが、それでは主人公の行動原理が不明になる。読者にはシンパシーをもってほしい。そこである程度、説明することにした。説明しすぎるとつまらなくなるが、思わせぶりなだけで中身がないという印象になってもいけないので、具体的なイメージとして提出することにする。韓国には行ったことがないが、テレビで見た映像などで、山河を描くことになる。

09/14
主人公がカツラギ山のヒトコトヌシの神に出会うシーン。これはとっさの思いつき。雄略天皇のエピソードだが、物語には繰り返し構造があるから、同じ話が何度出てきてもいい。次にヤタガラスと遭遇するシーン。このシリーズでは狂言回しとなる重要人物だ。人物というか、カラスなのだが。作業は順調に進んでいる。雑用も、昨日の保護同盟との話し合いがまずまずの成果を出せたので、問題はない。体調もわるくない。犬も元気だ。

09/19
スタートしてから20日近くになるが、ピッチが上がっていない。しかしキャラクターのイメージを定着させながら少しずつ前進している。シリーズの第一作なので、ある程度、用心深く進んでもいいだろう。今月の末には、半分以上のところには到達していたいのだが。

09/22
本日のNHKの「週刊ブックレビュー」という番組で、評論家の三浦雅士氏が拙著『ウェスカの結婚式』を紹介してくれた。ありがたいことである。とくに三浦さんが、「これは小説である」と言ってくれたことが嬉しかった。実は、小説だと思って書いていたのだ。三浦さんは、作家を喜ばすコツを知っているなと思った。

09/23
昨日、ひさしぶりに次男が帰ってきた。次男とは先月の末に軽井沢の友人の別荘へ行った時に会って以来だ。家族ぐるみでつきあっている友人なので、次男は幼稚園くらいの頃から、ひと夏に一度は、その別荘に行っていた。で、自宅に次男が帰ってきたのはいつの頃か、思い出せない。次男は就職して筑波にある研究所に勤務している。会社の独身寮が土浦にある。土浦は電車で上野から一時間とちょっと。通勤圏といえる。だが親のところに帰っても楽しいことは何もないだろう。今回も、大学時代の友人との飲み会があったので帰ってきたのだ。でも親としては、息子の顔を見るのは嬉しい。長男はスペインだから、簡単に会うというわけにはいかないが、長男からはけっこう頻繁にメールが届く。スペインの風物がまだ珍しいらしくて、報告すべきことがあると感じられるのだろう。それに比べれば、次男の生活は単調そうだ。もっとも子供の性格の違いというものがある。次男は昔から、学校で起こったことをまったく報告しない子供だった。
さて、「新アスカ伝説」だが、主人公のツヌノオオキミが、カラ国の恋人と再会するシーンが迫ってきた。ここが山場だ。恋人は自殺して、その魂が東へ去った。そのあとを追うようにして主人公は日本に来たのだ。だからここで現れるヒロインは、霊である。幽霊ではない。霊が人の形をとったものだ。オルフェの物語や、イザナギ、イザナミの神話のような話ではあるが、悲劇ではない。子供が出来て五代のちに神功皇后が生まれることになる。いま「神功皇后」という文字が即座に出てきたのは、さすが一太郎だ。
ここが作品の前半の山になる。ここに至るまでに、すでに山場はいっぱいあるのだが、このあたりが最大の山だ。ファンタジーだから、ハリウッドの映画のように、次々と山場を展開していかなければならない。退屈な小説を書くと飢え死にする、という危機感で小説を書いている。「天神」を読み返してみたが、出だしは面白いが、途中から歴史にとらわれている。歴史を描こうとすると、説明が多くなって、書く方も読む方も疲れる。今回は神話だから、歴史にはとらわれない。もちろんもととなる神話の素材はあるが、適当に取捨選択し、必要なら捏造して、面白さにこだわりたい。
全体を10章と考えていて、いまは3章の半ばだ。このペースでいくと、完成は来月の末くらいになってしまう。ほんとうは一ヶ月に一冊、本を書かないと、経済的に苦しくなるのだが、今回はシリーズの第一弾なので、時間がかかるのは仕方がない。次の作品はもっとスムーズに書けるだろう。三冊目がヤマトタケルなので、神功皇后には到達しない。読者の支援によって、神功皇后までたどりつきたい。

09/25
今月も月末が迫ってきたが、まだ半分のところにも到達していない。しかし前半の最大の山場ともいえる、アカル姫の霊が甦るシーンに到達した。この作品はファンタジーであり、中心となるのは政治力学だが、ファンタジーはロマンチックである必要があるので、ヒロインをどう描くかがポイントになる。2代目ヒミコともいえるモモソ姫は、ヒロインではあるのだが、神がかった人物なので恋愛の対象とはならない。主人公のミマキ王子は婉曲にこの姫を避けることになる。そこでべつにヒロインが必要となるのだが、スタートの時点ではイメージが確立されていなかった。主人公は朝鮮から渡来するので、故郷における物語を作るかどうか、少し迷った。過去は一切、謎、ということにしておいた方が、奥行きが出るかとも思ったのだが、何もないと雲をつかむような話になるので、ある程度、物語を設定することにした。アカル姫というのはその段階で出てきた人物で、日本書紀にも名前が出てくる人物だが、名前があるだけで何の情報もない。すべてをフィクションで捏造することになる。この名前の響きが気に入った。神功皇后につらなる人物という設定なので、それなりに神秘的な人物として描かないといけない。この作品は始まってから次々に神さまが登場し、霊力が続出することになるので、ミラクルパワーの大安売りになってしまいそうだが、どんどん出していて、後半にいくほどさらにパワーアップするという覚悟で書いている。書き手のしての想像力が試される作品だと思っている。

09/29
宮崎の日南市で講演をした。中学校の国語の先生の研修会。「いちご同盟」が掲載されている東京書籍の国語の教科書は、宮崎では100パーセントのシェアだとのことで、だから国語の先生は当然、「いちご同盟」を読んでいることになる。ふつうの講演会ではまず自己紹介から始めなければならないところだが、宮崎の国語の先生の集まりでは、わたしは有名人であるので、自己紹介の必要がない。中学生もみんな「いちご同盟」を読んでいるし、わたしの顔も知っている。もっとも教科書に出ているのは、最初に採用された8年前のわたしの顔写真なのだが。
宮崎では、前日に入って一泊したので、講演の前の午前中は、時間があった。作品について考えた。書き始めた時に、ある程度、作品内部の世界観について考えたつもりだったが、書きながら変わっていった部分もあるので、東京に戻ったら、最初からチェックすることにした。時間はかかるが、あとで訂正するのも大変なので、ここでしっかりと基礎を固めておきたい。
世界観というのはどういうことかというと、作品内部の約束事みたいなことだ。いちおう古事記や日本書紀に書かれていることを前提としているのだが、神とは何かということを、認識し、確認しておく必要がある。もちろんその全体を読者に示すわけではない。必要に応じて少しずつ明らかにしていけばいいし、最後まで謎として残しておく部分があってもいい。また、今回の作品はツヌノオオキミがケヒの浜に流れ着くところから、死ぬ(というか姿を消す)ところまでを描くことになるが、その何十年かの間の出来事とはべつに、その前後の歴史がある。天地創造から崇神天皇の登場までの歴史があり、崇神以後の歴史もある。それをどの程度、作品の中に取り込むかということが問題になる。
ツヌノオオキミの敵として登場する人間たち、たとえば、ヒコイマスは、先のオオキミの子息ということになっている。先のオオキミは開化天皇で、そこに到るまでに神武天皇から九代の天皇の系譜があるわけだ。さらに神武天皇の父、そのまた父、そのまた父の物語がある。そういえば、宮崎ではあいた時間に鵜戸神宮という神社に参拝した。海に面した洞穴の中に神社がある。祀られているのは神武天皇の父だ。「お乳岩」というのがあって、それは神武天皇の父を育てた母の乳房をかたどったもののようで、安産のシンボルとなっている。この母というのは、神武天皇の祖父にあたる、ヤマサチヒコが兄のウミサチヒコとのいさかいの後、失った釣り針を求めて海の底に沈み、海の神の姫をつれて戻ってくるという伝説に登場する女性で、正体はワニということになっている。クロコダイルとかアリゲーターではない。ワニザメだ。このワニの姫は妹を伴っていて、やがて生まれた子の乳母となる。その子は乳母になついて(母はワニであることを夫に知られたため海に戻ってしまう……ツルの恩返しや信田のキツネと同じ構造)、結局、乳母と結婚することになる。そこで生まれたのが神武天皇だ。乳母ももちろんワニだから、神武天皇はワニと人間のハーフである、というより、祖母もワニだから、3/4がワニだということになる。
こういう話も、むろん崇神天皇と関係してくることになるのかどうか。同業者の高城修三氏から「神々と天皇の宮都をたどる」という本を寄贈された。これが実に役に立つ本だ。天皇陵と宮城跡のガイドブックみたいなもので、そこに高城氏の見解も表明されている。だいだいわたしが考えていたのと同じようなことが書いてあるのだが、少し違うのは、高城氏は神武天皇の出身地の「ヒムカ(日向)」を福岡県と特定されていることだ。わたしはやっぱり宮崎県だと思う。べつに宮崎に行ってごちそうになったからというわけではないが、鵜戸神宮のたたずまいには、神秘的なものを感じた。ウミサチ、ヤマサチの伝説は、日南の海岸でないとリアリティーがない。
今回の「新アスカ伝説」は、とりあえず三冊書こうと思っている。最初はツヌノオオキミ(崇神天皇)、次はイクメノオオキミ、それからヤマトタケルということになる。その間に、イクメノオオキミ(垂仁天皇)の子で、ヤマトタケルの父にあたる景行天皇が挟まっているのだが、天皇をすべて主人公にしていったのでは、聖徳太子にたどりつくまでにわたしの命がもたないので、割愛する。ヤマトタケルはビッグネームだから、作品としても、最高のものを書かないといけない。しかしいまは、いま書いているツヌノオオキミが最高の作品であると考えている。そうでないと書けない。
で、その先には、神宮皇后のシラギ遠征がある。そこまで書ければと思っている。そのための伏線もはらなければいけない。作品の冒頭、主人公のツヌノオオキミが、カツラギ山のヒトコトヌシの神と出会うシーンがあるのだが、ここで神が予言する。ツヌノオオキミから五代のちの女帝がミマキを救う、という予言だ。ミマキとは任那の城壁都市国家であり、そのため主人公はミマキ王子と呼ばれる。
これが作品に引き続く歴史だが、前史としては、オオナムチ(大国主)の国譲りがある。アマツ神とクニツ神の闘いでアマツ神が勝利し、オオナムチは根の国に赴く。そのおり、オオナムチの怨念がクシミタマと呼ばれる怨霊となって、ミワ山の地下にひそむことになる。これがオオモノヌシと呼ばれる神である。これが、主人公の最大の敵となる。こういう前史を、どのようにして読者に明らかにしていくかが、直接のストーリーを語る作業と並行して、重要になってくる。表面上のストーリーに沿って、前史が少しずつ明らかにされていく。これは伏せられたトランプカードを一枚ずつ明らかにしていく作業で、ポーカーみたいなものだ。前史の時間軸とはべつに、カードを明らかにしていく順序が重要だ。最後の一枚は、伏せたままでもいい。
もう一つ重要なのは、古事記、日本書紀とはべつに、新たな前史を創ってもいいということだ。古事記と日本書紀で矛盾しているところはどちらかを採用しなければならないが、これらは正確な歴史書ではなく、伝説を書き留めたものにすぎないし、風土記などではまたべつの物語が書かれていたりするし、神社に伝わる伝説はまたべつのものだったりする。だから、嘘を書いてもいいのだ。「天神」の冒頭は出雲の神社に伝わる伝説をもとにしたフィクションである。これもたまたま講演で旅行した時に、案内してくれた車の運転の人が紹介してくれた伝説で、その時は天神さまについて書くつもりはなかったのだが、出雲という土地の魅力について考えている時、菅原道真が神の子なら、出雲で生まれたはずだというアイデアがひらめいた。「天神」という作品は、そのアイデアだけで書き始めたものだ。
古事記や日本書紀に出てくる、頭に角のある「ツヌガアラシト(角がある人)」あるいは「アメノヒボコ」と呼ばれる不思議な人物を、崇神天皇と同一人物であるとするのが、今回の作品の要で、ここのところはわたしの創作であるし、作品の根本モチーフでもある。これはいわば「嘘」の部分だ。こういう「嘘」がなければ、小説というものは成立しない。古事記や日本書紀という歴史書に何かを付け加えるというのは、要するに、どれだけ新たな創造ができるかということだ。この角のある人のイメージは、3章までを書いた手応えとしては、なかなかうまくいっていると思う。
さて、スタートから一カ月になろうとしているのだが、まだ半分もできていない。構想を練るのに時間がかかったが、ここまで、いい感じで書けているので、わたしにとっての最高傑作になると信じる。十月はもって書くスピードを上げたい。

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