志苔館(しのりだて)

概説 志海苔館、志濃里館とも書かれる。松前藩の史書「新羅之記録」によると、室町時代頃、道南地方には十二の和人の館があり、志苔館もその一つで、小林太郎左衛門良景が居住していたことが記されている。この記述によれば、康正2(1456)年志苔館付近でアイヌの蜂起ががあり、この戦いにより翌長禄元年5月14日志苔館が攻め落とされたといわれている。戦いの後、再び小林氏が館に居住していたが、永正9(1512)年4月16日にアイヌの蜂起があり、志苔館は陥落し、館主の小林彌太郎良定が討死したといわれている。その後は、小林氏が松前藩に従属したために、志苔館は廃館となった。[現地説明板より抜粋]
 志苔の古銭:昭和43年、志苔館下の国道278号線拡幅工事の際に、越前および珠洲産の3個の大甕に入れられた50万枚近い古銭が見つかった。かなりの枚数が持ち去られたらしいがそれでも現在残っているだけでも374,436枚ある。これは函館公園内の市立函館博物館に展示されている。時代的には紀元前の漢代の半両銭から洪武通宝(1368年初鋳)まで94種類の一文銭で、館主小林氏が埋蔵したとか、長禄元(1457)年のコシャマインの蜂起に関係があるとか、昆布商人の蓄財だとか、十三湊安東氏に関係があるとか、様々な説があります。
QuickTimeムービー(約340KB):土塁上からの360度パノラマです。16秒ほどですが340KBもあります。高速回線の方のみどうぞ。
志苔館城址碑と本郭の土塁('01/6/14)
その他の写真
  1. 今年は涼しいためか、例年に比べ一月遅れでタンポポモドキの花畑('01/7/7)
  2. 北側土塁上から函館山を臨む
  3. 西側堀切と本郭土塁('01/6/14)
  4. 東側住宅の周囲も立派な土塁で囲まれている
  5. 本郭虎口から西側二重の堀切と土塁を隔てて函館山を臨む
  6. 志海苔川対岸西側からの遠望
  7. 東側には民家を挟んで畑が広がる
訪問記[2001/06/14]6月のある日、抜けるような青空の下、土塁に囲まれた郭には一面にタンポポモドキの黄色の絨毯が敷き詰められ、聞こえるのはヒバリの声。そして私ひとり。しかし、今年は草刈り直後のため黄色の絨毯はなし。
[2001/07/07]例年だと6月中の爽やかな晴れの昼休みに弁当を食べに来るのだが、今年の6月はどんよりとした曇りと雨の日ばかりで、一月遅れの密かな楽しみだった。
[2002/06/17]現在、志苔館として史蹟指定されている区域の東側も、かつて郭だったのではないかと思わせるものがある。
所在地北海道函館市志海苔町
参考書『図説中世城郭事典第一巻』