洲崎之館

概説長禄元(1457)年の戦いで功を挙げた武田信広が上ノ国守護であった蛎崎季繁(すえしげ)の養女である安東政季の娘を妻とし同年築いた館である。
その後信広は地の利と景勝を誇る夷王山のふもとに勝山館を築き松前300年の基を作った。近年中国銭2500枚、中国製青磁、白磁、国産の珠洲系陶磁器や人骨が発見されている。館の内部構造については未調査の為不明なところが多い。
この館は武田・蛎崎氏が道南和人社会の中で支配者として成長する基礎を固めたところであり、更に和人勢力の移り変わりを知ることのできるところとして大変重要な遺跡である。又この館は北海道の館の中でただ一つ成立年代が明らかである。[上ノ国町教育委員会による説明板から抜粋]
砂館神社脇の発掘現場(2001年6月)
    その他の写真
  1. 概略図
  2. 社殿東側に土塁が見える
  3. 土塁と堀
訪問記[2001/6/4]砂館神社脇の発掘によって建物跡の存在が確認されているとのことです。神社北側の丘や土塁のように見えるものは残念ながら中世遺構ではないとのことです。
[2002/6/10]昨年は時間が無くて見なかった社殿脇の「中世遺構ではない」土塁を見に行った。「中世遺構と思いたい」よい土塁でした。
所在地北海道檜山支庁上ノ国町北村
参考書