谷田部城

概説 『新編常陸国誌』によると、「元亀元年、小田氏の家臣岡見頼忠が居城としていた。その頃下妻多賀谷政径、径伯兄弟の攻撃を受け防戦に努めたが落城し、多賀谷径伯の居城になった。岡見氏は幾たびか谷田部城奪還を計ったが成らず、慶長5年、関ヶ原合戦後、徳川家康によって所領没収されるまで多賀谷氏の支配が続いた。徳川時代に入り、領主細川興昌は陣屋を集落に続いた低地に設立したため廃城になった。」[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
東谷田川を挟んで台町側からの遠望
    その他の写真
  1. 搦め手橋西側正面の八坂神社
  2. 八幡宮
訪問記[2002/11/11]遺構と思えるものは見つけられなかった。
所在地つくば市谷田部。『谷田部の歴史』p50の地図は「岡見城跡(旧谷田部城跡)」として字二ノ丸の八幡宮付近にポイントを打っている。また、「常陸国の城と歴史」の潮風さんも戦国谷田部城の場所について考察されていて、「陣屋跡よりも南側」ということのようだ。
参考書『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』、『谷田部の歴史』