後新古屋館(うしろしんこややかた)

概説 登城館跡の谷を挟んだ南西,龍貝館跡の南方1kmに立地する。また、天神西遺跡の北西にあたる。大洗町で最も中世遺構が密集する水系の一角に立地する。「後新古屋」と隣接する「新古屋」という字名は北側にある「龍貝館」に対する「新」古屋と考えられる。
南東側郭の外貌
後新古屋館周辺図(クリックで拡大)
その他の写真
  1. 南西側郭の土塁を調査
訪問記[2005/02/21]遺構の全体像がまだはっきりしない段階で見に行った。南東側郭の南面する土塁は版築になっていることを確認。未確認の遺構もあると期待していったが、早速南西側の畑を取り巻く土塁と切岸下の帯郭や相横矢を確認。北西側は良く分からなかった。北東側にも四周を土塁で囲まれた郭遺構があるという情報があるも本日は時間切れで未確認。
[2005/03/14]前回見残した北東部と北西部を見に行った。北東部の台地張り出しには郭を囲む土塁と一段下に横堀を確認。北西側は堀切、中段の水堀、土塁などを確認。また、南西部郭の更に南側に十三塚様の十一個の一列に並ぶ塚群を確認。
[2005/03/21]今日は後新古屋館から北東方向へ延びる台地辺縁に沿って歩いてみた。後新古屋館の北側には谷津を隔てて龍貝館跡が隣接しているが、その台地基部に当たる西側縁はかなり土取されて形が変わっているが土塁らしきものが見られる。さらにその北側の谷津を隔てた台地縁にも土塁・堀と見られる遺構があった。どこまでが中世の遺構かまだはっきりしないが、涸沼側を監視できる台地縁に点々と砦が築かれていたことは想像できる。
所在地茨城県東茨城郡大洗町神山町字後新古屋。
参考書