砂原南部藩陣屋

概説東蝦夷地南部藩砂原陣屋跡<国指定史跡>。
 幕府は安政2(1855)年4月、仙台、秋田、南部、津軽及び松前の5藩に蝦夷地警衛の分担を命じた。南部藩は箱館表出崎の警衛を主として、恵山岬から東蝦夷地幌別まで一帯の海岸を持場として、箱館谷地頭の北方に元陣屋をおき、砂原分屯所(南部陣屋)は安政3年には四軒町にあり兵隊約50名、砂原は市中と神社脇や駒ヶ岳のふもとに小屯(見張所)をおいた。砂原町四軒町に、東西37間(66.6m)南北33間(59.4m)の方形に、周囲の土塁の高さ約1丈(3m)である。[砂原町による解説板からの抜粋]
国道沿いの表口
    その他の写真
  1. 土塁の北西端
  2. 裏口の土塁
訪問記[2001/7/9]陣屋の外も内部も草がかなり伸びているが、民家に面している西側は土塁の壁はきれいに手入れされている
所在地北海道渡島支庁砂原町四軒町200。国道278号線沿い。
参考書『砂原町史』