概説 | 島津城跡は霞ヶ浦を眺望できる細長い台地の鞍部に構築されている。破壊湮滅のため、実態の把握は不能であるが、御城とある地域は本郭跡で、稲荷社が祀られ、大きな堀と土塁に囲まれている。本城の構築時は不明であるが小田勢力の信太侵入の時で永正期ごろと考えられる。戦国末期になると小田氏は衰退して信太より引き下がり、土岐氏が興り島津の支配も小田勢力より土岐に代わった。伝承に木原軍と清明川畔で合戦の際、龍ヶ崎軍に軍兵の留守を側方より突かれて落城したといわれ、最後の城主は宮本内膳と伝えられている。現在宮本家が城の直前の窪地、字前の内に現存しており、これも上条の場合と同じように、土着した城主の後裔であろう。[『阿見町史』および『阿見町史研究第6号文化財特集』より抜粋] |
国道125号線バイパス、追原との境にある交差点側からの眺め。右手の丘の上には阿見飛行場がある |
訪問記 | [1998/03/09]御城という地名の場所は本郭跡で現在は畑地になっていて、その一画に稲荷社が祀られている。 [2001/01/01]今日は南側からの写真だけ。 [2002/12/22]御城入り口の物見塚はかなり削られて低く小さくなってしまっている。御城西端の隅櫓は北と南の堀底を監視するのに絶好の位置だ。その堀も数カ所に横矢が掛かり見応えあり。また、御城南側下の土塁は櫓台のように広くなっており下からの侵入路を監視していることから、着到櫓だったのかも。 |
所在地 | 稲敷郡阿見町島津字御城。 |
参考書 | 『阿見町史』、『阿見町史研究第6号文化財特集』 |