「悪霊」創作ノート5

2011年7月

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07/01
7月になった。初日は金曜日。本日の予定はジャスラックでの会議。猛暑。妻に車で送ってもらう。15分で着いた。創作者団体協議会という、著作権団体の集まり。わたしは議長なのでこの会議では内職はできない。意見交換をしてもらったが、とくに想定外の意見もなく、めでたく予定どおり2時間で終了。終わってスタッフと軽く飲み会。帰りは歩いて帰宅。本日、四日市の次男がスペインを目指して出発したらしい。妻が早朝にモーニングコールして起こし、搭乗口に到着したというメールが来たので安心。次男は仕事で海外に行くこともあるし、スペインにも2回ほど行ったことがある。フランクフルト経由なので大丈夫だろう。パリのドゴールとロンドンのヒースローは乗り換えがふつうとは違っているから初めて行くと戸惑うのだが、それ以外は表示に従えば行き着ける。

07/02
昨夜、妻は朝の4時まで起きて、次男の到着を確認したらしい。フランクフルトまでは順調だったが、バルセロナへの出発が30分遅れになり、到着もそのまま。バスの出発時刻がぎりぎりだったが、空港からバスターミナルまで、タクシーの運転手の奮闘努力でぎりぎり間に合ったらしい。妻が帰る時にバスのチケットを買っておいたのが役に立った。切符を買っていたら間に合わなかっただろう。ということで、ウエスカ行きのバスに間に合った。妻はそこで寝たのだが、起きると嫁さんからメールが来ていて、無事にウエスカに到着したとのこと。1歳の次男が起きていて、新たに現れた人物を不審がっていたらしい。長男と次男は似ているので、たぶん長男のことをパパだと思い込んでいたはず。これからもしばらくはいぶかるのではないかと思われる。今日も東京は暑い。『清盛』のゲラは昨日、ジャスラックに出かける直前に完了したので、本日は集英社のゲラに取り組む。

07/03
日曜日。集英社新書『実存から構造へ』ゲラ完了。2日で読めた。もともと読みやすい新書というコンセプトで書いたものなので、直すべきところはほとんどなかった。『清盛』の場合は10年前の作品なので、何がどうなっているか、細かいことは忘れている。漢字の読み方や年号など、校正者からギモンが出ても、こちらが対応できないことが多く、手間と時間がかかった。新書の方は今年の3月後半から4月の半ばにかけて書いたものだ。それでも何を書いたかすっかり忘れていたが、読み返してみると中身が充実している。文学論として、わかりやすく、目からウロコのような新しい見解が書いてある。自分でも驚くほど新しいことが書いてあった。大丈夫か、と思うところもあったが、楽しく刺激的な本になったと思う。さて、ゲラ2本が一挙に片付いたので、『悪霊』に戻ることができるが、明日からの週は、人と会うことが多く、来年のことなども話すので、あまり仕事は進まないかもしれない。まあ、毎日、少しずつでも前進したいと思っている。

07/04
大学前期最終回。本日は1年生と弁当を食べる会。そのあと試験の監督。この間の2時間くらいに大量のメモをとった。ペンをもつとひとりでに手が動くという状態になっている。これは『罪と罰』の時も『白痴』の時も体験したこと。亡くなる寸前の母の看病をしながら、スペインの長男の家で、いくらでも書けるという状態になっていた。ドストエフスキーの霊が憑依しているのだろうとわたしは考えている。そうとしか考えられない。いくらでも書けるというのは気持のいいものだ。書けない、書けないと悩んでいた時期もあるのに、60歳を過ぎてからはいくらでも書ける。9月に出る集英社新書『実存から構造へ』も、さあ、書くぞ、と思って書き始めたら、一度も行き詰まることなくすらすらと書けた。まあ、朝から晩まで書き続けたら、どこかで止まるだろう。多忙な日々の中で、ひまを見つけて書くので短時間に集中して書けるのだろうと思う。

07/05
歯医者。あとはひたすら仕事。昨日、テストの見張りをしながらノートにメモしていたら膨大な量のメモができた。入力に3日くらいかかるだろう。とりあえずひたすら入力作業を続けた。大学の成績入力も完了した。締切は8月の初めなので、しばらくは保存状態でおいておく。夜、教え子二人。わたしが作ったNPO日本文藝著作権センター(昨年解散)の事務局長をやってもらっていたNくんと、文芸評論家のIくんである。二人がなぜ知り合ったのか不明であったが、二人で遊びに来るというので、自宅で少し話をしてから近所のゼストというメキシコ風居酒屋に行く。ここは25年前にわたしが三宿に引っ越した直後にオープンした店で、最もなじみの深い飲み屋だ。オープン当時は行列ができていた。いまはがらんとしているが、ちょうどいいくらいの寂れた感じになっていて、店員は元気に営業を続けている。文壇のこぼれ話などをした。わたしは文壇バーがあった頃を知る最後の世代だろう。第一次戦後派の人々といっしょに飲んだ貴重な体験をもっている。帰ってまた少し入力作業を続ける。今日はよく働いた。

07/06
本日は夕方の会議だけ。朝から入力作業を続ける。キリーロフが少女に童話を語る場面。ここでなぜ童話が必要なのか。よくわからないが、わたしに憑依したドストエフスキーが童話を語れと語りかける。しかしこういう挿入が得意なのはむしろトルストイだろうと思う。ロシア民話というのはトルストイの独壇場だ。するとおそらく、オリジナルのドストエフスキーのトーンとは異なるものを挿入したいというわたしの潜在意識から発したものかもしれない。この少女とはニコライ・スタブローギンが自殺に追いやる少女だ。原典では少女の出番は少なく(幽霊になって出てくるところは印象的だが)、存在感も希薄だ。だから少女の死というものの重みもそれほど感じられない。そこで童話のエピソードで読者に少女の存在感を伝えておく。同時に語り手でもあるキリーロフに強い印象を与えなければならない。原典でもキリーロフは子ども好きということになっている。だから少女と出会えば強い印象をもつはずなのだが、そこに童話を語るエピソードをおりこんで、くっきりとした印象を残しておくことは必然である。で、キリーロフが語る話の内容は? という問題が出てくる。すでに最初に少女と出会ったシーンでキリーロフは2つ童話を語っている。これはよくあるロシアの民話、そのうちの1つはトルストイも語っているものだが、もちろんトルストイのオリジナルではなく、民話として語られていたものをトルストイが再録したのだろう。しかし今回はもっと強い印象を残さなければならないので、オリジナルの童話が必要だ。つまり三田誠広の創作童話が必要なのだ。話の展開の中でキリーロフが少女に童話を語れとせがまれる。困ったな、と言いながらキリーロフが何やら語ろうとするのだが、その時点でわたしの頭の中には、いかなるアイデアもない。ここからが確かに何ものかが憑依しているとしか考えられないのだが、オリジナルの童話がするすると出てきて、ちゃんとオチまでついている。ちょっと仏教っぽい話になったのはわたしの資質と教養のせいだろうが、これが自然に出てくるところは自分でも不思議である。一年生の試験の監督をしながらノートにメモするという状況の中では、ふだんパソコンを操作している時のように、行き詰まったらメールを見るとか、ネットでニュースを見るとか、ソリティアをするといったひまつぶしができない。昔ながら紙のノートしかないのだから何か書くしかないのだ。試験監督といっても入試とか進級にかかわる試験ではないから不正を働く学生はいない。何か書けば単位がもらえることになっているので、ずっと見張っている必要はない。だからとにかくノートに何か書くしかないという状況の中で、すらすらと童話があふれだしてきた。それをパソコンに入力して読み返してみたが、完璧だ。コンパクトで、キリーロフの人柄が出ていて、少女の存在感がずっしりと残る。いまわたしに憑依しているものは何だろう。ずっとこのままでいてくれよと励ましたくなる。夕方、会議のために飯田橋に出かける。教育NPOとの定期協議。気心の知れ合った人々なのでとくに身構えることもない。会議は淡々と進み、終わって軽く懇親会をやって帰途につく。今日も何だか充実していたなあといい気分になる。

07/07
七夕であるが子どもがいないので関係がない。午前中、著作権情報センターで著作権と表現の自由についての研究会。ゲストの話をただ聞いているだけ。日当の出る会議なので何度か質問して責任を果たす。ゲストの話がまとまっていたので、議論もあまりなく早めに終わる。これはありがたかった。午後、M大学で「教育研究業績管理システム」についての説明会というものがあって、出席しなければならない。何度も開かれている説明会なのだが、放っておいたら何度もメールが来る。うるさいので説明会に出ようと思ったのだが、本日のこの時間しか出られない。情報センターのある初台からM大学まで、1時間で行くのはぎりぎりで、場合によってはタクシーに乗るかと考えていたのだが、午前中の研究会が早めに終わってくれたので、いつもどおり吉祥寺からバスで行って間に合った。学生用の出席カードが配られて記入して提出することになっている。説明の内容はどうでもいいようなこと。操作説明の紙が配られたのだが、これはネットで入手できるもので、その旨をメールで伝えてくれればいいだけのことなのだが。などとぼやいているけれども大学というのはそういうところだ。わたしは研究者ではないので、研究の実績などというものもないのだけれども、まあ、著書をずらっと並べておけばいいかと考える。けっこう手間のかかる仕事だ。いまは何ものかが憑依していくらでも書ける状態なので時間が惜しいが、まあ少し疲れたような時にソリティアをするかわりに打ち込みをしてもいいだろう。
つまらないことを書く。今日、井の頭線の優先席に座っていて(他の席もすいていたしわたしも老人だ)何気なく前方の車椅子ゾーンを見ていた。そこは車椅子を置くスペースだから座席がなく、窓の下に手すりがあるだけだ。その手すりのすぐ近くの窓にシートが貼ってあって、手すりに手をはさまないようにと書いてあった。そんな注意書きがあるくらいだから、誰か手を挟んだのだろう。子どもなのか、それとも大人の太り気味の人なのか。手すりと窓との間隔が問題なので、下りる少し前に手すりのところまで行ってみると、ちょうどわたしの細い手首が入るくらいのサイズだった。思わずつっこんでみたくなったが、それで抜けなくなったら恥ずかしいので、ぎりぎりとところで思いとどまった。しかし入った手が抜けなくなるというのはどういう状況なのだろう。つっこんだ刺激で手首が鬱血してふくらむとか、痛みで筋肉が固まってしまうとか、何か異常が起こるのだろうか。そう思うとますますやってみたくなる。結論としてこの注意書きは、逆効果ではないだろうか。
つまらないことを書いていたら、妻のケータイが鳴った。スペインにいる次男の嫁さんからだ。妻といっしょに長男のところに出かけ、妻だけが帰ってきた。嫁さんと二人の日本男児の孫は、あちらの3人のスペイン娘とバカンスを楽しんでいた。数日前に次男が迎えに行った。次男は日本のサラリーマンだから長い休暇はとれない。それでも数日、長男一家といっしょに遊んで、本日、長男の勤め先のあるサラゴサから新幹線(AVE)に乗せてもらったとのこと。これはメールで届いた情報だが、1時間後には電話が来て、無事に駅前のホテルに入ったと連絡があった。これで安心だ。幼い子どもを連れての旅は何かと大変だが、ホテルまでたどりつけば大丈夫だ。

07/08
ようやくメモの入力を終わる。『実存から構造へ』の担当者来訪。ゲラを渡す。三宿で軽く飲む。

07/09
土曜日。今週も毎日公用があった。週末はようやくのんびりできる。『悪霊』は新たな領域に進んでいる。まだワルワーラ夫人が出て来ない。主人公ニコライの母親であり、主役の4人の他では最重要人物だと考えている。ここがもしかしたら前半の山場になるかもしれない。猛暑が続いている。あまりに暑いので散歩は5時を過ぎてから。スーパーで「高知の牛乳」を買って帰る。老人は放射能を恐れる必要はないと心得ているのだが、水も空気も汚染されている状態では、少しでも内部被曝を防ぐ必要がある。チェルヌブイリでは牛乳を飲んだ子どもたちから数千人のガン患者が出た。汚染された飼料を食べ続けた牛の乳には放射性物質が濃縮されていたのだ。だから牛乳は高知に限る。わたしはドイツ気象局の放射能拡散動画をずっと見ていたので、北海道にも放射性物質が拡散されたさまを目撃している。500ベクレルなどという政府の基準値はまったく犯罪的なもので、世界標準は5くらいだろう。わたしたちが購入している生協では5ベクレルを基準にしている。生協は政府ではないからインチキをしないだろうとわたしはいちおう信じている。風評被害という言葉があるが、500ベクレル以下なの大丈夫というのはまったく根拠のないことで、チェルノブイリでは完全立ち入り禁止とされたレベルの放射性物質が福島県全域に降り積もっていることは事実として認識しないといけない。税金が高くなってもいいから、県民を全員、強制退去させると同時に、農民に対して補償をして、福島県産のすべての農産物を廃棄するというくらいのことをやれば、何千人かの命が救える。ただし、その結果、強制退去させられた県民の中から、ストレスによる被害が確実に出る。どちらをとるかは何ともいえない。だからといって汚染された農産物を全国にばらまいていいということにはならない。とわたしは考えているが、専門家でもないので声を高めることはない。自分だけ安全な牛乳を飲んでいる。いま自分にできることはこれしかないと考えている。スペインに疎開していた孫たちが帰国の途についたようだ。バルセロナでチェックインしてこれから飛行機に乗り込むという連絡があった。妻がパソコンで航空会社のサイトで飛行機の動きをチェックしている。無事にフランクフルトについて、これからセントレア行きに乗り込むという連絡があった。到着は明日になる。

07/10
朝、起きると、妻から飛行機がセントレア中部国際空港についたという報せ。まだ航空会社のサイトで確認しただけだが、やがて次男から電話が入り、無事に到着したことがわかった。名古屋は35度になるという。20度代前半だったスペインとの差は激しい。まあ、ゆっくり休めばいいだろう。本日は日曜日。昨日と同様、夕方に散歩。まだうちに犬の龍之介がいた頃は、早朝に散歩していたな、といったことをふと思う。今年は大学が2日になりしかも午前中の授業があるので、完全に朝型になってしまった。昨日の夜中の女子サッカーも見るのは諦めたが、ドイツに勝つなんてすごいね。女子は本当にすごい。

07/11
月曜日。今週も何やら忙しい。本日は文藝家協会の常務理事会に10分だけ参加して必要な報告をしたあと、文化庁の小委員会へ。会場が歩いて行けるところだったのでこういうハシゴができた。暑い。とにかく自分の仕事はしている。

07/12
文藝家協会で出版社数社との定期的協議。電子書籍について。わたしはITの専門家ではないが、文藝家協会には優秀な人が3人いて対応してくれている。ただし問題の解決は難しい。次回は9月に設定して、より具体的な問題について話し合うことにした。『悪霊』そろそろ3章が終わる。もう360枚も書いている。これで3割と考えている。まだ先は長くゴールは遠い。

07/13
日大芸術学部。江古田に行くのはこれで4回目くらいか。この前は大江戸線で行ったが、今回は副都心線で行った。早かった。先日、佐藤洋二郎さんにM大学に来てもらった。そのあと吉祥寺に飲んでいる時に、今度は江古田で飲もうという話になって、とりあえず佐藤さんのゼミで1コマぶん話をしてから学生たちといっしょに飲み会。いい気分で酔ったので記憶がぼやけているが美人が多かったような印象が……。

07/14
PHP研究所の担当者来訪。『清盛』のゲラを渡す。歴史的な史料から評伝風にまとめた本で、クリエイティブなものではないが、清盛という人物の全貌が見えるようになっているので、来年の大河ドラマを見た人にとって、史料としては役に立つものになるだろう。三宿で軽く飲む。まだ『頼朝』の文庫化もあるので、当分はつきあいが保てる。

07/15
ペンクラブ理事会。ペンクラブは時々理事会のあとで宴会をする。そういう時は東京会館で理事会をやる。事務所のある茅場町は遠いので、東京会館でやる日は少し楽だ。終わって宴会には参加せず、新橋のルノワールで1時間仕事。いつものことだが、ルノワールにいると驚異的に仕事が進む。最初にコーヒーゼリーを食べるのだが、それで脳が活性化されるのかもしれない。メンデルスゾーン協会運営委員会。秋のコンサートの概要がまとまった。今回はドイツのチェリストとロシアのソプラノを呼ぶ。切符を売らないといけない。

07/16
土曜日だ。今週もハードな日々が続いた。酒を飲むことも多かったが、まあ、元気にやっている。週の後半は『男が泣ける歌』というエッセーみたいなものを書いている。それって何なのといわれそうだが、食事の時の箸休めみたいなもので、メインの仕事だけだと疲れがたまってくるので、たまには軽い仕事がしたい。歌についてのエッセー集。楽譜をつけて本にしたいと思っている。ただ楽譜のページが多いと歌集になってしまうので、ある程度の分量の文章を書きたい。この種の文章はいくらでも書けるので、どんどん書いているのだが、仕上げに近づくにつれて、全体の調整をしないといけないので、少し難しくなるかなとも思っている。あと数日で完成させたい。

07/17
日曜日だが、コーラスの練習。コーラスの練習は土曜の夜と決まっていたのだが、震災以後、八王子市の公民館が昼間しか使えなくなった。そこで日曜に変更したのだが、本日は指導の先生が、国立音大の学生オーケストラのコンサートに行くというので、午後1時から練習して、終わったらわれわれもコンサートに行くことになった。コンサートを聴かないと最終的な飲み会にたどりつけない。国立音大の付属高校に頼まれて講演をしたことはあるが、大学に行くのは初めて。そもそも大学がどこにあるのかも知らなかったのだが、高幡不動で乗り換えてモノレールに乗るのだった。コンサートそのものは、あまり期待していなかったのだけれども、ものすごくよかった。プログラムのメインのプロコフィエフの交響曲に、ものすごいパワーがあった。若さがみなぎっていた。それからまたモノレールに乗って立川へ。先生の予約で居酒屋へ。飲み放題だというのでいつもよりたくさん飲んだ。夜のコーラスだと帰りは深夜になるのだが、本日は飲み始めが早かったし、時間制限のある飲み放題だったので、思いのほか早く帰れた。妻が実家に帰っているので、シャワーを浴びてすぐに寝る。本日は仕事はせず。

07/18
月曜日だが祝日。昨夜、飲み放題で飲んで帰ってぱたっと寝たので、午前4時に自然に目がさめる。テレビをつけると試合が始まったばかりだった。女子W杯の決勝。勝つわけはないと思っていたが、ドイツ戦もスウェーデン戦もリアルタイムでは見ていないので、決勝くらいは見ようと思った。最初から押されっぱなし。ボールのポゼッションの時間はほぼ互角だろうが、日本は最後尾のラインでパス交換しているだけで、なかなか前へ進めない。アメリカはどんどん前がかりになってシュートを打ち込んでくる。ひたすら劣勢で、とても勝てるような雰囲気ではない。それでもアメリカのシュートミスが多く、スコアレスで後半になった。ついに1点とられ、ここまでかと思ったのだが、アメリカが守りに回ったのと、8番の宮間がこぼれ球につめて、奇跡的な同点ゴールになった。延長戦、ついにワンバックにヘディングを決められて、ここまでかと思ったのだが、またもや沢の奇跡的な同点ゴール。後ろ向きにシュートを打った。これを奇蹟といわずして何といおう。PK戦の前の円陣で、日本の選手は笑っていた。キーパー海堀の神業のごときセーブのあと、宮間のまるで遠藤のコロコロキックのような落ち着いたキックが決まって、その後はアメリカの選手にはあせりがあり、日本の選手には落ち着きがあった。最後はディフェンスの熊谷選手の豪快なキックが左上隅に決まって日本の勝利が決定した。で、朝4時から起きているのだが、このまま仕事をするしかない。実はサッカー中継のあいまにも仕事をしていた。こういう試合は画面を見てはらはらすると心臓に悪いので、ワープロの画面を見ながら、アナウンサーが昂奮した時だけ画面を見るようにしている。それでも終了時間が迫っていたので、宮間の同点ゴールも、沢の奇蹟のゴールもちゃんと見ていた。PK戦はパソコンを閉じて画面に集中していた。

07/19
火曜日。週末、実家に帰っていた妻が戻ってきた。一人の方が仕事ははかどるのだが、まあ、妻がいると家の中が落ち着く。『男が泣ける歌』の草稿完成。少し短い気もするので、あとで引き延ばせるような余地を残して、いちおうの草稿完成とする。ただちに『悪霊』の作業に戻る。やや行き詰まっている。3章の終わり。どういう感じで終わればいいのか。もう適当なところで終わってしまってもいいのかと感がえている。
俳優の原田芳雄さんが亡くなった。姉の三田和代がまだ俳優座養成所の研究生だった頃、研究生の発表の舞台を見に行ったことがある。『鉈』という憎み合った老夫婦の芝居で、原田さんと姉の息詰まるようなぶつかりあいがあった。とても研究生の芝居といったレベルではなかった。それで名前を憶えたのでずっと注目していた。いま姉は村井国夫さんと公演をしている。村井さんも養成所の同期生なので、ショックがあるのではないかと思う。

07/20
某社の編集者3人来訪。仕事の依頼。軽く書ける本で、軽く読める方で、こちらがモチベーションをもてる本を出す、というようなことで話がまとまった。とにかく来年の話。『泣ける歌』。楽譜を揃える。女性ヴォーカルの歌がいくつかあるので、男が歌うためには移調をしないといけない。これがうまく行くか。とりあえず簡単な指示を出せるようにしておく。ト長調をハ長調に、というような指示だけではわからないだろうから、最初のメロディーだけ実際に移調して、コードは全部書き換えて示すことにした。外国曲と童謡を選んだ。この2点はギター用のコードがついていない。ピアノの楽譜を見て自分のコードを付けた。こんなことができる作家も少ないのではないか。これで作業は完了。あとは編集者に丸投げする。『悪霊』に戻る。ワルワーラ夫人が登場するシーンから4章に入ることにした。さあ、気分を一新して次に進もう。

07/21
『泣ける歌』の担当者来訪。原稿はすでに送ってある。必要な楽譜を渡す。移調の指示も説明したが、これ、けっこう大変だ。楽譜の印刷についてはこちらはまったく知識がない。ピアニストの長男が日本にいた頃は、パソコンにシンセサイザーをつないで何やら音を出していた。まだインターネットというものが始まったばかりの頃だった。その時にパソコンでキーを叩くだけで楽譜になるソフトを使っていたから、そういうものがあることは知っていたが、もちろん使い方は知らない。とにかくこれで完全に手が離れた。あとは編集者が何とかやってくれるだろう。昨日の夕方から急に涼しくなった。

07/22
三田和代さんの芝居を見に行く。新宿サザンシアター。姉から電話があって荷物があるから帰りに車で送ってほしいと言われたので車で行く。ノエル・カワード作『秘密はうたう』現代はア・ソング・オブ・トワイライトだから、黄昏の歌……老人の男女3人の物語。一言でいうといい芝居だった。こちらも老人だから響くところがある。楽屋に行って、よかったと姉に伝えた。

07/23
土曜日。宇都宮で公演。宇都宮ビジネス電子専門学校に宇都宮アート&スポーツ専門学校が併設されていて、数年前から創作コースが設定されている。『早稲田文学』に広告を出してもらった縁で、年に一度、この時期に講演をしている。今回で5回目らしい。毎年この時期は猛暑なのだが、本日はやや涼しい。毎回テーマを変えているのだが、今回は原点に戻って、小説とは何かというテーマで話した。涼しいせいもあって、聴衆の乗りもよかったのではないかと思う。宇都宮への往復は一日仕事になるが、新幹線に乗る前のわずかな時間に少しメモを書いたので一日ぶんの仕事はできたと思う。これで今月のスケジュールはほぼ終わった。あとは月曜日に大学の教授会、火曜日に凸版印刷で会議があるだけだ。

07/24
日曜日。本日でテレビのアナログ放送は終了する。どうなるかと思ってアナログ放送にきりかえて正午を迎えたのだが、何事もなくニュースが映った。自宅は神奈川テレビを見るために最初からUHFアンテナはあったのだが、数年前に真東の方向の丘の上にマンションが建った時に、建設業者が無料でケーブルテレビを引いてくれた。ケーブルテレビそのものは有料なので加入していないのだが、無料のテレビ放送とショッピングのチャンネルは映る。地デジもそれで見られるのだが、どうやらアナログ放送もケーブルテレビ局でコンバーターで変換しているようだ。ということは、ケーブルテレビを見ている人はテレビを買い換える必要はなかったのだ。
『新釈悪霊』4章の始まりで苦労していたが、何とか先へ行けそうな気がしてきた。まだ全体の4分の1くらいではないかという感じだが、これからピッチが上がるはずだ。

07/25
久し振りの大学。授業は3週間前に終わっているのだが、本日は定例の教授会。何か入試関連の会議が先にあるようだがわたしはそれは免除されている。で、遅れて参加。だが前の会議が早く終わったようでもう会議が始まっていた。来年のコマ数について。放っておくと担当するコマが増えてしまうので、一つ増えればそのぶん何かを削るというようなことで、まあ、何とかやれそうな状況に落ち着いた。これで前期の仕事は完了。いよいよ夏休みだ。わたしはW大学で合計6年間、専任をつとめた。現在のM大学では今年から専任になった。専任はサラリーマンと同じだから給料が貰える。大学の先生のいいところは、夏休みの期間も給料がもらえること。これはありがたいことで、働いたぶんしかお金が入らないフリーターの作家とはえらい違いだ。アメリカ文学は創作学科の先生が支えている。日本も大学に創作学科を増やしていけば文学の支えになるかもしれない。

07/26
凸版印刷で外字異体字委員会。座長なので内職ができない。充実した議論が展開された。まあ、前向きに進んでいると思う。今日も猛暑ではない。蒸し暑くはあるが最悪ではない。本日で7月の公用はすべて終わった。土曜の講演のように、自分でどこかへ出向いて、何かをしなければならないというのは大変だが、昨日や今日のように出席することに意味のある会合は、とにかく指定された時間にその場所にたどりつけば仕事の大半は終わったようなもの。行きは妻に車で送ってもらった。さて、明日からは自分の仕事に集中できる。

07/27
今月の公用が終わったので、本日から仕事場にこもる。ここは電話番号を公開していないので、それだけでもほっとする。メールは届くので、何やかやと仕事関係の情報入ってくるのだが、地理的にも少し離れているので、すぐ来いといわれても行けないというところが、何となくほっとするところだ。この仕事場、2月の手術の直後に静養のためにしばらく滞在した。その後は多忙のために移動することができなかった。例年なら5月の連休には時間がとれるはずだったが、震災で大学が連休中にも稼働することになったので休みがとれなかった。来てみるとアプローチに草が生えていたので、荷物を運び入れる前に草刈りをするなど、老人にはきつい状態だったが、この仕事場には9年前に亡くなったわが生涯の唯一の愛犬の想い出がしみついているので、ここでしばらくはじっくりと仕事をしたいと思っている。

07/28
仕事場での日々が始まった。暑いが風通しがいいのでエアコンを入れずに仕事をする。自然の風が気持いいといえばいえるが、湿度があるので微妙なところ。締めきってエアコンを入れれば快適なのだが、それでは仕事場に来た意味がない気もする。とにかくひたすら仕事をしている。ワルワーラ夫人が夜会で演説するシーン。当初は考えていなかったプロットだが、ニコライの母親である彼女に見せ場を作ってやらないとこの独特の個性をもった女性の存在感が読者に伝わらない。説明ではなく具体的なシーンで展開するという小説の基本に則って一つの山場のシーンとしてワルワーラ夫人に演説させることにした。

07/29
この仕事場を建ててくれた大工のTさんが草を刈ってくれている。妻も作業を手伝っているので、こちらも何か仕事をしなくてはならず、ずっとパソコンを叩いていたら、山場と思われていたシーンが一挙に書けてしまった。作業を終えた二人が温泉に行くというのでいっしょに行く。近くのカンポで800円で風呂に入ってランチも食べられるというので、ほんまかいなと思ったが、本当だった。ただし風呂というものはあまり好きではないのでわたしにとっては苦痛だが。夕方、ショッピングモールに行って生ビールを飲む。妻が買い物をしているわずかなひまにもノートにメモがたまっていく。実は三宿に『悪霊』の文庫本の上巻を忘れてきたので、ここ数日、手探りで書いてきたのだが、ショッピングモールには大きな本屋が入っているので上巻をゲット。いま書いているのはオリジナルのストーリーなのであまり参照することはないのだが、それでも手もとに原典があると安心できる。夜、少し涼しい。今夜はエアコンなしで寝られるか。

07/30
土曜日。集英社から『実存と構造』のゲラ届く。早速読み始める。実に中身の濃い文章に驚く。誰がこんなすごい文章を書くのだろうかという気がする。書いたのは遠い昔だから何を書いたのかは完全に忘れているし、書いた時に何を考えていたのかも忘れている。だから単純に読者として読み、すごいことが書いてあると感動する。時々、校閲の人の指摘があり、判断を迫られることになるが、こんな名文を勝手にいじっていいのかとためらわれる。これは作者としては幸福なことだ。いい作品を書いた時だけこういう感じになる。いま書いている『悪霊』もそんな感じで読み返したいものだ。

07/31
日曜日。突然、次男のところに行くことになった。この仕事場から次男のところは、三宿から行くことを思えば近いとはいえ、片道2時間はかかる。往復すると一日をつぶすことになるが、まあ、休みだと思えばいい。基本的にわたしには休日はない。世の中が休みになっている日は、自分の仕事をする日で、わたしにとってはこちらがメインの仕事であるから、著作権の仕事や大学の授業は、楽しみでやっている。しかしまあ、家族とのつきあいは必要なので、午前中だけ仕事をして出かけることにした。まず宅急便でゲラを集英社に送ってから、2時間のドライブ。次男のところはマンションの7階で眺めがいい。ただ次男の勤め先の工場の煙突が目の前に見えていて、そのことを本人はどのように感じているのか。ここにはわたしの孫4号と孫5号がいる。1から3まではスペイン娘だが、4と5は日本男児で、話が通じるところがいい。孫と少し遊んでから食べ放題の店へ行く。わたしも妻も小食なのでふだんはこの種の店に行くことはないが、次男夫婦はフードファイターのごとき大食漢で、さらにまだ無料の幼児がよく食べるので、見ていて気持がいい。夜、仕事場に戻った。本来ならあと数時間仕事をするところだから、今日は日曜日だからと早めに寝てしまう。


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