当別台場

概説  ここに船改所ができたのは古く、元禄年間(1688〜1704)にはすでに唐船番所と呼び、半鐘を鳴らして船の出入りれを報じたという。旧幕箱館奉行以来、明治11(1878)年ころまで船改所が設けられ、吏員一,二人が置かれていたが、その後廃所となり、寺子屋などとなって子弟の教育の場になった。[『上磯町歴史散歩』より]
 現在、当別という地は「トラピスト修道院」、「男爵資料館」などで有名です。
ドライブイン裏手の丘陵上に台場が置かれた
その他の写真
  1. 江戸時代に船改所があった場所から台場を見上げる
  2. 台場から転げ落ちてきた砲座の台座といわれる石
訪問記[2003/09/01]当別には松前の殿様が使った陣屋があったので、この台場も松前藩(または幕府)が設置したものだろう。
[2003/09/15]地元の郷土史研究家の方にお聞きしたところ、「おしまコロニー」入口にあるドライブインの所が江戸時代の当別船改所の場所。台場はその裏山に置かれたそうだ。土塁というほどのものは無いが、窪みは残っているらしい。
[2004/08/02]函館新聞2004年7月15日(木)のニュースに「箱館戦争時の砲台台座?発見」の記事が載っていた。場所は上磯町当別の法円寺境内。昨年当別陣屋に関連する陣屋の川を見に行った所だ。記事によると、「函館戦争時新政府軍を撃退するために旧幕府軍が高さ約30mの丘の上に設置した台場の台座石が転げ落ちて見つかった。平面が一辺約50cmの正方形、高さが約30cm、角錐形」と書かれていた。訪ねたとき御住職もどなたもいらっしゃらなかったので本堂前に置かれているそれらしき石の写真を撮してきた。
所在地上磯郡上磯町当別。ドライブイン裏の高さ約30mの丘。
参考書『上磯町歴史散歩』