東林寺城

概説 別名、新地城とも。
 東林寺城跡の一角にある古刹、曹洞宗東林寺の宝暦2(1752)年鐘銘によれば、「天正年中、治胤與多賀谷修理重経屡苦戦、而後兵勢力衰、遂為重経所滅、宗系断絶于此矣、東林金輪不轉、僧行逃亡、香華闇如也」とあるから、天正年中(1573〜1590)は、牛久城主岡見氏の支城であったことが推察できる。岡見氏は元亀から天正にかけて下妻城主多賀谷重経の侵攻を受け、遂に天正18年に滅亡。東林寺城主尾上(岡見)治部少輔も、岡見氏属将としてしばしば重経と対戦、岡見氏と運命を共にしたと考えられる。[『牛久町史史料編(一)』より]
 東林寺境内にある五輪塔は、もと城内南側の一角に建っていたが新地地内水田造成のための採土事業により東林寺現在地へ移された(1980年頃カ)。かなり洗練された作柄で室町時代末期の作と認められるそうだ。
三日月橋と東林寺城を東側より眺める
その他の写真
  1. 本丸虎口の横矢土塁(正面)と堀切。土塁と堀の高低差は20mほどありましょうか。
  2. 豪快な二の丸北側の堀切だが、残念なことに大量のゴミが投げ込まれている。
  3. 東林寺の五輪塔
訪問記[2000/12/11]東林寺、白川稲荷前の南北に走る道沿いの崖は急で迫力ある。土塁、堀切は高くそして深く豪快。
[2003/04/21]堀切には相変わらず大量のゴミが捨てられたまま。牛久市さん、何とかしてよ!
所在地牛久市新地町。東林寺が目印。東林寺裏手(西側)に本丸。北側に二の丸三の丸が広がる。
参考書