長峰城

概説 単郭方形の平城で、上端15.5m、深さ4mの空壕を東西約58m、南北約80mの長方形にめぐらしている。文明11(1479)年長峯左近将監正次の築城といわれる。豊田本城の出城として築かれたものである。豊田家は、常陸大掾平重幹の第3子四郎政幹を祖とし、真奈美常陸の覇者として武威をふるったが、結城・佐竹の大勢力に圧追されて次第に勢力を失い、天正3(1575)年多賀谷重政、政経によって豊田本家及びその一族は滅亡した。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
南側、県道24号線側からの遠望
その他の写真
  1. 最も南側堀切と櫓台のような土塁
  2. 二番目の堀切
訪問記[2003/04/14]方形郭は未確認。郭の南側の堀まで辿り着いていたのか。堀切の幅は確かに15mほどあった。しかし、その南側にも100mほどの間隔で二本の堀切があった。
所在地つくば市上郷。県道24号線長峰橋東詰の北側に城址碑が立つ。城址は600mほど北東。城址碑の東側300mあたりから北へ入って芝畑の向こう側の藪へ入る。小貝川に面した崖縁に南北方向の獣道があるのでそれに沿って進むと堀切が次々と現れる。
参考書『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』