概説 | 形がチョウが羽を広げたように見える四稜の土塁作りであるところから、四稜郭の名が付けられた。明治2(1869)年3月、官軍との一戦を覚悟した脱走軍は五稜郭後方からの攻撃に備えるため、工兵隊と地元民100人近くを動員して急遽築いた。5月11日、わずか数時間の戦闘で敗走した。[はこだて歴史散歩P200より抜粋] |
東側土塁の横矢![]() |
|
訪問記 | [2001/07/02]身を屈めていないと外から丸見えになってしまうと思えるくらいに小さな城郭。郭というにはあまりに稚拙ではないか。単純な土塁程度の防御性能しかないのでは、と思ってしまう。 [2003/07/14]土塁がところどころ壊れてきています。昨年からアクセス道路が舗装されたため劣化のスピードも速くなっているのでしょう。 |
所在地 | 北海道渡島支庁函館市陣川町 |
参考書 | 『日本城郭大系』、『はこだて歴史散歩』 |