平安時代ノート05

2018年5月

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05/01/火
大学の2限の授業を終えて自宅に戻る。午後1時45分に出発。日が沈んでから仕事場に到着。6泊できる。仕事をかかえているので、のんびりできるわけではないが、授業がないし大学の雑務もないので、気分的にはのんびりできる。

05/02/水
午後は嵐だという天気予報なので午前中に三ヶ日のスーパーで買い出し。水の出がよくないので水道局の人に来てもらって解決。予定では本日仕事場に移動するはずだったのだが、雨の中を走りたくなかったので無理をして昨日のうちに移動したのだが、昨日来てよかった。明日からは休日だから水道局が対応してくれなかっただろう。メーターの交換をする時に、いったん閉めた水道栓を、充分に開かなかったようだ。さて、『平安時代の反体制文学/源氏物語の謎を解く』の書き直し。まず「はしがき」を全面的に改稿。まったく新しく書き直した。あとはもとの原稿に赤字を入れていくだけで調整できる。

05/03/木
雨が上がったので土岐アウトレットに行く。靴を2足買う。7割引だったので、高速代の元がとれた。

05/04/金
この仕事場を管理してもらっている大工さんが来たのでいっしょに昼食に出かける。人気のハンバーグの店に行くと3時間待ちだと言われたので回転寿司に行くと10分待ちで入れた。ビール2杯飲む。『源氏物語』は順調に進んでいる。だがまだ先は長い。

05/05/土
鷲津で買い物。夕方、庭の草むしり。疲れた。

05/06/日
5月の連休は浜松祭があるので、浜松市内は渋滞しがちだ。仕事場のある三ヶ日は、昔は引佐郡三ヶ日町といっていた。ほとんど愛知県に近い辺境なのだが、いまは浜松市内になっている。東名の三ヶ日インターがあり、浜名湖をめぐってから浜松に向かう車がけっこうあって、いつもより交通量が多い。本日は例年の3連休ではなく、たまたま日曜になっているだけで、浜松祭はもう終わっている。交通量も少なくなっていた。西気賀の駅舎にあるレストランで昼食。これで今回のスケジュールは終わり。『源氏物語』のチェックも半分を過ぎた。前文をそっくり書き直したこともあり、作業の半分以上は終わった感じだが、赤字がびっしり入ったので入力作業が大変だ。しかし新たに書き加えた量よりもはるかに多い量を削ったので、そういう部分を消去していく作業は愉しいのではないかと思う。6泊の仕事場滞在も本日で終わり。明日は朝から雨になりそうなので、資料の入った鞄を車に積み込んだ。パソコンは今夜も使うのでそのまま。パソコンを入れる鞄に、赤字を入れる作業のためにまだ手元に残しているプリントの束を詰めれば、そのバッグだけを車に積み込むだけでいい。荷下ろしは集合住宅の地下駐車場なので雨でも大丈夫だ。火曜は2限だけの日なので、作業を進めたい。

05/07/月
昨日まで自分が起きているころから雨が降り始めた。豪雨。風がないのでまだましだが。荷物の半分は昨日のうちに車に積み込んであったが、パソコンや資料は夜中の作業に使ったので、バッグにつめて運ぶ。仕事場は丘の上に建っていて駐車場は下。ビールのケースを運ぶのももう限界なので飲まないようにしている。7時に起きたので9時には三ヶ日を出発できた。新東名はすいている。いつもはトンネルが多く、運転している妻の緊張が伝わるのでこちらも緊張するのだが、雨の日はトンネルの中に入るとほっとする。静岡SAと海老名SAで休み、午後2時に御茶ノ水到着。都夫良野トンネルを越えると、関東平野はまだ雨になっていなかった。車をかわかしながら走れたのでよかった。

05/08/火
久し振りの大学。先週の火曜の2限のあとで仕事場に向かった。その同じコマ。白樺派の話。今日はこの1コマだけ。自宅に帰って大学のメールに対応。それだけでかなり時間をとられる。終わってからスーパーに買い物。酒がなくなった。ウィルキンソン炭酸がなくなっていた。代わりにカナダドライが安売りになっていた。泡が出れば何でもいいのだが、微妙に違うような気もする。あとは『源氏物語』の書き直しの作業だが、後半になるとあまり直すところはない。それでも読む度に手を入れたくなる。

05/09/水
大学。2限は昨日の続き。3限は大学院。宮沢賢治の話。終わってメールなどの作業の後、2限の授業の学生レポートを読む。100人いるので、読むというよりも、一瞥するというくらいか。ある程度の分量で書かれ、キーワードが押さえられているかを、一瞬で判断する。量が少ない場合のみ、じっくり読んで、量が少なくても的確に書かれているかを判断するのだが、これもだいたい一瞬で判断がつく。5時までかかったので自宅に帰り着いた時は6時を過ぎていた。まあ、仕事だから仕方がない。研究室で『源氏物語』の新たに書いた「まえがき」と、書きかけの『小説を深く読む』の6割ほど書けた原稿をプリントする。週末、旅行に出るのでこのプリントを持って出ようと思っている。

05/10/木
大学。というか、わたしにとって、一年でいちばん長い日。2限と3限の授業を終えてから文藝家協会の総会の会場の私学会館へ。常務理事会、総会、理事会、懇親会のあと、スタッフの慰労会。それから岳真也さんと少し呑んで帰宅。長い1日だったが、さまざまな人に会って意見を交換した。こういうことがあるから、自分が生きているという実感がもてる。とにかく無事に自宅に帰り着いた。明日はのんびり休みたいところだが、三鷹サテライトで社会人向けの講座がある。

05/11/金
三鷹サテライトで2コマ。2回目なのである程度の慣れがある。いい話ができていると思う。

05/12/土
妻の希望で大曲の花火を見に行くことになった。なぜか仙台から出発するツアーだとのことで、新幹線で仙台へ。そこでツアーに加わってバスで出発。夕方、大曲に着く。駅前のビジネスホテルに荷物を下ろして、またバスに乗り会場へ。大曲の花火といえば夏なのだが、数年前から春にもやっているとのこと。ちょっと寒いが防寒具は用意したので気持よく花火を見た。音楽とシンクロした花火が目の前で展開される。音楽の音量が大きく、花火の破裂音は顔面に風圧を感じるほどで、それに花火が眩しすぎる。サングラスをかけて目を防御した。音量はすぐに耳が慣れた。終わって大群衆とともに道路を歩く。バスの駐車場を通り過ぎて、駅前のホテルまで歩く。30分くらい。徒歩圏のホテルに宿泊するというのがこのツアーの特色らしい。確かに人が道路を歩いていると、駐車場のバスは出発できないし、それから遠くのホテルまで行くので、夜半をすぎる場合もあるようだ。われわれは9時すぎにはホテルに到着。ビジネスホテルなのでシングルの部屋しかなく妻とは別の部屋。これがよかった。かねて用意のウイスキーやビールで一人で酒盛りする。妻と一緒だとこうはいかない。

05/13/日
やや宿酔。だが今日はバスに乗って帰るだけ。ただ帰るだけではおもしろくないので、角館に寄るという設定になっている。まあ、初めての町だし武家屋敷があって、2時間ほど散歩して、宿酔が快復した。途中の道の駅で昼食休憩は、ステーキ丼を食べる。昨日の昼も夜も牛肉弁当だった。勢いがついて仙台でも牛タン弁当を買って新幹線に乗ったのだが、乗る前に妻が「ずんだシェーク」というのを飲むというのででMeTooと声をかけて飲んだ。これが腹にもたれて、弁当は自宅に帰ってから食べた。『源氏物語』の追い込みの大事な時期だが、まあ、妻へのサービスだ。妻がいないとわたしは生きていけないから仕事もできなくなる。

05/14/月
授業はないが昼休みに会議があるので大学へ。少し早めに着いたので教員室でプリントのチェック。ついに作業が完了。これで赤字の入力にとりかかれる。やや長びいた会議を終わるとただちに自宅に戻る。まず編集者から要望のあった『源氏物語』の系図をメールに添付して送る。それから入力開始。とくに出だしの部分は大幅に書き直したので入力がたいへんだ。とにかく集中力を持続させてがんばった。明日も作業ができそうだ。

05/15/火
2限の授業だけ。ただちに自宅に戻り、作業を続ける。今日は妻が留守なので、ひたすら作業ができる。ようやく第二章までの入力が終わった。全体は6章なので、まだ3分の1だが、ここから先は大幅な書き込みはわずかしかないので、作業のペースは上がるだろうと思う。ただ水曜と木曜は大学がフルにあるので、作業に集中できるのは金曜から週末にかけてだ。それで入力作業も終わり、完成ということになるだろう。担当編集者と、集英社の編集者の二段階のチェックを受けて、大幅な書き直しに応じたので、これで最終だろうと思う。校正ゲラはあまりいじらなくていいだろうと思う。そうあってほしい。

05/16/水
2限と3限の日。だが本日は学部長会議があるので1日が長い。とても疲れた感じがする。真夏のような暑さが続いているせいか。本当の夏はこんなものではないのだが、まだ体が暑さというものに慣れていない。先週週末、大曲で久し振りに「寒さ」を体験したせいかもしれない。寒い方がまだましだと思う。さて、帰宅したのは夕刻。本日はあまり作業は進まないだろうが、メールの確認などでパソコンのふたを開いたので、どりあえず少しは作業を進めた。もう赤字びっしりの書き込みはないが、読み返すと気がつくことがあるので、けっこう赤字が入っている。だが、ただ削ればいいだけのところもあるので、どんどん前進できる。この週末に完成させたい。

05/17/木
木曜は3コマある。2限は2年ゼミ、テキストに沿って解説すればいいのでこれは楽。3限は3年ゼミ。次週からプレゼンテーションになるのだが、本日は自分が一人で90分しゃべり続けたので疲れた。4限は4年ゼミ。これは雑談学の時間。学生たちに近況報告をしてもらう。就活中の学生は面接の状況を話してくれた。当ゼミの学生は、面接においても「笑いをとる」ということをコンセプトとしているので、話をきいていても楽しい。就活を中断している学生もいる。内定、またはほぼ内定なので余裕がある。彼らの話もとても楽しい。わたしは学部長として「明るく楽しい文学部」というスローガンを掲げているのだが、当ゼミはまさにスローガンどおりの学生たちが集まっているので、90分間、笑い続けていた。さて、大学も今週はここで終わり。幸い明日の金曜から週末まで他の仕事が入っていないので、仕事に集中できる。赤字入力を一気に仕上げたい。

05/18/金
本日は休み。起きてすぐに近くの医者に行き、いつもの薬をもらう。今回から妻は高齢者割引になる。自宅に帰ってひたすら赤字入力。午後4時ごろに完了。やれやれ。この仕事に半年もかかってしまった。まあ、本が一冊出れば、一つのステップになる。未来が開けていく。

05/19/土
3連休の真ん中の日。この週末を赤字入力にあてようと思っていたのだが、昨日の午後、完了してしまった。毎日コツコツ少しずつ入力してきた成果だ。妻が本日も明日もいないので、とりあえず仕事をする。半分まで書けている『小説を深く読む』を最初から読み返して、文体を少し軽くしたい。文学の話をするとどうしても理屈っぽくなるので、その場の思いつきみたいな随想ふうの文章で気軽に読めるようなものに変えていきたい。並行して河出に提案するプレゼンテーション。二案併記にして営業部に選んでもらうということにしたい。一つは『白村江』の続篇の『壬申の乱』。もう一つは全共闘運動50周年ということなので、自分の青春時代の回想録のようなもの。後者の方がタイムリーかなとは思う。続篇の方は少し間を置いても出せるのではないか。ただしばらく純文学の小説を書いていないので調子が出るか。読者がついてきてくれるか。『壬申の乱』の方が安定した読者がいるようにも思える。いまどちらを書きたいかといえば、『壬申の乱』は資料もすでに揃っているのですぐに書けるという安易さはある。回想録も自分の記憶をたどるだけだが、こちらは少し難しいかもしれない。羽田闘争の死者や、詩人の佐々木幹郎や、実在の人物が出てくる。自伝みたいなものになるとものすごく長くなるので、高校時代だけに絞りたいと思っている。それでは埴谷雄高の話は書かねばならない。50年前を舞台にしたビルドゥングスドラマになる。それなりに内容のあるものになるはずだ。

05/20/日
日曜日。妻は外出。ひたすら仕事。『小説を深く読む』というエッセー。半分は書けているが、最初から読み返して、少しずつゆるい文章に変えていく。そういう書き換えの作業。

05/21/月
大学。同慶節。親鸞の誕生日と創立記念日。式典のあとFD研修というのがあって、文学部、法学部、薬学部の学部長が取り組みについてプレゼンテーションする。パワーポイントで説明するのだが、こういうものはやりなれていないので、事務の人に丸投げした。きれいなパワーポイントになっていたが、ページをめくるのがめんどうだ。とにかく無事に終わった。その後、宴会。全職員と全教員が集まっているのでものすごい人数だ。ワインを一杯飲み、学長に必要なことを話してから、密かに脱出した。2時過ぎに自宅に帰れた。昨日の続きの作業。かなり進んだ。

05/22/火
2限を終えたあと、文藝家協会へ。オーファン委員会と著団連総会。久し振りに会議のダブルヘッダー。写真家協会の瀬尾さんが一人で両方を仕切ってくれたのでこちらはただ聞いているだけ。とにかく前向きに進んでいる。本日は自分の仕事はできず。明日も同様。週末にがんばろう。

05/23/水
2限、3限のあとFD研修。急いで帰ってイーブックジャパンの編集者と近所で飲む。

05/24/木
2限は2年ゼミ。カーヴァーの『コレクション』。3限は3年ゼミ。『蹴りたい背中』。4限は卒論ゼミ。雑談。午前中のコマがあると一日が長い。

05/25/金
本日は大学の授業はないが、ゼミの学生が教育実習をやるというので見に行く。場所が東大和市ということで、どこやねん、と最初は思った。ただ武蔵野文学賞を受賞したわたしの大事な教え子なので、万難を排して行かねばならぬ。思えば去年は房総半島の先端の千倉というところまで行ったのだから、それに比べれば近い。飯田橋から高田馬場。それから西武新宿線の小平、それから拝島行きで東大和市、という経路だ。もう一つは国分寺から西武線というのもあるが、こちらも必ず一回乗り換えになる。国分寺での乗り換えを入れると二回乗り換えで、めんどうなところだ。高田馬場経由でも飯田橋で一回乗り換えだし、拝島行きが来ないと小平で乗り換えることになる。とんでもない僻地だという感じがした。それで早めに自宅を出たら、一時間も前に東大和市に着いてしまった。野火止用水の緑道というのがあったのでのんびり散歩した。それから目標の中学校へ。校長先生に挨拶をして持参のクッキーを差し上げる。訪問の目的はこれがメインで、教え子の実習を見ても何の感想もうかばないのだが、せっかく来たので授業を見る。まじめないい子なので心配はしていなかったが、ちゃんと授業をこなしている。今年の4年ゼミの学生は明るく楽しい学生が揃っていて、最近の授業では、面接でいかに笑いをとるかといったことで盛り上がっていく。そういうゼミの中では、当該学生はまじめでおとなしい感じがする。友だちが異様な人々なので、少しずつわかってきたようだが、人生というものはタガが外れた人間の方が有利なのだ。ということで、授業の場合も、最初に笑いを取る、というくらいの姿勢が必要だと言い残して中学校を出る。帰りは違う経路をとりたいと思い、反対の方に歩いていくとイトーヨーカドーがあり、隣にショッピングモールのようなものがあった。森永の工場があり、工場の敷地から桜の枝が道路に迫り出していた。季節になればすごい眺めになるだろうなと思っていたら、すぐ先にモノレールの駅があり、「桜街道」という駅名だった。何気なく乗り込むと先頭の座席に座れた。大学の有明キャンパスにいく時は「ゆりかもめ」の先頭に時々座る。先頭というのは気持がいい。ということで、立川で下りるのが惜しくなって、終点の多摩センターまで乗ってしまった。京王のホームに上がると本八幡行きが来た。これで最寄りの小川町まで行ける。帰途は一回乗り換えだった。帰って万歩計を確認すると1万1000歩だった。重労働だった。

05/26/土
昨日から妻が帰省している。老いた両親を妹に任せているので時々帰って妹を慰労する。わたしの両親はすでに他界している。両親が他界しているし二人の息子は独立している。ありがたいことだと思う。週末を一人で過ごすというのは、仕事に集中できるし、好きなものを食べられるので、天国のようなものだ。まずは床屋。昼過ぎに行ってみたら待合の椅子が満席だった。スルーして自宅の方に帰り、スーパーによってウイスキーと炭酸水を買った。夕方、もう1度行ってみると、一人待っているだけだった。大きな店だし作業はかなり雑なので、すぐに順番が回ってきた。この店は値段も安いが、ほんとうに「ざっくり」刈ってくれるだけなので時間も早い。頭髪のファッション性など念頭にない自分としては最適の店だ。夕方なので外食しようと思って神保町の方に行ってみたが、学生のころから愛用していた店が休みだった。学生のころから、水道橋でサラリーマンをやっていた時機まで、よく訪れたところで、同じおじさんとおばさんがやっている。ものすごい高齢だと思われるので、そのうちつぶれるだろう。昔は土曜は開いていたのだが、高齢なので週末は休むことにしたのだろう。ということで、帰りにコンビニに寄って夕食を買う。床屋に二回行ったせいか7000歩も歩いていた。今日は仕事もできた。

05/27/日
妻は明日帰ってくるので、本日までは自分一人で生きている。「小説を深く読む」を最初から読み返して、少しずつ増量している。うまくいっている。少しゆとりをもたせることで読みやすいものになっている。ただ中盤はかなりハイテンションになっている。まあ、いいだろう。語り口を軽くすることで何とか取り切れるのではないか。今週はFD研修の発表が月曜にあり、金曜は教育実習があった。真ん中の火曜〜木曜はふだんどおりの授業だったが、火曜は文芸家協会でダブルヘッダーの会議があり、水曜は大学の会議があった。けっこうハードな日々だった。来週もいろいろと雑用がある。その中で自分の仕事も少しは前進している。ともあれ今期で定年なので来期はかなり楽になるのではと楽観しているのだが、後任の先生が決まっていないので、いまはすべてがペンディングの状態だ。あまり楽観はしないようにしたい。ところで、世の中は日大のフットボールのラフプレーの問題で騒ぎが続いている。Footballのファンとしては、何か言いたくなるところではあるのだが、わたしが愛好しているのはアメリカのプロのリーグなのであって、日本の学生のアメフトには何の興味もない。あれは子ども相撲みたいなもので、ままごとみたいなものだ。野球では、日本の選手が大活躍している。しかし日本人でアメリカのプロで活躍したプレーヤーはいない。ただ日系の選手はいるので可能性はある。それにしても、日本の学生や実業団がやっている「アメフト」と称するスポーツは、子ども相撲であって、本物のFootballとはまったく別のものだ。本物のアメリカのFootballで2秒後にQBにヒットしたりしたらほとんど死刑だろう。何百万もの罰金になることは間違いないし、永久追放になるだろう。そもそもあんなヒットを受けたら脊椎損傷で再起不能になる。今年のスーパーボウルでもヘルメットによるヒットがあったが、ボールを持ったプレーヤーが逆送したのが原因であって、ヒットした側に悪意はなかったということで、反則にはならなかった。とにかくアメリカのFootballでは、ヘルメットによる打撃を禁じていて、頭を下げるだけでも反則をとられる。あの日大の選手は明らかに頭を下げてタックルしていた。反則した選手がコーチによって追い詰められていたとはいえ、ああいうタックルをするというのは、監督コーチによる基本的な教育ができていないということで、きわめて危険な状態にあるといっていいだろう。でも子ども相撲だから大目に見るということだろう。とにかく自分としては、日本の「アメフト」には何の興味もないということを表明しておきたい。

05/28/月
大学。小さな委員会。教授会。学科会と、会議ばかりの日。疲れた。妻が帰ってきた。

05/29/火
昨日から声の調子がおかしい。咳も出る。これで授業をするのはつらい。何とかもちこたえた。午後からは大学院の構想発表。何となく連絡がスムーズに行かず心配したが、何とこか開くことができた。

05/30/水
声が出ず時に咳き込む。しかし2限は一人でしゃべり続ける授業。3限は大学院のゼミなので、学生たちにしゃべらせて声を温存。高田馬場の日本点字図書館で理事会。いつものとおり議長をつとめる。今日も長い1日だった。自宅に帰ってもなるべく声を温存。明日は3コマある。金曜もサテライトで特別講座がある。毎月のシリーズではなくこの日限りの1回きりの講座。間のわるいところに当たったものだ。毎日声を使って声帯をすりへらしているので、今週中に回復することはないだろう。

05/31/木
3コマの日。声の出ない身としてはつらい1日だ。2限の2年ゼミは黒板いっぱいに文字を書いて時間をもたせた。3限の3年ゼミは学生のプレゼンテーションの日なのでしゃべらずにすんだ。4限の4年ゼミはいつものように学生たちが自由に語ってくれた。この学年はものすごい個性をもった学生たちが集まっているので、大笑いしながら、追加の質問をしたくなって思わず嗄れた声をしぼり出してしまった。6時前に帰宅できたので、すぐ近くにあるかかりつけの医院に行って、薬をどっさりもらった。明日は大学は休みだが三鷹のサテライトで1コマある。
今月も月末になってしまった。初旬の連休にアウトレットに行ったり、翌週の週末に花火を見に行ったり、パスタイムの時間もあったけれども、大学と文藝家協会の仕事で忙殺されていることに変わりはない。ここ数日は声が出なくなるなど体調も絶不調だが、何とかスケジュールをすべてこなした。声が出ないこの3日間はつらかったが、もちこたえた。このまま死んでしまうわけではない。体調はいずれ回復する。「平安時代」というノートのタイトルは来月も続く。もう半年このタイトルだが、肝心の新書がまだ終わっていない。2度の書き直しのあと、とくにコメントが返ってきていないのだが、編集部の要求には答えたはずなので、いずれは入稿になるだろう。するとゲラが戻ってくる。まだ平安時代に関わることになる。並行して進めている『小説を深く読む』も最初から見直して6割くらいのところに来ている。この勢いでフィニッシュまで到達したい。さて、次の仕事だが、まず河出書房に企画書を届けないといけない。これには少し時間をかけたい。OKが出るまでにタイムラグがあるが、ゲラと『深く読む』を完成させるのにまだ時間がかかるので、夏休みからから取りかかれば思っている。今年で定年なので、心の中では密かにカウントダウンしているのだが、まだ1学期が終わっていない。3学期の後半とか、4学期になれば、カウントダウンという気持になってくるだろう。ただ後任が決まっていない。夏休みくらいまでには来年の方針を定めないといけない。後任についてはわたしの責任ではないと自分では思っているので、ようすを見守ることしかできない。とにかく6月で、仕事に一区切りつけて、新たな小説のことを考えたい。


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