足崎城(たらざきじょう)

概説 常陸大掾平家系の吉田三郎里幹が築城し、多良崎氏を称したが、南朝方に属して所領を失った。のちに江戸氏一族の通義・通定の兄弟が居城し、足立・足崎氏を称したが、天正18(1590)年小田原の役のあと、12月佐竹義重・義宣父子の水戸城攻略の一環として攻められ、落城して城館は破壊された。[『日本城郭体系4』より]
北東側からの遠景
    その他の写真
  1. 入り口
  2. 大手門跡の土塁
  3. 二の郭との三の郭間の土橋と堀
  4. 最も北側の郭
  5. 二の郭北側下の犬走
訪問記[2001/11/5]城内は雑木林の散歩道といった感じ。
所在地茨城県ひたちなか市足崎。多良崎城跡公園。
参考書『茨城の古城』