「悪霊」創作ノート4

2011年6月

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06/01
このノートは本年3月からスタートしたので、これで4ヵ月目を迎えることになる。これはノートの過渡期で、3月からスタートしたのだが、実際には3月後半の3泊4日の入院の時に、まだ『悪霊』原典の文庫本を読んでいた。『道鏡』の校正と、新書の執筆があって、実際にスタートしたのは4月に入ってからだ。ということで、本格的に書き始めて2ヵ月が経過したのだが、いまは2章の半ばというところ。1章が100枚で、全体はおそらく1200枚くらいなので、月に200枚書かないと半年では終わらない。ペースが遅い。まだ試行錯誤の段階だというしかないが、議論が進むだけで展開がなく、150枚くらい書いた段階で、まだ深い無明の闇を進んでいる感じがする。大学の専任になって週2日出講しているのだが、それが負担になっているとは思えない。要するに、まだピッチが上がらないということだ。この作品は4部作の中で最も困難だと最初から考えていた。この作品だけは、原典を後篇として、そこに到る前篇を書くというのがコンセプトだ。この作業が一番難しい。手応えはあるのだが、まだこれでいいという感じがつかめていない。6月は、試行錯誤から脱却して一直線に進むべき方向を定めスピードアップする段階になっている。ここで失速すると作品の完成も難しくなる。そろそろピッチが上がると希望的に考えている。ただし今年は震災のために早めに夏休みが始まるため、学生の作品を見て成績をつけるという作業がこの月に集中する。W大で専任をやっていた時に比べれば、学生の人数が少ないので、乗り切れると考えている。7月、8月、9月と、大学はほとんど休み(教授会やオープンキャンパスがあるので出勤日がある)なので、たぶん集中力が上がると思う。さあ、がんばろう。
本日は休養日。散歩に出ただけ。スーパーで高知の牛乳とフランス産のチーズを買う。東日本の乳製品は危険である。

06/02
大学。朝から雨。午前のコマ。実存主義の話。この間まで『実存から構造へ』という本を書いていたのでこのテーマならいくらでも話せる。本が出るのは秋になる。いま書いている『悪霊』は年内完成が目標なので、出版は来年。木曜日は午後の1コマ目はアキ時間なので『悪霊』を進める。次の1コマを終えてネットのニュースを見ると、不信任案否決。なーんだ、という感じ。最後の1コマを終えて自宅に戻る。妻の不在はあと1週間あるはずだったが、チケットが取れたので来週の前半に帰るとのこと。ほっとするような、え、そうなの、というようなフクザツな気持。今日は一日中、ずっと雨。もう梅雨なのか。今週はやや楽なスケジュール。明日は午後から簡単な打ち合わせがあるだけ。

06/03
金曜日。書協の会議に出ようと思ったら田園都市線が不通。タクシーで千駄ヶ谷、総武線で飯田橋というコースできっちり定刻に間に合った。全部をタクシーで行こうとしたらもっと遅れていただろう。すいている道路と電車の組み合わせを瞬時に計算した。携帯ナビなどというものに頼らなくても、わたしの頭脳の方が計算が速い。

06/04
土曜日。週末は休み。散歩に出たついでに食べ物を買う。まだ一人暮らし。妻は来週の火曜に帰ってくる。西日にさらされて散歩すると暑かった。真夏みたい。総務省から重い荷物が届いた。ダンボール箱に入っている。お中元からと思ったら会議の資料だった。これ、全部読めってか。

06/05
日曜日。『新釈悪霊』は未知の領域を進んでいる。この作品は原典の「前史」を書くというのがコンセプトで、主要登場人物4人の原典内の語りや動きから推理して、物語が始まる前の状況、そこに到るまでに何があったのかを整理して小説として展開するのは、それほど難しいことではない。ただ原典で言及されていない領域がある。そこが欠けてしまうの小説としての流れが絶たれることになるので、完全なフィクションでつないでいかないといけない。いまそのフィクションの部分に入っている。まったく新たなキャラクターを登場させストーリーを展開しなければならないのだが、それが原典の流れとつながらなければ意味がない。『罪と罰』は原典を違う角度から書いただけでストーリーの流れは原典そのままだった。『白痴』は廃棄された創作ノートのプランを復元したもので、元となるプランは創作ノートに記述されていた。今回は何もないところから架空の物語を作らないといけないのだが、次に書く予定の『新釈カラマーゾフ』では続篇を書くので、すべてを新しく構築しなければならない。それに比べればいまやっていることは、原典につなげるという限定的な試みで、自由度が限られているだけやりやすいと考えることができる。要は、できるはずだと自分を励ましている。
大震災からそろそろ3ヵ月になる。震災も津波も大変ではあるがこれは時が解決する。時間の経過によっては何も解決されないのが原発の事故だ。メルトダウンが起こり(津波のせいではなく津波を想定しなかった人災)、洩れだした大量の放射性物質が水素爆発によって福島県全域に飛散した。このセシウムやストロンチウムの粉塵は半減期が30年なので、100年たってもゼロにはならない。粉塵は地表に降り積もっているだけで風が吹けば舞い上がる。政府は原発を冷却することばかり考えていて、飛散した粉塵の対策をまったく立てていない。福島県の学校が自主的に運動場の表土をはぎとったら、そんなことをするなと命令した。3ヵ月たってもそのままで放置され、子どもは放射線を浴び続けている。しかも文部科学省はとんでもない数値を出して、これ以下は安全だと宣言している。放射性物質によって起こる障害は確率の問題なのだが、たとえばワクチンによって発生する被害も確率だ。病気を防止するためのワクチンで発病する人が何人も出るようだとそのワクチンは使用禁止になる。99%が大丈夫ということで許されるものではない。このままでは20年後くらいに大量のガン患者が発生する可能性があるが、未曾有のことなので何%の発生率かということは、前例となる資料がない。チェルブノイリの例は放射性粉塵を浴びた草を食べた乳牛をそのまま放置したために、牛乳を飲んだ子どもたちから大量の障害者が出た。これはあまりにひどい状況なので前例にはならない。わたしは米軍が資料をもっているはずだと考えている。米軍は劣化ウランで戦車を作って実際に使用している。その戦車の中で作業をしていた兵士からガン患者が出たという報道もある。劣化ウラン戦車内の放射線量と、ガン患者が発生する確率を米軍は把握しているはずだ。これは誰も指摘していないことではないかと思うが、そんなことを指摘しても米軍の極秘情報が公開されることはないと最初から諦めているからだろう。しかし日本政府が本気で安全宣言をしたいと考えるなら、この情報は役に立つと思われる。ウランに囲まれた戦車の中にいても、ほとんどの兵士はガンにならなかったというデータがあれば、安全性が実証されるはずだ。しかしたぶん、安全とはいえない確率でガン患者が発生しているというのが実態なのだろう。こんなデータを出せばヤブヘビになると専門家はわかっているのではないかと思われる。

06/06
月曜日。大学。本日は1年生の授業も学科会議もないので、1コマだけで終わり。昼休みから次のコマまで2時間ほど研究室で仕事をして学校を出る。校内に三鷹行きの急行バス(ノンストップ)が止まっていた。ふだんは吉祥寺行きに乗るのだが、今日は文藝家協会に向かうので初めてこの急行バスに乗った。道路も空いていて、あっという間に三鷹に着いた。快速に乗り四谷へ。あまりに早く着きすぎたので四谷のルノワールで1時間ほど仕事をする。それから文藝家協会へ。部長と打ち合わせのあと、常務理事会、理事会。今日はけっこう仕事ができた。明日は歯医者の予約を入れているだけで休み。妻が帰ってくる。妻はケータイからメールを送ってくる。バルセロナの空港で荷物を預けチェックインしたとのこと。荷物をあずけてしまえばあとは楽だ。空港内で買い物もできるし、乗り継ぎのフランクフルトでものんびりできるだろう。パリの空港は一度外に出ないといけないのでめんどうだが、フランクフルトは歩く距離はあるがターミナル内のわかりやすい表示に従って歩けばいいので、気分的に楽になる。で、明日は名古屋に着く。往路、四日市の孫2人をつれていったので、帰りも名古屋になったのだが、セントレアには名鉄が乗り入れていて、名古屋から新幹線に乗り換えれば、成田よりも楽かもしれない。

06/07
妻がスペインから帰ってきた。とくに疲れた様子もない。これで日常が戻ってくる。スペインには次男の嫁さんと孫2人が残っている。これは夏の休暇に次男が迎えに行く。まあ、放射能からの疎開ともいえるし、長男のところの従姉たちとの交流という意味合いもある。とにかくこちらは日常が戻ってきたので、仕事に集中したい。

06/08
NPO日本文藝著作権センターの同窓会。わたしが設立し理事長を務めていたNPOだが去年の初めに解散した。そのスタッフの同窓会。渋谷のフレンチ居酒屋。久し振りに会ったメンバーもいるので座がはずんだ。この同窓会はこれからも続けたい。かなり酔った気がするが歩いて自宅に帰った。

06/09
大学。やや宿酔。構造主義について話す。疲れた。あとの2コマは惰性で乗り切る。『悪霊』はロシアの評論家が何人か登場した。実在の人物。このうちピーサレフについては原典でも言及がある(というか訳者の註に出てくるのだが)。実在の人物を出すかどうかは最初の段階で迷ったのだが、バクーニンを出すことにしたので、原典ではカルマジーロフとなっている大文豪もツルゲーネフの実名を出す。チェルヌイシェフスキー、ドブロリューボフ、ピーサレフ、ネクラーソフなども出すことにした。

06/10
金曜日だが大学。作家で日大教授の佐藤洋二郎さんを迎えて公開講座。告知期間が短かったのだが、外部からの受講者も多く、会場に熱気があった。佐藤さんの飾らない人柄も楽しんでいただけたと思う。研究室で弁当を食べてから吉祥寺の街に出て打ち上げの宴会。午後2時から9時まで飲み続けた。

06/11
土曜日。休み。ロシアの評論家について書く。いい感じで進行してはいるが、執筆のペースが遅い。このところ多忙な日々が続いている。大学に週2日行っているが、去年も後期はW大学に通っていたので同じはず。ピッチが上がらないのはまだ作品に乗り切れていないからではないか。ヒロインが出て来ないので話が弾まない。そもそもこの作品にはヒロインがいない。それにしても女性が出てこないと面白くない。もう少し先に行けば少しは女性の出番があるのだが。

06/12
日曜日。散歩に出ただけ。本日は主に『清盛』の校正。この作業は締切が定められていないのだが早めに片づけておきたい。『悪霊』は第二章が終わった。何枚書き進んだのか考えていなかったのだが、もう80ページ書いているので240枚になる。ということで、場面はまだ連続しているのだが、気の利いたセリフのあるところでスパッと章を改めることにした。3章の展開については迷いがある。そろそろ視点を変えたい。ピョートルの視点にしたいのだが、章の途中で変えるというのもありだと思う。後半になった時に、頻繁に視点が変わるような展開になることが予想されるので、章ごとに視点を変えるという縛りを作るとあとで不自由になる。

06/13
月曜日。大学。本日は1コマだけ。夕方の学科会まで4時間ほどのアキ時間がある。ひたすら『悪霊』を書き続ける。1861年当時のロシアの評論家たちがずらりと出てくる。実在の人物を出すことにしたので話に安定感が出てきた。4月から書き始めたので、月に100枚のペースは守っているが、もっとピッチは上がるはずだ。第一部の600枚が終わる頃にはスピードがつくだろう。ここからギアが切り換えてピッチを上げたい。

06/14
月に一度の医者での検診。血圧を測るだけ。夜、メンデルスゾーン運営委員会。軽く飲んで帰る。

06/15
ペンクラブ理事会の後、歴史時代作家クラブ発足記念懇親会に出席。文藝家協会の理事会と違ってペンクラブでは何の責任もないので発言の必要もほとんどないので、話を聞きながら内職をする。頭の中で自分の仕事のことを考え時々メモをとる。地下鉄東西線で茅場町から高田馬場に移動。1時間前に着いたので点字図書館の理事会の前にいつも入るルノワールで内職の続き。1時間、メモを書き続けた。きりのいいところで懇親会の会場へ。この会は3月に予定されていたのだが、名誉会長の入院と震災で延期された。遅れた分、会員も増えて賑やかな会になった。乾杯の音頭を頼まれていたのでつとめを果たす。あとはひたすら飲み続ける。知っている人に挨拶し、知らない人とも挨拶をする。二次会にまで付き合ってタクシーで帰る。ふだんめったにタクシーに乗らないのだが、今週はスケジュールがハードなのでがまんしてタクシーに乗る。明日は大学だから体をやすめないといけない。閉所恐怖症。正確に言えば閉所二人きり恐怖症なので、一人でタクシーに乗ることはめったにない。連れがいれば平気なのだが。本日もスケジュールのあいまをぬって仕事ができた。

06/16
大学。緊急に昼休みに会議が入る。短く終わる。会議はこうでなくてはならない。

06/17
本日は会議が3連続。午前中は茅場町の日本図書館協会で図書館関係者との協議。次は半蔵門会館で文化庁の会議。それから代々木上原のジャスラックで会議。どれも重要な会議だったので疲れた。ジャスラックが事務局を担当している創作者団体協議会の議長をしているのでよくジャスラックへ行く。代々木上原から自宅まで30分で歩いて帰ることができる。気分的に疲れていたので、体も疲れてくたくたになって帰った。今週はハードなスケジュールだったが、やっと終わった。

06/18
土曜日。今週は疲れた。本日は休み。のんびりしたいと思っていたのだが、昨日の会議中に急に登場人物はオートマチックに動き出して長い台詞を勝手にしゃべった。作業をやっているとこういうことはよくあるのだが、これまで書いてきたこととツジツマが合わないところもあり、修正が必要で、そのためには最初から読み返さないといけない。気が重かったがやるしかないと思った。で、最初から読み返してみたが、出だしのところがいい感じなので、ほっとした。語り手となっているキリーロフの性格づけを少し変える必要があるなとは思ったが、それは読み進めていく過程でわずかな修正を加えればいいだろうと思う。
で、今日は誕生日だね。63歳という半端な年齢なので感慨はない。60歳になった時は、わあ、60歳だと思ったし、年金が貰える(厚生年金の上積み分だけだが)という、ささやかな喜びもあった。64歳になると基礎年金も貰えるので、そこにもエポックがあると考えていたが、大学の専任になって私学共済に入ったのでこれは退職するまで貰えないのかな。65歳になると、四捨五入で70歳になると、わあっ、と思うだろうし、66歳は父親が亡くなった年齢だ。70歳でも若くて元気な人を知っているので、自分もそうなるだろうと楽観している。同級生の中にはリタイアした人も多く、同世代の担当編集者も現役を退いているので、自分だけ働き続けていることに、何でや、という思いもあるが、すべての仕事を楽しいと感じているので(時々飽きる)、仕事の依頼がある限りはこのまま続けていく。さすがにこれから何か新しいことを始めようという気分にはならないが、小説を書くということはつねに新しいものに挑まなければならないので、前向きに進んでいけると思う。著作権の仕事も次々と難題が降りかかってきて、先が見えない。大学の仕事も年ごとに学生が変わるし大学のシステムも変わっていくし、何だかよくわからないが、そこがいいのだろう。とりあえずいまは『悪霊』に気分より取り組んでいるし、その次の仕事の打ち合わせなどを始めようと思っている。

06/19
日曜日。コーラスの練習のため八王子めじろ台へ行く。いつもは土曜の夕方なのだが、震災以来、八王子の公民館が夜間の使用を禁じている。それでとりあえず今回の先生のご自宅で指導を受ける。いつものように夜は宴会。早い時間から飲み始めたので、少し飲み過ぎたかもしれない。

06/20
月曜日。ふだんは午前中の1コマだけなのだが、今週と来週はリレー形式で担当する一年生の2コマがある。3コマ連続でしゃべり続けるとさすがに疲れる。教室にマイクはあるのだが、冷房が使えないので窓やドアがあいている。マイクの声が外にもれるのは恥ずかしいので地声でしゃべる。すると腹式呼吸が必要なので立ったまましゃべるので全身が疲れる。3コマ終わったあと、教授会と学科会。これはしゃべる必要はないのだが、しゃべらない会議というのも苦痛だ。こういう会議は何かを提案すると仕事が増えるので、発言は控えている。来年は4年のゼミに大学院のゼミが加わるので、これ以上、仕事を増やしたくない。夜中、『三国誌』を毎週見ている。これは中国製作のテレビドラマだが、赤壁の戦などでは悪役の曹操が、かなりいい人として描かれている。というか、曹操を演じている役者が船越英一郎みたいな人の好さそうな人物だし、演出も曹操が出てくるところは主役としてとらえているので、わたしはこの役者が好きになった。劉備元徳は何だか頼りないダメ人間に見える。これも役者の人柄だろう。

06/21
歯医者。去年の夏、前歯の差し歯が急に外れたので、いつも三軒茶屋方面から自宅に帰る時に前を通る歯医者に飛び込んだ。もう十年くらい歯医者に行っていないし、その歯医者はいまにもつぶれそうなところだった。そこで前を通りながらけっこう繁盛していると感じていた歯医者に新規で通うことにした。前歯から右の上、右の下、と治療をして、親知らずも一本抜いた。本日で左の上が終わって、あとは左の下だけが残っている。全体の4分の3が終わったことになる。午後、編集者2名来訪。仕事の打ち合わせ。現在書いている『悪霊』は年末までかかりそうだ。ゲラを直している『清盛』の文庫は年内に出ることになっているし、『実存から構造へ』も原稿が仕上がっているのだが、もう1冊くらい年内に出せないかと思って、進行していた企画がある。まあ、行けそうではないかという話になったので、すぐに取りかからないといけない。2週間もあればできる企画なので急ぐことはないが、準備には取りかかった方がいいだろう。
そろそろ来年のことを考えないといけない。新たな原稿を書くのは来年になってからだが、来年になってから企画を立てたのではすぐには仕事にかかれない。この夏のうちに3本くらい企画を立てておきたい。ということで、3人の編集者と打ち合わせをする必要がある。暑気払いの飲み会をするのもいいだろう。ということでメールのやりとりをしている。大学の仕事と著作権の仕事が忙しくて、編集者とのんびり飲みながら企画を練るということをしばらくやっていない。というか、作品社のドストエフスキー論と、河出の歴史小説は、もう流れができているので、一つの作品を書き上げる終盤では、次の作品のことを考えている。二本の流れがあるので、他の作品のことを考えているひまがない。しかしもっと多様な企画を立てておかないと、可能性が尻すぼみになる。来年の設計図を作っておきたい。

06/22
ウィークデーの真ん中だが、なぜか本日は何も用がない。そういうこともたまにあるのだ。真夏のような猛暑の中を散歩に出かける。このところ多忙だったので北沢川の散歩コースも久し振りだ。熱気の中を歩いていると、なぜわざわざ散歩に出るのだろうと考えてしまう。帰り道、代沢小学校の前まで来ると、坂口安吾の言葉を刻んだ記念プレートが見えた。「人間の尊いところは自分を苦しめることにある」。うわっ、まさに真実だ。わたしが散歩するのは、健康のためであり、なぜ健康でありたいと思うかというと、小説を書くためだ。その小説を誰が読むのかというと、誰も読まないかもしれないのだが、それでも書きたいという思いがあって、だからどんな苦しみにも耐えられる。とにかく生きて、書き続けなければならないと思っている。さて、『悪霊』のここまで書いた240枚を最初から読み返している。議論ばかりが続き動きがまったくないという印象をもっていた。事実、動きのない作品なのだが、登場人物のファーストショットは刺激的で、議論にも熱がこもっている。充分にエキサイティングだ。自信が出てきた。まだ半分読んだだけだが、このまま先に進んでいいと思う。主人公のキャラクターが出だしはまだ手探り状態だったのだが、必要な修正を施したので主人公の存在感が鮮明になったし、作品の意図も伝わりやすくなった。あとしばらくこの作業を続ける。『清盛』の担当者とメールでやりとりして、7月の半ばに三宿で飲むことにした。その時にゲラを渡せばいいので、まだ時間的に余裕がある。昨日の企画についてはなるべく早く作業を進めたいのだが、まあ、7月になってからでいいだろう。幸い今年は大学の夏休みが早く始まるし、著作権関係の公用も一段落するので、7月になってから雑用を片づければいい。大学の成績の入力があるがそれは7月の末でいいから、急ぐことはない。これから名人戦の中継が始まる。将棋が好きなわけではないのだが、命をかけてがんばる人の姿を見るのは楽しい。

06/23
M大学。木曜の午前の授業は80人を相手にしゃべるのでやや緊張する。M大学の学生(文学部)はレベルが高いのでちゃんと話を聞いてくれるが、人数が多いと気が抜けない。午後の2コマは小人数なので、まあ、何とかなる。期末が近づいているので成績をつけるため出席簿の整備など、少しずつ作業をこなしていかないといけない。ことに今シーズンは夏に大学の研究室が使えないらしいので、授業がある間に手元の帳簿への記入を終えないといけない。最終的なコンピュータへの入力は自宅からでもできるのだが、学生のレポートなどを持ち帰るのも大変なので、帳簿への記入を終えてしまいたい。この作業がけっこう大変だが、W大学の時ほどではない。早稲田は学生の人数が多かったので、帳簿に記入するだけで重労働だった。400人の教室で授業したこともある。早稲田の学生は優秀なので話は聞いてくれるのだが、400人分のレポートを読み帳簿に記入するのが大変だった。帳簿のページをめくるのが大変なので、まずレポートを番号順に並べ替えるなどといった作業もやる必要があった。今日は暑い。大学にも今シーズン初めてクーラーが入っていた。自宅でもクーラーを入れた。老夫婦2人の生活だから熱中症にならないようにしなければならない。

06/24
金曜日。国立国会図書館で協議会。国会図書館も省電力でエレベーターが止まっていた。動いているエレベーターで5階に昇ったのだが、迷路のように建物の中を移動することになった。帰りは階段で下りたのだが、最短距離で出口に出られた。昇りも階段で行けばよかった。本日も猛暑。『悪霊』の読み返しの作業を続けている。話がどんどん深くなっていく。出だしでこんなに深くしていいのかというくらいに深くなっている。哲学小説だ。これを書いているのはわたしなのかドストエフスキーなのか。わからなくなるくらいにドストエフスキーと一体となって書いている。

06/25
土曜日。急に涼しくなった。気温が何度か上下するだけで気分が全然違う。このままの気温を持続してもらいたい。ところで、テレビのニュースなどではまったく報道されないままに、高速増殖炉「もんじゅ」の炉心に落下したままになっていたクレーンの引き上げ作業が無事に終わったようだ。この高速増殖炉では通常の原発が熱媒体として水を用いているのに対し、液体ナトリウムを用いている。ナトリウムは常温では固体の金属だから、これを媒体とするためには数百度に熱しなければならない。しかもナトリウムは水に放り込んだだけで大爆発する恐ろしい物質で、高温のナトリウムは空気に触れただけでも爆発する。そういう危ないものが細いパイプで流れている真ん中にウランとプルトニウムがある。その燃料棒を挿入したり取り出したりするためのクレーンが、ネジが一本抜けていたためにすっぽりと落ちてしまった。燃料棒だけでも危ないのにその周りに熱したナトリウムというすぐに爆発するものがある。そこに落ちて挟まってしまったクレーンは落ちて変形して、自分が通過した穴を通れなくなり、引き上げることができなくなった。これは震災後の福島第一原発より危険だと識者の間でささやかれていたのだが、何とか引き上げに成功したようだ。この原発がアブナイのは東京の真西にあるからで、ここで爆発事故が起こると首都圏の全域が高濃度の放射性物質でおおわれ、まちがいなく世界最大の惨事となる。クレーンは取り出せたのだが、クレーンの落下によって炉心に損傷がないかの検討はこれから始まるのだし、かわりのクレーンの取り付けは年末になるという。ということは年末までは燃料棒を取り出すことができないし、いったん高温下したナトリウムはそのまま温め続けるしかない。いったん冷やすと固まってパイプがつまってしまうからだが、その瞬間に爆発する可能性もある。このとんでもない危険物が東京の真西にあるということを、都民の何パーセントが認識しているだろうか。涼しいと頭が冴えてきて余計なことが気にかかる。多くの人々にとって「もんじゅ」の存在そのものが「想定外」なのだろう。想定外だといっても「もんじゅ」そのものは確かに存在しているのだ。しかしこの危険なものをどうやって撤去するかは、まさに「想定外」だろうと思う。この危険な実験は原発先進国のフランスでもあまりに危険すぎるために休止状態になっているので、日本は最先進国なのだが、それはただの猪突猛進といっていい。これを何とかしてほしいが、わたしは自分の仕事が忙しいのでそんなことに関わっていられない。原発よりも自分の仕事が大事である。「もんじゅ」が爆発して都民が全滅しそうになっても、わたしは自分の仕事を続けるだろうと思う。

06/26
日曜日。何事もなし。『悪霊』の最初からの読み返しが終わって、ノートにメモしていた続きの部分の入力も終わった。これで先へ進める。

06/27
月曜日。今週も1年生の入門ゼミ。終わってただちに回収してレポートをチェック。今回はC・Dクラスだが、先日のA・Bクラスのレポートもチェック。これを成績簿に入力しなければならないのだが、ちょっと考えてまずレポートを番号順に並べることにした。やってみて初めてわかったこと。1年生のゼミは必修なので、レポートが番号順に並ぶ。他の授業は選択なので番号はとびとびだが、必修だと番号が連続するので、帳簿につけやすい。担当の先生から送られてきたエクセルのシートに番号順に入力。完了。しかしドッと疲れた。学生2名と吉祥寺で飲む。

06/28
午前中、総務省の会議。午後、著作権情報センター総会。夜、某編集者と三宿で飲む。久し振りに夜明近くまで飲んだ。長い一日。それでもお昼のアキ時間に仕事はできた。

06/29
うわっ、ちょっと宿酔だ。久し振りに昨日は酔った気がする。でも2軒目のラム酒の店のこともちゃんと憶えている。いつも行く店でラム酒しかない店。ここでラム酒をいつも飲み過ぎるのだが、昨夜は1杯しか飲まなかった。だからそれほどひどい宿酔ではない。昨日、昼のアキ時間にルノワールが書いたメモを入力。『清盛』のゲラも進めたかったのだが、そこまで行かなかった。明日あたり、集英社のゲラが届く。こちらは新書なのでもともとの原稿の量が少ないから何とかなる。『いちご同盟』の増刷見本が届いた。今年も「ナツイチ」の季節だ。毎年、夏の文庫フェアの時期に増刷してもらえるのでありがたい。フリーターにとって貴重なボーナスだ。

06/30
M大学。木曜日の前期最終回。震災後の電力不足で授業を早めに終了することになった。ありがたいこと。集英社新書『実存から構造へ』のゲラ届く。9月発売予定。出だしの部分を読んでみたが文章が安定している。大きな直しはないだろう。ということで『清盛』を先に片づける。ついに最終章に入った。明日はジャスラックで会議がある。午前中にも仕事はできるが、完了するのは土曜日になるか。次の週末には新書の方を編集者に渡す予定だが、何とかなるだろう。
6月が終わった。今年も半年たった。折り返し地点だ。『道鏡』が完成し、本も出た。『実存から構造へ』もゲラが出た。『悪霊』を半分のところまで行きたかったが少し遅れている。しかし充実した内容になっている。大学の専任になって週2日、時間をとられている条件でほぼ目標を達成できたのは順調というべきだろう。体調もいい。このまま後半も黙々と仕事を続けていきたい。


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