椎塚城

概説 かつてこの地は吉原といっていたが、その後、宍塚、椎塚と名称が変更された。これには、敗北した南朝方の名を消して母方の名を名乗って、さらに名称を変更していった経緯があるらしい。吉原というのは小田氏の家臣にある氏名だが、それと関係があると思われる。
北側の土塁と浅くなった堀
    その他の写真
  1. 郭内は畑。一画に氏神様の祠。
訪問記[2003/02/03]土塁・堀の規模は小さいがほぼ長方形の全辺が残る。西側角には隅櫓と思われる土塁の高まりがある。
所在地稲敷郡江戸崎町椎塚字台1743-1外。三宝ゴム工業(株)の南側100m辺りから南へ向かって藪に入っていくと隠里古墳がある。隠里古墳の南西側杉林の先の畑地。
参考書『茨城県遺跡地図平成13年度版』