登城山城(とじょうさんじょう)

概説別称半田城。長峰城と谷を挟んで向かい合うように存在する。登城山城跡のある半田町一帯が、戦国期に土岐氏の領土となっていた事実からうかがえるように、この城が土岐氏と何らかの関係を持っていたことは否定できない。近世に書かれた史料によると、半田村には土岐氏の家臣が住んでいたというから、この城跡が土岐氏の家臣たちによって守られていた可能性は高いのである。小規模ではあるが、比較的よく造られた城といってよく、おそらくは戦国末期まで使用されていたものと思われる。[『龍ヶ崎市中世編』より]
満願寺も曲輪IIIに相当する
    その他の写真
  1. 曲輪Iの土塁上から曲輪IIを見る
  2. 曲輪Iの土塁上
  3. 曲輪Iの虎口と土橋
訪問記[2001/02/26]満願寺の南側にはっきりとした遺構が残る。曲輪Iの南端は土塁がないところもあって見下ろすとかなりの崖。
所在地龍ヶ崎市半田町字登城
参考書『龍ヶ崎の中世城郭跡』、『龍ヶ崎市史中世編』