高井城

概説 興国2(暦応4、1341)年9月23日に、高師冬が屋代信経を先導として攻めた高井城の所在については、従来2説あった。一つは貝原塚説、一つは高津説である。
 高津に古館と呼ばれる古城跡がある。戦国時代の史料や伝承に見えないので、それ以前のものと思われる。この地には、南北朝時代の宝篋印塔が残されており、高井城陥落時の供養塔と思われる。[『土浦市史』より]
八坂神社登り口
    その他の写真
  1. 八坂神社本殿周囲に残る土塁
  2. 六騎塚?
  3. 西側の土塁
  4. 城内土塁上に残る宝篋印塔
訪問記[2000/03/13]平地にぽつんと立つ小さな丘の上。城としての防禦性能は如何ばかりかと思ってしまう。
追記:その後『土浦歴史地図』で分かったことを追加しておきます。現在は上高津の八坂神社のある直径100m弱の丘に過ぎないが、かつては150mほど東の下高津小下交差点付近まで丘陵があったようで国道6号線土浦バイパス工事あるいはそれ以前に土取されて消滅してしまったらしい。現在の小さな単独丘のイメージだけで判断するのは誤りだろう。
所在地土浦市上高津。国道六号と土浦岩井線の交差点。オオタストア西側。八坂神社のある丘。
参考書『土浦市史』、『土浦の歴史散歩』、『土浦歴史地図』