信太城

概説 信太は、後年の史料によると、信太郡の郡衙の所在地であり、信太荘の総政所の置かれた地と比定されている。信太の本郷には、信太古墳群をはじめ、城館遺構と考えられる遺構が数多く残存している。このような遺構は、南北朝末頃までの戦乱の間に次々に構築されたと推定されている。あるいは、南北朝時代または戦国時代まで築かれ続けられたのかも知れない。史料が少ないので推測は難しいが、北畠親房が東国経営のため常陸東条浦に漂着し、南北朝の争いの中で、信太城は重要な役割を果たしたに違いない。南朝方であった佐倉城や信太城は、北朝武家方に敗れその役割を終えたのであろう。[『美浦村誌』より]
 なお、大日山一帯は「大作台(おおさくだい)遺跡」という名称で最近登録された。[追加情報]大日山は土取予定のため2003年度中に発掘調査が入るらしい(2003/04/13情報)。現在土取中(2004/03/07)。
西福寺裏山からの遠望
    その他の写真
  1. 大作台城(大日山)
  2. 土塁のトンネルのむこうに家屋が
訪問記[1998/03/02]律令時代に信太郡の郡衙が置かれたといわれる場所のひとつ(その他に江戸崎町の君山説、阿見町の竹来説などがある)。城域が広く複数の丘陵を取り込んでいるので歩き回るのに時間が必要。
[2003/02/10]『美浦村誌』で言う信太城はいくつかの丘陵上の城郭を合わせた全体で、大作台城(遺跡)と言うのは大日山に残る遺構のこと。北東端に二つの古墳があり、物見台として使われたのじゃないだろうか。
所在地稲敷郡美浦村信太。国道125号トレセン入口交差点から南へ500メートルほど入ったあたり。道の両側の丘は全て信太城域。大作台城のある大日山は高橋自動車南側の丘陵。
参考書『美浦村誌』、『茨城県遺跡地図平成13年度版』