当別陣屋

概説 渡島当別の入口にドライブインがあり、おしまコロニーの標識が立っている。すぐ前の家が土地の人が陣屋と呼んでいる旧家で、当主のFさんは6代目だという。文化8年(1811)津軽藩物頭、牧野徳一、同成田求馬以下150余人で当別台場を守り、露人ゴローニンが捕らえられて松前に送られるとき、ここの陣屋でその一行の到着を待ったという記録がある。「当別村、家数三、四十許り、柾葺き、富豪のものあり、漆喰の土蔵ありて、家作よき所なり。後に丸山という山ありて、遠き見ゆ。この裾野村端に続く処に陣屋を構えて大砲を設く」と古文書にある。近くに法円寺と呼ぶ寺があって、その横を流れる小さな流れを陣屋の川という。[『上磯町歴史散歩』より]
 ここは松前の殿様が宿舎にした陣屋で、戦闘用の陣屋ではない。
 現在、当別という地は「トラピスト修道院」、「男爵資料館」などで有名です。
当別の浜
その他の写真
  1. 「おしまコロニー」看板下の民家の場所が陣屋跡
  2. 法円寺北側の小川が陣屋の川
訪問記[2003/09/01]しまった、法円寺脇の「陣屋の川」の写真を撮し忘れた!
[2003/09/15]早朝から陣屋の川の写真を撮しにいったところ、偶然地元の歴史に詳しい方にお話をうかがうことが出来、船改所、陣屋、台場、源次郎の墓(昭和4年の国鉄工事の際に人柱になった)などの場所を教えてもらった。
所在地上磯郡上磯町当別。
参考書『上磯町歴史散歩』