志筑城

概説 平安時代末の養和元(1181)年、源頼朝の叔父浮島の信太三郎義広の反乱鎮圧に功のあった下河辺政義が常陸南郡の総地頭職に任ぜられてこの地に築城。城跡は三方が深田に囲まれ、南側に自然の掘割りを擁した天然の要害で、土塁などは鎌倉時代の築城方式を今に伝えている。江戸時代には佐竹氏の国替えに伴い、出羽国(秋田県千畑町)より当地へ移封となった本堂氏8500石の陣屋として明治へ至る。
小学校を少し下った所にある池は水堀跡か。右手ガードレール向うには空堀が残る
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  1. 志筑小学校校庭周囲の土塁
訪問記[2001/05/07]志筑小学校下の小学校駐車場周辺も段郭と思わせる風景が残る。
所在地新治郡千代田町中志筑。志筑小学校が目印。
参考書