仏教を深める創作ノート06

2015年03月

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03/01/日
3月になった。日曜日。雨。どこへも出かけずにひたすら入力作業。ようやく菩岐々美というヒロインが登場した。もうエンディング間近になっている。それから上宮王の魂の叫びみたいなものが聞こえた。かなり冷徹な人物だが、多少はセンチメンタルなところがないと小説にならない。何もないとただの朴念仁みたいになってしまう。このセンチメンタルな部分が作品のピークを作ることになる。あとはエンディングに向かうということだろう。ところで本日は将棋のA級順位戦の最終日。いわゆる「いちばん長い日」だ。NHKで放送があるかと思ったが番組表に出ていないのでネットで調べたら、今年はスカパーに移行したとのこと。ぼくは仕事に支障が出るので有料放送には加わっていないのだが、スカパーはいま無料になっているのでCSのチャンネルを出してみる。マンションなので共用アンテナがあり、いつもやっている広告の放送は見られる。いろいろチャンネルを移動させてみると、ちゃんと放送されている。すべての対局の盤上が見られるようになっている。ただし、お知らせみたいなものが左下に入っていて盤面が見にくいのだが、とにかくそれでおよその状況はわかる。本日は最終戦はすごい状況になっていて、行方、久保がトップで並んでいて、1ゲーム差で渡辺、広瀬が追っている。トップの2人が負け、追っている2人が勝つと、4人のプレーオフというすごいことになる。しかも久保と渡辺の直接対決があり、行方と広瀬は降級の可能性がある相手なので、すべてが真剣勝負という状況になっている。で、チャンネルを回しながら見ていると、渡辺が早々と勝った。行方は降級の可能性のある前名人が相手なので苦戦。広瀬も苦戦。最終的には行方が負け、広瀬はしぶとく勝ったので、4人のプレーオフとなった。4人のトーナメントではなく、下位からノックダウンしていく方式なので、番付の上位の行方が有利だが、勢いからすると渡辺が行きそうだ。羽生と渡辺の名人戦になると、すごい勝負になりそうだ。というふうに将棋のことなどを書いているのは、一ヵ月前のスーパーボウルのショックがまだ残っているからで、あれから何度ビデオを見たかわからないが、残り1メートルからパスを投げるという作戦はどう考えてもありえない。そのありえないことを試みたのは裏をかくという作戦なのだろうが、ほとんど絶望的な状況の中で、ペイトリオッツの新人セーフティーのバトラーという選手だけは、ここはギャンブルで、万に一つのインターセプトのチャンスに賭けるしかないという、新人とは思えない思いきりのよさで、相手のレシーバーに狙いを定めていたのだ。これはバトラーという新人選手に神が宿った瞬間だといっていい。footballの試合では時としてこのような神がかった瞬間が訪れるものだ。この新人の奇蹟的な活躍によって、QBのブレイディーは歴史に名を刻んだ。すごいことだ。でもぼくは、もう10年以上も前のことだが、新人ブレイディーの台頭によって寂しくチームを去っていったブラッドソーという選手が好きだったので、どうしてもブレイディーを好きになれないのだ。監督のベリチックはわりと好きなのだが。ということで、3月が始まった。『聖徳太子』の完成に向けて、最後の追い込みが始まる。自分のとってのベストの作品が、いよいよ仕上げの段階に差しかかった。だが、大学の紀要の原稿をまだ書いていない。「小説によるドストエフスキー論」の創作の秘密みたいなものを、これから4年かけて書こうと思っている。その第1回なので、とにかく書くしかない。

03/02/月
妻と銀行へ行ってから、人形町へ行く。夏にスペインの長男が遊びに来るかもしれないので、長期滞在の宿泊施設を探しているのだが、何しろ子どもが4人もいる家族なので、適当なところがない。人形町と箱崎に候補があるのでロケーションを見に行く。ついでに甘酒横丁から浜町へ回り、それから箱崎まで歩いたので、妻の万歩計が1万を越えた。自分も同じだけ歩いたはずだ。少し疲れた。帰ってから紀要に出す文章を仕上げる。明日、大学に行くので研究室のプリンターでプリントしてチェックしてから入稿する。『聖徳太子』もここまでのところをプリントしたい。

03/03/火
久しぶりの大学。まず紀要の原稿と、『聖徳太子』のこれまでのところをプリントする。それから学部長会議。そのあと、卒論を取りに来た学生と少し話をする。銀行や大手家電販売店に就職した学生だ。昔、早稲田で教えていたころ、卒論を担当した全員がフリーターになった年があった。さすが早稲田だ。フリーで生きても何とかなるというのが早稲田魂といえるのだが、武蔵野大学の学生は健全で前向きだ。がんばって就職活動をする。とにかく本日の仕事はこれで終わり。

03/04/水
大学。入試の待機。プリントをチェック。すでに一度、チェックしたところなのだが、赤字がいっぱい入る。丸1日、作業にあたっていたのに2章までしか読めなかった。とにかく少しは進んだ。

03/05/木
本日は羽田プロジェクトの会議。いつものように蒲田へ。必要なことを話し合い。飲み会。適度に酔ったので明日に備えて早めに寝る。

03/06/金
大学。教授会。審議すべきことが多く長引いた。本日は午後2時から旺文社のコンクールの表彰式。教授会が終わったのが12時40分。あとは自分の体を移動させるのが仕事みたいなもの。幸い、大学内に直通バスが駐まっていた。電車もすぐに来て、四谷で南北線。六本木一丁目から徒歩でホテルオークラ。別館から本館に行く通路が長い。開始の10分前に会場に到着。無事につとめを果たせた。よかった。

03/07/土
本日は休み。明日が大学院の入試なので貴重な休み。神保町まで散歩。あとはひたすら入力作業。このあたりからエンディングに向けて少しずつ断章を短くしていく作業に入らなければならないのだが、まだ思ったように短くならない。あせる必要はない。ごく自然に短くなっていった方がいいから、あとしばらくはこのままに入力していきたい。

03/08/日
大学院の入試。早朝に霧雨をついて有明に向かう。本部に待機し、1時間目の試験を受け取ると答案をもって採点用の部屋に入る。論文を読み、評価をする。午後は面接。めでたく何人かを合格として評価し、これで今シーズンの最後の入試が終わった。よかった。夜中にテレビを見ていたら、AKB48が出て歌っていた。その歌で大泣きした。曲が始まった直後にすでに涙ぐんでいた。田舎の駅の近くに店が2軒、はきもの屋さんとかさ屋さん。それぞれおばあさんが店番をしている。「はきもの屋」と「かさ屋」というところで、涙がドバッとあふれだした。よくこんな歌詞を思いつくものだ。これも秋元康なのか。おばあさん2人が亡くなったあとで、それぞれの押し入れをあけると……。そこまで行くともう号泣という状態になった。寝酒を飲んでいたので泣き上戸かもしれない。

03/09/月
早めに大学に出向いて、必要な書類を学務に提出する。それから先日の入試結果の報告を受ける。すばやく大学を出て新橋に向かう。メンデルスゾーン協会のサロンコンサート。ソプラノの歌。メンデルスゾーンの歌曲としては「歌の翼」くらいしかポピュラーなものがないのでピアノ曲も混ぜて、楽しいプログラムになっていた。理事長なので最初に挨拶。こういう小コンサートは、演奏者との距離が近いので楽しい。

03/10/火
文藝家協会で協議員会、常務理事会、理事会。長い1日だった。明日から休みが続くので一気に入力作業を進めたい。

03/11/水
大学はしばらく休み。本日から妻が実家に帰った。両親の介護のため。ということでしばらくは一人で、ひたすら入力作業をすることになる。第8章が終わった。あと2つの章だけ。もうエンディングに向けてのラストスパートに入っていい。慧慈との別れなど、重要な部分はすでにメモがある。2つの章でぴたりと終わりたいので、とりあえずどんどん入力していってあとで量を調節しようと思う。そう思って進んでいるとたいてい調整不要なほどにぴたりと終わるものだが。

03/12/木
本日はマッサージに行っただけ。雑文2本の締切が迫ってきたのでこれを片づける。あとはひたすら入力。月曜日に大学に行くのでまたそこでプリントしたい。自宅にももちろんプリンターはあるのだがインクジェットなのでスピードが遅い。大学のはごくシンプルな単色のレーザープリンターで、スピードが早い。すぐに熱をもって止まってしまうので、ウチワで扇ぐ必要があるのだが、とにかくあっという間にプリントできる。あと3日あるので、9章の終わりくらいまでは入力したい。

03/13/金
文藝家協会で塚本青史さんと岳真也さんのトーク。歴史時代作家クラブのメンバーでもあるので、とりあえず顔を出す。二次会はパスさせてもらう。とにかく入力作業を先に進めなげればならない。ひたすら入力。

03/14/土
本日は休み。1日フルで休めるのはありがたい。実家に帰っていた妻も戻ってくるはずだ。さて、北陸新幹線の開業が話題になっているけれども、上野東京ラインというのも本日開業だね。ぼくが住んでいる集合住宅からは、神田から大手町、皇居、神保町、水道橋くらいまでが展望できる。神田のあたりは東北新幹線(上越・北陸も)が通っているはずだが、ビルの陰で見えない。孫が初めて来た時、ビルの間から一瞬だけ見えるハヤブサを見つけて、子どもの目というのはすごいものだと思った。神田あたりはそれほど高い建物はないのだが、それでも通常の高架線を走る列車はほとんど隠れてしまう。ところがその高架線の上に二階建てで別の線路があることに、転居した直後から気づいていた。それが上野東京ラインで、本日、窓から見ると、アルミ製の電車が走っているのが見えた。わたしのような高齢者でも、心は少年の気分でいるので、電車が見えると嬉しい。ようやく妻が帰ってきた。ぼくはすでに両親が他界している。子どもの頃に両親を失うといろいろと困難な状況になるのだが、自分が老人になってなお親が生きていると、けっこうつらい状態になる。ぼくの父はぼくが30歳くらいの時に亡くなった。母は数年前まで生きていた。わが妻と姉に世話をかけた。ぼく自身は何もしていない。とにかく幸福に、90歳過ぎまで生きていて、亡くなった。妻の両親はまだ生きていて、いろいろと大変だ。

03/15/日
日曜日だが八王子でコーラスの練習がある。夕方まで入力作業をする。それからプリントをもって御茶ノ水駅へ。逆方向の東京駅まで行って、右手が使える右端の席に座り、プリントチェックを開始。八王子まで1時間ほど。たっぷり仕事ができた。横浜線の一つ目、片倉の公民館で練習。車に分乗してめじろ台へ戻る。めじろ台は自分が30歳から38歳まで過ごした街。自宅は売却したのだが家屋はそのまま残っている。教会になって十字架の電飾がついているのがおかしい。売却の前も長い間、同じ教会に借りて貰っていたので、周囲にも融け込んでいる感じがする。駅前の店で宴会。帰りは京王線。控えめに飲んだので夜中も仕事をする。仕事のあと軽く寝酒。

03/16/月
久し振りの大学。学科会。その前に入力したところをプリント。冠位十二階、憲法十七条が終わり、9章の終わりまで来た。もともと10章と考えていたのだが、最終章は少し短くなるかもしれない。その場合は終章ということにすればいい。なるべく短くした方がいい。550枚に収まればと考えている。

03/17/火
忙中閑あり。本日は公用が何もないので妻と散歩。日本橋の映画館で映画を観る。「イン・トゥー・ザ・ウッズ」つまらない話だがミュージカルなので音楽を聴いているだけで楽しかった。明日は卒業式。アキ時間があるので仕事をもっていきたい。ただ最終的にホテルでパーティーがある。クロークに荷物を預けて紛失した場合を考えて、ノートは新品のものをもっいく。プリントはなくなってもいいようなものだが、赤字を入れたものがなくなるとショックなので、やはりもっていかない。ノートだけでできる仕事をやろうと思っている。

03/18/水
昨夜の深夜、ノートにメモをとった。自宅では打ち込みをすることが多いのだが、卒業式の空き時間にノートにメモを書く作業をするので、その呼び水として、書くべきテーマを記しておこうと思った。そこで主人公の上宮王が、妃の刀自古と最後に対面し、何か話をする、という場面。ここまで刀自古の出番があまりにも少なかったし、上宮王からほとんど無視されるだけに終わってしまっているので、何とか最後の場面だけでもしっかり書いて印象を遺しておきたいと思った。それで上宮王が刀自古に語りかけるセリフを書いたのだが、これが意外に重いテーマにつながっていくことを感じた。ここを掘り下げすぎると、あるいは作品の破綻になるかもしれないのだが、こういう予期せぬ破れ目が、作品を初期の構想よりも大きなものに発展させていくことがある。これまでの体験でも、こういう破れ目があるからこそ、思いもかけぬ深い作品が出来上がっていくという実感をもったことがあるので、破綻を恐れずにこの破れ目を掘り下げていきたい。ということで、このノートをもって卒業式に出かけた。卒業式は去年から有明コロシアムで開かれることになった。円形のテニス場のスタンドのいっかくに舞台を設置して式典を行う。学部長はとくに何かをするというわけではないのだが、その舞台の上に乗っていなくてはならない。1時間半ほどの間、舞台の上で座っているというのはけっこうつらいものだ。しかし皆で歌うことがある。真宗宗歌、四句誓願、念仏の歌、それから校歌。ぼくは物覚えがよくないので、楽譜を用意してしっかりと歌った。オーケストラや太鼓の演奏があってなかなかよかった。女の子たちがきれいだった。式典のあと、人の流れとは反対の方に向かう。皆は有明校舎に徒歩で向かうのだが、ぼくは反対方向にある、ゆりかもめの駅から2駅乗って、大塚家具の下の滝の落ちる広場の椅子で1時間仕事。そこですごい勢いでメモを書いた。有明校舎で文学部だけのお別れの挨拶。学部長は締めの挨拶ということなので、明るく楽しい話をした。それから今度は国際展示場の前のカフェに入ってアイスクリームの載ったコーヒーゼリーを食べてエネルギーを補給し、また1時間メモを書く。上宮王と蘇我毛人との最も重要な会話を書いた。ここが作品の山だ。今日という1日で、作品の最も重要な部分が書けたように思う。充実した1日だった。あまりにメモが進んだので、予定していた時間をオーバーして、カフェを出るのが遅れた。ゆりかもめはいつも豊洲の方から乗るので、新橋方面に行くのは初めて。レインボーブリッジを越えていくのに何分かかるかわからないのではらはらした。7時から始まるパーティーの最初の乾杯の挨拶をすることになっているので遅れるわけにはいかない。しかし、ゆりかもめはけっこう早く走って、余裕をもって汐留のホテルに到着した。乾杯の挨拶。あとはゼミの学生と歓談し、先生方にも挨拶して、学部長としての務めを果たした。ゼミの学生とは2年生と時からのつきあいで、3年間も顔を合わせている。先生方とも親しくなっているので、皆、友だちみたいなものだ。なかなかに楽しいパーティーだが、長い1日だったので疲れた。夜中も少し仕事をした。

03/19/木
昨日は卒業式の行事の合間にたくさんのメモを書いた。あまりにもメモが多すぎて入力が追いつかない。さて、本日は午後から大学院の卒業式。これも式の間、ずっと舞台の上に乗っていなければならない。その後、学課ごとに分散してガイダンスがある。今年から文学研究科として独立した日本文学専修だが、卒業生はまた言語研究科というところの一部に組み込まれた日本文学専修ということで、その最後の卒業生ということになる。ややこしい話だが、大学の文学部から英文科が独立してグローバルコミュニケーション学部として独立した時に、大学院まで有明キャンパスにもっていったため、大学院の方は日本文学が独立して武蔵野に戻すことになった。まあ、どうでもいいことだが、とにかく本日はグローバルと合同なので、にぎやかだ。それぞれの専修の先生が一人ずつ卒業証書というか、修士の認定書を渡していく。わたしが卒論を見た教え子は式には遅刻してきて、認定書を渡す最後に滑り込みで受け取った。その学生と二人が飲み会をやる。本日はあまり仕事ができなかった。

03/20/金
朝10時から判定会。入試の合格者を確認する儀式。入試課の提案にただうなずいているだけの、ただの形式的な儀式だが、学部長はその場にいないといけない。10分ほどで終わる。その後、午後3時からの会議まで、研究室で入力作業。研究室のパソコンにはこの作品のために登録した単語が入っていないので、上宮王とか、調子麿とか、菩岐々美とか、刀自古とかが入っていない。まあ、打ち込んでいる場面の搭乗人物だけを登録すればいいのでそれほどの手間ではない。5時間近くの時間があったので、卒業式の日に書いたメモのすべてを入力できた。その上でプリントもした。すでに10章に入っている。ちょうどいいくらいのサイズになりそうだ。午後3時から能楽資料センターの会議。これはただ出席しているだけでいい。その後、1時間ほど間があったのでプリントしたものをチェックする。それからセンターの飲み会。文学部を退職された先生方が多い。ふだんの学科会は自分が最年長なのだが、ここでは年下なので勝手が違う。まあ、昔の話がいろいろ聞けて面白かった。

03/21/土
この週末は休み。昨日、卒業式の日に書いた大量のメモをアキ時間に入力できたので、本日は残りのメモを検討する。断片的なメモしかないし、並べる順番も考えないといけない。遣唐使の派遣についてはメモがない。史実を語るだけでいいと思っていたのだが、史実の切り取り方が問題だ。資料を見ながらの作業なのでメモではなくいきなり入力していく。これが本来のふつうの書き方だ。状況を整理して方向性が見えてきた。方向性が見えるというのはゴールが見えているということで、ここからは一直線だ。

03/22/日
日本書記の順番からいうと片岡の飢人のあとに慧慈の帰国があるのだが、慧慈の帰国は隋の高麗遠征と関係があるので、先に慧慈の帰国を書き、それから片岡の飢人という順番にする。片岡の飢人は日本書紀における謎の部分で、これが何を意図したエピソードなのかまったくわからない。ふつうに読めば明らかにイエス・キリストの話なのだが。そこでこの作品の物語はすべて終わる。その後はエンディングに向かう断片的なエピローグということになるが、その前に母との再開がある。ここはメモがあったのですでに入力してある。ここも小さな山場だし、ここから主人公の死まで一気になだれこんでいく。いや、阿佐太子の話が抜けていた。あの一万円札の肖像画を描いた人でこのエピソードは欠かせない。慧慈との別れのあと、阿佐太子、それから夢殿の内部、ということになるか。この順番についてはもう少し考えてみたい。今週は入学式から3日連続で飲み会があってハードなスケジュールだったが何とか乗り切った。わずかな時間にメモも入力も進んだ。ゴールが見える段階になってきたので、今週中には草稿の入力が終わり、週末にはプリントの赤字も入力できるだろう。月末は大学で在校生への説明があるので、そこで全体をもう一度プリントして、さらに赤字を入れたい。草稿が完成した段階で担当編集者に連絡して、脱稿の見込みを伝えればいいだろう。書き下ろしの作品なので急ぐ必要はない。次の仕事、「日本仏教の謎」は親書なのでスケジュールがある。66の謎はすでに考えてあるので、この謎を入力しておいて、プリントしたものを用意し、入学式の時など、アキ時間にメモをとって深夜に入力するということで、2週間で完成、というくらいの意気込みで前進したい。

03/23/月
今週も何やかやと用事がある。本日はまず午前中に大学の仕事。重要な文書を書いて大学に送った。これは学部長としての仕事。午後は文藝家協会に出向いて、まず待ち合わせをした新聞記者と打ち合わせ。それから著作権管理団体の人々と協議会。もっとも本日の会議で、これからは協議会ではなく勉強会と呼ぶことにしたのだが。とにかく会議をして、それで本日の仕事は終わり。夜中は自分の仕事。慧慈との最後の別れ。それから片岡の飢人の話。作品の山場ともいうべき場面を入力していく。すごい作品になりつつある。

03/24/火
本日は休み。映画を見に行きたかったのだが、妻の体調がよくなかったので、ひたすら仕事をすることにした。これでエンディングの直前までの入力が終わった。明日は大学に行くのでそこまでプリントする。エンディングはコンパクトに断片をつないでいくだけだ。もうゴール直前まで来ている。

03/25/水
大学に出かける前に銀行に寄って貸金庫のカードを受け取る。いままでは下北沢の銀行だった。三宿に住んでいたころ使っていたのだが、淡路町に引っ越したので、淡路町の角にある銀行の貸金庫を使うことにした。入れるものはないのだが、重要書類などをここに入れる。巨大マンションに住んでいるので、セキュリティーはしっかりしているのだが、まあ高層マンションでも火事があるということは、先日の水道橋の火事を自宅から見ていたのでよくわかる。いざという時、身一つ(たぶんパソコンはもつだろうが)で逃げることができる。銀行は淡路町なので、小川町から新宿線に乗って、九段下で東西線に乗り換え。ハカマ姿の女子学生がたむろしていた。武道館で卒業式か。大きな大学だろう。学部長会議。何だかとても長かった。年度末なので審議事項が多かったのだろう。研究室でプリント。電車の中などで少しメモ。ゴール直前だがいろいろと書くことがある。最後は直接打ち込んでエンディングにしたい。

03/26/木
本日は点字図書館の理事会。いつものように事前に議長をするように命じられる。議長をする時は内職ができない。まあ、2時間だけだから仕方がない。点字図書館は本当にすごいことをやっている。英米だと、電子図書はすべて電子音声で読み上げることができる。文字情報を読み取って辞書で音声データに変換できるからだ。日本の読み上げソフトはそこまでの能力がない。以前、経済産業省から補助金をもらって、ぼくが議長になって研究会を半年ほどやったこともあるのだが、たとえば登場人物の名前など、不分明なものがあまりに多く、完全な対策を立てることができなかった。ぼくの提案はごくシンプルなもので、電子書籍の編集者が50〜100語程度のその作品に関する辞書を作るだけで、ほぼ完全に電子書籍を音読できるようになるのだが、出版社のご協力が得られない。電子書籍の文字データがあれば、合成音声で音読することはさほど難しくない。国会図書館などは、紙の本をスキャニングして、複数の解析ソフトで解析して文字データに変換し、複数のソフトのそれぞれの変換を比較して、差違が出たところを自動的に修正するソフトを使って、変換ミスのほとんどない文字データができるシステムを構築しているらしい。しかしそんな手間をかげずとも、出版社が点字図書館に文字データを寄付してくれれば、ただちに音読できる。議長だからあまり個人的なことは言ってはいけないのだが、雑談のおりにそんなことも話した。とにかく議長としての務めを果たした。

03/27/金
明け方、入力作業をすべて終えた。プリントして、これで全体のプリントができた。さて、本日は大学で漢文を担当していただいている先生の結婚披露パーティー。中国の人なので大半が中国人だが、日本人の高齢者も何人かいたので、そういう人たちと雑談しながら、新郎新婦を祝った。ぼくの挨拶が中ほどに設定されていたので前半はあまり飲まないようにしていたのだが、その反動で後半は少し飲み過ぎたようだ。それでも自宅に帰ってから少し仕事はした。

03/28/土
週末は休み。最後のプリントに赤字を入れて、これでプリントの一次チェックが終わった。この段階でほぼ完成といっていい。本来は赤字を入力した上でプリントして、最初から読み返すところだが、直しはそれほど多くないので、赤字を入れたプリントをもう一度、最初から読み返してチェックすることにした。それで一次、二次の赤字のすべてを入力すれば、作品は完成ということになる。データを編集者に送ればそれで終わり。今回は系図は不要だろう。午後、桜を見に行く。どこも混雑しているだろうが、とりあえず近くにある神田明神へ。ここは駐車場の上に桜が何本かあるだけだが、とにかく花は咲いていた。御茶ノ水に戻って、自宅のマンションの敷地内にある桜を見る。この桜は、廃校になった小学校の校庭にあった桜だそうだ。小学校と公園とわずかな地権者の土地に、高層タワーが建てられて、ぼくはそこに住んでいる。その由緒のある桜が五分咲きくらいになっている。そのあたりは公園になっていて、ボランティアの若者たちが、子どもの遊び場を作っていた。楽しそうだ。アネックスと呼ばれる飲食店やスーパーが入った別棟の上の方の階には学生向けのアパートがあって、そこの学生は義務としてボランティアをやることになっている。とくに神田祭の時はお神輿をかつぐことが義務として課せられているそうだ。本日のボランティアもその学生たちだろう。とにかくしばらく桜を見て楽しんだ。仕事ばかりしていると季節感がなくなる。桜が咲けば見ないといけない。

03/29/日
妻の甥が来たので集合住宅の別棟にある店で昼食。彼はチリで天文学の仕事をしているので今度いつ会えるかわからない。わたしの長男はスペインにいるし、次男は四日市にいて、めったに会えない。それがどうだということではなく、たまに会う人を大切にしたいと思う。朝からプリントのチェックをしている。第2章まで行った。あまり急ぐ必要はないが、次の新書を始めないといけないので、赤字入力の時期をなるべく早く設定したい。来週からは大学のスケジュールが始まる。パソコンに向かう時間をとりにくいので調整が必要だ。

03/30/月
早朝から大学。新4年生と3年生のガイダンス。こんなものは昨年はなかった。少しシステムが変わるので告知のためのガイダンスだが、帰省している学生も多く、全員に周知させることは難しいのではないか。わりと早く帰れたので自宅で雑用などを入力してからプリントチェックの作業。けっこう時間がかかるが、これば最終チェックなので緊張感が必要だ。重複を発見して無駄を省くという作業も大切。ゲラになってからではあまり大きな直しはできないので、ここで完全原稿に仕上げておきたい。

03/31/火
本日は新2年生のガイダンス。2年生はプレゼミといって、学生たちとは初顔合わせ。初顔合わせだから顔を見ても憶えられない。事務職員と打ち合わせしたあと、学科会。問題山積。学科会を途中で脱け出して大学内の宴会に参加。退職した先生方の会。といっても知らない人ばかり。結局、学部長会議で顔なじみの先生方に挨拶して、学長と学院長にも挨拶して、あとは適当に飲んでいた。気が付いたらかなり飲んでいた。これで3月も終わった。この時点で完成していてほしかったが、しかし草稿はできて、赤字入れも1回は完了している。現在は2回目のチェックの半ば。これが終われば赤字による修正を入力するだけなので、単純作業が残っているだけ。ほぼ完成といっていい。自分のライフワークの一つになったという自負がある。1500枚に及ぶ「続カラマーゾフの兄弟」とは比較にならないが、この作品は自分のオリジナルなので、なかなかの作品になっていると思う。「空海」「日蓮」もなかなかの作品だと思うが、この作品も面白く書けたと思うし、主人公の孤独感が出ていると思う。在校生のガイダンスなどがあったのでもう新年度に突入している感じがする。この大学は春休みがない。


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